17.地下実験室
ミストラルのエレベーターには仕掛けがある。乗ってきた人間が一人だった場合、認識してIDを確認、バンドから日々変わる暗号を自動発信されると地下への移動が可能になる。この仕組みを利用できるのはごく少数に限られる。
美月は廊下の突き当たりの大きなドアに近づいた。センサーが人物の歩き方や形を測定し虹彩認証、静脈認識と合致すれば二重扉の一枚目が開かれる。中に入ると1枚目の扉は確実に閉まり後から来たものを寄せ付けない。中に入った人間が一人だけだった場合に限り二枚目のドアが解錠される。
大きな空洞のような室内には巨大な変圧器や整流器、自家発電装置などがあり、多くの配線が繋がれたF1マシンのようなコクピットのような椅子が置いてあったり、観覧車のゴンドラのような容器が二つ透明のケーブルで繋げられたりしている。これはまるで昔の映画であった転送装置に一匹のハエが紛れ込んだことによって始められた悲劇の物語の様相だ。
美月は林檎のパイをコクピットに乗せてアンプの電源を入れた。
その瞬間、管理棟の電圧が少し下がってしまい各フロアの電灯が明滅した。
社員たちは地下でこんなことが行われている事など知らないので、またかと思いながら仕事を続けるのだった。
美月はシークエンス開始ボタンを躊躇なく押した。
瞬く間に林檎のパイは消え失せた。
「問題は林檎のパイが現代に戻ってくる術を持たないと言う事。これを解決するのがわたしの役目。12個の文字列を並べ換えここに戻ってくる方法を探す事」
この画期的な装置を作り上げたのは美月ではない。別の人物だ。彼女は後を受け継ぎ装置の保守そして安定性の確保を目指している。そう言った作業を施してきたに過ぎない。タイガ社にはとてつもない人材がいたものだと彼女は思う。
設計仕様書を読み解くに連れ彼女は瞬く間にその機構を理解した。
彼女もまた"飛び抜けた才能"の持ち主であることに違いはないだろう。
しかし何故前任者が今在籍していなくなっているのか。物事は作ったものがそのままやり続ける方が効率も良いはずだ。
開発者は日誌を残して失踪してしまったのだ。その最後の日誌にはこう書かれていた。
『2062年12月24日 どうやらこの場所から去る日がやってきた。個体、液体、植物、動物、あらゆるものの転送実験が成功した。数秒後や数秒前に転送することは可能。ただし大きく時間を超えた転送の場合、ただ実体が目の前から消滅しただけで、転送先で再構成化された証明にはならない。どのようなパラメータを与えればどの時間軸に到達するのか。それを証明するためにあるパラメータを入力してわたしがそれに乗る。そして、過去の世から到達した時間と入力した数値を残された君たちに報告しようと思う。それでは行ってくる。 太賀公聡』
しかし現在においてもその報告はなされていない。もう既に8年が過ぎ去ろうとしている。
過去から届けるはずなので理論的にはこの装置を発案し組み立てる前に届いているはずだ。
美月は残されたログの中から最後に入力されたパラメータを入手した。
いまこれの解析に当たっている。
数秒前に転送した際のパラメータとその数値を比較すれば簡単だと思われたが、開発者の太賀は自分によほどの自信を持っていたらしくパラメータに自分だけにしかわからない暗号を紛れ込ませていたのだ。
しかも暗号のプロトコルを転送実行後消滅させるプログラムまで仕込んでいた。転送後の自分に事故など起こるはずはないと自負していたのだろう。
おそらく彼は何らかのトラブルで帰らぬ人となったに違いない。
彼からの"手紙"が届かぬ以上そう判断せざるを得ない。
美月は装置の電源を落として部屋を出ることにした。
大きな音がして主電源が落ちた。
静寂が訪れる。
「コンピュータ、ドアを開けなさい」
ドアが開き薄暗い廊下に誘導灯が順番に点いてゆき、彼女の歩みに合わせて消えてゆく。
「もう帰ろう、うちに帰ろう。わたしは孤独だ」




