後編
*
「ふぅ…………」
着替え終わり、服に巻き込まれた髪をふわっと広げると、ようやくお姉さまの表情も柔らかくなります。
「お姉さま、ご首尾は?」
「駄目ね。誰に挨拶してもみんなオオカミに出会った小鹿みたいに震えているんだもの。途中で御父様が『私の娘は根は良い子なのに、何なんですかその態度は?』ってどこぞの男爵様に噛み付いてらしたけど」
「気持ちは分かりますけれど、それ、逆効果では?」
「親馬鹿極まれりよねえ。仕切り直しに休憩室に入った時点で、お母様から今日はもう帰って良いって言われたわ。お父様はまだ諦めてらっしゃらないので、今のうちに逃げろと……」
あのお母様が心折れたご様子に、心中お察し申し上げます。お姉さまが片付いたとて、わたくしと弟が後に続きますので、お父様もお母様も急激に老けてしまいそうで少々心配です。
お姉さまの目配せで、見張りに立っていたマレック様を呼びます。
「やあ、ジーンは平民のような格好でも、その美しさは損なわれないね」
「ありがとうございますマレック様」
「今日はどうしたんだい?会いに来てくれるなんてボクは嬉しい限りだけど」
「ええ、マレック様に何点か確認したい事がありまして」
「何でも聞くし、何でも答えるよ!」
広がったお鼻からフンスと音が聞こえてきそうなくらい、マレック様は嬉しそうに見えます。尻尾が生えていらしたら、きっと引きちぎれんばかりに振っていた事でしょう。
「まあそう前のめりにならないでくださいまし……実はわたくし、両親と別れる間際、
『こうなったら是非もなし、お前の結婚相手は国外にも伝手を頼って探すことにする。国内の男はもうだめだ、お前の武勇伝が広まりすぎている。』
と、お父様に言われましたの」
「あはは、ジーンはすごいね」
「それをすごいの一言で終わらせられるのは、マレック様くらいですわ。それでわたくし、嫁ぐのは構わないのですが、さすがに国外に嫁ぐとなると心細さを感じますの」
確かにお姉さまが国外に嫁ぐことは、この国にとって大きな損失です。わたくし基準ではございますが。
あと、心細いとは恐らく欠片も思っていないと思います、恐らく『面倒』というのが一番の理由ではないかと…………
「じゃあ改めて……ジーン・クレンツ子爵令嬢、私と結婚してください!」
これは男から言って欲しいからだろうと合点して、マレック様は自信満々で二度目のプロポーズを行いました。
マレック様、まだまだお姉さまを判っていらっしゃらない……
「場所と時間とタイミング、何もかも不合格ですのでお断りします」
「え?この流れは受けてくれるんじゃ……」
「確かに妥協は考えております。しかし、無条件という訳ではありません」
「妥協……」
「何か?」
「いえ、何でもありません」
確かわたくし、侯爵令息と子爵令嬢の会話を聞いていると思っておりましたが、自信がありません。
「よろしい。それでは条件でございますが、まずはあのマレック様が道楽で作ったけったいな二団体、あれを解体して手放す事」
「この後すぐに壊します!」
「言葉ではなく結果でお示しになって。ただし、のちに悪評や後始末が付いて回る終わらせ方は容認できません」
「…………はい」
「そして高位貴族の半分はわたくしと話ができる状況を用意して頂く事。結婚してベルカ侯爵家に入っても、元下位貴族と言うだけで門前払いされるのが目に見えていますもの」
「そこは、ボクの力を使って味方にしろという所では?」
「話す機会があれば、それ位自力で何とかします」
確かに、マレック様のお膳立てがあっても、お姉様なら粉砕してしまうでしょう。むしろマレック様のお節介を取り払う所から労力を掛ける事になるので、面倒なのでしょうね……高位貴族の皆様方のご健勝をお祈りいたします――――
その後も色々宿題を出されていましたが、傾聴していたマレック様、はきはきと良いお返事でした。
そして口約束とはいえ、それぞれの要望に期限を切られていますが、悲壮感は全くありません。「期待してますわよ」のお姉様の一言で、ニンジンをぶら下げられた駿馬の如く走り去っていきました。
今日、どうするんでしょうね?無鎗騎士団の反省会――――
*
目標が定まると、人間とは機敏にそして一途に動けるものなのですね。
その後のマレック様はものすごい勢いでお姉さまの宿題をこなし、無鎗騎士団は軍属の自警団に改組し、王都の警察組織の母体となりました。
ベルカの森は官僚組織を巻き込んだ若手貴族の会派に改められ、軍や王宮、貴族院を相手取って改革や政治闘争にも切り込む第三勢力に成長しました。
この二団体、あまりに自然体な感じで人々の認識に浸透し、一年もしないうちに無鎗騎士団やベルカの森の名前をわたくしが耳にする事は無くなりました。
さすがのマレック・ベルカ次期侯爵様だなと、わたくしも素直に感心致したものです。
その後のお姉さまとマレック様はおしどり夫婦として国内でも有名となりましたが、高位貴族の方々は可哀そうなくらいお姉さまに振り回されておいでです。
家庭内では案の定……お姉さまはベルカ家の『太陽』と呼ばれ、姪と甥が合計四人いますのできっとお幸せなのでしょう。
わたくしのその後はギリギリ次女の面目躍如でございます。
適齢期ギリギリに婚約者を捕まえました。
その婚約者も元が商家の一代男爵家というギリギリな感じの貴族でしたが、貴族付き合いは面倒だからとそろそろ返上を考えるとのこと。
そんなわけでそのうち平民となりますが、商売上手な嫁ぎ先は、平民と言うよりギリギリ富裕層と言うあたりをキープし続ける一家でございます。
そのため平民の悲哀も富裕層の面倒も巧みに避けるという、器用な世渡りを行っています。
もちろんわたくしも嬉々としてそんな世渡りに協力しておりますけれど……
生活も安定して刺激的な毎日を送れるなんて、いい家に縁が付いたなと安堵しております。お姉様とも頻繁にお会いできますしね。
それではみなさん、ごきげんよう――――
おしまい