第2話 神と依頼
視界が揺らいでいる。
加えて頭も混乱しているようだ。
自分自身の状況が把握できない。
意識が戻ってから少し時間が過ぎた。
先程まで闇に包まれていた空間に光が差し込んだ。
水中で反射する光の交差が儚くも美しい。神秘的とはまさにこのことを言うのだろうか。
息ができずに苦しいはずなのに、ざわついていた心が落ち着いた。
さらに時間が経過した。あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
相も変わらず下へ沈んでいく感覚はまだあった。
何故、苦しい時間は進みが遅く感じるのか。
はやく、はやく終わらせてくれ――と願ったそのとき、まばゆい光の塊が私の方に向かってきた。
光の正体は見目麗しい女性であった。
私の頬に手をあて、優しく微笑み、暖かい光で包んでくれた。
気がつくと澄み切った青空と広大な雲の絨毯のある場所にいた。
瞬時にここが天国かそれに相当する場所であることを理解した。
まさに絵に描いたような美しい場所だった。
「私は……?」
声が出た。意識もしっかりしている。
状況を呑み込めず立ち竦んでいると、女性の声がした。
その声色はすぐに私の心を落ち着かせてくれた。
「ここは神の住まう世界、天界の一角です」
先程の美しい女性。ここが天界ということは彼女は神なのだろう。
その女神様が目の前にゆっくり降りてきた。そして現状を説明してくださった。
所作、話し方、声からも女神様が優しさに満ちていることがわかった。
「私はあなたのいた世界の神ではありません。あなたにとっては異世界の神になりますね」
(異世界……とは、まさか)
「改めまして、アルディア・オリエンスと申します。あなたの魂に惹かれてこの場へお連れしました」
やっと私の置かれている状況を理解した。あれだ、ラノベ展開。
異世界転生とかの。チート能力だの、神がかり的な何かが起きるヤツ。
ただそれよりも気になってしまったのが、魂に惹かれて――とは。
一体何が起きるのだろう。不安しかない。
「納得がいかないようですね。今は仕方ありません。この先の依頼の方が大切ですから……」
予想していなかった言葉に思わず声が出る。
ただでさえ何も為せずにすべてを投げ捨てた、この私に。
「依頼ですか?」
苛立ちと焦りを含んだ声が出てしまった。
何か面倒なことに巻き込まれる予感。責任を伴う何かが起きるそんな予感。
神様からの依頼なんてそんな大それたことが自分にできるのだろうか。
嫌だ。怖い。もう――傷つきたくない。
「そう怖がらないで。大丈夫。あなたの良さを私は知っている」
「私の良さ……?」
強張っていた体が、女神様の声で少しずつ緩んでいった。
彼女の真剣な瞳からは逃げられないと、本能が悟った。
そして女神様は再び微笑み、話を続けた。
「依頼についてでしたね。実は今、私の世界では邪神が封印されているのですが……」
私はそのとき、一瞬だけ女神様が悲しそうな顔をしたことを見逃さなかった。
この依頼には何か事情があるのだろうか。女神様に関連するなにかが。
様々な思考が廻る。
「封印が解けそうなんですか?」
高速で思考を処理した結果、最初に出た言葉。
結局、深く考えずとも出てきそうな言葉を発していた。
封印とは一体。
そもそも何故封印されているのか。
再び思考が廻り始めそうになったとき、女神様の話が先に進んだ。
「はい。その通りです。その邪神の封印をあなたに依頼したいのです」
話が進むにつれて女神様の様子が変わっていく。どこか物悲しい雰囲気。
どうしてそんなに辛そうなのか。邪神と何が。
きっと何か深刻な事情があるのだろう。
異世界転生か……。
対邪神となるとそれなりにチートな能力は得られるだろう。
だが再び生きていくことを考えると足が重い。
すべてのことから逃げた私が依頼なんて受けられるのか。
自分が生きていた場所とは違う世界。魔法や異能力が使える自分の知らない世界。
新しい世界でなら――もしかしたらと、そんな様々な感情が交差し、しばらく黙り込んでいた。
「そうですよね。突然こんな依頼……ごめんなさい。あなたの前世の様子も魂を通して確認していますし……もちろん無理強いはしません」
そう言って申し訳なさでいっぱいの表情をなさった。
その世界における万物の頂点である女神様とは思えないほど謙虚な姿。
権力者でありながら一個人に対してこんなに丁寧に接してくれる人などそういない。
力のままに、己の想いのままに、言動できるはずなのに。
私は女神様の様子に面を食らった。
私は人の話し方や仕草を観察する癖がある。その人の性格による自分への影響を把握するためだ。
前世で生きるために必要だったスキルで、他人の感情には人一倍敏感だった。
それに加えて前世では、権力を持った人間の言動に注意しながら生きてきた。
家の中の権力者だった母親。
学校の先生や、いわゆる1軍や2軍に属する生徒。
バイトでは店長や歴の長い人。
他にもたくさん。
彼らたちの前ではすべてのことに従うしかない。私に選択肢など存在しない。
だからこそ、権力を振りかざすことなく接してくださる姿に心を打たれた。
同時に女神様がとても澄んでいる心をもち、美しくそして優しい方なのだと感じ取った。
前世で心が綺麗な人や頑張っている人たちほど辛い思いをしている姿を何度も見てきた。
もし、もう1度生きるのならばそんな人たちのために生きていきたい。
思っているだけではなく、確実に、力をつけて。
だから――
「依頼、承りました」
まだ頭の中の整理が追いついていなかったが、失礼の無いよう精一杯微笑んだ。
女神様がどんな方か、この短時間で完璧に把握できるとは思っていない。
それでもとても優しい方なのだろうと思った。思ってしまった。
私は女神様のために生きてみたいと、そう考えるようになっていた。
それに神様からの依頼を断るなんて不敬なこと、私にできるわけがない。
「よろしいのですか……?」
漫画やアニメで貴族が王に対してよくやっている――片膝をつき頭を下げるあの姿勢で、私は最大の敬意を示し誓った。
そしてこれは自分が選択した道から逃げないための自分への戒めでもあった。
人の生から逃げるという愚かな選択をしてしまった私への戒め。
「はい。ご期待に沿えるよう全力を尽くします」
もう1度生きることに抵抗はあった。
だが新しい世界でならもう1度希望を持てるかもしれない。
それに――
誰かに必要とされる人間になりたい。
生きていても良いと言われる存在になりたい。
幸せになりたい。
心の奥底にしまっていたはずの気持ちが久方ぶりに表に出てきた。
そしてこんな私にチャンスを与えてくださったアルディア様のために、私のすべてをかけよう。
これらの理由から私はこれを引き受けたのだった。
「ありがとうございます……! 転生体には私ができる最大限のギフトを授けます。他にお望みはありますか?」
それだけ頂けるのであればもう何もいらない。
そう思ったが――
「もし、可能でしたら……」
お読み頂きありがとうございました。