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【全年齢版】身代わり、要らなかったみたいです。

掲載日:2026/05/03

 結婚式に花婿が来ないというのは、とんでもない大事件である。

 それが「式を挙げる教会までの道が混んでいて」「身支度に想定よりも時間がかかって」などという、後から思い返せば笑い話にできるような、ほんの少しの遅れであっても、当事者は気が気でないというのに。

 もしも――それが、隣国から険しい山を越え、同盟のために嫁いだ政略結婚で。国家の威信を懸けて整えられた数百人もの花嫁行列が教会に到着して、それからやっと、その場に花婿の姿が見えないことが判明したら。

 出迎え役、花婿である国王の臣下と思われる礼服の男たちが、右往左往し、互いに顔を見合わせて、「誰から言う?」と目くばせをしているのを見かけたら。

 その一団の中の一際若い男、眉を下げて情けない顔をした優男が「実は……」と気まずげに切り出したのを、耳が捉えたとしたら。


「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。我が国は、貴女を歓迎いたします、エルネスティーヌ姫。……それはそれとして、大変申し上げにくいのですが……あなたの婚約者であるヴィルヘルム国王は、本日、教会にはおりません」

「……なぜ? 急用でも入ったのかしら」


 エルが努めて冷静に、動揺を滲ませない笑顔を作って言うと、男はへにゃりと下がった眉毛をいっそう下げてしまった。


「急用……『用』ではないですが、『急』ではありますね」

「あいまいな言い方でごまかさないで、はっきり言ってくださらない? こちらも待つ用意はあります。わたくしは、リィス王国を背負って嫁ぐのですもの」


 祖国の威信を背負い、ついでに彼らには明かせない事情も背負って、エルはこの国にやってきたのだ。

 多少のハプニングが起きたところで、隣国との同盟の維持は何よりも優先される。

 それを分かっていれば、たかが『結婚相手が自分との顔合わせをすっぽかしたこと』で機嫌を損ねて帰国するなんて、リィス王国の王女としてあり得ないふるまいだ。……まあ、()()だったら、あり得たかもしれないが。

 だから、わたくしの機嫌など窺わずにはっきり言って、とエルが肩をそびやかすと、男は苦いものを口にしたような顔をした。


「……そうですね、はっきり言います。『急用』とは違って、いくら待っていただいても、お出しできませんから。亡くなったので」

「……へっ? 今、なんて?」

「我が国の国王ヴィルヘルムは、三日前に亡くなりました」


 思わず、ぽかん、と口を開けてしまった。

 あまりに姫君らしくないこんな姿を教育係に見られたならば、ただでは済まされないだろうが、そんなことを気にする余裕もない。

 だって、彼の言葉は、エルが嫁ぐはずの相手はもうこの世にはいない、という意味であって。


「急使を遣わしたのですが、その時にはもうエルネスティーヌ姫のご一行はスヘンデル国内に入っていたようで、行き違いになってしまい……せっかく、ここまで来ていただいたところを、大変心苦しいのですが」


 気弱そうな青年に本当に申し訳なさそうに言われると、こちらとしても責めづらいのだが、ちゃんと説明してほしい!

 強い視線を向けるエルに、彼は、はたと気づいたように目を瞠った。


「ああ、そういえば、まだ自己紹介をしていませんでした。後手後手で申し訳ない。僕は、レオポルト・テル・ホルスト=スヘンデルと申します。ヴィルヘルムが亡くなったので、中継ぎということで一応……僕が、今の国王です」


 ――どうしましょう? このまま結婚してしまう……わけにはいきませんよね?


 おそるおそる続けられた衝撃の言葉に、エルネスティーヌはとうとう意識を手放した。


 想定外の出来事の連続に、驚きすぎたせいもある。

 これから自分はどうなってしまうのかと、不安と恐怖を覚えたせいもある。

 けれど、最も大きな原因は。その時、エルの胸に去来した思いは――。


(そっちも代わりの人を立てるなら。エルネスティーヌ姫と面識のない人が出てくるのなら、だったら、私が()()()()()()()()()()()()()()()()()必要なかったじゃない! あの厳しい身代わり修業は何だったの!?)


 ――今、いかにも姫君らしくふるまっているエルは、リィスの王女エルネスティーヌ姫の身代わりで、これまで散々苦しめられた修業が無意味で不要な代物だったことを知り、放心していたからである。


 ☆


 エルは、簡素な一室しか知らずに育った。


「おまえは罪人です。生まれながらに罪にまみれた存在なのだから、償わなければならない」


 何ヶ月かに一回、エルを訪ねてくる者たちは嘲笑を向けるとともにそう罵ってきたし、日頃は人と話すこともなく、言葉を発するとすれば、食事を運んでくる牢番に「ありがとう」と声をかける時だけ、という生活は、なるほど確かに罪人らしかった。

 そうは言っても、物心ついた時にはもう閉じ込められていたのだから、エルには罪を犯した記憶はないし、記憶に残らないほど幼い子には大した悪事もできないだろう。

 だから、きっと罪を犯したのは、エル自身ではなくて、エルの親類が何かだったのだろう。その人と顔を合わせたこともないから、真相は分からないままだが。

 牢番の鬱憤晴らしに、小突かれたり食事を抜かれたりというちょっとした苦難は日常茶飯事だったが、どうにか死なずに育って、エルに訪れた転機は、十二の時だった。


「お父さまぁ、この子が、わたくしの()()()なの?」


 ある日、年嵩の男性とエルと似た年頃の少女が訪れた。

 いつ与えられたものかも分からないボロ布を纏ったエルとは違って、きらびやかに着飾った女の子。

 その時のエルは『人形』というものを知らなかったから、彼女は、窓の外に見える鳥か蝶の仲間のように見えた。

 色鮮やかで、ひらひらと動いて、つい目を惹かれるような『何か』だと思ったのだ。


「ああ、そうだよ、エルネスティーヌ。()()は女だから、いつか駒として使えるようにと生かしておいたんだ。ようやく使う時が来た。ここまで養ったのだから、役に立てなければな」

「ひどいわ、お父さま! こんな汚い子、わたくしにちっとも似てないわ!」

「もちろん、エルネスティーヌの方がずっとずっと美しいとも! だが、血縁のせいもあって、他の者よりはまだ、似ている。これならごまかしようもあるだろう」

「ふうん。……ねえ、おまえ」


 少女――エルネスティーヌ王女は、子どもらしくない真っ赤な紅が引かれた唇を、にい、とひん曲げた。


「わたくしのために、死んで?」

「は……」

「嫌なの? なら、今ここで死になさい。わたくしの身代わりになるなら、おまえが()()()()()()()生かしてあげる」


 王女がひらりと動かした手の一振りで、彼女に付き従ってきた大人の男たちが、抜いた剣の切っ先をエルに向けた。

 その二択に、選ぶ余地などなかった。

 死にたくない、とエルがこくこく頷くと、エルネスティーヌ王女は満足げに微笑んで、エルを連れて行くようにと騎士に指示を出した。


(そこからも、けっして楽な道ではなかったけれど……)


 連れて行かれた王宮では、「おまえなどエルネスティーヌ姫さまに似ていない」「なんのために生かしてやったのか」といびられ、虐め倒された。

 犬に芸でも仕込むように、失敗には罰として苦痛を与えられるとなれば、いやでも必死に覚えるものだ。

 どうにかエルネスティーヌのふりができるようになると、今度は王女は面倒な公務も全て放り出して、エルに押しつけるようになった。

 それ自体は、エルにとって見知らぬ『外』の世界を見ることにも繋がったから、必ずしも苦ではなかったが――やがてエルは、自分が王宮に連れてこられた理由を知った。


「おまえは、隣国スヘンデルの国王に嫁ぐの。わたくしにはちっとも相応しくない、田舎で野蛮な国の上に、今の王は戦狂いなんですって! ああ、なんて恐ろしい!」


 大陸の文化の中心を自負するリィスの王女、それも特別にプライドの高いエルネスティーヌにとっては、格下の隣国に嫁ぐだけでも耐えがたいことだろうに、今代の隣国の国王は無類の戦争好きであるようだった。

 どんなきっかけで戦争をふっかけてくるかもしれない相手から「エルネスティーヌ王女を我が妻に」と望まれたから、リィス国王は断ることも憚られて、口先では応諾しつつ、身代わりを用意した――それが、エルだった、と。

 確かに、罪人の娘であれば、いつ死んだって惜しくもない。エルを嫁がせることで隣国の要求を躱し、仮にエルが嫁ぎ先で国王の不興を買って殺されでもすれば、宣戦布告の材料にもできる。一石二鳥とはこのことだ。

 そうして、ほとぼりが冷めた頃に、エルネスティーヌは別人の名前を名乗って、国内の有力貴族にでも嫁げばいい。――これが、娘を溺愛するリィスの国王が立てた計画だった。


(その暴君が実は死んでましたっていうなら、エルネスティーヌ姫が嫁いでもよかったのにね。ああ、でも、姫様は、この国自体が気に入らないんだっけ。それに、次の国王は暴君じゃないという保証もないか。……んん、次の、ひと……)


 そういえば、その人を前にして、自分は倒れたのだった。

 ようやく我に返ったエルが身体を起こすと、突いた手の下には体温の移ったシーツの感触がある。質素で、でも清潔な寝台だ。

 あの場で倒れた後に、この寝台に運ばれて、安静にさせられていたのだろう。


「よかった。目が覚めましたか」


 寝台脇に立つ男が、目覚めたエルを見て、ほっとしたように呟いた。

 くすんだ淡い色の金髪、藁のような髪をしたレオポルトは、先ほどはかけていなかった分厚いレンズの向こうで、琥珀色の瞳を瞬かせていた。

 顔を合わせた時にも思ったけれど、彼はずいぶん気弱そうに見える。


「先ほどは、驚かせてしまって申し訳ありません。婚約者が死んだなんていきなり聞かされたら、衝撃も受けますよね。配慮が足りませんでした」

「……いいえ。死んでしまったものは、『死んでしまった』としか言えないでしょう。仕方ありません」


 正直なところを言えば、エルは前国王ヴィルヘルムに何の思い入れもないから、その人が死んだかどうかはどうでもいいのだが、ここで、けろりとしているのもおかしいだろう。

 婚約者の死に衝撃を受ける姫君らしく殊勝に答えると、レオポルトはうんうんと頷いた。


「そうなんです。ヴィルヘルムは死んでしまったので、姫がリィス王国に帰国できるように、すぐに手配いたします。旅支度には少しかかるかもしれませんが、長旅でお疲れでしょうから、その時間は回復のために充ててください」


 ――嫁ぐべき相手がいなくなったから、帰れ、と。

 ここまで来させておいて一方的に言うな、と燻る気持ちはないではないが、いないものはいないのだから仕方がない。

 至って常識的に帰国の手順を説明するレオポルトを見て、エルは気づいた。


(……ん、あれ? 待って。私がリィスに戻っても、良くて牢屋に逆戻り、悪くすれば『身代わりの任務も終わったし用済みだ』って殺されて終わりじゃない? ろくなことにはならないでしょう。だったら、このまま、スヘンデルにエルネスティーヌ姫として居座った方がよくない? 今の国王がこの人なら、優しそうだし)


 少なくとも常識はありそうだし、見るからに気弱そうで、押しに弱そうだ。

 この彼が今の国王で。エルは『スヘンデルの国王』と結婚するために、この国にやってきたわけで。

 つまり――この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない!


「あのっ!」


 寝台から立ち上がろうとしたエルを支えようとしてか、目の前に差し伸べられた彼の手を、両手でがしりと掴んだ。

 そのまま詰め寄る勢いで話しかければ、レオポルトは怯んだように身を引く。


「っ!? ……エルネスティーヌ姫? えっと、何か?」

「今は、あなたが国王陛下なのですよね? それでしたら、わたくし、あなたに嫁ぎます!」

「そんなに急に切り替えられるものじゃないでしょう。ご無理はなさらず」

「いいえ! わたくし、あなたと結婚したいです!」


 このままリィス王国に戻されるのはごめんだ。

 何がなんでも彼を口説き落とすしかないと、エルは手に力を込め、彼の手をにぎにぎと握った。

 そのたびに、彼は顔色を赤くしたり青くしたり、忙しなく変える。


「僕と、結婚って……」

「えーっと、ほら! わたくしは、リィス王国を挙げて嫁いだのですもの! ここでおめおめと帰るわけにはいきませんわ! 結婚相手が死んだり別人になったりするくらい、それが何だというの!」


 威勢よく言ってはみたものの……さすがに言いすぎたか。

 結婚相手が死んだり別人に入れ替われば、いかに立派なお姫様であろうとも、多大なショックは受けるだろうし、その方が人情があるとも言える。

 最低限の人情すら打ち捨てて「別に誰と結婚したって一緒ですから!」と言ったも同然のエルの態度は、不自然かもしれない。というか、不自然以前に、「人の心ないの?」と嫌悪感を抱かれても仕方がない。

 不用意なことを言って不審がられるかも――とも思ったが。


「あなたは……なんて、素晴らしい心ばえの方なんだ! 王女としてのそのお覚悟、感服いたしました」


 レオポルトは、エルの言葉を聞いた途端に、驚いたように目を瞠り、眼鏡を外して、挙句に目じりをハンカチで拭う始末だ。

 ……まさか、今の発言に感激して泣いているのか? チョロすぎないか?


(なんか、うまく騙せたっぽい)


 この分だと、ここに置いてくれそうだ。

 内心でほくほくとしたエルは、しめしめと笑みをこぼしていたのだけれど。


「いや、でもっ! やっぱり止めた方がいいですよっ! 僕なんか、王家の傍流……先々々代国王の末息子が開いた伯爵家の当主でして、国王といっても中継ぎでしかないし、家に財力もないし、それで婚約者もいなかったくらいのやつで……そうだ! エルネスティーヌ姫にふさわしい方を僕があっせんしますので」

「ええい! まどろっこしい!」

「エルネスティーヌ姫? っ、何を……っ!?」


 こちらは、レオポルトがいいと言っているのだ。

 確かに彼の言う通り、彼よりも立派でリィスの王女の結婚相手にふさわしい人物はいるのかもしれないけれど、その人物がちょうどエルと年頃も合っていて、既婚者でも婚約者持ちでもない確率はどれくらいあるだろう。

 おまけに、その人と新たな縁談を設定するとなったら、相手も名家の出であるからこそ、婚約を結んで結婚するまでに年単位の時間がかかってもおかしくない。

 その間ちんたらと待っていたら、エルはリィスに連れ戻されてしまう。


(目の前に、せっかくおあつらえ向きな物件がいるのに、なんで他を探さないといけないのよ)


 斯くなる上は、まずは既成事実を作ることだ。

 エルは、レオポルトの手をぐいと引いて、彼を寝台の上に引き倒した。その拍子に、彼が分厚いレンズの眼鏡を取り落とす。


「ひっ、姫!?」

「どうか『エル』と呼んでくださいまし。陛下」


 ――わたくしが、気持ちよくして差し上げますから。

 舌なめずりせんばかりに意欲に燃えるエルを見て、レオポルトは顔から血の気を引かせていたが、一拍置いて火のついたように騒ぎ始めた。


「だっ、だめだよ、そういうのはっ! 結婚するにしても、まずは、教会で愛を誓ってからでっ!」

「神に人の愛の何が分かるというのです。肉体言語の方が伝わることもありますわ」

「覚悟が決まった武人みたいなこと言うねっ!? いやっ、おかしいな、僕が聞いていた話によると、エルネスティーヌ姫はお淑やかな姫君だということだったけど」

「昨今のお淑やかな姫君はこれくらいするものですわ」

「絶対に嘘だ!」

「いいからもう、黙って?」


 うるさい口だな。早く塞いでしまおう。

 勢いのままに口をぶつけると、触れ合った箇所から熱が伝わるくらいに、彼は体温を上げていた。

 一度顔を離して、あらためて見てみれば、頰と目元を真っ赤に染めて、口元を手で覆った彼がいる。

 とても「キスはただの挨拶でしょう」と流せそうもないそのありさまを見るに――。


「あら? あなた、初めてだったの? お可愛らしい」


 くすりと笑うと、レオポルトは弾かれたように顔を上げてエルを見た。

 どうやら、彼はずいぶん()()らしい。彼だって王位継承権は下位とはいえ、王族の端くれではあるのだろうに、少々、純粋培養すぎはしないか。

 同じ王族でも故国のエルネスティーヌ姫は奔放で、何人も恋人を囲っていたし、エルも「王族の嗜みだ」と閨房術も教え込まれたのに。

 だが、彼が慣れていないのなら、好都合だ。


「もーっと、いい思いをさせてあげる……」


 衣服の胸元を緩めて開き、彼に詰め寄った。

 自慢ではないが、エルネスティーヌがあれだけ美しいと讃えられるなら、それに似たこの顔も、良い線まではいっているはずだ。肉づきの良くない身体は、好みが分かれるかもしれないが。

 ともあれ、経験のない彼は、少し誘惑してみせれば、きっと飛びついてくるだろう、と思ったのだけれど――。


「はっ、破廉恥だっ! 服を着なさい!」

「えっ」


 火事場の馬鹿力というものなのか、彼はエルの身体をシーツに向かってぽいと放ると、緩めていた胸元を整え、なんならその上から、彼のジャケットを脱いで着せつけ全てのボタンをぎっちり留めることさえした。

 これでは、色気とは無縁の姿、それどころか「ダサすぎて萎える」と言われそうな姿になってしまった。


「みっ、未婚の女性が肌を見せるなんて……っ! いいかい、そういう破廉恥なことは、結婚相手にしかやってはいけない!」

「だから、あなたと結婚しようと思ったのですけれど」

「僕も男だ、責任はとる! だが、二度としないように! 破廉恥だっ!」

「あ、はい」


 頭から湯気を吹き出すくらいに怒った彼は去っていった。

 残されたエルは、独りごつ。


「……『責任を取る』って、責任を取るようなこと、何もしてないじゃない……? もしかして、私の肌をちらっと見たことだけで? 見せつけられただけなのに!? しかもこんなの、露出激しめなドレスなら見せてるくらいのデコルテでしかないのに……それで責任を!? そんなことあるっ!?」


 やっぱり、彼は思った以上に純粋すぎるようだ。『破廉恥』と三度も言われたし。

 あの分では『キスをする=結婚』と思っていてもおかしくない。エルは、冗談半分にそう思っていたのだが――。


「病める時も健やかなる時も、愛すると誓いますか」

「……っ、はい、誓います」

「では、誓いの口づけを」

「口……づけ、というのは、こんなふうに他人に見せつけるようなものではなくて!」

「ハイハイ、いいから、キスしますよ。レオポルトさま」


 その後の司祭の前でも、彼が顔を真っ赤にしていたことからすると、あながち間違ってもいなかったのだろう。

 そんなこんなで、責任を取るように求める事柄もないのにうっかり責任を取ってもらえたエルは、彼の妃としてまんまと居座ることに成功したのである。


 ☆


 そんなきっかけで始まった結婚生活ではあったが、彼との生活は想定外に楽しかった。


「貴女は想像したこともないと思うけれど、うちの国は、戦争なんてしている余裕ないくらい貧乏なのに、ヴィルヘルムが無駄金を使ったせいで本当に資金難だし、遅れてるんだ」


 レオポルトは事あるごとに言う。

 エルのことを文化面で先進的な国からやってきた繊細なお姫様だと思っているから、自国を卑下するような発言も増えるのだろう。

 或いは、下手に出ているように見せかけて『うちの国はあなたにはふさわしくないので、あなたにもっとふさわしい国に戻ったらどうですか』と、この国からエルを追い払おうとしているのかもしれないが。だって、レオポルトはどう見ても、この結婚に乗り気ではない。

 だが、彼が知らないことが一つある。それは――。


「『肉を焼いただけ、みたいな料理でごめん』とか、言っている場合じゃないわ。お肉って最高じゃない! これ全部、食べていいの? 本当に!?」


 ――エルは、存外ずぶとく、かつ、全く文化的でもないということ。


 幼少期から食うにも困る生活をしていた上に、身代わり修業をさせられるようになってからも、いびり混じりに「王女は小鳥の餌くらいの食事しかしない!」などという理不尽を強いられてきた身である。

 それが仮にも王妃として下にも置かない扱いをされれば、故国で過ごすよりもずっと心地よく過ごせるわけで。


「明日はどんな料理を出してくれるの!? 楽しみね!」

「……嫁ぎ先にそこまで馴染もうとするなんて、貴女は勉強熱心な人だね」


 尻尾を巻いて故国に逃げ帰るどころか、退く気配も見せずに明日の飯を図々しく要求するエルを見て、彼は困ったように笑っていた。


 ――そう、レオポルトは優しい。彼はエルのことを持て余しているのだろうに。


 同盟を申し出た前国王の意図は分からないが、レオポルトもこの同盟を継続させようと考えたのは、互いの国にとって得るものがあるからだ。

 それは、他国に対抗するための軍事同盟であり、互いの文化交流や経済的な連帯でもあった。

 だが、本物のエルネスティーヌが嫁いでいれば果たされたであろうそれらを、エルは彼の国にもたらせない。

 リィスの国王は、たとえスヘンデルが他国に攻められてエルが死んだとしても痛くも痒くもないのだから、リィスがスヘンデルのために兵を出すことはないのだ。軍事同盟は、片面的にしか作用しない。

 おまけに、『洗練された国から来た王女』に期待されている文化的な役割の方も――。


「リィスで流行っている恋愛小説は何ですか? スヘンデルでは、この三冊を押さえておけば間違いないと言われておりますの! リィスからの翻訳書ですと、少し古いシリーズですけれど、わたくしは『金の娘』シリーズが好きでして。妃殿下が生まれる前の作品ですが、当時はリィスでも爆発的に流行して、リィスの先王陛下も嗜まれたという……」

「ええと……ごめんなさい、わたくしはそういうものに疎くて」

「あっ! そうですよねぇ。リィスの王女さまが、()()()()()()()()()だなんて、読みませんよね。ごめんなさい!」


 茶会でも、きっと楽しい話ができるだろうと期待に目を輝かせていた貴族令嬢に、恐縮されて、頭を下げさせてしまったけれど、違うのだ。

 その場しのぎの『身代わり』はエルネスティーヌの代わりに死ぬのが役目であって、流行の娯楽がどうだとか貴婦人が好みそうな話題までは習得する機会が与えられていなかった。

 だから、エルは『リィスではどうですか?』という問いに対する答えが分からなかっただけなのに。


(私、ちゃんと身代わりをできてない……)


 自分が不甲斐なくて情けなくて、悲しかった。

 もはや、故国のために立派に役目を果たすべき、とは考えていない。エルを身勝手に利用した彼らに、負い目を感じる筋合いもなかった。

 ただ、レオポルトや彼の国、国民に対しては、別だ。

 もしも、ここにいるのがエルネスティーヌだったら。エルがエルネスティーヌと同じだけのものを身につけていたら、エルはもっと、彼らのために役立てたはずだった。

 それができないのが、辛い。


「姫には何か趣味はないのかい? 貴女の私的なもののためにお金が使われていないことに気づいてね。遠慮させてしまっていたかな」


 きっと、レオポルトが聞いてきたのだって、エルが流行りの小説も知らない、という話を聞きつけたからだろうに。

『気を遣ってお金がかかる趣味のことを言い出せなかった』という落ち度を自分で作って被った彼は、エルに数冊の冊子を差し出した。


「ひとまず、最近スヘンデルで流行している小説らしい。若い女性に人気があるんだって」

「小説?」

「小説は好きじゃなかった?」

「いいえ、好きよ。でも、本って、もっと重くて厚みのあるものでしょう?」


 エルに『身代わりとしての最低限』を叩き込んだ教育係たちは、革表紙付きの羊皮紙でできた重い本を持っていた。

 彼らの機嫌を損ねると、その本で頭を叩かれて、角が当たるとなかなか痛かったから、覚えている。

 だが、これらは違う。もっと小さくて軽くて、片手で何冊も持てそうだ。


「これは紙製の本だよ。うちの領地の名産品で、木の繊維を水に溶かして伸ばした紙だから、薄くて軽い」


 羊皮紙は高いし、ボロ布を紙にする方法では均一な厚みの紙が作れないからね。安価な代替品だよ、とレオポルトは自虐的に笑った。――リィスにはない高度な技術を惜しげもなく披露しながら。


「おまけに、これは再生紙だ。一度解した繊維を再利用した方が加工が楽だから、インクの少ない部分を溶かし直して使っている。安価な品で申し訳ない」

「それは、羊皮紙みたいに、一度書いて終わりではないの? もっと安く手に入る?」

「うん。どうしても紙質は落ちる分、安く流通するようにしているんだ。姫への贈り物にはふさわしくないだろうけれど――」

「これを、私に、くれるの!?」


 何冊もの本を、全てエルのものにしていい、と。

 驚いて聞き返したエルに、彼も驚いたように目を丸くして答えた。


「え、うん。こんなものでよければ」

「素晴らしいわ! ありがとう!」


 渡された冊子をいそいそと胸の前で抱きしめるエルを見て、彼はふっと微笑んだ。

 嫌な嘲笑を含まない、微笑ましいものを見るときのような笑いだった。


「貴女が喜んでくれるなら、僕も嬉しいよ」


 ――時々、思う。

 もしも、エルが前国王ヴィルヘルムに嫁いでいて、彼に気に入られることができたとして。

 彼は金遣いの荒い、よく言えば景気良く使う男だったそうだから、もしかしたら、エルの求めるものを何でも買ってもらえたかもしれないけれど。

 それでもきっと、こんなふうに心満たされた日々を過ごすことはできなかっただろう。


「レオ。私、あなたと結婚できて幸せよ」


 本心からそう言うと、彼は虚をつかれたような表情を見せた。


「……そうかな」

「ええ!」


 エルが力強く肯定すると、彼はやっと口角を緩めて引き上げてくれた。


(たとえ、あなたにとっては、私との結婚が不本意な結婚だとしても。……いまだに、抱いてもらえなくても)


 彼は結婚してからもエルに触れようとはしない。

 彼はエルのことなど望んでいないと、エルでは、彼の用は果たせないのだと伝わってきて、苦しく感じることもあるけれど。

 それでも、このまま彼の傍にいられれば、エルはそれだけで幸せだと思っていた。


「――ねえ、譲って頂戴。というよりも、元々、わたくしのものよ。返しなさいよ、偽物のくせにっ!」


 月日は流れ、リィス王国の王太子が使節としてやってきたある日、エルだけが彼に呼び出された。

 実際の用向きは「リィスにとって有利な話を仕入れたか」という確認だろうが、表向きに「久しぶりに兄妹水入らずで話したい」と言われれば断れない。

 王太子のことは苦手だが、短時間、互いに外面を取り繕うくらいのことはできるかと思っていたのに――呼ばれたその場には、王太子はおらず、美しく着飾った()()()がいた。


「エルネスティーヌ姫……」


 愕然として呟いたエルを、彼女は憎々しげに睨みつけてきた。

 険しい表情を浮かべた顔も美しい……けれど、その顔は、鏡の中で見る自分の顔とは似ていないように思った。

 似た容姿を買われて身代わりを命じられたというのに、不思議なこともあるものだ。


「へらへら笑って、腹立たしいったら、ありゃしない。そもそもねえ、おまえが『結婚相手の顔を知らなかったから、うっかり別人と結婚してしまった』なんていうから! おまえのせいで、わたくしの名前を汚されたのよ!」


 レオポルトと結婚した際、リィス王国にはそういうふうに説明した。

 その時は、リィス王国としても、新しい国王との間に縁が繋がることの利益があると判断されて、特にお咎めも受けなかったが、国としての判断とエルネスティーヌ個人の判断は違ったということだろう。

 彼女にしてみれば、自分の名前に要らない婚姻歴を残されたようで、心底不快だった、と。

 その気持ちは理解できないではないが――。


「それが嫌なら、身代わりなんて立てなければいいのに」

「なんですって!」

「いえ、別に」


 身代わりとして別人を送り込む以上、その点は最初から織り込み済みだったろうに。

 それを今さら言うのかと、呆れてため息をついたエルに、エルネスティーヌは激高した。


「おまえ、ずいぶん、ふてぶてしくなったわねえ。自分の立場も分かっていないのかしら」

「私の立場? スヘンデルの王妃という立場のことですか?」

「調子に乗るんじゃないわ!」


 彼女の持つ扇で叩かれた。

 硬い骨組みが当たった痛みに顔をしかめたエルに向かって、それは何度も振り下ろされた。


「どうして、おまえがっ! おまえなんかが、『美しくて、聡明で、よく夫を助け、夫からも愛されている』……っ、そんな評判を得て、わたくしの名前を、おまえを讃えるために呼ばせているの!」


 そんなふうに言われているなんて、初めて知った。

 確かに、スヘンデルの臣下や使用人からは、微笑ましいものを見る視線を向けられているな、とは思っていたけれど。


(でも、それは。レオが、私に花を持たせようとしているだけで)


 エルの夫が事あるごとに言うからだ。


『貴女のおかげで助かったよ』

『さすがは姫だ。僕にはその発想はなかった』

『貴女の横に立つと気後れするな。貴女は月の女神みたいに美しいから』


 言葉を尽くして、彼が言うから。

 思い返して黙り込んだエルに、エルネスティーヌはぎらついた目を向けてきた。


「忌々しいっ! わたくしは、おまえに成り代わることにしたの。おまえの得たもの、全部よこしなさい!」


 全部、というのは――彼のことも?


「嫌……っ」


 とっさに、嫌だと思った。

 けれど、よくよく考えてみれば、それは元々エルのものではなかったはずのものだ。そう思い至ったら、何も言えなかった。

 それに――。


「それにね、レオポルト国王も、本物のエルネスティーヌ姫を歓迎するわよ」

「っ……」


 それは、エルもずっと内心で思っていたことで。全く否定できなかった。

 彼やこの国のために、エルみたいな偽物にはしてやれないことがある。エルネスティーヌにはできることがある。

 だったら、ここでエルネスティーヌと入れ替わった方が、彼のためにもなって、彼も喜ぶだろう。


「分かった? 身代わりなんて、誰にも求められていないの。おまえなんか、誰も要らないのよ」


 口を閉ざしたエルを見て、エルネスティーヌ姫はにっこりと美しく微笑みかけてきた。

 話が終わった頃合いに、部屋にやってきたリィスの王太子が、扉を叩いた。


「もう済んだか?」

「ええ、お兄さま。わたくし、これからレオポルト王に会いに行くわ。そこの女は煮るなり焼くなり好きになさって?」


 楽しげに言う妹に頷いてみせた王太子は、嫌な目をしてエルのことを見た。


「へえ……あの骨と皮みたいに痩せこけていた子どもが、なかなか美しく育ったじゃないか。今のおまえなら、私の愛妾の一人に加えてやってもいい」

「ひ……っ」


 嫌だ。

 彼から距離をとろうにも、扉を背にして立つ彼の側を抜けなければ逃げられない。

 扉にかけた手を、王太子に腕を掴まれ引き戻されて、絶望したその時、エルの目の前で扉は開いた。


「王太子殿下。まだ、話は終わっていませんが――うちの妻に、何の用です?」


 室内の様子を見てとるや否や、レオポルトはエルの身体を王太子から奪い取り、背中に庇うと、じろりと王太子をねめつけた。


()()()。妹に対する戯れだとしても、度が過ぎるのではないですか」

「先ほども話しただろう。その女は妹ではない! エルネスティーヌの身代わりだ!」


 どうやら、王太子は、レオポルト相手にも秘密を堂々と打ち明けてきていたらしい。


(身代わりだってバレて、いっそう嫌われちゃった……)


 落ち込んだエルに俯く暇も与えず、レオポルトは動揺を微塵も見せずに言い切った。


「先ほども話した通り、私もそのことは知っていますが。それが何か?」

「……え?」


 驚いて彼を見上げたが、彼は背後のエルの視線に気づく様子もなく、淡々と言葉を並べた。


「何か、だと!?」

「彼女がエルネスティーヌ姫ではないことと、私が彼女と結婚していることと、貴方が私の妻に触れようとしたこと。それらに何の関係があるのです?」

「それは、だからっ」

「彼女は、私の妻だ。そこの女と取り換えろだなんて、冗談にしても笑えない」


 ――宝物をゴミクズと交換したいはずがありますか。

 心底理解できない駄々をこねる者に呆れ果てるように言われて、それを聞いたエルの瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 くぐもる声に気づいたのか、背後を振り返ったレオポルトは、優しい声をかけてくる。


「どうしたの。こんなに泣いてしまって……僕のせいかな」

「違う……っ」


 彼に抱きしめられて、彼の体温を身近に感じると、余計に涙が出てきてしまう。

 ぽろぽろと涙を溢し続けるエルを抱き上げて、彼は至って穏やかに『お断り』を突きつけた。


「まあ、何かの行き違いがあったのでしょうね。そう整理することで、こちらは構いません。僕は、リィスとは仲良くしていきたいと思っていますよ。ああ、そうだ。友誼の証に、一つ有益な情報を」


 王太子に近づいた彼は、耳元で何かを囁いた。

 頭上で交わされたやりとりの、断片的に漏れ聞こえた単語だけでは、エルには何の話をしているのか、分からなかったけれど。


「おまえがどうして、それを……っ!?」


 顔色を悪くして慌てふためく王太子に、レオポルトはにっこり笑って言った。


「僕は、好きなもののことなら、なんでも知りたくなる気質でして」


 ☆


 ぶしつけな来客が這う這うの体で去っていってから、しばらくして。

 エルは身体を震わせながら、夫を見上げた。


「レオ……」

「まったく、()は秘密を抱えてばかりだね。心配したよ。夫婦なんだから、何でも言ってほしかったけれど」

「いつから、知っていたの?」

「割と早くに気づいたよ。王女さまにしては、君は柔軟すぎる」

「……そうよね」


 自分でも、身代わりを務められていないとは思っていたのだ。エルはしゅんと肩を落とした。

 レオポルトはものすごく怒っているのだろうか。

 そうかもしれない。だって、国王の結婚相手に身代わりを立てて結婚させるなんて、彼のことを軽んじすぎだ。

 それでもまだ、エルが自分から秘密を打ち明けていれば、信頼も勝ち得たかもしれないが、彼に黙ったままだったエルは、リィスの計画に加担したとしか言えない立場だ。

 彼は、エルのことを恨んでいるのかも――思い巡らせて、エルの視界は滲んでいった。


「ごめんなさい……」

「君は何も悪くないよ」


 都合が良すぎるくらいに、優しい声が言った。

 ぽろぽろと涙をこぼし続けるエルを抱きしめて、背中をとんとんと叩いて落ち着かせてくれる。


「君の立場では、国王の命令に逆らえなかっただろう。そうやって無理に嫁がせられたのに、それでも立派な王妃たらんと努力してくれたことを、僕は本当に感謝しているし、尊敬している」


 そこまでの覚悟をもって臨んでくれたなんて、と以前に聞いた言葉をまた聞いた。


「頑張ってくれた君のことも愛している。でも、僕は、取り繕わない君のことも見てみたい。嬉しいんだ。君が、身代わりの役目から離れたことが」


 ――身代わりでなくなった今の君のことが、これまでにもまして愛おしくてたまらない。

 君を身代わりだなんて思ったことはない。僕にとってはずっと、君こそが本物だったのだから。


「ただ、名前も教えてもらえなかったのは、ちょっと傷ついたというか……怒ったかもね」

「ねえ、レオ……っ、わたし……」


 彼の言葉に、エルは瞳を潤ませた。

 見てくれる人がいた。

 エルが必死に取り繕ったエルネスティーヌ王女の身代わりとしての顔ではなく、生身のエルのことを見てくれる。それでいて、エルの努力にも気づいてくれる人が。

 だってそれは、どちらもエルだ。

 そこを『身代わりかどうか』で分けて考えるのも無意味な区別で、どちらにしても切り捨てられたエルの一部が寂しがるような気がする。

 彼にひしと抱きついて、エルは、彼の耳に吹き込んだ。――自分の本当の名前を。


「……そうか。可愛い名前だね。これからもよろしく」

「これから?」

「明日からもずっと、君は僕の妃だろう?」


 エルはこくりと頷いて、彼にずっとくっついたままでいた。


 ☆


「ああ、もう、本当に健気で可愛すぎる。……ふふ。寝顔も可愛い」


 傍らに眠る妻を見て、王はうっとりと微笑んだ。

 頰には幾筋もの涙の痕が光り、たくさん泣かせてしまったことを可哀想にも思ったが、くったりと身体の力を抜いて四肢を投げ出した姿を晒させた満足の方が勝った。

 彼女の無防備な姿を見ると、いっそう愛おしさが増す。

 日頃、小さく丸まって眠り、少しの物音がすれば目を覚ましてしまう……何かに怯えるようなそぶりをする彼女の姿を見慣れていたから。


「……生まれてからずっと、命を脅かされていたのだから、仕方ないけど」


 先ほど、リィスの王太子に囁いてやった言葉。

 彼らが疑心暗鬼に駆られればいいと思って投げつけた毒を、思い返した。


『『偽物』はどちらでしょうね。血筋で言えば、彼女の方が『本物』だ。先王の遺児なのだから』


 我儘放題の傲慢な姫君だと聞いていたエルネスティーヌが、想像と全く違う人物であることを知り、早い段階で彼女が影武者であることには気づいていた。

 ところが、エルネスティーヌと面識のある外交官に面通しをさせてみても『見た目はそっくり』という太鼓判を押され、彼女の正体が気になった。


 それだけ似ているのなら、彼女にも王家の血が濃く流れているのだろうが――リィス王家は二十年ほど前に、血族同士の王位争いをして、王族の数を大きく減らしていたから。


 当時のリィスの国王――現国王の異母兄に当たる先王は、病弱だったが優れた国王だと聞いていた。

 その彼を幽閉して獄死させ、王位を奪った現国王の非道は他国にまで伝わるほどだったが、周囲に悪意を持った大人だけを置かれていた彼女にとっては違ったのだろう。

 本来は敬愛に値する父母のことを罪人だと吹き込まれ、彼女はその罪を償うべきだと刷り込まれた。

 処刑された父母兄弟と違い、彼女だけは生かされたのは、王位の混乱が収まらなかったときのために、彼女を国王か王太子の妻として、反発の声を抑えようとしたのだろう。

 だが、二十年のうちに、あらかたの粛清も終わり、国民も反発する気概を失って、彼らは貴重な『妃』の位を彼女で埋めることが惜しくなり、持て余したのだ。

 そうして、本来、誰よりも高貴な立場にあった彼女は、敵国に送る捨て駒として遣わされて、初対面の見知らぬ男相手にも身体を開くようにと強いられた。

 調べさせて七割がたはそうだろうとは思っていたが、かまをかけてあれだけ素直な反応をされるとは、とレオポルトは苦笑した。

 腹芸もできない王太子を戴くリィスの将来は、あまり明るくないようだ。それは、仮想敵国(スヘンデル)にとっては、好都合な話ではあるけれど。


「馬鹿だなあ。彼女を王女の身代わりにしたりすれば、それこそエルネスティーヌ姫の存在意義はなくなるのにね。同じことができる正統な姫がいるのに、誰が()()()を求めると思うのやら」


 おかげで、レオポルトは理想の妻を手に入れた。

 そう思うと、敵の愚かさにはむしろ感謝したくなる。


「君が復讐を望むなら、それでもいいが……君は、望まないだろうな」


 彼女の健やかで伸びやかな心をこそ、レオポルトは愛しているから。

 きっと彼女はこれからも、忍び寄る影に気づきもしないで生きていく。そうできるように、露払いならいくらでもやってやる。

 レオポルトは眠る妻の頰にそっと手をやった。

 柔らかく温かい、生きている感触を堪能しても、彼女が目覚めるそぶりはない。

 これだけ疲れていれば、今夜は夢すら見ずに眠れるだろう。彼女が悪い夢を見ることがないようにと、そう願った。

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