8.ミストラル
そう呼ばれる研究棟が「タイガベルモンターニュ株式会社」にある。
緑村美月は5人の研究員と新しい研究室に引っ越しをしたばかりである。そこでは植物の新しい増殖のためのプロセスを解明して多産につなげるための研究をしている。水生植物のための水槽には水棲動物や虫が同時に飼われており、まるで水族館のそれを見るような風情である。
別室では田や畑があり、日本の四季を人工灯火や降雨装置と空調によって再現されている。5人の研究員は美月よりこの会社ではキャリアがあり、植物研究においては美月の手を借りずとも成果を出せる程の人材だ。わざわざここにそんな逸材達を集めてチームを組ませたのは上層部の意向らしく、そこに美月を主管として据えたのも鶴の一声であった。
美月はアメリカで出会った老女の事を思い出していた。行きつけのダイナーにいると月に数回彼女とその妹が店にいるのを見かけるようになった。
いつも可愛らしくちょこんと赤いソファに可愛くふたり横に並んで座っているので、なにか映画の1シーンを観るようだ。多くの客は記憶には残らないが、このふたりの事だけはなぜか覚えてしまっている自分がいた。
数ヶ月が過ぎた頃、美月は一つ向こうのボックス席に彼女たちと対面するような形で座っていた。彼女たちはにこりと笑いこちらを見ている。美月は少し戸惑いながら会釈をした。
すると彼女たちは手招きをして自分たちのテーブルに来るように促している。
「こんばんは」
美月は彼女達と向かい合うように座った。
双子の姉妹の左の女性が言った。
「お父さんお母さんはどこにいらっしゃるの?」
どうやら自分のことを子供だと思っているらしい。
よくある事だと美月は思いながら「親は日本にいます」とだけ答えた。
右の同じ顔をした女性が「まあ、こんな遠いところで迷子になったのね。可哀想に」
美月はクスッと笑いしまいに大笑いをしてしまった。
こんなに笑うのは何年ぶりだろうか。
「失礼しました。わたしこれでも21なんですよ。やはり東洋人は子供に見えるのでしょうね」
姉のカトリーヌが言う。
「嘘おっしゃい。貴女は子供だわ。綺麗な眼をしているわ」
妹のフランソワーズも頷きこう言った。
「そういう綺麗な眼は子供だけが持っているのよ。私達をご覧なさいほら、様々なものを見過ぎてくすんでしまったもの」
美月は姉妹の眼を見た。
深く澄んで見ていると水の底に吸い込まれるような錯覚を覚えるような不思議な眼だった。
「もうすぐオーダーした林檎のパイがくるわ、貴女もおひとついかが?ここのパイは最高なのよ」
パイを美月に一つ
姉妹はひとつのパイを仲良く分け合った。
一ヶ月に一度この店で姉妹に会い他愛のない会話をするのが楽しみになってゆくのを感じた。
また違う月。
「ああ、わたしのリトルミヅキ。なんて可愛らしいのかしら。昔見た日本人形のようだわ」
「今度ハイランズにある私達の家に遊びにきなさい」
「そこなら誰も気にせずにお話しができますわ」
「是非そうしなさい」
「そうするべきよ、あなたはそうするべき」
矢継ぎ早に話しかける姉妹に美月は虚空を見つめていた。
「緑村さん。緑村主管!」
美月ははっと我に返りふり返った。
「ごめんなさい!考え事をしちゃってて」
研究員の中野が進捗状況を報告に来ていたのを30秒ほど気づかずにいたらしい。
「暴漢なら襲われて殺されてますよ」
中野は皮肉交じりにそう言いながらパッドを渡して退室していった。
美月はまた幻想の世界に戻りたかったが踏みとどまり仕事を進めることにした。
しかし独り言をこぼした。
「あの約束は本当にあれで交わされたのかしら」
「カトリーヌとフランソワーズは一人」
「フランソワーズとカトリーヌは一人」




