10.社規社則
ボクはあまり目立たないようにして生きてきた。学校でもそうだったし、大学でもそうだった。
そうして生きることのほうが何かと軋轢も生まないし争いも起こらないと思ってきたからだ。
大学の友達って実は数人しか居ないんだけど、割と何でも話せる間柄で、ボクはそんな少ない友人を持ったことを嬉しく思っていたし彼らには感謝している。
ただ、そんな性格も会社の中に入ってしまえば少し邪魔になると言うか弊害にもなるので、わざと社交的なふりをしているフシがあるのも否めない自分がいる。
実は社内においても仲間を作るのが少し苦手だし、初めて合う人には人見知りをする。
そんなボクが共有棟のホールですれ違った女性に声をかけるなんて、妹が聞いたら卒倒するかもしれない。
あの日、動画で見た彼女にだ。
研究棟に在籍している人は暗黙の了解で一般社員とは接触しないように促されている。
逆もまた然りだ。それを破ってしまうと上司から叱責されたり会社をクビになったりするんだろうか。
シャフトのドアの前に立つ彼女を見つけた。
ここは上層階に繋がる専用シャフトだ。
意を決して声を掛けた。
「あの、すみません。失礼ですが緑村美月さんですよね?」
美月は黒髪を揺らし首を傾げながらこちらを見た。
「はい、そうです」
「あの、すみません、社規社則には反しますが声をかけることを許してください」
美月は首の傾きを一層に傾け、こう言った。
「私、社内の人からこういった話を散々聞かされてきましたので、社規社則を読み直してみたんです」
そしてこうも言った。
「そんな社則はありませんでした。では、失礼いたします」
その次、緑村さんはシャフトの中に吸い込まれていった。
でも、カーゴの中に入った彼女がドアの方に振り向き壁を背にもたれ掛かった瞬間、笑顔をこちらに向けてお辞儀したのをドアが閉まる狭間に見た気がした。
「おい、中村。なにしてんだ早く行くぞ」
同僚が大声でボクを呼んでいる。
「会議に遅れるぞ」
この会社では極力、会議と言うものを排除し個々の時間を有効的に使うべしとして「会議」を悪としてきた社是がある。しかし、懇親的な意味合いを含めた「会議」は時になさねばならないものの一つとして「昭和の時代や平成の時代」にあった社員旅行や懇親会的な位置づけとして会議と称して行われる。
いわばイベントのようなものだ。
営業部門に管理部門に業務委託しているアウトソーシングの人たちまでもが一堂に会する運動会みたいなものだ。
ただ、例年のことだが研究棟の人達は一切参加しないので、あの都市伝説ならぬ社内伝説が生まれたきっかけになったのだと思う。
ただ、今年の「会議」の様相が異なったのは緑村美月氏が参加した事だった。
会社上層部を前にして、社規社則を無視していいのかと言う男子社員たちのジレンマが飛び交う例年にない会議となったのだった。
総務部の管掌役員の挨拶とともに盛大に開催された会議。始まりは着座での会議形式であるが、後半は立食の宴会へと発展する。
ボクは部内の人達と固まって会話をしていたのだが、総務部長の「部門の垣根を取り払いたまえ」という号令を聞いて様々な場所へ散り散りになったのだった。
元々人付き合いが苦手なボクはグラス片手に大会議室のドア横にもたれかかって人々の面白おかしい喧騒を眺めていた。
人事部長のセクハラ具合とか、敏腕の営業マンの女性の口説きテクニックとか、ヒューマンウォッチングの天才になった気分だ。
ふいに背中横のドアが10センチほど開いて細く白い手が僕の肩を叩いた。
「こっちに来て」
ドアの隙間から女性がボクを呼んでいる。
それは動画で見た凛として自分を語ることを止めない女性。そしてエレベーターの締まり際にお茶目なことをしたあの女性だった。
「え?、緑村さん?え?なぜ」
自動的に照度を落とされて薄暗くなっている廊下に出たボクは彼女を目の前にして驚いた。
彼女は先ほどまで壇上にいたはずで、その後上層部の近くの円卓に立っていたはずだ。
「わたし、ああいうのは苦手なんです」
そして「上田常務に言われて会議に参加したんですが、会議がああいうものなんだと初めて知りました」
ああ、なるほど。彼女は「会議」のことを知らされてなかったんだなと思った。
「あなたは先ほどエレベーター前で禁忌を犯しました。上層部に報告いたします」
「え?緑村さん、社則には無かったって言ってませんでしたっけ」
「冗談です」
彼女は子供のような澄んだ眼でひきつった笑いをしていた。
この女性はボクとおなじで人との関わりが苦手なんだな。
意を決して訊いてみた。
「どうしてボクなんかに声をかけてくれたんですか」
真顔に戻った美月は「好みなんです」と言った。
そして「冗談です」と言いながら顔を赤らめてまたひきつり笑いをした。
「緑村さん、いえ緑村主管、からかわないでください」
「ずいぶん前ですが占いをしてもらったんです。その方にわたしは表向きは社交的に振舞っているものの、本当は極度の人見知りだと告げられ帰国してからもそれに悩み続けると言われました」
「占いですか」
「はい、黒衣の占い師です」
はなしが何だかかみ合わないなと思いつつもボクは彼女のはなしを聞き続けることにした。
ロビーに移動したボクたちはディスペンサーであたたかいコーヒーを抽出してソファに座った。
「実はこの占い師の方とは初対面ではありませんでしたし、わたしのパーソナルな部分までも深く知っている方々でした。ですのでそれは占いと言うよりも私に対する助言だと思い聞いていたんです。でも」
言葉を途切れさせた彼女は数秒固まっていた。
「でも?」とボクは少し失礼かと取られ兼ねない相槌を打ってしまった。
「でも、そこから占いと言うより"予言"ともとれるような文字列をつなぎ始めたんです。その12個の文字列の中に"植物"、"太陽"、"時間"、"魚"など抽象的なものがあって、その他の文字列の中に具体的な文字列もあったんです。
「喉を汚した男」と言うものがありました。
~
ボクが幼稚園の頃、一人っ子だった僕は母親と二人でさまざまな飾りつけを家中に施し、父親が帰宅するのを今か今かと待ちわびていたんだ。だけど下の階から火災が発生し瞬く間にそのフロアを焼き尽くし上階までもが火が昇り始めた。
火災報知器がけたたましく鳴り響いているのをボクはよく覚えている。
黒く激しく熱い煙がそこら中に立ち込め、母親はボクを抱きかかえ上階へ上階へと逃げるために走り続けたが、ボクたちは煙を吸い込んで力尽きた。
消火活動の中、レスキュー隊が到着し要救護者を次々と救助している。気を失ったボクはレスキューの人に抱えられ外に連れ出された。
母親が息を引き取っていたと聞いたのは事故から二週間後のことだった。
ボクはその時気管が焼けただれていたらしく、呼吸ができないので緊急で気管切開された。
手術室で切開術を施されたわけではないので、切り口が雑で縫合しても傷跡が醜く残っている。
ボクはその傷を亡くなった母親との絆だと思って生きるように父親に言われた記憶がある。
卒園まで毎日泣いて泣いて暮らしていた。今もネクタイの結び目の上に母親との「傷那」が見えている。
父親がその後再婚して妹の綾香が生まれたのはまた別のはなしである。
そんな父を軽蔑して生きてきたボクがいる。
~
「その"喉を汚した男"というのがボクだというのですか?」
ボクは喉をさすりながら訊いた。
「いえ決してそうではありませんが、あなたとエレベーターの前でお会いした時にあの文字列が頭をよぎったことは間違いありません」
美月が訊く
「あなたお名前は?」
「中村です、中村祐介といいます」
「今日はお呼び止めして申し訳ありませんでした。わたしは会議には慣れないので研究棟に戻ります。ありがとうございました」
彼女はちょこんと可愛くお辞儀をしソファを立ち連絡通路の方向に歩き出した。
長い大会議室の廊下をずいぶん向こうまで歩いた彼女に向かって「人見知りのボク」は叫んだ。
「緑村さん!!」
「・・・・・」
「またお会いできますか!!!」
緑村美月は振り向いてまたちょこんとお辞儀をした。




