43.淡い期待
中野さんはボクに今日も「海綿さん」の凄さを語っている。
「あのね。中村くん、海綿さんが凄い人たちだって前にも話したけど、今日はもっと凄い人を紹介するわよ」
中野さんは海綿の話になると饒舌になる。普通でも愛らしい顔をもっと輝かせて生き生きと語るんだ。
「海綿さんはね、こ~んなにちっちゃい人から2メートルくらいのおっきな人もいるんだけど、この研究室にいてくれる人は中くらいの大きさの人よ・・そしてね、この水槽にいる海綿さんは"スーパー海綿さん"なんですよ」
「何がスーパーなんですか?」
「この人は遺伝子操作で産み出されたものすごく水の浄化能力が高い海綿さんなの」
「そんなに凄いのなら大量、いや大勢の人に集まってもらって海に生息、いや住んでもらえば汚染された海が奇麗になるって事ですよね?」
「実はね、そんなに上手い話はないって言うか、そこが難しいところでね、この海綿さんは一代限りしか生きることが出来ないの。多くの海綿さんは雌雄同体でね、自分の中に子供を育てて、芽が出るみたいに新しい海綿さんが出てくるの。でもこのスーパー海綿さんにはそれが出来ないのよ」
「仰る通り上手くいかないもんなんですね・・・」
ボクはこのスーパー海綿に希望を見出したかったが、それは流石に淡い期待に終わりそうだ。ボクのような素人が思いつく事なんて、もうとっくの昔に偉い人たちが考えているのだから。
ボクは気を取り直して、他の設備を見て回ることにした。
小畑主任がアマンダを連れて設備の説明をしていたところに出くわした。
「どう、中村さん、中野さんとは上手くやれてるかしら」
「はい、親切に教えていただいています。お話しもとても面白いし楽しく仕事をさせていただいています」
「そうなの、それは良かったわ。引き続き当面は中野付きでお願いしますね。二人とも休憩しなさい。場所はここでもいいですし、休憩フロアでもいいですよ」
「はい、ありがとうございます」ボクたちは答えた。
「祐介、休憩室への往復時間がもったいないからここで休憩しようよ」
「ああ、そうだね。ボクたちには時間がない」
「あっちの端末室なら静かだしいいよね」
移動したボクたちは椅子を二つ並べて座った。
「そうだ祐介、イギイギの音を聴きたいって言ってたでしょ?ここで鳴らしてみようか。ただ、かなり大きな音がするので皆さんに聞こえちゃうかもしれないけど。ちょっと待っててね。持ってくる」
ロッカーに行ったアマンダが極彩色に塗られた"ディジュリドゥ"を持って帰ってきた。
「吹いてみるわよ」アマンダはそういうと頬を膨らまして筒に息吹を吹き込んだ。
♬~
金属的な音が重なり合いとても不思議な音だ。重なった音がまた別の音と重なる。それが違う音で繰り返されていく。何とも心地よい音だ。
これがあの文字列"笛を吹く女"と無関係であってほしいと願うばかりだ。
ボクたちの見えない部屋向こうで水槽の水面が不規則に揺れた。それに驚いた魚たちも慌ただしく無秩序に踊り狂った。
~次の日
ボクたち二人は社長付の日で研究室から解放された。そして地下の研究室に向かう。
社長の意向でエレベータシャフトのプログラムが二人で乗っていても地下への移動が可能になった。
シャフトが地下に降り、薄暗い廊下を付き辺りまで進む。
そこに実験室が現れる。ボクたち二人はセキュリティの変更された二枚扉を同時に通過し、室内に入った。
「君たち仕事として二人揃っては初めてだな」
「はい、そうです。これからどんなお役に立てるかどうかわかりませんがよろしくお願いします」
「うむ、今日はアマンダくんの護り石を詳しく見てみたいと思うのだが、出してくれるかね?」
アマンダはそれを聞いてネックレスを取って差し出した。
「ほほう、美月くん、見てみたまえ。白い石が時計方向に増えているぞ。あと4個揃えば一周だ」
「はい、"笛を吹く女"が判明したことでひとつ時が進んだものと思われます。残る文字は"雨"、"魚"、"海綿"、"珠"です」
「公臣のやつがカトリーヌからカードを貰っているはずだから、そのうちの一枚は奴が絡んできたときに進むのだろうな。分からないのはそれが揃ったとして一体どうなるのか不明って事だ」
ボクはその時、中野さんの姿を思い浮かべて「海綿とは、第二研究室で実験しているあの"スーパー海綿"なのではないでしょうか」
その言葉に美月が反応した。
「それは私も考えたのですが、あの海綿はここ研究棟の中でしか存在できない個体なのです。すり潰して増やそうとしても増えませんし、幼生を体内で飼育することすらできません」
ボクは素人なりに素人の考えを口走ってしまう。
「もしその個体が何らかの刺激を受けて突然変異をし、生殖が可能になれば世界中の海に定着させ、地球上の海の浄化が可能になりますよね?海の水が奇麗になれば海の生き物たちにも影響して、何世代か後に魚も貝も海のすべての生き物の奇麗な子孫たちが現れ、また自分たちの食卓を彩るようにならないですか。ボクは夢みたいなこと言ってますかね」
緑村さんは優しく笑ってボクを見た
「そうね。そうなれば。もしかすると私たちは過去に行かなくて済むかもしれません。私もそうなればどんなに良い事かと思います。でも、それを淡い期待と言って捨て去るのではなくて、日々努力を積み重ねることです。それが唯一の私たちに課せられた歩みなのです」
「さあアマンダくん、これを返しておこう」
護り石を受け取ったアマンダだが、首をひねっている。
「美月さん、何かおかしいです。石の時がさっきより一つ進んでます!」




