けだるき1日生きるだけ
(けだるき1日、生きるだけ。死ぬ事ができないって案外、苦しいものなんだよなぁ………)
今日は晴天。吉日。人間たちが死後、裁判を受ける、ここ冥府は休日だ。
私の通り名は、五道転輪王。
人間が死後、裁きを受ける冥府を統べる十人の王。
『十王』の末席を埋める為に選ばれた裁判官のひとり。
代わりなどはいくらでもいる存在だ。
特別なのは、暗闇では紅く色変わりする翠の双眼。
それと冥府で唯一、朱色の漢服を着ることの許された女であるということくらいだろうか。
私自身、自分のことは格別いてもいなくても支障の無い存在だと自負している。
この冥府で平日、朝から晩まで馬車馬の如く働かされる私に大した趣味はない。
ただ、休日は読書をする事がささやかな楽しみだ。
そして 今日は、ただ何となく誰もいないところで愛読書『楽しい回文~入門編~』を読み返したくなり、文字通り仕事を放り投げて安息の地を求め朱の宮殿の裏庭にやってきた。
(『→けだるき一日、生きるだけ←』か……。今の私にぴったりな一文だ)
「はぁ~」
愛読書の何気ない回文の一行に自分の人生の全てを集約されたような思いがした私は、空を見上げ長い溜息をついた。
(あっ、頭上の天人の数が一人減り、煙が地に尾を引いている……)
わたしは徳を積んだ天人の末路を思い、思わず手を胸の前で合わせ合掌をした。
冥府には、天道、人間道、畜生道、修羅道、餓鬼道、地獄道の六つの刑場がある。
天人のいる天道は業の少ない賢者の行く最も徳の高い刑場である。
だが、天人も所詮は罪人。
六道輪廻の輪を外れない限り、彼らもまた非業な死を通して罪を償わなければならない。
煙を見る限り、かの天人の場合は焼死だったのであろう。
(楽しく翔び違っている間に業火に焼かれ死ぬとはどんな思いがするのだろうか‥‥)
私は短い黙祷の後、静かに愛読書に栞を挟んだ。
ガサッ ガサッ
再度、空を見上げ目を瞑った束の間。
背後から藪に分け入りこちらに近づいて来る人形の気配がした。
(冥府、潰れないかなぁ。そうしたら仕事なくなるかも……)
そんなことを考え、件の人形から逃げる事も考えたが、今日は何をするのも面倒で、座してその時が来るのを待つことにした。
ガサッ ガサッ バサッ
「…あぁ!やはり五道様!! 今回は……こちらにいらっしゃいましたか……」
朱の宮殿の裏にある松の木の切株に座る私を見つけた白の官服に無数の若葉を纏ったその男は、額に光る汗と嬉しそうに伸びる糸目を顔に貼付け私の方に近づいてきた。
彼は口から下の顔を衣と同じ白の布で覆い隠している。
彼は皆に官名で癡と呼ばれている男だ。
背はまあまあ高い。
十王の末席にいる私に「様」付けする直属の冥官はそう多くはない。
彼は、私の数少ない秘書官の一人である。
「ダメですよ。今日は昨日までに終えられなかった仕事をする約束の週末日。平日の夜、残業しない代わりに休日出勤をするという約束ですよね?いつも言ってますが、仕事も死者も待ってはくれませんよ!!」
癡はそう言うと切り株に座る私の手を優しくとり、早く執務室に向かうように急かした。
私は眉間にシワを寄せ、重い腰を上げると諦めがてら短い溜息を返事代わりについた。
そして朱に染め上げられた漢服の裾を捌きながらゆっくりと執務室へ歩き出す。
癡も私の歩く歩幅に合わせ小股で横並びに歩を進めた。
私の右隣を歩く彼の白い官服からは若葉の青い香りが風に乗って私の鼻を優しく、くすぐった。
そして私は宮殿に着くと執務室の入口に繋がる朱色の階段を嫌がらせがてら漢服の裾を織り上げながらゆっくりと登る。
けだるき1日、生きるだけ。
今日も死ぬことの許されない私は、理不尽な仕事の為だけにただ、生かされている。




