47.刻
美月は考えいた。護り石は確かにひとつの時を進めていた。
だがそれに思い当たるものはない。それが何か解らずにはあの時間へジャンプは出来ない。
「社長、少し休憩を頂きます」
「ああ、そうしなさい。15分と言わずに一時間でも二時間でもいいから頭を休めてきなさい。今の君にはそれが必要だぞ」
「お言葉に甘えます」と言い美月は共有棟の休憩フロアに上がった。
この時間なら誰もいない。一人だけの時間で頭を休めようと考え、棚からブランケットを借り、薄暗くしてある別部屋のリクライニングソファを倒して横になった。少し寝ても誰にも邪魔はされないだろう。
〜
「美月、美月、起きなさい。学校に遅れるわよ。今日は卒業式でしょう?」
優しく声をかけたのは彼女の母親だった。
16歳の美月は飛び級で都立高校の生徒だ。同クラスには全て飛び級の生徒が集められ、一般のクラスとは隔絶されていた。
その学校を2年間通った美月は卒業を迎えた。彼女は学校が嫌いだ。なぜこんな狭い空間に他人と時間を共有しなければならないのか、出された課題を淡々とこなしてゆくだけと言う退屈な作業にも疑問を感じていた。
美月はひとりが大好きだ。ひとりの時が一番自分というものを感じられるからだ。
学校でも聞かれたことには受け答えはするが、自らは他者とは迎合しないし打ち解けない。
生来持っていた人見知りの性格も相まって、より一層の孤独を楽しむ人間となっていた。
そんな彼女を少しだけ変えた出来事は、牢屋のような高校生活の縛りから逃れたその後の大学生活のひとコマだった。
「やあ、緑村くんおはよう」
男性が声をかけた。
「お、おはようございます。長谷川さん」
「今日はどうするんだい?研究室には来るんだろ?」
「は、はい。行くつもりです」
長谷川は24歳の現役の学生で、美月の所属していた武藤研究室の先輩だ。
一留三浪の長谷川は苦労して入った名門高校を一年で辞め、一般の高校に入り直した経歴があり高校を4年体験、その後三浪して東京帝都大に進学した。
この頃の大学は飛び級制度が一般的になっていたので、同学年にはかなり歳下の学生もおり、歳上の長谷川は"お父さん"と親しみを込め呼ばれ、誰からも愛されていた。
持って生まれた温和な性格もあり、いつも社交的でいつも優しい人だったからだ。
美月はみんなの様に彼のことをいつまでも"お父さん"とは呼べないでいた。
そんなある日のこと、勇気を出してそう呼んでみることにした。
二人きりになるときを待って美月は彼を呼び止め「お父さん」と呼んだ。
美月のはにかみを隠すように無理に笑った顔を見て察した彼はこう言った。
「おいおい、君がそう呼ぶなんて珍しいな。でも君はそんな無理しないでいい。みんながそう呼ぶからって、それが君に似合うわけじゃあない。君は君のままの方が一番だよ。でもこれからそう呼んでも構わないけどどうする?人間さ、無理をするのが一番駄目だしね。普通に考えなくても生きていける方が楽だと思うよ」
美月は顔を真っ赤にして彼に背を向けて逃げ出した。
逃げ出したと言う事はそれを行動で認めてしまったことになる。彼女は自分がした事を後悔した。
逃げ出した事も、お父さんと呼んでしまった事も。その二つの後悔で、彼女の自尊心は自分自身により傷付けられてしまった事を意味する。
やはり安易に人と関わることは止めよう。今まで通りに。彼も言ってた。自分自身のままの方がいいと。
それから彼女は更に人との関わりを限定する様になっていった。
三ヶ月ほど経った蝉の声も聞かれなくなった頃、研究で絡むこと事項以外は、長谷川とも積極的には話さなくなった。
「緑村くん、このカートリッジの替えはあるだろうか」と長谷川。
彼女は「ありますよ。取ってきましょうか?」と備品リストを見ながら答えた。
「あ、ついでの時でいいよ。それよりか、あのとき以来あまり話してくれなくなっただろ?やっぱり俺の言い方がキツかったんだと反省してるんだ。機嫌直してくれないかな」と愛想のいい笑顔でにっこりして美月を見つめている。
「いえ、そんな事はないんです。長谷川さんが悪いのではなく、私の性格が招いてしまったんです」
「そうなの?良かった。俺に対してすっごく機嫌が悪いんじゃないかって」
「ううん、そんな事はないの。安心してください」と言いながらもここから逃げ出したい心境の彼女だったが、彼の笑顔を見ていたら、そんなネガティブな気持ちも忘れてしまいそうになる。何だか居心地がいいと感じていた。
だから、その後長谷川からランチに誘われても、他の男性陣にいつもやってる様に断る事はできなかった。
美月にとって初めての異性との食事だった。
それから、月に一度だけランチに行くようになった二人だったが、その楽しい時間も終わりを迎える。
「もうご卒業なんですね」
「ああ、寂しいかい?ふふふ」
「私も来月で18になります。もう大人ですから寂しくはありません」と強がりを言ってみた美月だったが、寂しいというのが顔に出ている。
「そうだね、緑村くんももう大人だ。大丈夫だね?」
「はい」
「俺はこの学舎を去るけど、ここでしてきた研究の事は誇りであり、やってきたすべての事は俺には良い事ずくめだった。素晴らしい仲間とも会えたし、特に君のような聡明な女性に出逢えた。これは俺の宝物だ。君たちに言葉を贈るよ。これからも素晴らしい出会いをしてくださいって言いたい。人との関わりは宝物なんだよ。君はそれを忘れちゃあいけない。一分違えば出逢えなかったかもしれない。それが今出会えてるんだよ?どんなに素敵な事だろうか。そう思わないかい?」
美月は今まで人との関わりを避け続けてきた自分が恥ずかしくなった。こんな前向きな考え方が出来る人がいるんだ。なぜこんな人と早くに出会えなかったんだろう。
もうお別れなんて嫌だ。
美月の心と頭は衝突して破裂してしまい心の叫びが口に出てしまった。
「長谷川さん、”お父さん“!離れたくないです!どこにも行かないで」
彼女は長谷川の腕にすがりつき泣いていた。
〜
リクライニングソファの上の美月の頬には涙が流れていた。
浅い眠りから目覚めた彼女は涙を拭い立ち上がり独り言を言った。
「そうだ、私には今、仲間が、素敵な仲間たちがいる。その人たちがいる限り私は前に進める。宝物はもう有った。後は無くさぬようにするだけ」
〜第二プラント研究室
美月はその足で研究室に向かっていた。仲間たちの元へ。
ドアを開けた彼女は研究室の何時にない慌ただしい雰囲気を感じ取っていた。
「あ、美月ちゃん。大変なの。大変なのよ!」
「ゆかりさん、何が一体どうしたの言うのですか。この騒ぎは」
ゆかりは経緯を説明して水槽に案内した。
「これが変異したと?」
「そうなんです。今までに無かったことです」小畑研究員は言う。
「これが中野さんのデータ分析です」
パッドを見て理解した美月は「あなたの推測ではこの日に何かが有ったと言うのですね。でも、その何か・・までは解らない・・・と」
美月は地下実験室で祐介が語った事を思い出していた。
『もしその個体が何らかの刺激を受けて突然変異をし、生殖が・・・』
「中村さん、あなたこれに何かしましたか」
祐介は掌を左右させ「とんでもない、ボクは生物や植物に触れることはまだ許可されてません」と言った。
美月はそんな事は分かった上で訊いている。
美月は他の研究員に聞こえぬように祐介とアマンダに「その日にお二人は何をしていたのか思い出してください。後で報告に来るように」
美月は中野に「ゆかりさん、引き続き調査をお願いします。あと、良ければこの後ランチをご一緒頂けませんか」と言うのだった。
美月は考えていた。今までに何年掛かっても解けなかった文字列の謎がここ数日で急激に解けだした事を。祐介が目の前に現れてから突然歯車が回り始めた事を。
海綿の変異もこの歯車の回転に無関係ではない事を確信に近いものを感じていたからこそ二人に何をしていたかを思い出させる事にした。
必ずそこに答えはある。
〜休憩フロア 美月とゆかり
「ゆかりさん、貴女に本の調査の事からこの件に巻き込んでしまっている事に私は憂慮しています」
「ううん、それはいいの。美月ちゃんと一緒に仕事ができるのが嬉しいの。だから気にしないで」
「ただ、この件は・・・非常に危険なんです」
美月は続けた。
「今から言うことを信じてもらえるとは思いませんが、貴女にはお話ししておくべきだと思います」
ゆかりは美月が話す夢物語のような漫画の世界のような事を最初笑顔で聞いていたが、最後には笑顔すら作れなくなっていた。
「ゆかりさん、以上がこの件のあらましになります。信ずるに値しないような事を沢山申し上げましたが、これは全て事実です。貴女をこれ以上は巻き込みたくない、そして彼氏の木村さんもです。もし必要ならば、私が直接木村さんにこれをお話する事も吝かではありません。これ以上は深入りを為さらぬ方が身の安全を守る最善の方法だと思います」
それを聞いたゆかりは頷くしか選択肢は無かった。
そして「太郎ちゃんにはあたしが話します。分かってくれると思います。でも、でも、美月ちゃんがあっちに飛んで、その後帰って来れなくなったらどうするの?そんなの嫌だ。上司部下の関係を超えて、せっかくお友達になれたところだったのに。離れたくない!」と言いながら涙を一筋流した。
美月はゆかりの言葉に昔の自分を当てはめていた。
離れたくない仲間がそこにいるはずなのに。離れることを選ぶ可能性がある。なんて哀しいんだろうか。あの時の長谷川さんはこんな気持ちだったのだろうか。
いや、もう思うまい。
私は覚悟を決めたのだ。
「ゆかりさん、ありがとう。私みたいな感情の無いロボットの様な人間に優しい言葉をくれるなんて、本当にありがとう。私は帰ってきます。必ず帰ってきますので待っていてください」
ゆかりは頷き美月の手を強く握って離さなかった。
歯車は大きく回り時を刻み始めた。
もう誰にも止めることはできない。
後は与えられた課題を粛々とこなしていくだけ。
学校の授業の様に。
決して間違いを選ばぬように正しい選択をするのだ。それが私の使命。




