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スフィア  作者: ハーブスケプター


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66.不安


「警部、封鎖していた部屋に侵入者あり、直ちに確保し取調室に連行いたしました」


正木は警部という地位にありながら、警察省や中央には興味はなく、多くの警察官僚から異端児であると烙印を押されていた。彼はこの部署に進んで配置を願い出たと聞く。


そんな正木警部の管理していた建造物に侵入者があったと知らせが入った。


「おおい、俺が出向く。久しぶりの獲物じゃねえのか?」


正木は早速別室から取調室をモニタリングすることにした。


「おい、こいつは何だ。何だかなよなよした奴だな。こんな奴に侵入されるなんて貴様たちは何をやってるのか」


「おい、吉田!取り調べは俺がやってもいいか?」


「はい!どうぞ!警部!」


入室した正木は男に向かって一言言った。


「お前、何もんだ?」


「何が何だか分からないんです!あの部屋に帰っただけでなぜ捕まるんですか!」


「帰っただと?おい、詳しく話してみろ。帰るという言葉はそこから出掛けた奴だけが言う言葉だ。お前は”帰る”と言った。お前はあそこから出掛けたって言いたいのか?」


「そうです!2070年12月24日にボクはみんなとあそこを出発したんです。皆んなは何処にいるんです?太賀さんや緑村さんは?ゆかりさんにアマンダは何処にいるんです?あと木村くんも」


「おいおいおい、お前さん、何を言ってるんだ?ここは2243年だ。俺はここの課を背負ってる正木ってもんだ。お前さん、まさかまさかのトラベラー様なのか?そりゃあ、逮捕されて当然だぜ。今の世はタイムトラベルはご法度だってもんよ!俺たちはお前らみたいなのを捕まえるのを生業としてるんだよ。まあ、俺たちに見つかってよかったぜ。違う奴らに見つかったら、今頃お前はこの世に居ねえ」


「なんだって?2243年??73年も飛んでしまったのか!お願いです。ボクをあの時間へ返してください!おの時間に戻らなければボクの約束は無くなってしまう!お願いです!」


「おい、兄ちゃん。それは無理だ。今の世でタイムトラベルはご法度だって言ったろう?来たやつを捕まえるだけが俺たちの仕事だ。それ以上は許されていないからな。まあ来たからには何らかの理由があるんだろう。それを聞いてやる。ゆっくりとでいいから細部まで思い出し話せ」


そして更に正木は言った。


「間違った事を言っても構わん。人間な、動揺していると、実際と違う事を口走ってしまうもんなんだよ。ただし、でまかせを故意に言う事は許さねえ。間違ったことを言ってしまったのなら、後できっちりと修整しろ。そうだ、そうしながら言質は事実に近づいていくんだよ。よう、兄ちゃん、事の経緯を正確に話せ」


 30分後 ~


「ほほう、聞いたことのある名前もたくさん出てきたな。それが全ての成り行きだっていうのか?お前が忍び込んだあの建物はな、ずいぶん前に有った会社の資産だ。人類初の次元転移装置を一般企業様が作り上げたんだ。わかるか?一般企業だぞ、国の秘密組織でも何でもねえんだ」


正木は、椅子から立ち上がり、落ち着きなく歩き回っている。


「その聞いた事のある名前ってのも、俺たちの資料の中に多数ある。先ず作り上げたのは太賀公聡、その会社の社長だった奴だ。それの弟の何とかと言う名前のやつも絡んでいる。何名かの社員もその実験に立ち会っている証拠がある。確か緑村、中野、木村、イーストウッド、実験途中で行方不明になった社員もいたらしい。お前がどこでその名前を知ったのかは察して知るべきだがな。どうせこの本で読んだんだろう?この社長の弟ってやつが事の真相を誤魔化すためにSF仕立てにした本を書いた。これだ」


正木は祐介の前に朱い背表紙の本を放り投げて言う。


「こんな荒唐無稽な話しが有る訳ない。神に地球や月の意志なんて言う、出鱈目もいいところの作り話を書きやがった。奴が怪しい実験の真相を隠すために面白おかしく書いたってのが真相だろうよ。お前はよっぽどこの本のファンらしいな。登場人物の名前までよく覚えているじゃねえか」


「警部さん、これは嘘なんかじゃありません。本当にあった話なんです」


「まあいい、お前の生体データをバンクに問い合わせしている。もう既に結果は出ているだろうさ。お前が何者で何という名前で何の目的であの建物に忍び込んだのかがな」


その時、正木のインプラントにデータが転送され彼の目の前に視覚化された。


「ほら来たぞ。なになに?名前は中村佑介、現在の国民には登録されてない?そして2070年12月24日から行方不明?、おい兄ちゃん。お前の言うことは本当のことなのか?お前はあの“人達”の一人だと言うのか」


 その二年後 〜


「正木さん、貴方はボクに様々な施しをしてくださいました。正直言って、警察の方がこんな事をしてはいけないんじゃないかと常々感じていたんですが、それはどうなんでしょう?」


正木警部は祐介の肩を叩き心配要らないと言い、こうも付け加えた。


「まあ、人助けだ」


 祐介はその心苦しさを気持ちの奥に感じながら、彼の行動を受け入れていたが、やはり彼に対して申し訳ない気持ちは消せないでいた。この異国とも言えるこの地に来た孤独感を晴らしてくれてきた正木にこれ以上の負担は掛けられないとも感じていた。


「正木さん、ボクの個人データを消去して新たな名前をくれた事、そして就労活動を世話してくれたこと。本当に感謝しています。この世で生きていくためには、その偽物の先生として生活するしかない。それは分かります。でも、ボクの願いはここて生活していくのではなくて、あの時間に帰りたいんです」


正木はそれまで笑っていた顔を、怒り顔にも見えるほどの困った顔をしてみせた。


「なあ、中村さんよ。それは前から言っているだろう。タイムトラベルはご法度だ。偽の人間になりすます事以上にな。あんたに仕事を世話したのも、生きていくための名前を作ったのも、あんたを犯罪者にしたくないからなんだぜ?」


「偽の名前や経歴だって立派な犯罪じゃないですか?」


「まあそうだな。だが今の世は人間同士の関わりが希薄なんだよ。だから簡単に名前を変えたり、親を捨てたり、それの逆もまかり通ってんだ。俺には良くない世の中だとしか思えんけどな。あんた達のいた世界のほうがよっぽど正常だろう。俺は色んな本や資料を読んで、あんた達の時代に興味を持っているんだ」


「そうですか。でも貴方の立場が危うくならないようにしてください。それとタイムトラベルは諦めません。正木さんには申し訳ないが、これだけは譲れません。貴方の協力を得られないなら他の方法を探すまでです」


正木は呆れた顔をして両手のひらを上に向けた。


「おいおい、そんな事されたら俺はあんたを捕まえなきゃならなくなるぜ」


「ええ、そうなれば仕方ない」


「あんたも強情な奴だね。向こうにいい女でも残して来たのか?」


祐介は少し笑って答えた。


「ええ、最高の女性です。ボクには勿体ないほどの」


「そうか。そりゃ帰りたいだろうな」


正木は何かを考えながら話し始めた。


「そうだなあ。あの本に書いてあった絵札があれば、俺が預かり知らないうちにあっちへ帰れたりするんじゃねえかなあ。まあ、そんなもん残ってねえか。あ、、あったかもしれねえな。いや独り言だ」


正木は祐介と視線を交わさずにもう言った。


「最近は年をとったせいか独り言が多くなっていかん」


 二年前、裕介のタイムライン流入時 〜


「もう一度訊くぞ、兄ちゃん。お前の名前は中村佑介か?産まれは・・2044年の〜」


「2月5日です。父は隆司、母は美知留、綾香という妹がいます」


「あんた・・・、まさかの、まさかの本物か!おい、記録を止めろ。今までの供述もすべて消去だ!早くしろ!」


そして正木は何かを思い立ち、部下の吉田にジェスチャーで指示を出した。


「すまない、ええと、中村さんよ、あんたはあの太賀兄弟と一緒にいたって事だよな?」


「ええ」


正木は机を両手で叩き、下を向いて叫んだ。


「凄え!凄えぞ!なんて事だ」


祐介は何が起こってるのか分からず戸惑った。


「中村さんよ、ますますあんたをここから出すわけにはいかなくなった。しばらくここの”宿泊施設”で過ごしてくれや」


そう言うと正木警部は部屋を去り、祐介はひとり残され途方に暮れるのだった。


 二年後 〜


「独り言ですか、正木さん」


「ああそうだ、俺の趣味は独り言を毎日10回言うことだ」


正木は二回目の独り言を言い始める。


「俺は太賀弟の書いた本を手に入れた。それは特殊な本でな。前に見せた朱い本だ」


「特殊な?」


独り言を言い続ける正木は祐介の問いは聞こえないふりをして話を続けた。


「今晩俺の家に来い。もう一度見せてやる」


 集合住宅の一画、正木の家 〜


「まあ、上がってくれ。遠慮は要らん。俺は一人もんだ。嫁も子供も居ねえ。今はな」


祐介は正木に促されリビングに座った。


「まあ、これでもやりながらゆっくり話そうじゃねえか」


正木はエズラ・ブルックスのボトルをテーブルの上に置いた。


「ウイスキーですか。この世ではこんな形のものは無いと聞きましたが」


「ああ、蛇の道は何とやらでな。悪い奴らを取り締まってるとこんな物がぽろりと出てくるんだ。訳は訊くな」


正木はエズラ・ブルックスのコルク栓を音を立てながら開けて「これは珍しいコルク栓の奴だ。表示は15年ものだが、おそらく100年ものだろうな」と言って裕介のグラスに注いだ。


からからと氷の音をたてた琥珀色の流体は芳しい香りを放っている。


「酒はこれもまたご法度なんだけどな」


祐介はグラスの縁に鼻を近づけ香りを嗅いだ。

なんとも言えない良い香りだった。


「正木さんは警察官のくせに法を守らない。貴方はおかしな人だ」


正木はそれを聞き鼻から息を吹き出した。


「おいおい、馬鹿を言うんじゃねえ。これは犯罪者から押収した物品が何なのかを品定めしてるだけだ」


「ものは言い様ですね」


「そうだ。そしてあんたはその品定めを正しいかどうかを確認する第三者様だよ」


と言って大笑いをしている。

祐介もつられて笑い、未来の世に来た孤独感を薄められていくのを感じていた。



「この本だ。まあじっくりとみてみろ」


祐介は本を函から取り出して装丁を確かめていた。背表紙が朱い。題名は印刷されていない。外見上はおかしなところは見当たらない。


「これのどこが特殊なんですか。正木さん」


「おう、そうだろ?だから俺の手元にあるんだ。証拠品としてなんの価値もないと当時の当局は判断したからな」


祐介はそこに興味を惹かれた。


 タイガベルモンターニュが警察省に接収されたのは2139年だと聞いていた。当時の警察省はタイムトラベル禁止法の前段階で様々な手段を講じ、民間会社そのものを潰し、それを強引に接収した。その際にタイムトラベル技術に繋がる資料等は全て極秘裏に警察省に移管され今に至る。


何にも役に立たないと思われる資料や器材等は処分されるか、転売されるかなどをした。


この本はまさにその価値無しとして処分されるべきもの。

それを誰かが意図してか意図せずかは分からないが、結果としてこの時代にまで残されたのだ。


「ボクには疑問が沢山あるんですが、ひとつ訊いてもいいですか」


「ああ、いいぞ、ご先祖様」


正木は少し酒に酔っていた。


祐介は接収された時期と正木が生きている間の大幅な時間の乖離について疑問を感じていた。100年前に接収され、資料としてこの本も何らかの判断が下されたはずだ。警察署に保管されていたものを正木が勝手に持ち出して自宅に持っているのか、それとも第三者に渡ったこの本が時を経て彼の手元に偶然来たのかを。


「俺はな、警察に入った目的が時空間移動に携わる部門があるって事が一番の理由なんだが、単純な動機があるんだ」


「なんですか、理由?単純な?」


「俺が時空間移動に興味を持ったのは6歳の時だった。その頃は既にタイムトラベルは禁止されていたんだが、少年の渇望ってのはどこまでも無限なんだよ。俺はあらゆるタイムトラベルの資料を読み漁った。小さい頃からな。そして中学になった時、1000冊を超える本を読み終わった時、ある本との出会いを果たしたんだ。偶然にな」


正木は少年の頃に戻ったように笑顔で語り続けた。


「俺はその本を読むことで、隠されていた歴史を知ることが出来たんだ。今の世では決して教えない。隠蔽された歴史をな。な、わくわくもんだろ?」


「そのことに関してはボクも不思議に感じていました。ボクたちがやったこと。そして、その事で変えられたもっと昔があるはずなのに、どの記録を見ても書かれていなかった。ボクが見たのは全く違う歴史だった。あの大陸の国家が暴走したことも、それらを殲滅した連合国の事も。極めつけは、あの大陸の国家は最初から存在してなかったことになっている」


「ああ、だからよ。歴史は正されなければならないんだよ。嘘の上に成り立っちゃいけねえんだ」


祐介は正木の眼を見た。明らかに酔っていない。正しいものの眼だった。


「それが動機だって言うんですか」


「ああ、ただしそれは大義名分としての動機だ。心の中にある動機は言えねえ。というか、言いたくねえ。恥ずかしいからよ」


祐介はこの歳上の子孫の純粋な眼で語る姿を見て微笑ましく思った。


「え?そんなこと言わずに最後まで話してくださいよ」


「嫌だ」


正木は悪戯な子供が時折見せる表情をして続ける。


「あんたになら話すべきかもしれんな。いや、あんたにだから言えるんだよな」


自問自答の独り言を言ったあと、正木は頭を掻きながら語り始めた。


 正木は中学の頃に祖父から渡された二冊の本を読んだことにより、世界の人達が知らぬ事実があるのかも知れないと考えるようになり、その事実を掘り起こそうとした。


何度も読み直した朱い本の中で踊る冒険譚。登場人物たちの生き生きとした描写の虜になっていた。いつしか大人になった時、自分も、いや自分がこの冒険譚の続きをやる運命なのだと思い込むようになっていった。


「正木さんはその話を嘘だとは思わなかったんですね?」


「ああ、爺さんはよく言ってた。これを嘘と思うか本当と思うかは、お前の中のお前が決めろ、とな。俺はこの本の中身は本当だと信じていた」


「でも、あの時正木さんはこの本はでたらめだとボクに言いましたよね?」


「ああ、あの本に感化された馬鹿が犯罪者に成りたがるもんでな、あれはいつも馬鹿者共に言っている言葉だ」


「そうなんですか。じゃああの時のボクも本に唆された狂信者だと思われてたって訳ですか」


「そうだ。すまなかった。この通りだ、すまん」


とテーブルの上に両手を置いて頭を下げた。


「まさかあんたが本物だとは思わなかったんだ。俺のヒーローだなんてな」


「ヒーロー?ですか?」


「そうだ、特にあんたの能力は凄え。信じられない能力だ。ただ最後のミッション以降の記述にあんたが出て来なくなったことには大いに不満だったよ」


祐介は笑いながらそれに返答した。


「そうですよ。事故まがいの出来事で時空を飛ばされて今ここに居るんですから。誰もボクの行き先なんて知る術は無いはず」


「いや、そうでもないぜ。その本の296頁を開けてみろ。スピンが挟まってるはずだ」


祐介は不思議に思いながらもスピンの端を指で摘んで本を開けた。


『行方不明の中村佑介を捜索するために何度もジャンプを繰り返した。戻るとすればあの地下実験室しかない。考えられるのは実験室が存在している未来だ。ただしどの時空なのかが一切分からない。手始めに30年後に飛んでみた。実験室は存在していたが人が使っている跡はない。三年刻みで飛んで戻るを繰り返した。ある年代を境目に部屋に電源が戻り、実験が再開された様子を見た。しかし、どこから現れたのか分からない警察官達に制圧されそうになり、慌てて戻らざるを得なくなった。どうやら奴らは時空間移動を取り締まる警察の様だ。我々のジャンプで発生した磁気の歪みを感知し、瞬時にそこに飛んでくる。仮にこのような時代に中村佑介が飛ばされたのなら、逮捕され拘留されたのかも知れない』


祐介は涙が出そうになった。

危険を顧みず捜索に手を尽くしてくれてた事実に。


正木は祐介の感情が平坦になるのを待つことにした。


少し間をおいて話しを再開した。


「話を戻そう。特殊がどうだって話だ。先ず言わなきゃならないのは、市場に出ていた本とこの朱い本は別物だってことだ。多くの人間が目にした本には背表紙がきちんと装丁してあり、題名も刻印されてる」


「そうなんですか?何という題名ですか?」


「『海に還りし者の備忘録』とある。ただ題名はどうでもいい。今あんたが引っ張ったスピンに秘密が隠されているんだ」


「スピンですか?変哲もないただの平織りの紐ですよ」


「よく見てみろ。何か模様みたいなものが織り込まれてる」


「ほんとだ。なんですかこの模様。全く規則的には並んでないですね」


「そのドットの事に気がついたのはつい最近のことだ。ある男が俺の前に現れた。その男は俺がこの本を持っていることを何故か知っていた。しかし俺がこの秘密に今まで気がつかないでいた事に腹を立てていた」


「え?どう言うことですか」


「その男は本の中にある詳しい部分について知り尽くしていた。俺は最初こいつも本に唆された狂ったやつだと思っていたんだが、最後にこう言いやがったんだよ。俺は太賀の血を引くものだと。ただ俺が本を持っている事を何故知っているのかについては答えはしなかった。ひとつその男が俺に言ったのは『スピンをよく見ろ。二つの本のスピンを』だった。俺は慌てて家に帰って二冊の本のスピンを見比べてみたんだ」


「それで何がわかったんですか?」


「まあ、先を急ぐな。俺は二冊の本と言ったろう?もう一冊黒い本がある。これにも背表紙は無い。だが、この本は朱い本と違って出版はされてはいない。俺には最初ファンタジーのようなもんだと思っていたんだが、これを朱と同時に読み進める事によって、太賀やあんた達がこれらと接触したことによって、事件に巻き込まれたんだって事が理解出来るようになっていく。まあ本題はこの本の中身じゃねえ。スピンだ」


 祐介は正木の手の動きに注目していた。


彼は二冊の本のスピンを外した状態で函に戻した。丁度スピンだけが函から垂れ下がる状態だ。その箱をスピンの接着側を対面させる様な形、そして背表紙が上を向く形で函を立て、函を互いのスピンの長さ分を離した状態で止めた。


次に同じ高さの函をその間に挟み、函の側面が上になるようにし、スピンをその側面に沿わせ、相手側の本への橋を渡すような形にした。スピンとスピンの間は約5ミリ。


「どうだ?これで解るだろう?ドットの模様が何かに見えてこないか?」


祐介はしばらくその平織りの紐が作り上げた橋を眺めていたが、ようやくある事に気付いた。


「正木さん、これは文字ですね。多分、平仮名だ」


「そうだ、一本のスピンは平仮名の上四分の一を、もう一本は下四分の一を表示している。真ん中の二分の一は、このドットが文字であることを分からせないためにわざと抜いてあるって寸法だろうな」


「これを推測して読んでみると・・・『え・ふ・だ・は・ふ・た・つ・の・ほ・ん・の・ひ・ざ・く・り・げ』!!まさか!」


「俺にはこれがなんの意味か分からないんだ。多分これが絵札の在り処を示してるってことだけだ。何なんだ?ひざくりげって?」


祐介は時空を超えて大発見をする興奮を感じていた。


「正木さん!これは凄いです!よくこの本を持っていてくださった!」


「おいおい、喜びすぎじゃねぇか?だいいち絵札が見つからん事にはどうしようも・・・??あ、おい、何してるんだ!あんた何する気だ!」


 祐介は本の裏表紙の裏側の模様が印刷されていた紙の隅に爪を引っ掛け、慎重に紙を剥がしていった。角から四分の一を剥がしたあたりで一枚のあて紙が挟んであることに気が付いた。その硬いあて紙を少し背表紙から浮かせ隙間を覗いてみた。


「正木さん、有りました。何かが隠してあります」


「何だと?本当か?」


正木は祐介が瞬時に取った行動を、今まで自分が取れなかった事をどのように評価したらいいのかを迷った。


「正木さん、それは仕方ないです。あなたにはその情報は伝わってなかった。ただそれだけです」


祐介は更にこう言った。「昔、あの兄弟は仲違いをしていたんです。弟が兄を騙し、遠い時空へ放り出して、自分が一時の王になろうとしたんです。多分そんな事は本には書いていないはず。なぜなら、それは自分の恥部にあたる部分だからです。ボクは人から聞いた話ですが、その一連の事件のあらましを知っていました。『膝栗毛』と言うのはその事件を解決した本の事なんです」


「いや、何言ってんのか分からん。あんたは何を言ってるんだ」


「いや、これは単なるジョークまがいの悪戯ですよ」


祐介は確信した。

誰かがこれを操作している。


前と同じように。


 2056年12月 〜


「由美子、俺はもう長くはない。もうじきお迎えがくるだろう。あれ以来、お前とちゃんと話しをしてこなかったが、後のことは頼んだ。息子たちにもよく伝えてくれないか。一人はまだ帰らないが・・・。そして、最期の頼みがある。このカードを棺に入れて一緒に燃やしてくれ。これは俺が悪魔のような存在と契約して手に入れたものだ。これと棺で焼かれると、いつかはわからんが輪廻転生出来るらしい。頼む、俺にはやり残したことがあり過ぎる。いいか。頼んだぞ」


妻の由美子は男から絵札を受け取ると、そのまま封筒にしまい込んだ。


「分かりました。私と貴方は最後は仲違いをしていましたが、これくらいは最期の頼みとしてお聞きいたしますわ」


由美子は病室を出て、車に乗り込み、オートパイロットに行き先を告げた。


「三原弁護士事務所へ」


 正木の自宅 〜


「中村さんよ、それはどう言う事だ?」


「これは多分、公臣さんが仕込んだものには間違いないと思います。でも、これは出来すぎている。何かが不整合だ。ボクがこの世界に現れる少し前を狙って何かが動き出している。おそらくこの中に隠してあるのはあの絵札の一枚でしょう。そしてもう一冊の本にも別の絵札が隠されているに違いない。わざとボクに見つけさせる様に」


 2262年4月 〜


「ボクたち二人で何度も試したんだ。だが、ボクたちにはあの絵札は使えないという結論に達したんだ」


総司少年は目を輝かせて祐介の話しを聞いていた。


「おじさん、その絵札って、あの本に書いてあったやつだろ?ほら、あの時間を止めたり、ものを破壊したりって力を持つカードだよね」


「そうだ、ボクたちは結局諦めざるを得なかった。けど、ある人から情報を得たんだ。君の事だよ、総司」


「そうなのか。おじさんが僕が小さい頃から何かと面倒を見てくれたのはそれが理由なのか。でも僕が太賀の子孫だって本当のことなのかい?僕は親に捨てられたんだよ。その太賀にさ」


祐介はその理由と事実を知っていたが、この少年に話すことを躊躇った。


「総司、おじさんは断言する。君は捨てられたんじゃないんだ」


「へえ、僕の記憶には両親が二組いるんだよ。ついこの前まで親だった二人と、白い服のお婆さんに出会った頃に親だった人達だよ。もしかしたらこの親たちの前にも親がいたのかい?」


「君の記憶にあるご両親が全てだ。そして記憶にある前の両親が君の本当の両親だ」


「へえ、そうなんだ。その本当の両親はなぜ僕を他人に売ったんだ?」


祐介の躊躇いはここまでで破綻した。もう本当の事を話さなければならない。


「総司、君のご両親は突然消えたんだ。多くの人の眼の前でね。でも、なぜ消えたのかは立証されないままだ」


 2246年6月 祐介タイムライン流入から3年 ~


~総司、ボクたちは途方に暮れていたんだよ~


「正木さん、どうやっても駄目です。どうにもこうにも上手くいきませんね」


「やはりあれだろ。もうこの絵札の消費期限が過ぎたって事じゃねえのか。でもこれが使えたとしてどうやって過去に戻るつもりなんだ」


正木は"それ"を、その方法をなんとなく分かってはいたが、祐介に敢えて訊いてみる事にした。


「それは貴方の想像通りです。時間を止めて地下の実験室に侵入します。施設を破壊しながらでもそれをするつもりです」


彼はその言葉が祐介から出ることを予測していた。警察官としての立場としては聞いてはいけない言葉ではあった。


「そうか、ただし、俺の"時間"も止めてくれよ。俺が動けたらあんたを逮捕しなくてはならんからな」


祐介は笑いながら正木に同意した。


その時、ひとりの老人が二人の前に立った。


「お前たちは何も気づいておらん。原点に帰れ」


正木はその男の事を思い出した。


「あんたはあの時のおっさんじゃないか」


「そうだ、おれは太賀の血をひく者だ。今の系譜とは違うがな。おれはお前たちのことをよく知っている。そっちの兄ちゃんの事も良く知っているさ」


祐介は単刀直入に聞いてみる事にした。


「あなたは何者ですか。太賀のものが時空を超えて飛んできたとでも言うのですか。それと、この一連の作り話はあなたが作ったものですか」


老人は祐介を睨みながら言い放った。


「馬鹿を言うな!おれは人を騙したりはせん。おれはおれのやり遂げたかったことを世代を超えて受け継いでいるだけだ」


「受け継いでいるだけ?」


「そうだ。受け継いでいる。全ての世代の記憶をな」


男はあきらかに何かにいらいらしていた。


「お前達ではこの絵札は使えん」


祐介はその言葉を聞き確かめてみたくなった。


「では、太賀の血を引く貴方なら使えると言うことですか」


「おれは血を引くとは言ったが、血の記憶だけだ。実際に流れているのは赤の他人の血だよ」


「であれば、貴方にも使えないという事ですか」


「そうだ。俺には使えん。使った記憶が残っているだけだ。一枚だけのな。だが、細かいことはそれ以上訊くな。要点だけを伝える」


正木はこの男の態度が気に入らなかった。とても高圧的で、警察官のそれだったからだ。


「おい、あんた。前にスピンの事を教えてくれたのは感謝している。だがな、俺も職業柄あんたの事を知らなければならんのだ。あんたはどこの誰なんだ」


「ふっ、そうだな。お前は警察官だった。ふふふ。おれは八島だ。新宿に住んでいる。あの新宿だ」


「新宿だと?。あそこはロックアウトされているはずだがな」


八島は言う。


「一部閉鎖されていないポイントがあるだろう。そこだ。だがそんなことはどうでもいい。お前たちおれの話しを聞く気があるのか無いのか」


八島は正木から問われた話の核心を逸したいのか、それとも最初から言うつもりが無いのか、何にせよ絵札のことに話しを戻したいようだった。


「まあいい、仮名八島さんよ、話してみろよ。絵札のことを」


正木はこの男の話し方のタイプから、これ以上のその部分の追及をしても無駄であると判断したようだ。


「あれは“婆さんたち”がその人間に合わせて調合したもんだ。おれは過去数代に渡って婆さんたちと会ってきた。禅問答のような繰り返しから婆さんたちの言いたいことが分かるようになった。あれはその人間用のものだが、その血を引くもの純血なy染色体を継ぐものなら使えるだろうって事だった」


祐介は昔読んだ祭祀の資料の中の記述を思い出した。


神々と交信する資格を持つ家系の男系男子にその能力は受け継がれてゆく。その系統が断絶すれば神と交信するものは未来永劫現れないと。


「であれば、太賀の系譜を持つ人間を、yを継ぐものを今の時代に探さなければならない。そういう事ですか」


「そうだ。しかもその人間の自覚が成人するまでに行えなければならん。大昔でいうと元服の歳だ」


「今それに該当する人物がいない場合は、それが現れるまで待たなければならないのですね」


「そうだ。だがすぐに探せ。警察のデータがあるだろう。それをちょちょいとやれば可能だろう。居なければ辛抱強く待て。待てば必ずお前は帰れる。どうだ?儲けもんの話しだろ」


「貴方はいったい・・・」


「それと過去に戻ったならひとつ頼みたいことがある。おれたちの記憶の連鎖を断ち切ってくれ」


八島と名乗る男は祐介に一枚の紙を渡した。


それは斜めに真っ直ぐに切り取られ半分になっていた絵札だった。


 2262年4月 〜


「総司、こんな事があって君の誕生を心待ちにしていた。ボクは自分が自分の世界に帰りたいという欲望の為に君を利用しようとしている」


 総司は祐介に向けた悲哀の感情を捨てられずにいた。単なる好奇心と言うよりも、この時空の迷子とも呼べる初老の男の事を助けたいと思っていた。


「おじさん、いや、中村佑介さん。いいよ、もうそれは言わないで。僕は僕の興味や好奇心だけで動く。それは変わらないよ」


「手伝ってくれるのか」


「うん」


「危ないこともあるかもだ」


「うん、分かってる」


「そうか。それじゃあ、早速やってみるか」


「うん、やろう」


 その少し後 〜


「総司、君の家系をおさらいしておこうか」


「いいよ、そんなの。全員知らない人たちだし、今更聞いても実感なんて湧かないだろうしさ」


「そうか。ならよそう。ただこの物語の原点だけは理解しておいてほしいんだ」


「僕の何代か前がこの本を書いた人なんでしょ?」


「そう。太賀公臣が君の家系の主だ。そしてその妻がアマンダ・イーストウッド、後のアマンダ・太賀だ。その二人が産んだ子供がリョウマ。その後5代ほど後が君ということになる」


「ふーん」


総司は退屈そうに返事をした。もっと他の興味深い事をしてみたかったし、早く祐介の講義が終わってくれることを願っていた。


「おじさん、早く絵札を触ってみたいよ」


「総司はせっかちだな。あまりそう言うのは感心しないぞ。好奇心旺盛なのはいい事だけど、何事も基本が大切だと言うことは覚えておくべきだ」


祐介は仕方なく絵札を二枚取り出して彼の前に差し出した。


総司はそれに触ることなく先ず眺めることにした。


「TIME」と「RAIN」


「へえ、これが爺さんたちが使ってた実物なのか。薄汚れててもう破れてしまいそうだね」


「本の中に封印されていたとはいえ、200年近く前の物だからね。君が太賀として世代を超えて初めて触るんだよ」


総司はまず最初に『時間』と書かれた絵札を手に取ってみた。


「うん?何も感じないな。単なるカードだよ」


続いて『雨』と書かれた絵札も手に取ってみた。何も感じないし、何も起こらない。


総司は想像していた。手に取った瞬間に電流のような何かを感じ、自分自身が目醒める様子を。

だが彼には何も起こらないし何も感じなかった。


拍子抜けした彼は二枚のカードをテーブルの上に放り投げた。


「駄目だよおじさん、何も起こる気がしない。僕には無理なんだよ」


「総司、そんなに急ぐことはない。君のお爺さんたちも絵札を手に入れてから、力が発現するのには早くて3年、長ければ30年も掛ったんだよ。だから悲観しないでくれ。まだ何かが足りないという事なのかもしれない。ボクは気長に待つし、君を追い詰めたりはしないつもりだから、先ずはその二枚を肌身離さないで持っていることから始めてくれないか」


総司少年はそれを聞きながらも暗い表情を浮かべずにはいられなかった。

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