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スフィア  作者: ハーブスケプター


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65.出立

 美月と公聡は実験室で最後の点検とプロトコルの再確認を行っている。


「社長、中村さんは大丈夫でしょうか」


「そうだな、彼はどこかに精神的に弱い部分を隠し持ってるんだろうな。精神的というより『気持ち』というべきなのかな。何かに遠慮をすることで自分の気持ちを落ち着けるように生きてきたのかもしれない。数多くの大きな決断から逃げてきた。まあこんな勝手な想像をするのは彼に失礼だとは思うが」


美月はさゆりの言葉を思い出していた。


『あの子はそれの真っ最中なの』


そして祐介の気持ちの奥底にあるものを見てみたいとも思った。


「社長、中村さんの心が落ち着くまで待って頂けますか?」


公聡は無言で頷いた。

そして機材を触る振りをし、彼女に背中を向けて笑った。



「おはようございます」


ボクは次の日きちんと出社して、一通りの朝の挨拶を研究室のメンバーにした後、地下へ向かった。


「社長、緑村さん、昨日は申し訳ありませんでした。自分が弱いせいで皆さんにご迷惑をお掛けしました」


「議事録は読んだかね?」


「はい、読みました。ただ、自分の役割がまだ分かりません」


「そうだ、今わかっているのは、君が持っていた二枚の金属、俺と弟の持っている二枚のカード、これしか使い方は分からない。同様の形をした魚と海綿の金属板と白くなった護り石、これらについてはさっぱり分からん。この三つはあっちに行かんことには発現しないだろう。そして君の役割の話だが、さゆりさんと俺達兄弟だけの計画でも、さゆりさんの役目は、彼女の力をどのようにして使うのかが分からんままだ。だから同じ力を持っているであろう君の力の使い方についても同様だ。だからそれが分かるまではジャンプはしない。それが導き出された結論だ」


「え?議事録ではジャンプは二週間後と仰っていましたが」


「ああ、気が変わった。なにせ俺はワンマン社長だからな」


 それを聞いた緑村さんがくすっと笑ったが、ボクには何がなんだか分からなかったんだ。その後、昨日の電話で木村がした覚悟と、ボク自身が持たなければならない覚悟を二人に語った。


公聡社長は何度も頷いてボクの話に耳を傾けてくれた。ボクはこんな社長の会社に入ったことを幸せに思った。


緑村さんが言う。


「中村さん、さゆりさんはあの後、貴方の前に出てこられましたか」


「はい、夢の中の様な不思議な感覚の場所に」


「どのような事を?」


「母はボクが目覚めた時に居なくなるって言いました。でもどうやら目覚めると言うのは力の発現だったようです」


「何か力を発現させるためのヒントのような事は聞きませんでしたか?」


ボクはそれをあまり言いたくはなかった。どこかボクの恥部をさらけ出すような気がしていたからだ。でもボクは決めた。前にも木村にそれを宣言したはずなのに、結局は引っ込み思案を起こして実行出来てなかったからだ。

ボクは決めた。もう恥部でも何でもいい。ボクは元々こんな性格なんだ。直そうとしても直らない。どうしようもないんだ。


「はい、ボクが覚悟をして、性格の負の部分から離れること。そうすればボクは目覚めるんだと母は言いました」


 美月はそれを聞いて自分が白狐に初めて会えた時のことを思いだしていた。あの時は確か渡米をする直前だった。アメリカへ渡ると決めた時に、数年会わずにいた先輩の長谷川へ連絡をした。自分の目標としている今後の研究の事や、あの時言えなかった言葉を彼に伝えたかったからだった。人との関わりを最小限にして生きてきた彼女にとって、長谷川の存在は彼女を小さな少女に戻してしまう冬の暖かい太陽のようなものだった。


二十年生きてきて異性を意識した初めての人だった。


 そんな男性に対してむき出しの感情をさらけ出してしまった。

あの日を最後にまた感情を表に出さない女として生きた。誰も寄せ付けずに。それでも自分の性格に嫌気がさしていたのも本当だったし、それをいつも変えたいと願っていた。だから渡米という区切りにもう一度それを取り戻したかった。


しかし長谷川の返事はノーだった。美月は泣くだけ泣いたが自分の今の気持ちすべてを長谷川に対してぶつけた。


その後、泣いて喚いて感情を爆発させた美月は、その夜の夢枕に立った白狐と初対面を果たしたのだった。白狐は無言で、光る文字と図形を彼女に見せ、優しい表情をしていたという。


「私と中村さんは似ているのかもしれませんね。とても」


「え?なんですか?」


「ええ、多分ですが、内向きのエネルギーを自分が知らず識らずのうちに使っていると、人間そのものが小さくなって、本来の外に向いての力というかエネルギーが使えなくなるのかも知れません。いえ、それは想像を・・・そう、想像をしたまでです」と言いぎこちない笑いをした。


 2262年12月15日~


「るりかさん、あなたの息子さん、総司の事です」


「いつもあの子のことを見守っていただきありがとうございます。私たち夫婦は親身になりあの子を育てようとしてきたんです。信じてください。でも、もう親としての務めを果たせそうにありません」


「いえ、るりかさん。私はあなたを責めようとしているのではありません。そこはご理解ください。今の世の中は表向きは全ての人が幸せに暮らしているように見えますが、本当はそうではありません。私にはなにかが置き去りになっているように思えてならないんです。簡単に親権を放棄してしまう親達。いえ、あなた達のことを言っているのではありませんよ。お金という価値観を無くすことで、全てが平等になったと見えるが実はそうではない。私はこんな世の中なら潰れてしまえとさえ思うのです・・・・いえ、冗談ですよ。地球外に瞬時に飛んでいけるようなテクノロジーを持っているのに、自分の子供や親を尊敬さえせずに、自分の立ち位置だけを妄信し、独りよがりな人間の集まりになってしまった。私はこんな"未来"なら来なければよかったとさえ思うんです」


「主査、いったい何をおっしゃっているんですか」


「すみません、話しを戻しましょう。総司は私が引き取ることにします。あなた方に異論は言わせません。と言うか言わないでしょうね。あなた方に元々彼の親権はないのですから。ですから手続きは迅速にお願いします。今後彼の前には現れないようにお願いしておきます」



「嫌だよ。こんな小煩いおじさんと一緒に住むなんて。毎日息が詰まりそうだ」


「総司くん、そんな事を言わずに主査の好意を受けなさい。どの道あの家にいたって貴方は幸せには暮らせないわ」


「でもさ、おじさんは独り者だろ?家に僕一人って事?」


主査と呼ばれる男性がそれに続けた。「そうだ総司。家に一人でいる間は君の好きにしていいさ」


「ふうん、それなら良さそうだね。じゃ、そうしようよ。いつから?」


「今からだ」


 こうして初老の男性と15歳の少年の共同生活が始まった。

男性にはほとんど趣味と言えるものは無かったが、紙で作られ製本された本と言うものが家に沢山あった。

どこから集めてきたのかは分からないが、彼は家にいる間はそれらを読むことに時間を費やしていた。


「ほんとに退屈な家だね。何もないじゃない。これはなんだい?もしかして本ってやつなの?」


「そうだ、それが本だ。200年から300年前くらいのものだ。もっと古いものもあるはずだ。探してみるといい」


「嫌だよ。僕は本なんて興味ないしさ。もっと面白そうなものは無いの?」


「総司、すまないがこの家には本以外はない。ただし毎日の食事は転送で配達されるから心配は要らない。君の分も登録されたはずだから、今日から二人分が配達されるはずだ」


「ふうん、ほんとにおじさんがあそこに行っている間は好きにしていいんだね」


「そうだ総司。好きにしていい。今日からここが君の家だ」



 粗末な食卓テーブルに向かい合った二人は、転送で送られてきた食事を前にしていた。


「これはなんだい?前の家では出たことないよ、こんなの」


「それは魚だ」


「へえ、あのお母さんは魚が嫌いなのか出してくれた事なかったよ、これ美味しいの?」


「ああ、美味しいぞ。それは白身のムニエルだ。脂と衣と調味料の絶妙のバランスで成り立つ。私もこっちへ来てから初めて食べたんだがね」


「へえ、おじさんはどの地方から来たんだい?魚なんて何処でもあるんだろ?」


「おじさんの地方では魚は食べられなかったんだよ。今は幸せな時代になったって事だな」


「地方と時代は関係ないじゃん。ふふっ、おかしなおじさんだね」


「ああ、そうかも知れんな。おじさんはおかしいのかもな」


「あははははっ。ほんと変だよ。あ、ほんとだ。これ美味しいね。お代わりは出来たりするのかな?」


「ああ、申請すれば問題ないさ」



「総司、おじさんは行ってくる。本を読んでも構わないが、これだけは守ってくれ。本を元の書架の同じ場所に必ず戻すこと。本を毀損しない事。ものを食べたり飲んだりしながら本は触るな。分かったか?」


「本なんて興味ないし触らないよ。早く行けよ」


初老の男性は少し笑って、行ってくると言って家を出ていった。


 総司は早速の独り切りになれて少しわくわくしていた。今までは母親と呼ばれる女性と家では二人で、いつも監視されてる様に感じていたのだが、今は違う伸び伸びとした気分だった。しかし何も無い家でそんな気分が長続きするはずもなく、次第に退屈感が彼を包んでいた。


 総司は宛もなく家の中を歩き回った。平屋建ての建屋では行き着く場所などたかが知れている。仕方なく玄関から家を見渡してみることにした。玄関のホールにはリビングへ続く廊下が左に、その反対側に配置された書架が沢山並んだブースがある。書架のブースは北側にひとつだけ窓があり、窓の上には換気用なのか排煙用なのか分からない小さな小窓があった。彼はその窓から外を眺めてみたが、遠くに森が見えるのみで何にも興味をそそられない景色が広がっていた。


「ちぇっ、つまらねえの。ほんっとに本しか無え家だな」


書架の間にひとつ机が置いてあってデスクライトが載っていた。「おじさんはこんな薄暗いところで本を読むのか。そんなに楽しいのかねえ。本って」


総司は独り言を言いながら椅子に座ってデスクライトに火を点けた。


「へえ、なんかいい感じの城って感じだな」


彼は椅子に座って、くるくると回転を繰り返していた。


その時、書架の本と本の間に少し小さめの箱が挟んであることに気が付いた。

不思議に思いそれを取り出してみた彼は、悪気もなく箱の蓋を上に上げた。


紙に包まれた何かが入っている。


「ちょっと待てよ。本は読んでいいと言われたけど、これはしてはいけない事だよな」と、少しの罪悪感を感じたのか、彼はもう一度それを同じような位置に戻したのだった。


ふと隣の本に目線が行ってしまった。


箱の右側の本は、黒い背表紙。左側の本は朱い背表紙の本だった。しかし書架の他の本にはあるものがこの黒と朱の本には無かった。


背表紙に刻印されている題名らしきものが無かったのだ。


俄然興味が湧いた総司少年は、先ず朱い本を書架から引き抜いた。


その時床に何かが落ちた。


ことりと落ちたそれは床の上で不規則に回り、やがてぴたりと止まった。


 2070年、現在〜


「ボクと緑村さんが似ているですって?まさか」


東京帝都大を出た才女がボクなんかと似ているわけが無い。


「いえ、そ、それは忘れてください」と言って彼女は頬を真っ赤にしている。


「で、でも。もう中村さんは大丈夫だと思います。さゆりさんの言ったとおりにネガティブな面から、いえネガティブな面を打ち消そうとしてらっしゃいます。そ、そう思いますので、近いうちに何らかの変化が現れると思います」


「美月くん、どうしたんだね?」と社長が訊いているが、彼女の頬は赤いままだ。


「何でもありません。忘れてください」と下を向いて機械の点検をする動作をしている。


「中村くん、よく分かった。君の覚悟も、そして友達の新聞記者の・・・木村くんだったかな?」


「そうです」


「そう、その木村くんの覚悟もだ。なんとかしてやりたいがな、ふむ。松本の所へでも明日行ってみるかな、ふふふ。しかし俺の独断人事を二回も強引にやらせたからな。次は断られるかもしれんな、わははははは」


ボクはなんの事を言っているのか全く分からなかったが、社長に付き合って笑うしかなかった。


 次の日〜


公聡は管理部門のあるフロアに来ていた。


「おい、人事部長!松本!お前だ」


「ヒイッ!社長っ??、また何か御用ですか??」


「まただと?!」


「い、いえ、しかし先日のような依頼はもう、ご、ご勘弁願いたいのですが」


「ふむ、なるほど。お前の言う事も正論ではあるな。ただ、俺はお前の事をよく知っているんだよ。お前が同列の者や下の者に知られたくない事を隠してるってことをな。いいのか?」


「何を知ってるとおっしゃるんですか!私には隠し事なんて有りませんよ!決して!神に誓って!」


公聡は松本に小声で囁いた。

途端に松本の顔が青ざめた。


「おい、一名の若者を採用する。その者の詳細は追って知らせる事とする。所属は・・・そうだな。公臣の直属という事で秘書室にでも放り込んどいてくれ。ただし、半分は俺のところで働く」


「は、はい・・・」


「いいな?分かったか」


「しょ、承知いたしました」


「松本、神に誓えるか?」


 数日後、秘書室〜


「失礼な事を聞くようだけど、君はもしかして、あの時緑村女史にインタビューに来た新聞記者さんではなかったっけ?」


「あ、あの時の方でしたか。秘書の方とは識らずに失礼いたしました。木村太郎と言います。今後とも宜しくお願いします」


「こちらこそ。ところで君は公臣常務付きだと聞いたが、加えて公聡社長にも付くそうじゃないか。一体どうなってるんだい?」


 市川と言う40手前の男が興味津々に訊いてくる。

木村はその場しのぎの取り繕いをするしかなかったのだが、直ぐにそれは頭の中に湧いてくることはなく、本当の出まかせを口にした。


「え、ええ、ここの先々代が趣味の釣りをしている時に遭難してるのを、俺の爺ちゃ、いえ、私の祖父が助けたらしいんです。聞くと遭難した沖合の船まで泳いで助けに行ったらしく、その行動に先々代はいたく感激されたとかで・・」


「うん?なにか何処かで聞いたことあるな、その話」


「そ、そう。そうなんです。いえ。洒落じゃなくて。だから私の知らないところでコネがぐるぐると回ったみたいで」


「そうか、まあよろしく頼むよ木村君」と彼の肩をぽんと叩いた。


 常務室〜


「なんだい君は。僕には秘書なんて必要ないよ。兄さんの差金かい。まだ僕を信用してないんだね」


「常務、私は社長の命で貴方に付きました。しかしあの方は貴方を信じていないと言うことは無いと思います。むしろその逆ですよ。これは私の・・いえ、俺の元記者としての感です」


「ふふっ、なんだいそれは。あはははは君は面白いね。気に入ったよ。名前はなんと言ったかい?」


「木村です。木村太郎と言います。宜しくお願いします」


「あ、そう。太郎くんね。じゃあ早速だけど、質問があるんだ。まず最初に確認しておきたいのは、君はあの文字列と言うやつの何かを持っているんだよね」


「はい、その通りです。俺はカトリーヌから二枚の金属板を渡されました。緑村さんが言うにはこれは”魚“と”海綿“と言う文字に当てはまるらしいです」


「それが出てきて、最後のピースが僕の持ってる”雨“。それで全部揃った。メンバーが全て揃ったって意味か。でも、それの使いみちはまだ分からないんだろ?」


「そうです。婆さんは何にも教えてくれないんで、未だにこれは不明のままです」


「やれやれ、そういうことかい。兄さんは僕にそれの謎解きをさせたいんだよ。勘弁してほしいよ。今まで裏切ってた僕をこれをする事で許そうなんて思っているのさ」


「常務、それは違うと思います」


「んん?何故だい?」


「なんとなくです」


「あははは、また記者の感って奴かい?面白いね君」


「俺はまじで言ってます。冗談ではないです。ただ俺にあの方が言ったのは、常務に仲良くしてやってくれ、それだけです」


「あははは、そりゃいい。君は最高に面白いね。太郎くん」


 2055年4月〜


「カトリーヌ、私はもうすぐ死ぬのか?それは本当か」


「ええ、貴方の時間はもうすぐ止まる」


「そうか。それは避けられないのだな」


「避けられないわけではない。ひとつだけ方法がある」


「その方法を選択して何かデメリットはあるか。私は死ぬわけにはいかないのだよ」


「・・・・」


「お前たちは匂わすだけ匂わせて何もしない。お前たちのせいで俺たち家族はばらばらだ」


「・・・・」


「よかろう、そのひとつの方法を言え。俺はその蜘蛛の糸から何かを必ず手繰り寄せる。カンダタのようにな」


老婆はその言葉を聞いたからなのだろうか、彼の挑発にやっと反応した。


「カンダタ・・・・それは少し前に図書館で薦められた本の中に書いてあった名前。たしかあれは『ネプチューン』という名の本だった」


「違う。そんな名前の本じゃない。まあいい、とにかくそのひとつの方法ってやらを話せ」


 公臣の部屋〜


「いいかい太郎くん。僕はマーガレットと共に兄さん達を騙してきた。八年前にはパラメータに適当な数字を入れて兄さんを帰ってこれなくした。そして兄さんたちの計画を台無しにする為に人民軍の基地にまで行った男なんだよ。信用されなくて当然だろ」


「でも社長は貴方を信じようとしています。いや、信じているようです」


「まさかね。僕なら信じないし兄弟の縁を切ってしまうさ」


公臣は以前の冷淡な顔つきに戻ってそう言った。


木村は一回り以上も歳上の人間と心底仲良くなど出来るのか、そう言った社長の言葉を思い返すばかりだったが、我が道を行くしかないのだと決めていた。


「常務、俺にも兄がいるんです。両親は兄を可愛がっていました。そりゃ俺から見てもね相当に。俺にもその愛情が同じだけあると思ってました。でも違ったんですよ。俺は親にこっちを見てほしくて、兄を出し抜いたり、兄と比べられやすいように、兄と同じ事を趣味に持ったりって、全く馬鹿なことをしていました。今なら分かりますけど、初めての子が産まれる喜びは相当なもんらしいです。あんたをどうやって育ててきたのか記憶が無いんだけど、お兄ちゃんの事はよく覚えてるなんて、俺が傷つくような事も親は平気で言うんですよ」


公臣は黙ったままそれを聞いている。


「小さい頃は仲が良かったんです。どこへ行くのも一緒でした。兄が中学に上がってから少しずつそれは変わっていきました。兄は俺を避けるようになり、俺はそんな兄のことを嫌いになって、ずっと会話もしない兄弟になってしまいました。この歳になってそんな事をしていてはいけないと思って、兄とまた少しずつ話しをするようにしています。でもまだあの時のように、一緒に走り回ってた時のようにはなれません」


公臣はそこまで黙っていたが、ようやく口を開いた。


「”木村“くん、下がり給え。もう来なくていいよ」


「でも」


「いいから下がれ」


 その日の午後〜


「おいおい、君にはもう来なくていいと言ったはずだけどね。兄さんに行ってこいとでもいわれたのかい」


「いえ、これは俺の仕事ですから俺が来ると決めたんです。何かお困りのことがありましたら申し付けてください」


「君もしつこいね。じゃあ、下がり給えよ」


「分かりました。また来ます」


「いいよ!来なくって。下がってくれ」


 地下実験室〜


「どうだ木村くん。会社の雰囲気には負けてないか?」


「社長、何とかやっていけそうです。先輩方も優しいんで色々と助かってます」


「そうか。全く畑違いの仕事をさせてるからな。広報とかの方が良かったかね?」


「いえ、新しい事をするのは新鮮で、やる気に燃えますから大丈夫です。ご心配には及びません」


「そうか。それなら安心だな。公臣の奴とは上手くやれそうか?あいつも頑なな奴だからな。まあ大変だと思うが頼むよ」


「はい、お任せください。俺、いや私はああいった方が嫌いではありません。新聞社の先輩も最初はあんな感じでしたから」


公聡は木村の言葉を信じてもいいと思った。この男の言葉には裏が無い。事実と違う事をわざと言っているのも彼特有の配慮なのだろうとも思った。


「そうか。そうだな。わははは。君は面白いな。こりゃ儲けものかもしれんな」


「なんです?儲けものって?」


「いや、単なる口癖だ。気にするな。わはははは。なあ美月くん」


「社長、私に振らないでくださいませんか。そういうの本当に困ります」


「すまない。わははははは」



 もしかして過去を変えられれば死ななくてもいい人が大勢いたかもしれない。

しかし、今ある現実は「その死んだ人たち」が死んだから成り立っているのかもしれない。

生きている人がもしあの時死んでいたら、現実も変わっていたかもしれない。

現実を無きものにするのか

またはそれを受け入れ今はそれを今ある現実としてそれに従うのか。


過去を変えようとすることは増上慢なのか。

現実を受け入れる事こそが傲慢であるのか。


我々はその選択肢を函から取り出すことに激しく躊躇をしていたのだった。



「なんだこの本、何を言いたいんだろ。これは序章っていうのかな。変な書き出しだな、これは何年前の本なんだ」


本が嫌いだと言っていたはずの総司は、ふと手にした朱い本を真剣に読み始めていた。



 主査と呼ばれる男が夜に帰宅した。


「総司、どうだった一日暇だったろう」


「おじさん、そうでもないよ。ずっと本を読んでいたからね」


「おやおや、君は本には興味が無かったんだろう?」


「ああ、あれは取り消すよ。読み始めたら止まらなくなったんだ。どうしてか分からないけどさ。ああ、それと読んだ本は元に戻したから。それと約束通り飲み物や食べたりはしなかったよ」


「ふふふ、偉いじゃないか総司。感心だな」


「あのあかい本とくろい本は何なんだい?あれだけ何だか他と違うよね」


「そうか、早速あれを見つけてしまったのか」


「真ん中に挟んであった函は何なの。本棚にひとつだけあんな函を置いてたら変に思うだろ」


主査と呼ばれる男はそれに動揺もせずに語りだした。


「総司、あの窓から外を見てみなさい。今日は奇麗な月が出ているはずだ」


少年はその言葉に従うように窓まで歩いて両開きの窓を全開にした。


「ほんとだ。奇麗な満月が出ているよ」


主査はその言葉に安心したように、もう一度口を開いた。


「総司、君をこれまで見てきたことと、今回あの夫婦から引き取ったことの説明をさせてくれないかな」


 2070年現在〜


「常務、本日、お、いえ私は秘書室の歓迎会に呼ばれておりまして定時にて失礼させていただきます。定時後に何かございましたらご連絡ください」


「太郎くん、君もなかなかのしつこい男だね。来なくていいと何度言っても従わないしさ。一体どこからその意志は生まれるんだ」


「はい、それは元新聞記者と言う事ではなくて、そこに仕事があるからという単純な理由です」


公臣はそれに吹き出しそうになりながらも言葉を抑えて話した。


「ふっ、そうかい。負けた負けた。僕はねずっと前に常務だったときも会長としてやってた時も秘書なんて付けなかったんだよ」


「はい、そう伺っております」と木村が独特の笑顔で答えた。


公臣はその笑顔に吊られて抑えていた笑いを堪えきれなくなった。


「あっはっはっは。いやいや君は大した男だよ。うん気に入ったよ。君なら僕の秘書として採用してあげるよ」


「ありがとうございます、常務。つきましてはひとつお願いがあります」


「ん?なんだい?言ってみなよ」


「今日の飲み会に参加しませんか?」


「あっはっはっはははは。僕は常務だよ。僕みたいなのが居たら連中は堅くなって、そこら中に恐縮の塊が浮かぶよ」


「ええ、だから良いんですよ。そこから何かが始まる気がするんです」


 その夜〜


 市川は酔っていた。市川はビール通だが、その他の酒についてはとても身体が受け付けなく、少しでも飲むと途端にが酔いが回る。


「おい、木村。きさま公臣常務の何なんだ。コネとか何とか言ってたけど俺には理解できん!」


「ええ、ええ、市川さん。前にも話したでしょう?太賀家の先々代とうちの爺さんが友達だったんですよ」


「う?そんな話も聞いた気がするが、あんな作り話を誰が信用するってんだ!え?」


木村はそれを作り話だと自覚はしているが、嘘だとは言えない。


「それとなんだ!木村!お前の会社の中の友達を呼ぶっていってたろう?いつ来るんだ!え?」


「ええ、彼は仕事がほんとに忙しいんですよ。40分ほど遅れると連絡がありましたから、もうすぐ来ますよ」


「そうかー、来たら俺がいじめてやろうかしらね。早く来い来い、お前の連れ」


木村は市川の酒癖に呆れていたが、この後来るであろう市川の態度の変化を密かに楽しみにしていた。市川の悪酔いは止まらない。


「俺は秘書室の親分だぞ、この野郎!俺の言う事は会社の意思に繋がるんだ。まあ、俺が会社を動かしてるって言っても過言ではないがな。あっはっはっは!」


 次の日〜


 市川が部屋の隅から木村に手招きをしている。


「き、木村くん。昨日のあれは何なんだ。君がコネ入社だって事は分かるけど、何で常務かあの場に来るんだ?」


「ええ、俺がお誘いしたからですよ。何か不味かったですか?常務も上機嫌で帰られたことだし、飲み代も出してもらえて万々歳だったじゃないですか」


それを聞いても市川の機嫌は直らない。尚も木村に食い下がってくる始末だ。


「君は友達だって言ってたろ。友達だって・・・」


〜前の日〜


「やあやあ太郎くん、お待たせしたね。それと秘書室の諸君機嫌良く飲んでるかい?」


4名の高そうなスーツを着た男性秘書と5名の女性秘書達が目を丸くしている。


「じょ、常務、何故こちらへ?」


一気に酔が醒めた市川が公臣に訊いた。


「ああ、市川くん。今日は太郎くんの歓迎会だと聞いてね。彼に顔を出してくれと言われたから来たんだよ。まあみんな、そんなに堅くならずにわいわいやろうじゃないか」


今日の飲み会で親分風を吹かせようとしていた市川は、最後まで小さくなって酔えることはなかった。


 現在〜


「だからさ木村くん、あの常務だぞ。人嫌いなんだよあの人は。俺たちはあの人嫌いに幾度となく振り回されてきたんだ」


「市川さん、公臣常務は人嫌いなんかじゃありませんよ。あの人の本来は昨日の姿なんです。俺は数日あの人と会話をして理解しましたから」


市川は釈然としない数々のものと木村に対する幼稚な嫉妬心が交錯していた。


「君って一体何者なんだ・・・」


 2262年3月末東京都近郊〜


主査と呼ばれる初老の男性は食卓テーブルに15歳の少年と向かい合っていた。


「あの本を読んだ感想を少しでいいから聞かせてくれないか」


「うん、いいよ。本当は感想を聞いたいのは僕なんだけどね。おじさんも読んだんだろ?あれ」


「読んだ。先ずは君の感想を聞きたいんだ」


「そうか、じゃあね。あの本が書かれた背景がまず必要だよね。あの本を書いたのは私企業の当時常務だった人だよ。その企業は世界に対して献身的な奉仕をしていくことで財を成した。そしてその資金力を活かして今では違法とされているある機械を作ったんだ。その機械を使って過去に戻り過去の過ちを修正していく過程が書かれている。何度も失敗してまるで映画のような展開をしながら事象が絡み合っていくんだ。僕はそんな糸が絡まる体を読みながらはらはらしたんだ。そのはらはらが僕が本を最後迄読んでしまった理由でもある」


「総司ははらはらしたというのが感想かい?」


「うん、それも勿論あるんだけど、登場人物達が時空によって引き裂かれていく姿はなんだか可愛そうに思ったよ。でもこれは本当の話じゃないんだろ?」


「総司、君を見てきたことと引き取った事の理由があの本なんだよ。あの本の内容は事実なんだ。そしておじさんはあの登場人物の一人なんだよ」


少年はそれを聞いても現実と小説のストーリーを繋げる事が出来なかった。


「え?もう一度言っておくれよ。おじさんはあの本に書かれている人で、あの時代に生きていた人だって言うのかい?」


「そうだ総司」


それを聞いた少年は興味が湧いたらしく、主査と呼ばれる男に質問を繰り返した。


「今はタイムトラベルは禁止されてるよね?警察に時空課ってのがあるくらいだから。でもあの人たちはどうやって取り締まってるのさ?」


主査は他人から寄せられるこの質問にはいつもこう答えていた。


「彼らは時空を取り乱す個体が特定されると、その前に戻ってその存在を消去するのさ」


「え?それってそもそも違反なんじゃないの?時空を乱す人を消すために過去に行くっての?消すって親を殺したりするのかな。それって犯罪じゃん」


「ああ、本当にそれをやっているのなら犯罪だ。しかし、確証がないしそれを確かめる術も無い。確かめる為の時空移動も出来ない。今は何処にも時空転移装置は無いんだ。一箇所を除いてね」


「一箇所?」


「そうだ、今はタイガベルモンターニュ建屋の全ては接収されてしまったからね」


「タイガベルモンターニュって、あの本を書いた太賀って人の会社?」


「そう、タイガベルモンターニュ。その会社は本当に有った会社なんだよ。時空転移装置はその会社の地下に秘密裏に造られた。ある”意思”の元にね」


「まだそこに行けば時空転移装置の初号機があるのかな。一箇所ってそこだろ?」


「国家警察省があれを接収したのかは分からないんだ。まあ、あれは試作機レベルで、警察省が持っているのはもっと進んだシステムって事だろう。あれを未だに使っている訳はないさ」


「ふうん、でも取り締まるってことはさ、そこら中で時空転移装置が密かに作られていて誰も彼もが勝手に時空移動をしているって事なんだろ?」


「いや、誰も彼もがって訳じゃないんだ。交錯する時空からトラベラーがやって来たりもする。それらが動くと、この時間軸に歪みが生まれ、突然目の前に時空転移の入口が現れたりする。もうカオスなのさ」


「それはタイガベルモンターニュが時空転移装置を使って実験をやってしまった結果って事?」


主査はにやりと笑ってこう言った。


「そうだ。あの実験がここに至る数々の出来事を招く導火線になった。これは今の世で分析され正確に出されたアウトプットなんだ」


「ふうん、でもそれは悪いことに繋がったのかな?良いことになったんならそれでいいじゃない?。悪いことになったんならそれを作って使ってしまったおじさん達は後悔してるの?」


主査は食卓から立ち上がり窓の傍に立ち、沈黙の後、少年の方に振り向いて言った。


「ああ、後悔してるよ。とてもね。会いたい人に永遠に会えなくなってしまった事もあるからね」


総司は訊いて見たくなった。

自分の去就に昔から興味を持つこの男のことを。

あの本に書かれている登場人物の一人だと言って憚らないこの男に。


「おじさんは何者なんだい?いや、それよりも僕の方さ。僕に興味を持つ理由を教えてくれるんだろ?それを先に聞きたいんだ」


主査は食卓テーブルに戻って少年の前に座り直した。両肘を突き掌を顔の前で合わせた。


「君はあの本の作者達の子孫だと前から言ってるだろ。ボクはここに来てからあの家系を探していた。探す理由があったからだ。黒衣の占い師に見出され能力が発現した者の一人だったからね」


「おじさん、おじさん何を言ってるの?意味わからないよ。能力?僕になんの関係があるのさ?」


「ボクの本当の名前は中村佑介、最後のミッションで不測の事態が起こってこの時代に弾き飛ばされた。ボクはどうしても帰らねばならない。あの時代へ。それには君の協力が必要なんだ総司」


少年は黙り込んてしまった。

あの本に書いてあった青年が今目の前にいる。

そして力とは何なのだと。


 2070年現在の時間

 公臣の私邸にて〜


「君は中野ゆかりくんだったね。そしてこっちはアマンダくんか。太郎くん?これはどうした事だい?カトリーヌの配達物について調べるってのはわかるけど、なぜうちの家でするのかな。僕がひとりが好きなのは君ならもう分かってくれるだろ?」


「ええ常務は会社での顔と、それ以外の顔とでは違うって知ってますよ」


「違うよ太郎くん。それはかなり違う。僕はどちらでも一人が好きなんだ。ずっとひとりが良いって訳じゃあないけどね」


木村はそれを聞いて独特のあの笑顔で笑った。


「常務!お身体心配していました。ね?アマンダ」


ゆかりとアマンダは、先日猿に呑み込まれた公臣を見た。その後眠り続ける公臣を献身的に介抱していたのも彼女たちである。


「そうだよね、君たち二人には感謝しているよ。粘液に包まれたままだったら僕は死んでいたかもしれないって兄さんが言ってたよ。遅くなったけど僕は君達にありがとうを言いたい。でもね。それとこれは違うじゃないか。休みの日に一人を楽しみたい僕にとってこれは拷問じゃないのか?」


 同じ日

 タイガベルモンターニュ社地下実験室 〜


「緑村さん、本当にいいんですか」


「ええ、中村さん。シークエンスを開始してください」


「社長はこれを知っているんですか」


「公聡社長には本番のジャンプの前に実験的に数度ジャンプする事を了承していただいています。当然、到達先では何もしません。ただ行って帰ってくるだけです。視認して帰る。それだけです」


彼女が何をしようとしているのかボクには分からなかったが、信用できないとか信頼できないとかと言う言葉は今のボクたちには似合わないのだろうと感じていた。ボク達はもうすぐキングスマンのような精鋭部隊になるはずだ。仲間を信じれないで何を信じるというのか。


ボクは迷わずにシークエンスを開始した。


そして数秒後に無事彼女は同じ姿のまま帰ってきた。


ただ違ったのは、彼女が傷だらけになっていた事と、その両手に何かが握られていたって事だけだった。


疲れ切っているであろう彼女にボクは思わず声に出して訊いたんだ。


「緑村さん、貴女は何をして帰ってきたんですか。話してくれますよね」



 老婆は訪問者に向かって怒りをぶつけた。


約束を違える訪問者を諌めることが出来ない自分にも老婆は怒っていた。


「随分と若いのが来たようね。どの時点の貴女が来たのかしらね。それはいいか・・・・、目的はこれよね。でもこれは渡せない。これを、これを同時に存在させてはいけないの」



 緑村美月、ジャンプ二日前の深夜 〜


 自室に帰り睡眠をとっていた美月は、あるアイデアを思いつき目が覚める。


時計は1時22分を指していた。


その時だった。

ベッドの傍らの区画が光を発し、それが人型になるまで10秒程要した。


「美月、目が覚めたようね」


黒い服を着た中年女性がベッドの横に立っていた。


「貴女は今何かのアイデアを思いついた。でもそれは実行してはいけない。それをすると貴女は愛する人と一生離れ離れになってしまう」


ベッドの上の美月は上体を起こしこう言った。「貴女は誰?私には愛する人などいないわ」


「ええ、今はいない。その通り。でもこの先、貴女は後悔をし続ける事になる。貴女にはそんな道を歩んで欲しくないの。いい?今頭に浮かんだことは破棄しなさい。それだけが貴女たちを守る唯一つの方法なの」


窓からの月の光で逆光となり顔がよく見えない。

だが声に聴き覚えがある。

母の声によく似ている。


「お母さん?お母さんなの?何故お母さんが私の愛する人を?ねえ、どうして?」


中年女性はそれには答えなかった。

そして窓の方を振り向いた瞬間に光の束となって消え去った。


美月は月の光が差し込んでくる窓を見つめ続けていた。


 2262年3月東京近郊 ~


「ああ、それとおじさん、いや中村佑介さん?かな。あかい本は自伝だろ。でもくろい本の方は、うーん、どっちかと言うと寓話って言うか、あれはファンタジーか神話って感じだよね。あれは何なの」


歳をとった祐介がそれに答えた。


「ああ、あれはどちらかというと口伝だな。口伝と言うより、"意思"を聴いた人の証言集みたいなものだ」


「意思?なんの意志なの」


「彼女たちは自分たちのことを『珠の意志』と呼んでいた。ああ、これは話せば長くなるな」


「ふぅん、その意志とやらは、あっちの自伝の方にも登場していたお婆さん達のことか」


「そうだ、できれば君は会わないほうがいい人達さ」


少年はそれを聞いて何かを思い出したらしくこう言った。


「んん?でも、もしかして会ってしまってるかもしれないって言ったらおじさんは驚くかい?」


「なんだって?総司・・・・」


 9年前、総司が6歳の時 ~


「総司、あまり遠くに行ってはだめだ。お父さんたちの近くで遊びなさい」


「うんわかった」


小さな総司がそんな事を聞くはずもなく、子犬を追いかけ芝生の上を走り回っているうちに、随分と離れた所へ来てしまっていた。


いつしか子犬ともはぐれてしまった総司は、公園内に人工的に造られた小川が流れていた場所に立っていた。

川べりのベンチに一人の老婆が座っている。不思議に思った総司は老婆に近づいて行った。


「おばあさん、おばあさん、何してるの」


「あら、小さなお人形さんね。可愛らしいわね。黒い真っ直ぐな黒い髪の毛と蒼い瞳、本当に昔持っていたお人形と瓜二つだわ」


「そうだろ。ぼくだけ目があおいんだよ。きのうも友達にいじめられたよ」


「あら、それはいけないわね。あなたは特別な子なの。だからね。だから信じて待っていなさい」


「うんわかった」


 2262年3月 ~


「小さかったからほとんど記憶には無いよ、でもそのお婆さんが『待っていなさい』と言ったことだけは覚えてるんだ」


「そうか6歳か・・・・彼女らしいな。ふふふ。彼女たちは周期で何らかの時を待っているんだ。それは6だったり、12だったりするみたいだ。それは彼女たちには大きな理由があるみたいだけどね」


「おじさん、ぼくはわくわくしてきたよ。何だか使命感にわくって言うのかな。あかい本の函にメダルのようなものが挟まってた。そしてくろい本には絵札が二枚挟んであったよね。あれはあの本に書いてあった配達物ってやつなのかい」


祐介は笑ってそれを聞いていた。

祐介はいつの時代も、子供の想像力を評価すべきところはすべきだと再確認したのだった。


「それで総司、そのお婆さんは黒い服を着ていたんだろ」


「ううん、真っ白な服を着ていたよ。とても奇麗な」


「何だって・・・・・・」祐介は得体の知れない不安感に囚われた。

しかしそれは自分がやろうとしている事の障碍にはならないだろうとも考えた。


「とにかくだ。ボクがやろうとしていることについて君にはゆっくりでいいから理解してほしいと思っている。ボクはあの時代に帰らねばならない。その目的を達成するために君に近づいた。そこは大変申し訳なく思っている」


「そうか。おじさんは時空の迷子なんだよね。いいよ、手伝ってあげるよ。なんか楽しそうだし。最近退屈で困ってたんだよ」


「ふふっ、そうだよな。君が問題を起こしてばかりいるのも退屈だからだったよね」


「おじさん、それは言いっこなしにしてよ。自分でも分かってるんだからさ」


「すまない、でも君は正直だな。本当にそう思う。ボクが15歳の時はそんな風な考えは出来てなかったさ。人の顔色ばかりを窺っていたんだ」


「でも、おじさん今はそんな風な人じゃないだろ。何歳くらいで治ったのさ」


祐介は遠慮なく物事を言う少年に正直に答えることにした。


「ああ、この性格に別れを告げたのは26歳の時さ」


 2055年4月 〜


「不老不死にでもなるつもりかしら。方法が無いことは無いと言ったけど、今のこの時代では無理。その力は分散されてしまった。このカードを持っていなさい。あなたが死に、そして業火に昇華されるときにもそれを手放さないこと。珠の中で循環してあなたは帰ってくる事が出来る」


「ふん、輪廻転生ってやつか。俺は俺のままで生きていたいんだ。他人に生まれ変わっても、それは俺じゃない」


「カンダタが欲を出さなければ糸は切れることはなかった。釜から上がる方法は欲を出さないこと。あの本にそんな事が書いてあった」


カトリーヌは絵札を彼に渡し部屋の隅に吸い込まれるように消え行った。


残された男は絵札を見た。

鮮やかな幾何学的模様が描いてある。裏返すと表であろう面がそこにあった。

文字、そして絵柄。


男はそれを見て吐き気を催した。


2262年3月〜


「性格って直るのか?持って生まれた性格は死ぬまで影のようについて回るんだろ?」


「ああ、ほとんどの人はそうだろう。ただし直そうとして自覚して、それを包んでしまうほどの強い心があればなんてことはないんだよ。性格は30歳迄なら直る。ボクの母親の口癖だったらしい。ボクは直接それを聞いた記憶は無いんだけどね。昔、ある人に言われたんだ」


少年は時空の迷子になった初老男性を、憐れみとは少し違う感情で見つめていた。いや、確かに憐れんだのかもしれない。


「おじさん、前から気になっていた事があるんだけど訊いていいかい?」


祐介は黙って頷いた。


「おじさんの喉に手術の痕があるだろ?今の医学ならそんな傷なんて消せるはずだ?なんでしないのさ」


「ああ、これはな。ボクと母親の絆なんだ。これが原因で母と死別した。そして信じられないかもしれないが、ボクの中に生きていた母親と再開出来たのもこの傷があったからだ。そして26の時にまた母親と会えることはなくなった。ボクはね、そしてこの傷のお陰で普通の人には体験できない事を可能にした。その事についてはおいおい話していくよ」


「信じられないもなにもないよ。あの本に書いてあることが本当なら、おじさんの言う事はそれもまた本当の事なんだろうしさ」


「総司は賢いな。君のような子供にボクは嫉妬を覚えるよ。昔、色んなことに悩んで卑屈になっていた自分を殴りたい気分になる」と言って祐介は笑った。


総司もつられて笑った。


「さあ総司、まだまだ話し足りないことがあるんだが、食事にしよう」


 2253年5月 〜


「でも、とくべつな子ってなんだい?どういう意味?」


「お人形さん、それはねあなたが大きくなったら分かるわ。それまでは待ちなさい」


その時老婆の座ってたベンチに何かがやって来た。


「あ!さっきの子犬だ!この子お婆さんの犬なの?」


白い服の老婆は言う。「この子はいつも私といるの。かわいいでしょう?白くて小さくて」


「かわいい!ね?名前はなんて言うの?」


「この子の名前は無いわ。そうね、名前は『ミョウ』にでもするかしら」


「へえ、変わった名前だねこの犬」


「お人形さん、この子は犬じゃないわ。それにあなたはこれが見えるのね」


 現在 〜


「緑村さん、どうしてこんな怪我を?見てくるだけでこんなになるんですか!」


「中村さん、私は貴方に嘘を言いました。そう、ジャンプするのは見てくるだけではなかったのです。目的は別にありました」


「その目的があなたが持ってる絵札だというのですか」


「はい、25年後に、そしてこの絵札を、そう、これを譲り受けるために」


そこまで言って緑村さんはその場所に倒れ込んでしまった。


「緑村さん!緑村さん!しっかりしてください!」


 桐野医院 〜


「まったく、お前たちは俺に何をやらせるんだ。問題事ばかり持ち込んできやがって」


公聡の同級生だった桐野はここでほそぼそと開業医をしていた。病気というものがほとんど無くなったこの世で、開業医は儲かるような職業ではなくなっていた。


「先生、申し訳ありません。社長から何かあればここの桐野先生を訪ねろって言われてたんです」


「奴は俺のことを便利屋とか魔法使い程度にしか思ってないんだ」


桐野は笑いながら処置室に入った。



「おいおい、何だこの傷は。チンパンジーの檻にでも放り込まれたのか?いや猿じゃねえな」


桐野は美月の身体にある傷に光を当て消毒をしながら観察していた。


「これは猿じゃねえな。犬か狼、そんなもんに襲われた傷だ。こいつら一体何をしようとしてやがるんだ」



「おい、若者!処置は済んだが彼女は眠ったままだ。抗生剤を点滴しているから起きたとしても直ぐには動かせん」


桐野は祐介を睨みながら言った。


「お前たちが何をやってるのかは俺は知る由もないが、問題ごとは御免だぜ?奴が銃で脚を撃たれたあとに、撃たれて死んだ奴が運び込まれた。そいつは確かに心臓が止まってた。が、そいつは公聡が触った途端に息を吹き返した。なんだあれは?最近不思議な事ばかりが俺の目の前に並べられてる。まあ、やる事だけはやってやるが、報酬はたっぷりと貰うと公聡の野郎に言っておいてくれ」


祐介は桐野に何も説明は出来ない。何も知らぬ第三者だと言うしかなかった。


 病室 〜


 美月は点滴チューブが繋がれたままベッドに横たわっている。彼女は自分の力で目を醒ます事が出来ないでいた。


今どこにいるのかもはっきりしない。寝ているのか起きているのかさえも分からない。

脳の中の自分だけが暗闇の中で藻掻いている。


遠くにひとつの窓を見つけた。よく見ると窓の傍に女性が立っている。

窓からは月の灯のような淡くそして鋭利な光が差し込んでいた。

逆光で女性の姿だけだ切り絵のように漆黒に浮かんでいる。


脳の中の美月はそこに歩いて近づいた。


「まだ諦めないのね」窓の女性は言う。


「はい、私は諦めません。貴女から忠告を受けて対策を講じました。でもあれはやります。失敗はしません」


切り絵のような女性は言う「対策が何になるというのでしょうか。あなたが思い浮かべていることを思いとどまる。それだけで良いはず。貴女に見せたビジョンはどうでしたか?あれを観てどう思ったの?」


 ニヶ月後 〜


「残るは俺と公臣、美月くんと中村くんだけだ。俺は最後でいい。ここの足場ももう保たないだろう。早く行くんだ」


「兄さん、僕も兄さんと最後にするよ。実験上ではこれを使って二人しか転送出来ないんだろ?ひとりがこれを持って戻って、また一人ずつ転送する。効率が悪いよね」


その時海岸沿いの山の上に着弾していた対艦ミサイルの不発弾が突然火を吹いた。

破裂した岩床は辺り一帯に降り注ぎ、一団の居るところまで飛翔した。


一瞬の出来事だった。


音速で飛翔する岩の塊を公聡には止めることは出来なかった。

この噴石にも似た岩の塊は容赦なく一つの線の上を進み、大きな加速度をともなった重量が一団を襲う。


一瞬だった。

衝撃音と土煙が去ったあとに見えたのは倒れている双子の兄弟だった。


「大変だ!社長!常務!美月さんは?」


「私は辛うじて無事です!あなたは大丈夫ですか!?」


双子の兄弟の時間は止まってしまっている。双方ともに瞬間に命の炎を失っていた。


「処置を行います!手伝ってください!社長を仰向けに!」


 祐介は先ず公臣の胸に両手をかざして命よ戻れと念じ続けた。

彼の喉の傷が蒼く鈍く光りを放った時、両手と公臣の胸との隙間に白い煙の様なものが湧き出て、また一瞬で公臣の胸に戻っていった。


「痛い!痛い!何だこれは!どうなった?」


祐介は慌てて公臣を抑え付け「動かないでください!あなたは重症です!美月さんと一緒に現代に戻ってください!」と叫んだ。


美月が瓦礫を避けながら走ってきた。


「美月さん、先ず常務と帰ってください!そしてあちらで桐野先生に連絡を!先に帰ってる彼らにも手伝わせてください!」


美月は公臣に寄り添う形で地面に横になり、太陽と植物の金属プレートの摩擦音を響かせ、光の渦となって消える。そしてまた戻ってきた。


祐介は公聡にも同じ処置を行うが喉の光はあるものの、彼の横たわった身体からは白い煙が生まれずにいた。


「駄目だ!帰ってこい!駄目だ!行ってしまっては!駄目だ帰ってこい!」


美月が祐介の後ろで泣いている。祐介は力を込めて祈り続けた。


『裕介、君ならできるわ。大丈夫、力を信じなさい。君は出来る子。私の一人だけの息子だもの』


蒼い光が鮮明な線となり祐介の喉から肩を通じ腕、そして指先にまで光の束となって輝いた。

公聡の身体から白い煙が湧き出て、掌と胸の隙間に吸い込まれていく。


「ブフォ!ゴホ、ゴホ!痛てててて、何だなぜ痛いんだ!身体中が痛くて動けん!」


「祐介さん!社長を連れて戻ります!また直ぐに戻ってきますので待っていて!」


祐介は疲れ切って座り込んでいたが、美月のそれに頷いてみせた。

二人が光の渦に吸い込まれたあと、祐介は海を見るために立ち上がった。


「とうとうやった。成し遂げた。海はもう死なない。命溢れる海となってボクたちの生活を彩るだろう」


気がつくと美月が戻っていた。

海の向こうに太陽が沈みゆこうとしている。

祐介の左手と美月の右手が繋がり、彼の右手は彼女の背中に回され彼女を強く引き寄せた。


「やりましたね祐介さん。さあ一緒に帰りましょう」


「美月さん、しばらくこのままでいたいんですが駄目ですか?」


「駄目ですよ、私達の居る岬も地盤が緩くなっています。早く戻らなければ」


その時、地震のような揺れが二人を襲い二人は立っていられなくなった。


「早く!金属プレートを合わせて!」


美月は祐介と繋がった右手を離し、金属の擦れる音を奏でた。


光が渦を出し始めたとき、二人の間の地面が裂け、祐介が地面に落ちこんだ祐介の左手は美月の右手を手繰り寄せようとしていた。


美月も彼の左手に向かって手を差し出したが、彼の左手は美月が持っていたチェーンに繋がれた軍票のような金属プレートを掴み、そして地中に落ち込もうとしていた力がチェーンを引き千切り、二枚の板は離ればなれになってしまった。


二人は違う色の光の渦に吸い込まれようとしていた。


「祐介さん!だめ!行かないで!」


「大丈夫!あっちで会える!きっと!」


ふたつの光の渦は同事に岬の上から消え去った。

水平線の向こうに太陽が消えたと同時に。

辺りが闇に包まれいこうとしていた。


波の音とかもめの鳴き声がする。


 現在 〜


窓の女性が脳の中の美月に語りかける。


「貴女はこれを観てもまだ考えを改めようとしない。それは愚策と言うものよ」


「私達は後戻りはしない。全てを手に入れるつもり」


「あなた達が立っていた場所を変えても、運命はあなた達の間に亀裂を生む。どこに行っても結果は同じよ」


「いいえ、未来は変えられるわ。必ずね」


窓の女性がため息をつき「貴女が強情なのは知っている。一度決めたことを曲げないことも知っている。ただし、その事で自分が傷つく姿を二度と見るのは御免よ。だからもう一度忠告するわ。私と同じ目には会わないで。お願い若い美月」と言った。


 病室で目が醒めた美月。

窓から月の光が弱く差し込んでいた。

ここは何処だ。

なぜこんな所に寝ている?

ふと周りを見渡すとベッドの横に祐介が椅子に座って寝ていた。


「祐介さん?」


祐介は浅い眠りから声に揺り起こされた。


「え?緑村さん?いまなんて言いました?」


「いえ、中村さん、何でもありません。ここで貴方が寝ているのに驚いただけです」


「そ、そうですか。何だか名前で呼ばれた気がして起きてしまいました。夢でも見てたのかな」


美月は赤くなった顔を隠すために布団を顔に掛け言った「な、中村さん、すみません。ここは病院ですか?連れてきてくださったのですか」


「ええ、傷だらけで貴女は倒れてしまいましたから」


「そ、そうですか。ジャンプをした理由を話さなくては」


「今はいいです。ゆっくりと休んでください。身体が良くなったら聞きますから、今は養生してください」


布団の中の美月の頬は更に赤みを増していた。


 二ヶ月後 〜


「祐介さんは!中村さんは戻ってますか!」


美月は地下の実験室に戻った後、あらん限りの声を上げて問いかけた。


中野が言う「ゆーすけはまだ戻ってないよ。ゆーすけ一緒じゃないの?」


「一緒に戻るはずでした・・・必ず戻ると」と言いながら大粒の涙を流し、口を大きく開けて泣いたが声にすらならなかった。


『祐介さん、貴方は何処へ行ったの?私を一人にしないで』


美月の左手には太陽の金属板が千切れたチェーンに絡まっていた。


もう過去にジャンプ出来ない。

もう戻る術が無くなった。

愛する人を探すことすら出来ない。


美月は自分が決断して行動した全ての事を激しく後悔した。


「カトリーヌ!フランソワーズ!居るなら出て来て!お願い!カトリーヌ!あの人がいなくなった!助けて!フランソワーズ!」


喧騒とした実験室に、虚しく彼女の叫びが反響して闇に吸い込まれていった。


 二ヶ月後の桐野医院にて 〜


「アマンダくん、よく分かった。中村くんは戻れなかったと言うのだな。申し訳ない事をした。ご家族には俺が話しに行く。美月くんはどうしてる。彼女は大丈夫か?」


アマンダは涙を流すだけが精一杯で言葉が出ない。


「そうか・・・、分かった。君は公臣の所にいてやってくれないかな。あいつも塞ぎ込んでいるはずだ。頼む」


公聡は一人の青年の運命を変えてしまったことを悔やんだ。

愛する女性が産んだ一人の若者の将来を消してしまった事を。


そして彼は考察した。中村佑介が時空の裂け目に入った事を。


証拠がない。データも全て無い。


途方に暮れるしかなかった。

過去に戻る方法はあるが、戻ってくる手法を失った。


俺はまだやれる。戻る方法を作り上げる。

社員を泣かすわけにはいかない。

それは社長としての俺の矜持だ。


病院のベッドの上で藻掻き、のたうち回りたい気分だったが、身体が言うことを聞かない。


公聡もまた悩み苦しんでいた。

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