まさか逆さま
「ふ~。実に嫌なものを見たわ……。狂人の顔ってホント不愉快」
私は通信箱の電源を切った後。
暇つぶしに読みかけの《楽しい回文~入門編~》という本を手に取り、“前書き”を読み進めていくことに決め、本に手を伸ばした。
愛読書の“前書き”はこんな書き出しで始まる。
【回文とは、上から読んでも下から読んでも文章として成立する文章のこと。例えば→まさか、逆さま←。文章として何とか成立しているが、単独で用いることは難しく、言語としてもどこかおかしいが魅力的な文章である‥‥】
ゴーン ゴーン ゴーン……
“前書き”を読み終えたのとほぼ同時に終業を告げる鐘の音が夕闇に響き渡る。
冥府でも日は昇り、日は沈む。
冥府の1日の時間の流れというものは、人間道のそれと変わりはない。
「……さて、と。今日も1日、頑張ったから自分へのご褒美に甘味ガチャ回そっと。今日は何かな?……。あっ!!ヤバ……」
ガタンッ バタン ドタン ッ
ザザー ……
「痛ったっ!もう~、何で今日に限ってこっち側に崩れてくるのよ!!」
私は推しの本に埋もれ、悲痛な声をあげた。
千数百年にわたり収集した書籍の山が崩れる音が、夕闇に沈む朱の宮殿に虚しく響き渡る。
私は整理整頓が大の苦手だ。
出したら仕舞う。
頭では分かっている単純明快なこの作業が、どういう訳か私には定着しない。
なので、私は苦肉の策として編み出したのが部屋付きの女官が週1ペースで片付けてくれるのを″物を積み重ねながら待つ”という方法だ。
シンプル・イズ・ベスト。
でも、時にはこの手段は大惨事を引き起こすこともあるらしい……。
今日は漢服の裾紐に脚が絡まり、運悪く部屋の窓辺に掛けられたカーテンの裾を踏みつけてしまったが為、愛読書たちが雪崩を起こしてしまったようだ。
窓辺では分厚い緑色のカーテンの下の部分が膨らんでベルベットの布地が危なっかしく伸びきってしまっている。
ガタンッ
「もうっ!」
私は小言を呟きながらカーテン越しにある腰丈程の四角い箱型のモノを力ずくで壁際に押し戻し、溜息をついた。
ガタンッ
ザッザッザー
箱型のモノを元の場所に押し戻し、カーテンを開けるとそこには真ん中に丸い白いハンドルとその下には拳くらいの穴が1つ空いている白い機械が顔を出した。
所謂、ガチャガチャだ。
この機械から仕事終わりに甘味の入ったカプセルを出す事は、私の数少ない楽しみのひとつなのである。
✴
「親ガチャ、ねぇ……」
私は懐からガチャガチャ専用の金色のコインを1枚取り出すとコインメックに入れ、小さな独り言を呟いた。
ガチャガチャガチャ……
カッタン
軽い音の後、ガチャガチャから上半分は透明、下半分は白色のカプセルに入った菓子が出てきた。
中身は〔天道風味の飴〕。
大当たりだ。
冥府の安月給で買うガチャガチャのカプセルに押し込められている天界アソートはハズレが7割超えの粗悪品。
当たりが出たのは実に6日ぶりだった。
カパッ
「やった!!久しぶりの当たり。嬉しい!ん~、甘くて美味しい。幸せの味がする‥‥」
私は外袋から乳白色に光る飴を取り出すと朱い紅を指した口の中に置いた。
そして今日も激務を終えた自分を存分に労ることにし、天に向かい軽く伸びをした。
*
「ガチャ、親ガチャねぇっ……」
私は私室の片隅で口の中で溶けていった飴の甘い余韻に浸りながら空のカプセルを手に取り、とある構想を練っていた。
ここ冥府は死後、生物が行く所謂″あの世”である。
あの世では、死者は49日の裁判を経て刑期を終えれば生まれ変わる事ができる。
その期間、平均5年。
毎日のように裁判を待つ死者が訪れる冥府に纏まった休みは少ない。
だが、十王が休みたいからと言って誰かに仕事の代役をさせる訳にもいかない。
何か手はないものか……。と以前十王会議の時に閻魔王が呟いていたのを思い出した。
(地獄の沙汰も運次第……。運次第……!?)
ガタンッ !
「そうだわ!!……ガチャ。親ガチャ!これよ!!これなら‥‥」
私はたった今、脳裏に浮かんだ妙案を身体に刻み込むようにカプセルを握りしめると全身の血が煮え滾るのを感じ身震いをした。
「っかっ、あっ!…はっ……」
今、頭に血が上った私の肺に入る空気は過呼吸にでもなった時のように少ない。
口から漏れる嗚咽は傍から聞けば、今にも死んでしまうのではないかと見えるほどおぞましい音だっただろう。
それと同時に興奮した表情の私の双眼は徐々に緑から朱に染まり眼の前は真っ赤になっていく。
「フフフ……アハハハハッ」
私は、あまりの苦しさから首に巻かれたチョーカーを苦し紛れに引きちぎり天を仰ぎ笑ってみせた。
この方法なら″自由と復讐を同時に手に入れられる”私は天を仰いだ瞬間、そう確信した。
そして首筋の後ろにつけられた古い刀傷を撫ぜて再び高らかに笑い、我を忘れないように声にならない声でこう叫んだ。
(さぁ、駒は全て出揃った。準備は万端。千と三百年。今が待ちに待った復讐の時が来たぞ……)と。
仕事も減るし一石二鳥。
私はそう考えると乱暴に細い筆を手に取り、まだ白い巻子本を広げた。
*
「入り口に半月型のマット、あと手摺もいるわ。最後に、ここをこうしてああして……と。できた!!」
私はあの傍から見れば惨事の後。
何とか落ち着きを取り戻し、深紅の表紙の巻子本を執務室の机の片隅に広げた。
そして適当にすった薄墨で長方形を描き、図に文字や画を書き連ねとある計略の下準備を始めた。
あの血の煮え滾るような不可解な感覚を味わった時間からどれくらいの時間が過ぎていったのだろうか。
コケコッコ~ コッコ~ んっん、
コケコッコ~
「んっ……。眩しい。あ~、もう朝なのね……」
作業に熱中し過ぎた私の周りの刻は、気がつけばあっという間に五刻の時が過ぎていた。
墨色の空から延びた地平線に顔を出した美しい冥府の朝焼けに日の出を告げる鶏のような声が響き渡り、新しい1日が始まる。
私の朱色に染め上げられていた双眼は冥府の朝の光を背に浴び、朱玉から緑玉へと輝きを取り戻していた。
「よいっしょ!ではでは」
掛け声と同時に白く細い右腕で執務室の天井から垂れた深紅の紐を勢いよく引く。
カァー カァー カァー……
するとすぐに烏の甲高い悲鳴のような不快なオトが朝焼けに包まれた官邸に木霊した。
カァ~! カァ~ カァ……
そのオトが鳴り止むと同時に白の官服姿の男が執務室に音もなく現れ、壁際に立つ私の前にすくっと跪いた。
「お呼びでございますか。五道様」
「……」
男は口面布越しに主に話を振ると主が後ろを向いたまま無言で指さした机上の深紅の巻子本とイカとカイの飾りの附いた銀の鍵を恭しく抱えた。
「すぐに準備致します」
男は頭を垂れ、そう言うと女を部屋に残し音もさせず朝焼けの中に静かに消えていったのだった。




