63.眷属
カトリーヌは葉月のいる社に出向いていたが、鳥居をくぐる事ができない彼女は、結界の外で葉月を見つめていた。
いつもの様に竹箒を使って清掃をしていた葉月は外にいる黒衣の老女を見つけて歩み寄った。
「カトリーヌ、おはようございます。どうしたの?お入りなさい」
「わたし達はこの中には入れない」
いつもの台詞を老女は言ったが、葉月はそれに構うことなく手招きをした。
「今日は大丈夫。白狐様にお話しは通してあります」
それを聞いたカトリーヌはいつもの様に表情を変えずに頷いた。
「ねえカトリーヌ。娘は上手くやってるのかしら?」
「リトルミヅキの役目は半分成されたに等しい」
「そうなの?じゃまだまだ足りないわね。あなた達を本来の姿に戻すまでがあの娘の役目でしょ?」
「・・・・・」
カトリーヌは黙っていたが、葉月はそれには構わず続けた。
「そうそう、こちらへどうぞ。そうこの前に立ってて。始めるわよ」
酒を盃に捧げ、供物を様式に則って配置し、葉月は祈りを唱え始めた。
すると本殿と葉月のちょうど真ん中あたりの空間、地上から1メートル辺りに光る玉が現れた。
「白狐様、遠いところお呼び立てしましたことお許しください。今日はここにいる珠の意思の頼みを聞いてやって欲しいのです」
稲荷山から走ってきた、透明にも見える大きな女の狐は毛が逆立ち、いかにも不機嫌そうな顔をしていた。
後ろにはお連れの小さな狐たちが数体座っていたが、それらも顔は険しく、一様に怒りのエネルギーをこちらに向けている。
「どうか皆さま気をお鎮めください。先ずはこちらにある供物を」
葉月がそう言うと大きな白い狐が盃に口をつけた。その後待っていたとばかりに小さな狐たちも後に続いた。
カトリーヌはその一連を見ていたが、動かずに葉月の言うことに任せることにした。
白狐は急に呼ばれたことに腹を立てていたが、酒を口にして少し落ち着いたようにも見えた。
葉月は繰り返して礼を言った。
「白狐様、皆さま、遠く稲荷山からおいでました事ありがとうに存じます。さて、ここにいる珠の意思が是非にもとネガイを持ってまいりました。その供物は彼女の以前の事の謝罪と、今回お頼みする事の低頭を表したものです。どうぞ皆様お召し上がりください」
白狐はまだ不機嫌そうだったが、周りの小狐たちは酒に酔って羽目を外していた。
彼女はその大きな尻尾で後ろに控える連れの狐たちを制しながら葉月の言葉を聞くことにした。
「白狐様、この者が不注により悪意のものが世に放たれました。幾千年前にそのものを封じた貴方様にもう一度それをお願いせねばならない事お詫びいたします。この者達は自らの力では物事を起こせないのです。どうかお願いいたします」
命婦専女神は毛を逆立て黒衣の老女を睨みつけた。
しかし、光る図形と文字を彼女たちに見せた。
「ありがとうございます白狐様。我が娘緑村美月がその役目を果たします。その節はどうかお力添えをお願い申し上げます。そしてこの者にも頭を下げさせます」
葉月はカトリーヌの方を向いて目でそれを促した。
黒衣の老女は石畳に膝を突き、前に手を合わせて白い狐の方に向かって願い出てこう言った。
「協力をお願いします」
白狐はそれを見て少し笑ったように見えたが、その後稲荷山とは違う方向に飛び去った。
連れの狐たちも慌てて後を追っていった。
その瞬間、社に普段の音が帰ってきた。
葉月はカトリーヌを見てこう言った。
「あなたにも出来たじゃないの。そうよ、荒ぶる神様にはその姿勢が大事なの」
カトリーヌはそれを聞いて「ありがとう」とだけ言い黒い霧となって消えた。
〜
公臣の私邸(次元転移装置のある部屋)
「そんな事が貴方に出来る筈はない。貴方には私が必要。私にもあなたが必要なの」
「あの中学一年生の出来事から僕は狂ってしまった。君のようなまやかしの者に取り憑かれてしまったのは僕の精神が未熟だったせいだ。だから今からその失敗を取り戻す事にするよ」と言って月の絵札を二枚取り出した。
「やめなさい、やめるのよ。それは」
公臣は問答無用で老女の両耳に、絵札の表を合わせて押さえた。
「ぎゃああああぁ!!。やめろ、やめるんだ!」
老婆は男のような声で叫び散らした。その声に驚いて外にいた四人が部屋に戻ってきたが、その時は既に老婆は小さくなっていた。
小さくなった白服の老婆は「やめろ、やめるんだ。許さない。これ以上の屈辱はないぞ!お前たちを絶対に許さん!」と言いながら藻掻いている。
公臣は小人のように小さくなったマーガレットを憐れに思ったのか、近づいて何かを言おうとした。
しかしその刹那、老婆は右手から触手を伸ばして公臣の左手を絡め取った。
四人がわっと声を出したのと同時に、公臣の身体は小さくなった老婆に吸い込まれてしまった。
「ふふふふふ、だから言ったろう。我を封印など出来はせぬ。浅ましい人間どもよ月の鉄槌を喰らうがいい」
マーガレットの身体が変化し白い猿となった。
公聡が叫んだ「この野郎!弟を返せ!てめえ小さくなったのは油断させるためか!」
猿はそんな叫びなど聞く耳を持たない。
「我は白き珠の意思。滅びの意思なり。全てを白く塗りつぶし無に帰する事が定めなり」
猿の両腕には月の絵札が握られており今まさにその絵札の表同士を合わせようとしていた。
その時、祐介の中にいたさゆりが美月の方を向いて叫んだ。
「美月!早く。あの方を呼びなさい!近くまで来ておられるはずです!」
はっと我に返った美月は手を合わせ命婦専女神さまに意識を合わせた。
瞬間、一体の大きな狐が凄まじい速度で天井から降ってきて猿を踏みつぶした。
『ギガっシャーン!』音とも声とも取れぬものを発して猿は狐に上に乗られ両手足をバタバタさせている。
身体は白狐に抑えつけられているが、両手両足は激しくまだ動いている。
その動き回る触手のような手脚をお付きの狐が大勢で抑えつけた。
もう猿は身動きが取れないが、口だけはまだ動くので、悪態をつき周りの者を罵り続けた。
公聡、そしてアマンダは何が起こったのか全く理解出来ていなかった。
突然猿が床に倒れて身動きをしなくなったとしか見えていないからだ。
「どうしたんだ!美月くん、この状態は何事だ。あの方を呼んだって事なのか?あの方って誰のことだ」
「社長!それは後で説明します!まだ終わっていません。油断してはだめです!」
さゆりは尚も叫んだ「アマンダ!背中に背負ってるケースに入ってる物を出しなさい!直ぐに吹くのです!」
事に呆気にとられていたアマンダはまだ自分を取り戻していなかった。虚ろな目で白猿を見ているだけだ。
美月が叫んだ「ゆかりさん!アマンダを引っ叩きなさい!早く!」
「美月ちゃん、わかった!」
ぱしん!
ゆかりがアマンダをごめんと言いながら平手打ちにした。
「アマンダ!しっかりしなさい。あの笛を吹きなさい!親分の命令です!」
アマンダはケースの中から急いでイギイギを取り出し口に当て頬を膨らました。
〜♫
「ぎいゃぁあぁぁあああ!!」
月の視線を隠す音に遮られ猿は叫び声をあげ続けている。
「やめろう、やめろ。やめてくれ・・・」
その時ひっそりと部屋の隅に黒い霧が立ち昇り老婆が現れたが、皆の目には触れることはなかった。
さゆりは猿に言う。「貴女はこの珠の意思の中において必要な意志なのです。でも貴女の独善で事を成し遂げることは全ての意思に反するのですよ。ねえ?カトリーヌ、フランソワーズ」
「そう、妹よ。もう家にお帰りなさい。そんな醜悪な格好をしていてはだめです。わたし達は全ての珠の意思に繋がっているのよ」
猿の格好から白服の弱った老婆に戻っていたマーガレットは「お姉さま、申し訳ありません。私はお姉さま達より出来ることを証明したかったのです。それが幾千年も続いた。だから・・・」と弱弱しく言う。
「そう、そうね。わたし達も間違っていたわ。貴女のことを、あって無き者にしてきた。それはわたし達の失敗。だから、貴女に謝ります。どうか赦して。これは最近のことだけど学んだの。頭を少しでも下げて詫びたり許しを乞うって大切なことなのよ。ねえ?マーガレット。貴女にも分かると思うの」
その時白い狐が少し笑ったようにも見えた。
「でも姉さまたち。私はあなた方に赦しは乞わない。封印される道を選ぶことにする。封印された無限の時間の中で、そう、その中で姉さまたちの言葉を反芻する事にするわ。さあ、早くしなさい」
公聡は叫んだ「おい、マーガレット!その前に公臣を返せ!」
マーガレットの袖口が猿の口になって、ぬらぬるっと粘液に纏わりつかれた君臣が口から吐きだれた。
公聡は慌てて駆け寄り、「ゆかりくん手伝ってくれ、弟を助けてくれ」と頼んだ。
そしてまだ残っていた猿の触手から月の絵札を剥ぎ取った。
「カトリーヌ、これを使えばこれは封印されるんだな」
「そう、それが妹が望んだこと。貴方がおやりなさい。今なら弱ったマーゴにはそれが有効でしょう」
公聡は月の絵札の表同士を彼女の頬に合わせて挟んだ。
絵札に吸い込まれるように白い服が消えて無くなった。
「これで良かったのか?カトリーヌ」
しかしカトリーヌはそれに答えることをしなかった。
しばらくの時を置いてカトリーヌが白狐の前に歩み寄って静かにこうべを垂れた。
それまで逆立つ毛をゆらゆらとさせていた命婦専女神は凛々しい姿に戻り、自らも二人の双子に対して首を傾けてお辞儀をした。
美月はその様子を見てほっと胸を撫で下ろしたのだった。
公聡が小声で美月に「何が起こっているんだ?もうそろそろ説明してくれても良かろう?」と訊いたが、美月は少し待ってくれと言い、裏の面が表同士に合わされた絵札を彼から受け取り、命婦専女神の前に進み出た。
「白狐様、命婦専女神様、本日は遠い所へのお出まし誠にありがとうございます。近く稲荷山へお礼に伺う事をお約束いたしますので、本日はこれにてお納め下さいますようお願い申し上げます」
そう言って絵札を白狐の前に差し出した。
命婦専女神は彼女に光る図形と文字を再び見せ、絵札を咥えると瞬間に上空へ舞い上がった。お付きの小さな狐たちもそれに従い玉の光となって宙へ消えていった。
美月は祐介の中のさゆりに「ありがとうございました。貴女がいなければここまでは出来なかったと思います。中村さんのお母さん」と言って祐介の手を握った。
「美月さん、珠の意思を通じて貴女のお母さんが白狐と話をつけた事を見ていました。お礼を言うのは私の方ですよ」
「母が・・・そうなんですね。やはりそうでしたか。私に命婦専女神様を呼べるような資質は無いですから」と笑った。
「貴女が今着けているそのペンダント、なんだか分かる?」
「これは母親から貰った御守りです」
さゆりはくすっと笑い「カトリーヌ、これ言っても良いのかしら」と老女に振り向いて訊いた。
相変わらず老女の表情は変わらないままだったが、少し頷いたようにも見えた。
「貴女にはねいつも白狐が"ついて"いるの。カトリーヌ達は貴女に近づこうとするのを狐さんたちに邪魔され続けてきた。それを着けたら狐たちに邪魔される事なく貴女に会える。それはそう言う品物なの。だから、それはもう必要無いからカトリーヌにお返しなさい。それと貴女が絶対に白い服を着ない事は無意識の白狐への崇高なのよ。でも近い将来、貴女は白い服を纏わねばならなくなる。これだけは覚えておいて祐介の初恋の人」
美月は最後のそれを聞いて顔を真っ赤にしてしまった。
そして赤い頬の状態を周りに悟られぬように振舞った。
「で、でも中村さんはもう25歳です。私に会ったのはついこの前ですよ」
さゆりは美月に微笑んでこう言った。
「この子は幼い頃に私を亡くしたせいで、元より持っていた性格を心の奥底に隠すようになってしまいました」
美月はさゆりのことばに自分の事を言われている気がしていた。
「私はこの子の中にいながら息子の成長を見守っていました。でも、でもね」とさゆりはそこまで言ってくすくすと笑いだした。
「あの子ね。ビデオに映ったあなたを初めて見て好きになっちゃったみたいよ。うふふふふ」




