64.陣触れ
常務は自室のベッドの上に寝かされていた。
意識が戻らない常務のことを心配して、ゆかりとアマンダがずっと付き添っている。
ボクはあの稲妻以来気絶したままだったが、30分ほど前に意識を取り戻した。
「社長、緑村さん、すみません倒れちゃって。でもボクは確か地下の実験室にいたと思っていたのに、ここはどこなんですか」
「中村くん、ここは弟の家だ。しばらくここで休んでいけ。会社や家の事は俺に任せておけ、な」
「はい、ありがとうございます。緑村さんにもご迷惑をおかけしました。すみません」
「だ、大丈夫です。迷惑なんてかかってません」と何故だか知らないがボクと眼を合わせてくれない。
その後、僕が気絶してから、ここに移動した後の時空転移装置のある部屋で起こった一連の事を社長から聞いた。
「死んだ母さんが生きている・・・・・そんなことが」
ボクは図らずも父親に願望で言ったことが本当になっていたことに驚きを隠せなかった。
「それで社長、母はボクが目覚めたらいなくなるって言ってたのですか」
「そうだ、立石さんは確かにそう言った」
「ボクだけ会えなかったのか・・・・・」
社長と緑村さんはそれを聞き言葉を出せなくなっていたようだ。
〜
ドアからノックの音とゆかりの声がした。
「社長、常務が目を覚まされました」
「おお、そうか。すぐ行く」
美月は直ぐに「私も行きます」と言って立とうとしたが、公聡に制された。
「君はここにいてあげなさい」と言って部屋を出ていった。
しばらく部屋に沈黙の時間が訪れた。窓の向こうの遠くで緊急自動車の行く音が聞こえている。
ふたりは黙ったままそれを聴いていた。
〜
一時間前、次元転移装置のある部屋〜
「美月さん、人間、元々持って生まれた性格はなかなか変えられないの。でもね、そうだな、そう、30歳までに自分がその悪い部分を変えようとしたら変えることができると思う。この子はそれの真っ最中」
公聡が口を挟んだ。
「そうだな、俺達兄弟の様な歳になったらもう無理だ」
祐介の中のさゆりはくすっと笑い続けた。
「貴女は自分の性格のことをこの子に照らし合わせて、今、考えている。貴女のような人が近くに居てくれたらこの子も変われる。そして貴女も」
〜
公臣の寝室〜
「ごめんよ兄さん。油断したよ。僕はどうやって助かったんだい?」
「ああ、お前は狐さんに助けられたのさ」
「狐だって?そんなもんがどうやって助けるっていうのさ」
「まあ俺にも見えなかったからな、なんとも言えんが、美月君を守っている神さまらしいぞ。それもあの界隈では物凄い偉い神さまらしい」
「日本の土着の神が珠の意思をやっつけたってのかい?ふん、ばかばかしい。兄さんもっとましな冗談を言いなよ」
アマンダが声をあげた。「公臣常務、それは冗談ではありません。私にははっきりとは見えませんでしたが、大きな動物の形をした何かが猿を踏んづける姿を見ました。だから嘘じゃないんです」
「もういいよ。猿とか狐とか君たちどうかしちゃったんじゃないのか?疲れたのでもう寝るよ。出ていってくれ」
公臣はそう言って布団を頭まで被り、布団の下で子供のような笑顔で笑った。
〜
三時間後〜
「太賀弟、作戦は成功したのだな。一定の被害を減少させることが出来ました。これをあなた達はどう評価するのか。もっと大きな成果を求め続けて何度もあの時代へ飛ぶつもりか?」
「うん、劉さん。僕もその事を考えていたのさ。何度も過去を変えることの弊害をね」
「本当は一度の改変であれが達成できることが望ましかった。そう言うことですね?」
「そうだよ。何度も同じ時間に行くことは、我々の住む時間の存在さえ無くしてしまう可能性も捨てきれないからね。僕の考えではジャンプはしない方がいい」
「そうか。さすれば自分の役目も終わりだな。しかし、自分はあの時代の自分の国へはもう戻る事ができない。この時間のこの国の滞在もいけない事だろうと思います。だから太賀弟よ、自分をあの時代のアメリカへ飛ばしてくれ。流石に不法入国で逮捕されるかもしれないが、母国へ帰るよりマシだろうし。その後は亡命でもしてみせるさ」と笑った。
「劉さん、元気でやりなよ。こんな所まで連れて来てしまった事は謝るよ」
「太賀弟。それは言わないでくれ。自分はこれで良かったと思っているから」
「君の変わった話し方はユニークだったよ。忘れない。僕たちのことも忘れないでくれよ」
公臣は次元転移装置のトグルを反転させ、過去の彼の国から来た男を、あの時代の、あの時のアメリカ大陸の、ある場所へ転送した。
「さよなら劉さん」
〜
その夜、お好み焼き豊臣〜
カウンターの特等席でふたりがひそひそ話をしている。
「もう、凄かったのよ。あんなの見たの初めてだわ。びっくりよ。この世の不思議だわ」
「ゆかり、俺たちはもうその不思議世界へかなり脚を踏み入れちまってる。もうどんな不思議も驚かないから話してみろ」
ゆかりはあの館へ行った後の出来事を見たままをそのまま語った。
「なんだ、それは何なんだ。そんな事があっていいのか?信じられない。まさか。ほんとか?それ」
「もう太郎ちゃん、何にも驚かないって言ったじゃん。でも本当なのよこれは」
「それでお前はその狐の神さんが見えたのか」
「うん見えた。すっごい綺麗な狐さんでね。とても大っきいの。それがね天井から降ってきたの。物凄くかっこよかったよ。あと中くらいの大きさの狐さんとか、ちびっこい狐さんも猿をみんなで抑えてたのよ。社長は何も見えねえってずっと言ってたけど」
「俺は何処かで聞いたことがあるぞ、ゆかり、心して聞けよ。いいか、神さんが見える人間ってな、多かれ少なかれそういう役目を持ってしまった人らしい。その役目って結構キツイもんらしいんだ。大丈夫なのか、お前」
「ええ?そうなの?どうしよう、ねえどうしたらいいの?」
「俺にも分からねえ」
「そうそう、そんな事よりね、あたし太郎ちゃんに調べて欲しい事があるんだ」
「え?そんな事で片付けるの?お前はいつも俺よりもかなり前向きだな。祐介にも分けてやってくれよ、その前向きで打たれ強い部分」
「もう何言ってんのよ。四の五の言わずに調べなさい。いい?これは命令よ」
〜
二日後〜
「ゆかり、調べてきたぞ。会社の資料室とアーカイブをそれらしきものは全部見てきた。俺は資料室の将軍だからな。何故かあそこの事は何でも知っている」
「で、どうだったの?」
「環境省の海洋調査は過去三回行われている。お前のお父さんが参加した調査は一回目と二回目だったはずだよな」
「そう、そう聞いた」
「資料によるとニ回目の海洋調査で重大な事故が発生したと書いてあった。これがお父さんの亡くなった事故で間違いないと思ってな、掘り下げて調べたんだ。でも調べていくうちにお前から聞いていた話しと違う部分がかなりあった。確かお前はお父さんは一人乗りの潜水艇で事故に遭ったと言ってたけど、資料によると潜水艇は大型のもので二人が搭乗、深海から浮上していく過程で鯨に襲われたと書いてあった」
「違う過去になってる。やっぱり美月ちゃんが言ってたように?」
「そうだ、あの潜水艇は使われなかった。おそらく日昇丸もな」
「じゃあ、あの船長さん、洲本さんが泣いてくれた事も何もかも無い過去になったってことなの?」
「ゆかり、俺は思うんだが、過去は変えちゃいけないんじゃないかってな。もしかすると今の俺たちの存在も消え去るかも知れねえ」
「え?そんなの嫌だよ。太郎ちゃんが居なくなるの?」
「あの鍵のように消えるのは、俺かもしれないし、お前かもしれないって事だぞ」
二人は感じたことのない恐怖感を感じていた。
それは逃げても逃げても追いかけてくる。
影のように。
〜
タイガベルモンターニュ社〜
「兄さん、劉さんを元の時代に送り返したんだ」
「そうなのか?国に返したんじゃ無かろうな」
「もちろんさ。あんな国に返したら粛清される。それでアメリカへ飛ばしたんだけどね、彼から時間指定配達のメールが直後に来たんだ」
「なに?それで何と書いてあったんだ?」
「彼はわざと不法入国者として逮捕されたらしい。数ヶ月弁護士の助力を受けて、彼の妄言とも思える“この真実”を政府筋に認めさせたらしい」
「おい!いつの時間に送ったんだ?」
「もちろん彼の生きていた時代は大火前だからね。でも送ったのはもう少し前のアメリカさ」
「お前、まだ何か企んでるんじゃなかろうな」
「嫌だな兄さん、僕はもう憑きのものが落ちたんだよ。他意はないさ。ただ彼の希望を叶えただけなんだ」
「それで彼はあっちで何をやらかしたんだ?」
「驚くべきことをしたみたいなんだよ劉さん」
〜
第二プラント研究室〜
ボクはあれから少しして職場に復帰した。休んだ分は、人事システムに有給休暇扱いで届け出を事後申請せよとの社長からの命令だった。
復帰した職場は、相変わらず女子研究員の諸先輩方がテキパキとアウトプットするので、ボクのような素人社員の出る幕はない。
そんな中、ゆかりさんが取り組んでいた、遺伝子操作された海綿動物の繁殖化が可能となり、今後の水質改善の一助になろうかと言うところまで辿り着いたとの事だった。
アマンダはと言うと、小畑主任の助手として牡蠣や貝類の大型化に取り組み、ある程度の生産平準化が出来、これもまた水質の改善に希望が持てる事となっている。
ボクはというとまだ単なるデータの整理屋で、研究室にとって影の存在となっている。
でもボクはそんな仕事に嫌気をさすどころか、みんなの役に立っていることで、ある一種の高揚感のようなものを感じていた。
あんな事があった後なので、ボクに対して周りのみんなが気を遣っているところが何だか申し訳無い気分で一杯だった。
まるで学校を二三日休んでしまった後の、教室の自分に対する変な態度や、また自分自身もみんなに対して前とは違う対応をしてしまう、そう、そんな感じの出来事が今の職場に渦巻いている。
なんだかやるせない。
〜
「ゆーすけ、ゆーすけ、ちょっといい?」
中野さんが居心地の悪そうなボクを見て声を掛けてくれた。
「ねえ、大丈夫?お母さんのことびっくりしちゃったでしょ?私もびっくりしたよ。でもね、良かったじゃない?お母さんが死んだけど生きてる。いつも一緒にいてくれるんだ、ね?」
そう言ってる中野さんは涙目になっている。
「うんうん、ほんとに良かったよ。わたしはお父さんに逢いたくても逢えないんだ。このガラスのプレパラートだけがお父さんとの絆なの。だからゆーすけが羨ましい」
「中野さん、ありがとうございます。ボクの方が恵まれてます。それなのに貴女に気を遣わせてしまった。ごめんなさい」
中野さんは涙を拭って笑いながらこう言った。
「君のそういう所は良くないよ。太郎ちゃんも言ってた。周りに気を遣い過ぎなのよ。落ち込んだときはみんなに甘えなさい、そしてみんなにわがままを言いなさい。それは落ち込んだ人間の特権なのよ!」
またうるると涙が出て「お父さんはね、ヒーローになって帰ってくるって言ってそれっきりなの。お母さんはずっとそれを待ってる」と言ってわあんと泣き出してしまった。
ボクは涙目の彼女にやられてしまった。
過去何千年も女性の涙に男は勝てなかったんだろうと思った。
その時、緑村さんが研究室に入室してボクたちふたりを見た。
泣いている中野さんと固まったボクたち二人を遠くでアマンダが見ていた。
アマンダがこっちに向かって走ってくるのが見えた。
「ユースケ、いけない人。親分泣かした。レディ泣かすのは良くない人がする事よ」
ボクは慌てて取り繕うとしたんだけど言葉が出なかった。
だって泣かしたことは事実だし言い訳が出来なかったからだ。
「アマンダ、違うのよ。私が勝手に泣いてしまったの」
「どうちがう、どうちがうの親分」とアマンダは引き下がらない。
「あのね。ゆーすけが羨ましくって泣いたの。彼のせいじゃない」
「うらやましくて泣くのか」とアマンダは不思議がっていたが、固まっていた緑村さんも安心したようで小畑主任の方に歩いて行った。
「だからゆーすけ、学校を休んだ翌日の小学生みたいに神妙になってちゃ駄目。わたしたちもう仲間じゃん」
ボクはこの人には勝てない。
小畑主任と一言二言交わした緑村さんが戻ってきてこう言った。
「三人とも会議です。いつものところへ行きますよ」
「え?美月ちゃん。わたしも??」
「ええ、たった今、小畑主任にも了解を得ました。はいこれがゆかりさんの新しいバンドです。しっかりと生体認証を終わらせておいてください。15時に集合です」と言って研究室から出て行った。
「ゆかりさん、とうとう正式メンバーになったんですね。ボクもまだ経験してないですが、時間旅行が出来るかもしれませんよ」
「そうなの?でも怖いなあ。帰ってこれなくなったら嫌じゃん。んー、悩むなー、でもみんなと一緒に何かできるならそれが正解かな。行っても行けなくてもどっちでもいい。あと太郎ちゃんがいてくれたらあたしは何も要らないよ」
木村くんは社外の人間だ。頻繁にここに来ることは無理で、ボクやアマンダのように、無理やり採用したり異動させたりはできない。ただ、文字列のひとつを持っている彼もまた、時間移動の計画には無くてはならない人物なのだろう。これを社長や緑村さんがどのように解決するのかを見てみたいとも思った。
ボクたち三人は15時までの時間を、それぞれの役割を全てこなしていく事に注力していた。
そして三人ともに決戦は近いのだと確信した。
〜
ボリスデイリー社〜
「おい木村!お前デスクに何渡してた?」
「退職願っす。森さん」
「なんだと?お前この御時世にお前の歳で何が出来るってんだ!考え直せ」
「森さん、自分はもう決めたんす。これは覆らない意思ですよ」
「ふん、なんだかいい顔つきじゃねえか。それで何をするんだ」
「地球を救うヒーローになるんすよ」
呆気にとられていた森に背を向けて木村太郎は外に飛び出した。
〜
都内稲荷社〜
「まさかお母さんがカトリーヌと前から知り合いだったなんて、どうして私に話してくれなかったの」
葉月は微笑みながら答えた。
「そうね。あの時の貴女ならそれを受け入れられたかしら?今の貴女だから受容出来るんでしょう?」
「そうかもしれない」
「カトリーヌは貴女と接触したがっていた。遅かれ早かれ貴女はそれを受け入れていく。物事には順序があるの。それを違えて先取りしても何も良いことは無いわ。だからそれが貴女に必要な順序だったと思いなさい。さあ、もう行くんでしょう?そんな顔してないで笑って全部を解決してきなさい」
「解りました、お母さん。行ってきます。あと、お父さんに宜しくと伝えて」
「良いわよ。でもそろそろお父さんときちんと話をしなさいね。あなた達にはちゃんと向きあって話すことが必要なんだから。ああ、それと白狐様は時空を超えられないわ。それだけは覚えておいて。じゃ、いってらっしゃい」
〜
15時、地下実験室〜
「みんな揃ったな。カトリーヌが元々持っていた計画、そして変更せざるを得なくなった計画、そして我々がするべき事の確認を行っていく事にしよう」
美月は公聡のあとを続けるように骨子をなぞっていった。
「元々の主要人物として、ここにいる公聡社長、公臣常務、そして中村さんのお母さんである立石さゆりさんの三名。そして三人だけで成り立つ計画だったようです。時空転移装置はその計画にもありましたので、時空を超えて三人がそこに飛び、お二人の絵札の能力、そしてさゆりさんの生命力を操る能力だけで地球の生命力を復活させるものと考えました。しかし、社長と常務の絵札の能力はそこには直接関与するのではなく、何かしら不測の事態に備えての防御の為の能力ではないかと考えています。ですから最初の計画ではさゆりさんの能力のみで事が完結するものだったのではと思うのです。ただし、これらはカトリーヌ達の言葉を紡ぎ合わせた推測に過ぎませんし、現在の護り石により集められた個々の要素の本質が未だ不明なことを併せると、時空移動をした先で何が起こって、何がそれに対して効果を発するのかが分かりません」
美月はそれらの不確定要素について次々と語っていった。
「これらの要素を集めることが目的だった護り石は初期化され、新たな目録が書かれ、ピリオドが打たれるとさゆりさんは言いました。しかし、これについてもカトリーヌ達からは何も聞かされていません。何もかもが準備不足なのです。全てのものが移動先に着かなければ機能を成さないのなら、危険を含んだ上で、そして行ったとして何も達成出来ないといった面も考慮しなければならない・・・と考えています」
公聡はこれに対し「俺たちはもう既に二度過去の改変をしてしまった。いや正しくは三度と言うべきかもしれん。今俺たち以外の人達が認識している歴史は、俺たちの常識では無くなっている。これ以上の改変は今の俺達の存在さえも無くしてしまう可能性もある」
公聡の言葉に疑問を感じた祐介が質問をした。
「死んだはずの人達が生きている事で、産まれなかった命が現実化した。でも元々の死ななかった人達の子孫として居るはずのボクたちが無くなってしまうという事が理解しにくいんですが、どういう事なんでしょうか」
「そう思うだろ?普通はな。でもな、簡単に言うとだぞ、その死んだはずの人達がその後産んだ子供が、俺達の父親や母親を殺してしまうって事も有り得るって話しだよ。可能性として考えられる話しだろ?
物事は複雑に絡み合うんだ。ひとつの線で行くわけじゃない」
祐介は愕然とした。言われてみれば確かにその可能性がある。だからこそ、この一連の行為は正しいものなのか判断が出来なくなっていた。
「社長はどうするおつもりなんですか。まさか自分が消えることを覚悟して過去の改変をしに行くのですか」
祐介は自分の中の正直な気持ちを公聡に表した。
「中村くん、俺は元よりその覚悟でこれを作った。なぜならばこれは本来は片道用の機械でしかなかったからだよ。戻らない覚悟があったんだ。俺の失踪後に美月くんが俺の後任になった事、その後君が現れたこと、極めつけは君の持っていたヒエログリフの書かれた軍票さ、俺の覚悟を揺らしたのは。だから俺はまだ結論を出せずにいるんだよ」
祐介は社長の気持ちを察しようとするが、元々、過去に埋もれて死ぬ覚悟をした人だ。いや、本当は江戸の世で死んだはずの人だ。その人が今覚悟を揺らされている。自分には到底その覚悟を推し量ることすら資格不足だと思った。
今まで安穏と生きてきた。自分を守るためと思いながら、人を避け続けて上手く世の中を渡ってきたに過ぎない。そんな人間なのだ。自分は。
そう思いながら、美月に会うことで回り始めた歯車を、自らが否定できない事も彼は自覚していた。そして以前の様なネガティブな人との関わり方を改めようとしていたばかりだった。そんな事を考えて黙り込んでしまう自分を誰よりも知っているのだった。
自分はここにいる誰よりも臆病で決断が出来ない人間なのだ。でもつい最近までは、何かがあれば変われるような気がしていた。
美月と公聡が議論をしている。中野もそれに加わり、アマンダも。
「中村さん、中村さん、大丈夫ですか?気分でも悪いのですか」と美月が訊いたが、祐介はその言葉にも気付かずにいた。
「ゆーすけ、大丈夫?」とゆかりに肩を叩かれた祐介はすみませんと言うものの、心ここにあらずで視線も定まらない。
「社長、すみません。折角お呼びいただいた会議なのですが、ボクにはまだ覚悟がありません。少し時間を頂けませんか」
公聡はそれを聞き頷いた。
「うむ、顔色も悪いようだ。今日は早退したらどうだね。体調が悪いときは何しても成果は出ないからな。今日の議事録は暗号化して後で回しておくから帰りたまえ」とため息をついた。
〜
帰り支度をしながら祐介は自分のことを呪った。
母さんにどんな顔をして会えるというのか。情けない人間だと自虐の繰り返しをした。
〜
二子玉川 中村邸〜
「お兄ちゃん、今日は休みだったの?こんな時間に家にいるなんてなんか不思議」
ボクは妹に家にいる理由を話したくなかったから曖昧な返事をした。
「そうなんだ。でも何だか顔色が悪いよ。寝てたほうが良いんじゃない?」
「ああ、そうするよ」と言ってボクは部屋に戻った。こんな時間からベッドに入っても眠れないが、ボクは無為な時間をベッドの上で過ごしたんだ。そのうち母親が出先から帰ってきたらしき話し声、父親が仕事から帰った物音などをずっとベッドの中で聴いていた。夕食に呼ばれても下に降りて行きたくない。ボクは最低の人間だ。仕事も任務も放りっぱなしで逃げてきた。布団の中をごろごろとしているそのうちに意識が無くなりボクは夢の世界へ入っていったらしい。
〜
「君はそれでいいのかな?ねえ祐介」
『母さん、母さん!会いたかった。母さん』
祐介はそこで目が覚めてしまった。
「母さんはやっぱりボクの中にまだいるのか」と呟き、母に会いたくてもう一度眠ろうとしたが、電話の着信音がそれを妨げた。
「俺だ祐介、聞こえるか」
「ああ木村くんかい?」
「なんだ寝ぼけた様な声だな。聞いてくれ祐介。俺会社辞めてきた。だからそっちの仕事を手伝わせてくれ。社長や緑村さんにも伝えておいてくれ。じゃあな」
「ちょ、ちょっと待ってよ。仕事を辞めたの?収入はどうするのさ。再就職も今の時代は難しいんだよ。どうして」
「ああ、心配ありがとう。でも幸いなことに蓄えは少しばかりあるんだ。職が見つかるまでゆかりのヒモになってもいいさ。今はな、職なんかより大事なことがあるんだ。俺は俺の道をゆく。誰にも邪魔させない」
祐介は自分が持てなかった覚悟を、社外の木村が持っていたことに嫉妬をおぼえた。前にもこんな事があった。自分が決断出来ずに躊躇して歩みを止めていたときに、木村は我関せずの独断で物事を解決していった。
自分には無いものを彼は持っている。
自分に出来ないことを彼は出来る。
ゆかりが彼に惹かれた理由もわかる気がしていた。
「木村くん、分かった。明日、会社に行ったら社長と緑村さんに君の覚悟を伝える。そして、ボクの覚悟も」
祐介は電話を切ったあと糸が切れた人形のように眠った。そして母と再会した。
『祐介、君は私が死んだあとつらい思いをして生きてきたのね。その喉の傷も君が人との関わりを避ける理由のひとつだった。でも、もうそれは終わりに出来るんじゃない?』
『そうかな。でもまだ自信が無いんだよ』
『君なら出来るはず』
『母さん、会いたかったよ。僕があの後目覚めたら母さんは居なくなるって聞いてたんだ』
『君はまだ寝ているわ。だからこうしてまだ会えているの』
『じゃあ、この夢から覚めたらお別れなんだね』
『祐介、それは違うわ。目覚めるってこの夢の事でもなければ、先日の出来事でも無いのよ』
『え?どういう事』
『もうすぐ分かるわ。君が覚悟をし、性格の負の部分から決別したときに君は目覚めるのよ。そうすれば私は本当に消えてなくなる。その時はもう会えなくなる』
~
翌朝〜
「お兄ちゃん、おはよう。昨日夜遅くに誰かとお話ししてた?」
「うん?ああ、木村くんから電話が掛かってきたってから少し話したけど」
「ううん、電話じゃなくてビデオ通話かなにかで女の人の声が聞こえたからさ。お兄ちゃんもやるじゃんって思ったの」
ボクは妹の言葉に頭が混乱した。女性と話をしていた?あれは夢の中だけの母親だったはずだ。あれは夢ではないのか。現実に起こった出来事で、声までも他者に聞こえるほどの会話だったのか。
「ごめんな。煩かったなら謝るよ。会社の人とビデオしてたんだ」と咄嗟に嘘をついてしまった。
ボクは妹に隠し事を沢山してしまっている。父親にもだ。
嘘をついたままボクの存在が消え去るかもしれない行為をボクたちはやろうとしている。
これも覚悟のひとつだと諦めるのか、すべてを話して自分だけが楽になるのか。
それを迷っていた。
「綾香、ボクを産んでくれた母さんのこと聞きたいか?」
「え?・・、それはお兄ちゃんに任せるよ。聞くのは今ある複雑な気持ちを余計に複雑にするかもしんない。でも私の父親は隆司で、母親は美知留、私の一人っきりのお兄ちゃんは祐介、君なんだよ」
~
2262年12月
ある施設の談話室にて~
「総司、君はなぜそんなに人と相容れないんだ。トラブルばかりを起こしてばかりいる、君の親御さんも泣いているぞ。総司、君はこんな事ばかりしていてはいけないんだ。今から言う事を聞きなさい。君の祖先についてだ」
男は少年に向かって威圧的ではない態度で接していた。
「いいかい総司、君の祖先たちはあの日に、大いなるあの日に宣言をした。覚悟の宣言だった」
「うん、その話は聞き飽きた。そんな昔の話を持ち出して、僕の性格や行いが変わるとでも考えてるの?とんだお笑い種だね」
少年はそれだけを言うと退室していった。
同席していた女性職員は少年の言動と行動に少し腹を立てたようだった。
「主査、あの子には何も言っても無駄です。なぜあの子にそこまで関わろうとなさるのですか」
「山村さん、あの子は変われるんです。何かがあれば突然にね。あの子を見ていると昔の自分を見ているような気になるんですよ。理由はそれだけです」
初老の男性は窓の方に歩み寄り、眼下に広がる美しい海をみつめていた。
しばらく彼の後姿を眺めていた女性職員が言う。
「主査、たまには外に出られて海べりを散歩などされてはいかがですか。建物の中ばかりでは息が詰まるでしょう」
「ああ、山村さん、何故かは解かりませんが、海がどうしても苦手なんですよ。海に近づくと胸が苦しくなるんです」
~
この時代は世界的に自然と人造物の共生が義務とされていた。今以上の自然の破壊は禁忌とされ、資源の回転が効率よく行われているために、人造域への侵襲、またその逆の侵襲も全くなされない世の中となっていた。
2062年に人類初のタイムトラベルを成し遂げた一般企業の偉業も語り継がれる事もなく、自然破壊を招く一要因としてタイムトラベルは禁止されていた。そこに住む人々はそんな事に興味を持つ必要もないほどに幸せに満ち溢れていたし、人類の脅威にも晒されることのない生活を堪能していたのである。




