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スフィア  作者: ハーブスケプター


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62.再描画

〜ボリスデイリー社


出社した木村に何時ものように怒号が浴びせられた。


「おい、木村!お前に頼んでいた資料の事だが、あれはどうなった?」


木村は森の事は嫌いではないが、こと仕事の事になると、掛けてくる圧力が他の者に対してのそれと違うのが不満に感じていた。


「森さん、怒鳴りすぎですよ。血管が切れて倒れたらどうするんですか」

「ばかやろう。それは全部お前のせいだ。俺が死んだらかみさんに言ってあるから、お前に請求が行くだろうよ」

「またまた、やめてくださいよ。そんな冗談でしょ」

「俺は冗談は言わねえ・・・」


木村はもう一度怒鳴られるのを覚悟して言ってみた。


「資料って、あの部屋の資料整理ですよね。あれ・・・実はまだ終わってません」

「なに?資料整理だと?お前、頭に何か湧いてるのか?俺が資料って言ったのは、岸本防衛大臣の過去の発言録だ」

「は?何ですか?それ。そんなこと・・・・」


木村はそこまで言いかけてまた止めた。

前にもこんな事があった。前にも言いかけて止めた。

木村の頭にいろんな事が駆け巡り、すみませんとだけ森に言って資料室に駆け出した。


資料室に入った木村は、その部屋が前に見た配置でなくなっている事に気付いた。


「なんだこれは?もしかしてもう一度過去が加工されたってのか」


彼は急ぎ大火後の出来事について資料を漁りまくった。


大陸で大規模な軍事クーデターが勃発し、同時多発的に同士討ちとも言える攻撃がみられ、壊滅的状況となるも、海洋に出ていたとされる空母三隻、潜水艦12隻は無傷のまま現存し、命令を遂行した。


各国に被害をもたらした物は主に、潜水艦のSLBMにより、米国ワシントンD.C.、ニューヨーク、ロシアモスクワ、サンクトペテルブルク、オーストラリアシドニー、イエプーン、日本東京、大阪などが核ミサイルにより被災した。


残存のミサイルを全て撃ち尽くした空母及は米英豪の連合軍に撃沈され、潜む潜水艦も日米の潜水艦により発見追跡ののち轟沈された。


12隻の潜水艦轟沈により海に汚染が広がってしまった。

との記述があった。


覚えていた歴史とは違うが、各国が少なからずも核により攻撃された事、そして海が汚染されてしまった事は事実として残ってしまったようだ。


「おい、また身の回りが変わってるかも知れねえ」


 彼は急いで森から言われた防衛大臣の発言録を資料から引っ張り出して部署に戻った。

部屋に戻りよく見ると、記者や事務員が以前の面子に戻っていた。話が合わない人間数名が消えて無くなった。

木村はやはりかと思いながら森の前に立った。


「森さん資料です。遅くなりました。ああ、それと森さん覚えてますか?ほら俺の社主特別賞」

「ん?ああ、あれな。タイガの一件と同時にやらせたあれだろ?」


「そう!あれです。あれは何でした?」

「なんだお前。気色悪いな。東海道中膝栗毛だろ?てか、何でお前が俺に訊くんだ?お前、やっぱり頭に・・・」と、森が言いかけた途端に、木村が部屋から出ていった。


「なんだ、あいつ?」


森はデスクに残され呆然と木村の背中を見ていた。


 その後木村は、タイガベルモンターニュに走り、移動中の車内からアポイントの予約をした。


前に美月からアポイントシステムの優先コードを聞いていたので、ちゃっかりとそれを入力し、現地に到着した時には顔認証だけで共有棟の談話室に自動案内された。


面会者はもちろん緑村美月を指定していた。

だが、そこに現れたのは祐介一人だった。


「ごめんごめん、木村くん。緑村さんは外出してるんだ。代わりに下の席のボクが来ることになった。下の席と言ってもはるか下だけどね」と笑っている。


〜2066年4月


 黒衣の老女が葉月と向かい合っていた。


「前にあれを封印した時にも稲荷神に頼んだ。あの神たちは土地の神を束ね、水の神と同等の力を持って拮抗している。彼女たちは、前に私たちに協力させられた事を根に持っている。だから私たちのする事全てが気に入らない。自分たちのお気に入りの人形に私たちが近づくのを許さない」


葉月はそれを聞いて笑った。


「カトリーヌ、あなた達は地球の意思なのでしょう?何故そんな大きなものが、この土地にだけ住まう神さまに抗えないの」


「この珠において、この日本という国は特別なのです。珠の命の噴出地点であり、空からの息吹を集める場所でもあるのです。だからここには人間が住まうようになった時から神話と呼ばれる物語の始まりとなり、実際に神々が住む土地となった。土地の神である蛇が狐になり、水の神である蛇が龍となり、この日本という島を守ってきた。私たちはそれを愉快に思い放置してきた。彼達彼女達は私たちの存在を知っているが、私たちの言うことは聞かない。頼みを聞いてくれたのは後にも先にもあの一度だけ」


葉月は更に笑いながら老女に言った。


「その一度だけの頼みを聞いてくれた時の事を思い出してみなさい。多分、それが貴女方に分かればもう一度聞いてくれると思うわよ」


 〜共有棟談話室


 ボクは木村の急ぎのアポイントに対応したが、彼が持ってきた話はボクひとりでは受け止められることの無い問題だとわかっていた。


「祐介、過去がまた元に戻った。でも全部じゃないんだ。前には近いかもしれんが、半分は違っていそうな感覚だ」

「そうか。ボクはここにいる限りは何にも気づかないけどね」

「しょうがねえな。お前と二人じゃ堂々巡りな気がしてきたぞ。緑村さんはいつ帰るんだ?直接電話すりゃ良かったよ」


「彼女は今日は戻らない。多分」

「しまった。しくじった。俺の午前中を返せ!」


そんなこと言われても困ると思ったが、彼の言う通り堂々巡りが繰り返されそうだ。

でも木村は彼の会社で見た、残された資料に憶えている過去との違う部分を語りだした。


「それで、あの国は同じ運命を辿ったけど、土地への汚染や海への汚染は、君が考えるに前より少なくなったって事なのかい?」


「そうだ、それに攻撃された都市も前より少なくなった。だから本来死んだはずの人たちが生きてる可能性があるってことだ。その子供たちも産まれてしまっているだろうな。なあ、おい、緑村さんたちはあれを全て破壊するのが目的だったんだろ?そうすりゃ死なない人が生きてて、その子孫も産まれてる。俺はその状態に正直困惑しているんだ。本当にそれが良いことなのかをさ」


木村の顔はいつもの独特の笑顔が消えている。そしてボクは彼の言葉を待った。


「俺はなそれをな、それを緑村さんに訊いてみたいんだ。死んだはずの人たちが大勢生きてることで、俺達の現在に良からぬ事が起きるんじゃないかってな」


ボクはそれを聞いて言葉を失った。ボクに判断など出来ない。

恐らく、緑村さんにも太賀社長にも。

でも何かの力によってボクたちは集められてしまった。


夢で見たボクの母親の死に際に、カトリーヌが現れたこと、あろう事か母親が本来の主人公であった事、そしてボクに何らかの力が移されたかも知れない事。


様々に混濁し、真っ白な部屋の中で動けなくなった。



プラント第二研究室


「親分、親分、ゆかり親分」

「なあに?アマンダ。どうした?」

「仕事とはちがう話、聞いて」


 アマンダは翻訳チップを使わずに、直接日本語でコミュニケーションを取る努力をしていた。実際の話、日本語の先生は綾香なので、子供じみた言葉使いになっているのは仕方ない。親分という単語もおそらく妹がふざけて教えたのだろう。研究室という閉鎖された空間ではあるが、砕けた日本語の使用について兄としては責任を感じている。


「あのね。石が全部変わった。美月何処にいるのか」

「ええ?そうなんだ。それは美月ちゃんに言わなきゃね。あたしも言わなきゃならないことがあるんだ。あるはずの物が無くなったのよ。あたしのはそんなに大変なことじゃないと思うけど、とにかく合わせて連絡よ」


 そんな砕けた話し方のふたりは美月に内線で連絡をすることにし、小畑主任に緑村氏と確認事項があると申告して研究室を離れた。


 〜地下実験室


 ボクはここで次のジャンプに備えての機材や備品の確認をしていた。

ここは太賀社長の寝泊まりをする場所としても使われているので、前までのジャンプで使われていたレーシングシートのような物が目下の社長の寝床らしい。

今日は社長も緑村さんも常務の弟さんの家に行ったきりだ。


 社長が単身弟さんを救出しに行った後、弟さんは改心したらしく、今は仲良く次のジャンプへの計画を練っていると聞いている。

ただ、ボクには弟や兄は居ないので、男同士の兄弟関係と言うものがいまいち理解できていない。仲違いをしていた兄、弟が、ひとつの出来事だけで関係が修復されるものなのだろうか。


 救出作戦の副産物とも言える過去から来てしまった人も、常務の家に居候しているらしい。


その劉さんというプログラマが、過去の大火の詳細を変えてしまったらしい。木村が言っていた過去の記事は、この人の行動によって書き換えられた。


ボクにはまだ分からない。


これで結果が出たとして、今後のジャンプは行われなくなるのか、全く攻撃をさせないまでジャンプは繰り返されるのか。

現状では土地が汚染され、海も汚されている。これをどうするのか。


ボクは土地をそして海を生き返らせたい。

ボクの感情はそれを望んでいるが、それを完遂させるとすれば、彼の国の攻撃を全て防がねばならない。防ぐだけでなく再使用もさせてはならない。

社長や緑村さんはどのようにしてそれを成し遂げると考えているのだろう。


 数時間後〜


「中村くん、ここに居たのかね。しばらくここを空けていた事謝っておく。弟の家で劉さんともう少し話し合いをしたかったんだがね。二人共、弟に追い出されちまったんだ。なあ美月くん」

「はい、社長。でも彼のことは弟さんに任せておいて大丈夫だと思います」


ボクは先程までのもやもやしていたことは後回しにして、木村の訪問について二人に報告した。


「あの新聞記者くんがそう言ってたのか。ふむ、なかなか頭のいい男だな」


緑村さんはそれに付け足す形でこう言った。


「木村さんは記者だけあって、推測の力や、物事の絡み合いの紐解きには秀でておられると感じています」

「まあ、彼には余り拙速になって動き過ぎぬように釘を差しておいてくれ、中村くん。俺の恩師、と言っても先生じゃないんだが、その人がよく言っていた。『眼の前の事象だけに囚われて行動を起こしては駄目だ。そうやって脊髄反射で動いてしまったものは大体失敗する。そしてそのリカバリーに予想以上の時間が必用となる』とな。さしずめ俺の、奴らの攻撃を止めに行ったジャンプはまさしくそれだ。あれは失敗だった。だから今リカバリーに奔走しなければならなくなった」


なぜかボクは社長の言葉の中に既視感を感じていた。同じような事を昔に言われた記憶がある。


 2050年12月22日〜


「祐介、お友達とケンカしたの?理由は何だったのかな」

「あきらくんがね、ボクのクレヨンを折っちゃったんだ。だからあきらくんを叩いた」

「そう。あきらくんはどう言ってた?」


「ぼくは折ってないって言ってたよ」

「それじゃあ、祐介があきらくんが折ったとこを見たのかな?」


「ううん、見てない。でもさっちゃんもごうちゃんも言ってたよ。あきらくんだって」

「あきらくんは君に叩かれたあとどうしてた?」

「泣いてた」


「じゃあさ、もしも、もしもだよ。本当は、他の誰かが君のクレヨンを折っちゃったのに、あきらくんのせいになっちゃったら、あきらくんと仲直りは出来ないかもしれないよ。誰かから言われたひとつの事で君はそれを決めちゃった。でもそれが間違ってたら、君はあきらくんと仲直りするのに、来年の春も次の春も出来ないかもしれないよ。だからね、自分の目で見たこと。うん、それを信じなさい。そして友達を信じなさい。ね。祐介、君ならわかるでしょう?祐介・・・・・」



『母さん』


「どうした中村くん?」

「いえ、すみません。社長の言葉に昔を思い出したもので、すみません」


緑村さんが、心が何処かに飛んでしまったボクを見て言った。


「中村さん、先程のお話の他に何かを私達に言おうとしていたのではないんですか?」


ボクはこの(ひと)の千里眼に降伏してしまった。


「実は。今から言う話は夢の中だけの話なので、実際の話とは違うと思って聞いてくれますか?」とボクは言い、夢で見た母親とカトリーヌの会話と行動を、記憶に植え付けられた一部始終を語った。


「中村くん、差し支えなければ君のお母さんの名前を教えてくれないか」

「今の母は美知留と言いますが、ボクを産んでくれた母親は『さゆり』と言います」


それを聞いて公聡は先日カトリーヌが残した言葉に確信を持った。


「旧姓はもしかして立石と言うのかな?」

「そうです。でも何故それを?」


公聡は眼を閉じ、あの時のことを思い出していた。



「公聡くん、公臣くん、今までありがとう。実は私、あの図書館を辞めることになったの。君たちとはしばらくのお別れだけど、またきっと会えるわ。その時はあなた達はもっと大人になっている。自分の持つ力を適切に使える大人にね」


公臣は少し不貞腐れていた。

公聡はさゆりをじっと見つめていた。


「立石さん、僕達の作る機械が出来た時、見に来てくれますか」

「ええ、もちろん。必ず行くわ。約束する。これはあなた達二人との()()。死んでもそれを違えることはない」



 公聡は眼を開いて祐介に向き合った。


「中村祐介くん、俺たち兄弟は君のお母さんに人間にしてもらったようなもんだ。俺たちはそれまで勉強が出来るだけのいけ好かない子供だったんだが、高校に上がって図書館であの人に出会った事で、勉強以外の勉強をするきっかけとなった。人としてのな。だから大恩があると言ってもいいくらいなんだ」


ボクはそれを黙って聞いていた。僕の知らない母親の実像を双子の兄が語っている。

一句残さず聞こうとした。


「子供特有のやんちゃをやり過ぎたことも何回かあった。あの人はそれを時に怒り、また諭してくれた。そんな繰り返しをするうちに、俺達は人としての心を形成していったんだ。お母さんは君がいくつの時に亡くなったんだ?」


「6歳になる直前でした。火事でボクを助けるために」


公聡はそれを聞いて涙を浮かべた。


「それが先程君が言ってた夢の中の出来事なんだな。中村くん」

「はい、母はボクを助けてとカトリーヌに懇願していました。でもボクは助からないとカトリーヌは言ったように思います。そして護り石と一枚の絵札を母から受け取ったカトリーヌは『命と力をこの子に』と言ってボクの喉に絵札を挿し入れ、そして・・・その後母はカトリーヌに礼を言って倒れました。社長、これは一体何なのでしょうか。ボクだけが助かるために母は死んだ。すみません、何度も同じこと繰り返して、でもボクは母が犠牲になる事によって生かされた。ボクはとんでもない十字架を背負ってたって事なんです。それと母の持っていた力っていうものも、父から聞いたので何となく想像ができますが、ボクにはそんな力なんてありません」



「以前、あなた達に見せた私の力だけど、あの力は私の中から出ていったの。いえ、まだ()()()にはあるけど、私のものじゃなくなったと言った方が正しいかな。カトリーヌは私達三人が地球を救うと言ったけど、多分今のままでは無理になったの。だから時を待たなきゃならない」


「立石さん、貴女もカトリーヌに口調が似てきたね」と公臣が嫌味を言った。

「うん、そうかも知れない」とさゆりは優しく笑った。


公聡が口を挟んだ。


「でもさ、俺達が機械を組み立てるのはまだまだ先じゃねえか。まだ時間はたっぷりあるさ。立石さんにも力の変化が起こるかも」


「そうね。そうなればいいわね」



「中村くん、その火事で本当は君は死んでいた。さゆりさんの力を半分だけ受け継いだ君が。だがカトリーヌが、彼女の残りの命と”力”の半分を君に移した。だから君にはお腹の中に居たときに分け与えられた半分、その時移された半分、今はさゆりさんの力と同等のものを持っていると言うことになるな。でもそんな力は君は“無い”と言う。その目録が完成したときに発現するのかも知れんな。それと護り石の本当の持ち主はさゆりさんだったのか。それが書き換えられて今はアマンダくんの元にある。ただ、護り石の時刻はまだ一周していない」


その時だった。

美月のバンドがコールを知らせてきた。


「ええ、わかりました。ではセキュリティを開けておきますので、こちらへお二人でいらしてください」

「美月くん、誰からの電話だ?」


「中野さんからです。アマンダが話したいことがあると言ってますのでこちらへ向かわせています」



そして二人は騒々しくやって来た。


「美月ちゃーん、やっほー。来たよー!うわ社長だ!ご、ごめんなさい」

「わはは、構わん構わん。もう君もここのメンバーの様なものだ。遠慮するな」


「アマンダが美月ちゃんに話があるって言うので連れてきました。って言うか連れてこられたのはあたしだったりして。うふふ」

「中野さん、ご苦労さまでした。でもあなたも何かあると言ってましたよね」


「ゆかりと呼んで。うん、あるんだけど、それは後回しでいいよ。まずアマンダの話しを聞いてあげて」


 アマンダは護り石を取り出して皆に見せた。


大きな蒼石の周りに12個の色の違った石が規則正しく並べられているものだった。リストが消化されていく過程で、先日までは11個の石が白に色が変わっていた筈だったが、彼女の持ってきた銀の装飾の上の石は中心の石を除いて全てが白く輝いていた。


「おお、公臣の奴がこちらに帰ってきたから雨の文字列が消されたと言うことか。アマンダくん、色が変わってから何か普段と違うことは無かったか」


アマンダは意思疎通のために翻訳チップを動作させ会話をし始めた。


「それが何も起こらないのです。色が変わった事以外は何も」


美月がそれを聞いて反応した。


「私は文字列を繋ぐことで、すべてが揃ったとき何かが起こると仮定していました。でも何も起こらないとなれば、まだ何かが足りないとしか考えられません。何かのトリガーが足らないのでしょうか。分かりました。引き続きアマンダさんは石の様子を見守っていてください。そして、中野さん、貴女の報告とは何でしょうか」


「あたしはふたつあるの。ひとつは遺伝子組み換えした海綿さんのその後について、もうひとつは私が貰った鍵のことについて」とゆかりは言い、先日木村と出掛けた静岡の元漁港町での出来事をすべて話した。


「貴女のお父さんにそんな事があったのですか。そうですか、海の事故で亡くなったお父さんの最後の任務で搭乗した潜水艇の起動キーを船長から譲り受けたが、肌見放さず持っていたはずのそれが突然無くなったと言う事ですか」


「そうなの。落としたはずはないの。ほらこれ見て」


ゆかりはそのガラス板をチェーンでその鍵と一緒に繋いでいたと言う。


「無くなるならこれも一緒に無くなると思うの。これはお父さんが最後の任務で海の底で取ってきたサンプル、お父さんの生きていた証、そしてあの鍵もそうだった」


美月は「考えられる可能性はいくつかありますが、環境庁の海洋調査で、その深海艇が使われなかった過去になってしまったと言うのがしっくりくると思いますが、こればかりは今の段階で判断できません。お父様の形見がここにある以上、お父様が海洋調査で亡くなったのは変わらない過去、そこだけは断言してもいいかと思います。冷たいことを言ってごめんなさい。ただ、何らかの変化はあった様なので、新聞記事などを検索してみたらどうでしょうか」と言った。


「分かりました。過去記事については太郎ちゃんに相談してみます。この件がチームの邪魔にならなくて良かったです」


 アマンダはゆかりの父の不幸を聞いたことで、自分の祖父母の事と重ね合わせていた。大火が原因となって死ななくてよかった人が大勢死んだ。そのひとつの結果が彼女の気持ちの中心を激しく揺らしていた。


『もうこれ以上不幸な人を作ってはいけない。私達は地球を救い、不幸な人を無くす』


アマンダがその気持ちを心の真ん中に置いたとき、テーブルの上に置かれていた“護り石”が光り輝いた。


周りの12個の石が元の鮮やかな色と白を交互に反転明滅している。点滅は時計方向に繰り返され時に全点灯と全消灯を重ねていた。


公聡はそれを手に取ろうとした。


「熱ッチ!熱い!何だこれは」


持てぬくらい温度が上昇しているようだ。

美月は急いでセンサーを銀の装飾にあててみた。


「おかしいです。社長、おかしいです。表面温度は18℃を示しています。金属の組成やその他には差異はありません!」


美月も不可解に思って触ろうとしたがやはり触れない。

持ち主のアマンダでさえ触れなかった。


「ほんとに18℃なんですか?」と祐介は恐る恐る指の先で銀の部分の端に触れてみた。


「あれ?触れます。触れます!熱くない。逆に冷たいくらいだ」と言って、彼は銀のペンダントを掌の上に乗せ、よく見てみようとした彼はそれを顔の近くに近づけた。


その瞬間、護り石と彼の顔との間に稲妻が走り、激しい音と共に祐介は床に倒れてしまった。


女性たちの悲鳴と公聡の叫び声が実験室に響き渡った。


その時ゆかりが何かに気付いた。



 祐介はまた夢を見ていた。


前の夢のように過去を俯瞰したものではなく、最近行ったことがある防波堤に一人佇んでいた。

潮騒の音とかもめのうるさい程の鳴き声のする防波堤を先端の方に歩いている。

前に来たときはたしか春だった。今は暑くもなく寒くもないが、どんよりと空を雲が覆っていて冬の景色を感じさせていた。


右岸に釣り人が居て糸を垂らしている。


『何が釣れるんですか』と口から言葉が出てしまった。


釣り人は『ああ、今日はクリスマスイブだから釣って帰らなきゃならん』とだけ言う。


『でも、釣っても汚染されていて食べられない』とまた意思に反して言葉が出る。


『ああそうだった。今日はクリスマスイブだ』と釣り人は道具を片付けている。


防波堤の終端に人がいたので近づくことにした。


後ろ姿の女性は海を見ている。

ただじっと動かずに揺れ動く波を見ていた。


祐介はその後ろ姿に見覚えがあった。その後ろ姿ばかり追いかけていた小さい頃の記憶だった。


『母さん、母さんなの?』

『祐介、今日はクリスマスイブよ。飾り付をしてお父さんの帰りを一緒に待ちましょう』


『母さん、母さんはそのクリスマスイブに死んじゃうんだよ。ボクは悲しくて仕方ないよ』

『何を言ってるの。人はいつかは死ぬの。私はわたしを生き返らせる事は出来なくなった。力を半分君にあげたから』


『お願い、死なないで。そうだ、ボクの会社にタイムマシンがあるんだ。それを使ってあの日の母さんを救いにいくよ』

『双子の兄弟が作った機械ね。わたしはそれを知っている』


『そうさ、あれを使って助けに行く』

『駄目よ、それをすると綾香は産まれない。アマンダも関わりのない少女になる。魚も海綿も無関係になってしまう。だからそれはいけないことなのよ。君なら判るはずよ』


『でも』


『あの日、私の命は君の中に、私の半分は君の中に入った。だから私がいなくても上手くやれるわ。そう、大丈夫。君なら判るはずよ。それじゃさよならよ』


『母さん、母さん、母さん〜』彼は涙を流して母親に近づこうとしたが、その歩みに合わせて防波堤が遠くに延びてゆく、そしてその速度が歩みより速くなり母親の背中は夕日の向こうに消え入った。



「美月ちゃん、見て、中村くんの喉を!」


美月はそれを聞き彼の喉を注視した。

祐介の昔に縫い合わされた傷口が蒼く光っていた。

その蛍のような揺らぎの光はしばらくの間続いたが、5分ほどして弱くなり次第に見えなくなった。


「美月ちゃん、祐介大丈夫かな」

「ええ、呼吸はあるようです。ただ、どうなったのかが理解できません」


公聡は、床に落ち冷たくなった護り石を拾い上げ、再びテーブルの上に置いた。


「これは」


 護り石の中心にあった蒼い透明の石がその色を失い、まるで水墨画の余白のような色合いとなっている。

その恒星の周りを回っていた色様々な石たちも無色透明に変わった。


「この先はどうなるんだ。石の役目はこれで終わりなのか?」


アマンダがそれを否定した。

「公聡社長、カトリーヌは私にこれを渡したときにこう言いました。『これは貴女の旅の安全を守るもの』だと。そういう理解だとまだ何らかの役割が考えられませんか」


「ふむ、そう言う考察も出来るかな。ただ、日本に来てここまでの紆余曲折が婆さんの言う”旅“なのかも知れんぞ。婆さんたちは難解なことばかり言うからな」


そうしている内に祐介が目を覚まし、こう言った。


「護り石はまだその役目を終えていません。その石は目録が書き換えられました。それは珠の意思による漂白、そして加筆、最後にピリオドが打たれます」


公聡は美月と眼を見合わせ「カトリーヌ」と同時に呟いた。彼ら二人がそれを呟いた数秒後、後ろの柱の間から黒い影がしゅるると出てきた。


「やっと覚醒したのね」


言葉を発したのは黒い煙から実体化しようとしていたカトリーヌだった。


「え?」


二人は後ろを振り返り黒衣の老女を視認した。


公聡は言った。「中村くんの中にいるのはフランソワーズなのか」


老女は言う。


「いいえ。違います。お人形さんの中にいるのは、私達が名で呼ぶただ一人の人間。それが覚醒した。これによって計画は最後の段階へ進むのです」


ふたりは戸惑いを隠せない。

祐介の中で喋っているのはあの人なのか。死んでもなお意志として存在していると言うのか。


祐介は言う。


「公聡君、今日は公臣君は一緒じゃないのね。いつも言ってたでしょう?大事なときは二人揃って居なさいって。私はこの子の目を通してここの部屋のことを知りました。あなた達との約束は守りました」


公聡は「そうだ、立石さん、見に来ると約束してくれた。死んでも違えないと。ありがとう。本当に見に来てくれたんだ」


「うん、立派だったよ。あなた達はとても。誇らしく思います。司書として、そして友人として・・・・でも忘れないで。私はこの子と共にいる事ができる時間はあまり残されていないの。この子が目覚めたらわたしはこの世にいなくなる」


「立石さん、消える前にお願いを聞いてくれますか」


カトリーヌが祐介の眼を見て後ろで頷いた。それに合わせて祐介も頷いた。



「おいおい、やめてくれよ。さっき帰ってくれとお願いしたばかりだろう?人数が増えてるよ。ひいふうみいよう。兄さん以外に四人もいるじゃないか」


「なんなのさ?なになに?一体何?会わせたい人がいるってからドアを開けたのに。緑村くんと、研究室の女の子、それとこの前、兄さんが急に異動した二人じゃないか!」


「まあ、公臣。慌てるな。お前の大切な人に会わせてやる」


「え?どういう事さ?大切な人?」


公聡は混乱している公臣を見ながら、他の三人に退室を願った。

残された人間は中村祐介だったが、公臣は不満を兄にぶつけている。


「彼は兄さんが人事部からミストラルに異動させた人間だよね?これが僕に会わせたい人なの?意味わからないよ」


公聡は自分も退室して二人きりにしてやった。


「なんなのさ。君が一体何者だと言うんだ?」


祐介は言う。


「貴方が17歳のとき、うす汚れた猫を拾ってきました。その猫は病気で多分あと数日で命の炎を保てない猫だった」


「え?なんで?なんで君がそれを知ってる?君はそれを誰から聞いたんだい?」


「貴方は本来の優しい心を隠している」


「それがどうしたって言うんだい。僕には僕の生き方があるんだ。放っておいてくれ」


祐介はしっかりと公臣を両眼で見て続けた。


「ある日あなたは中学の頃の出来事を、話したくなかったはずの出来事を私に語りだした。それは校舎裏での一年生だった頃の記憶」


「なぜ君がそれを知っている!それは僕とマーガレットだけの秘密だ!」


祐介は少し笑い「それは貴方があの時話したから。だから私は知っている。貴方が話したからよ、公臣君」と言って両手を差し出した。


「あの日貴方は校舎裏のことを後悔していると言った。白い服の老女の事も」


公臣は血の気が引いた。

この話を知っているのは自分とマーガレット、そして不用意に話してしまったあの日のあの人だけの筈だ。


公臣は混乱した。

眼の前の若い社員が自分の恥部を知っている。

一体どういうトリックなのだ。


「兄さん!兄さん!僕をからかうのはやめてくれよ!何がしたいんだ!マーゴに心を売った僕に対して仕打ちをしてるのかい!?」


祐介は言う「公臣君、それはちがうわ。私はあなたの知っていた人間。今、時を超えてあなたの前にこの子を姿を借りて存在している。わかる?貴方なら分かるでしょ?あの本は返さなくて良いわよ。あれは貴方にあげるから」


公臣は愕然とした。そしてこの茶番だと思っていた面会ショーが真実の再生であった事を。


「た、立石さん、本当に立石さんなのかい?なんで僕の前から居なくなったのさ?ねえ?なんで?」


「公臣くん、あれから私はある男性と恋に落ちた。そしてカトリーヌの忠告を聞かずに子供を宿した。ううん、それを後悔なんてしていない。私は自分の意思でそれを選んだの。でもそれが図書館を辞めた原因のひとつ。あれからあなた達に連絡しなかったのは、理由は無かった。ひとつだけ理由があるとすれば、それはふたりが分別のある大人になったから。そうね、それ以外に理由は無かった。その辞めたことと私がいなくなった事は違うの。私は事故で20年前に死んだ。それが貴方の前に現れなくなった訳。理由ではないの」


「死んだのか?貴女は。知らなかった。でも貴女は生き物を再生させる能力を持っていたはずだよね。自分の少々の怪我でさえ無いことに出来ていた。自分には出来なかったのかい?」


「カトリーヌの忠告というのが当にそれなの。子供を宿したことで私の力はその子に分けられた。力が半減したのよ」


「まさか、まさかだけど、目の前にいるこの男が貴女が産んだ子供だってのかい?」


「そう、この子が私の子供。生まれながらにして半分の力を手にした子。私が死んだ時に私が持つ残りの半分をこの子に与えた。その時、私の意思もカトリーヌによって、この子の奥底に隠されたのよ。12個の文字を繋いでいくことで、全ての必要な人達が集められる。それをカトリーヌ達は画策した。その時に私の力がこの子に発現するように仕組んだ。そして最後の文字列のピースは貴方。貴方が帰ってくることによって護り石はこの子の閉ざされた力の鍵となったの」


公臣は『帰ってくる』という言葉に少し罪悪感を感じていた。


「立石さん、僕は白い悪魔に心を売ったんだ。まだ心の中にその悪魔は居る。今は兄さんに従順なふりをしていても、そいつはすぐにでも出てきてしまうよ」


「私は珠の意思の力によって、この子の中に隠された。だからこの子の中と珠の意思は常に繋がっていた。過去にマーガレットが封印された時の様子も、私には今あったことのように、映像として見えていたわ。私がその方法を今から貴方に教える。封印には貴方が持っている絵札と緑村美月の力が必要」


 祐介が差し出した両手をいつしか握っていた公臣は、彼の中にいるさゆりを感じていた。

公臣はその後会話を長く続けた。公臣にとって遅くに訪れた初恋の相手との再会だった。


しかし、そんな記憶の遠くを呼び起こす甘酸っぱい時間も長くは続かない。

部屋の隅から白煙と共に老女が現れたからだ。


「あらグッドボーイ、懐かしの女との久し振りの会話かしらね。どう?楽しんでるの?」

「やあマーガレット、いつも君は突然に現れるね。邪魔をしないでもらいたいね。まったく・・・今日は何の用だい」


「わたしは貴方がしたことを責めに来たわけじゃない。失敗したとしてもやり直せばいい。それを促しにきただけ」

「うん、それはもういいんだ。僕は君のことにもう興味を無くしたんだよ」


「それは心外ね。私がいなければ生きてこれなかったくせに。その心の中の暗部を生きる糧にしてきたのはあなたが望んだ事じゃないの?」

「マーガレット、僕はもう決めたんだ。もう必要ない。僕は君を封印する事にした」


「何を馬鹿なことを。私はもう封印などされない。前とは違うのよ。前とは違うほどの力を幾千年も溜めたのだから」


公臣は首を何度も横に振り、マーガレットの前に立った。


「この二枚の絵札は君の力を具現化するものだよね。裏と裏を合わせれば月の引力をこの一点に集められる。絵札に蓄えられた時間移動のエネルギーを反転するんだ。それが時間移動した先から帰ってこれる仕組みに利用出来た。でも、この絵札の本当の使い方は別にあるんだ。君の失敗はこの絵札を僕に託してしまった事だよ。僕はその使い方にもう気が付いてしまった。立石さんがヒントをくれたからね」

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