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マモリビト  作者: カルナ
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第1話 色褪せた記憶

 光が天から降り注ぐ。

 波に合わせて光が揺らいでいる。

 その様子は幼い頃に水族館で感じた、あの感情の高ぶりを想起させる。

 その美しい世界の中に私は1人、存在している。






 水の中を沈んでいく感覚――体が重たい。

 周囲を確認したいけれど体は思うように動かない。

 徐々に思考速度が低下していくのを感じることしかできなかった。



(くはっ……)



 どのくらい沈んだのだろう。

 あたりは静寂に包まれている。

 暗闇の中を逃げ場を失った空気が居場所を求めて昇っていく。


 呼吸ができない――苦しい。

 ああ、このまま消えてしまいたい。

 次第に意識が薄れ、闇のなかへ沈んでいった。






「お前は人間のクズだ」



 1番印象に残っている母の言葉。一体何度言われたのだろう。

 初めてこの言葉を耳にした瞬間、私は絶望した。

 今まで歩んできた人生を産みの親である母に否定されたのだ。


 それからというもの、私は生きる気力を失ってしまった。

 すべてのことに対して興味がない。もう、どうでも良くなった。

 何をするにも諦めが最初にきてしまう。






 悲劇の始まりは小学3年生のときに父親が多額の借金を残して失踪したことだった。

 それまで小さな幸せをいくつも感じながら穏やかに暮らしていた。

 どこにでもいるようなごく普通の家族だった。

 だが突如として、その日を境に崩壊してしまったのだ。

 そして少しずつ、着実に、私の人生の歯車が狂い始めた。


 いつも笑顔で優しかった母の暖かさ。

 家族のために遅くまで働いてくれた父の背中。

 好きだった――大好きだった。

 そんな2人が私の前からいなくなってしまった。


 次第に母は借金返済のための生活に精神を病み、荒れ狂うようになった。

 親戚も隣人も母と関わることを恐れて離れていった。


 今思うと、公的機関に助けを求めれば良かったのかもしれない。

 だが母のことを考えると、家から出るという選択は私にはできなかった。

 母は何も悪いことをしていないのだから。むしろ必死に働いて返済しようと努めていた。

 それに今の母には私しかいない。

 どれだけ否定されても嫌われても、私まで離れてしまったら母は一体どうなってしまうのか。

 私だけでも傍にいなければ……。


 不運なことに、それだけでは終わらなかった。

 どこから情報が漏れたのか噂を聞いた学校の人たちも私から離れていったのだ。

 それまで仲良くしていた友人たちも親に言われたからと私と関わるのをやめた。

 教師たちも家庭の事情に踏み込もうとはしなかった。


 私は、1人になった。






 母は朝から仕事なので出勤時間に合わせて私が朝食と弁当を用意する。

 食事をするときはもちろん1人。特別まずくも美味くもない。

 そういえば母から感想を言われたことがないが……どう思っていたのだろう。

 毎回弁当は空になっていたから、まずくはなかったのかな。


 それから学校へ行く。私は徒歩圏内の公立高校に通っていた。

 正直のところ高校になんて行けるのかと悩んでいたが、母が近所の公立高校を勧めてくれたので進学することにした。


 何故勧めてくれたのかはわからなかった。

 体裁を整えるためか。私の将来を案じてくれたのか。

 今はもう知るすべがない。


 勉強は人並み以上に勉強していたので成績は良かった。

 加えてそこまで頭の良い学校という訳でもなかったので、普通に合格できた。

 高校生になってからもひたすら勉強していた。

 クラスメイトが放課後に部活に熱中したり友人たちと遊んでいる中、教室で1人勉強する毎日。

 勉強している間は人と関わる必要がなかったので、暇な時間は勉強して時間が過ぎるのを待っていた。


 もちろんバイトもした。

 うちの学校は校則によるアルバイト規制が無かった。


 老人ホームの調理バイト。

 家のポストに求人チラシが入っていたことがきっかけで応募した。

 少しでも生活の足しになればと働いた。母も少しは楽になる、そう願って。

 だが学生のアルバイトなどたかが知れている。

 学校生活との両立はとても厳しいものだった。


 加えて人間関係が上手くいかず、怒られることが多かった。

 仕事のミスによる叱責。家庭環境や学歴を理由にした暴言。人格否定。

 その時間は高校生が1人で耐えられるものでは到底無かった。


 家に帰ると風呂掃除と洗濯。

 そして夕食を作り1人で食べる。その時間までに母はまだ帰ってきていないので作り置き。

 あとはもろもろやって最後に寝るだけ。

 そんな毎日の繰り返し。






 私の生活は何もない。

 楽しいことも嬉しいこともない。何かを望んだところで意味がない。

 周りの人たちが笑顔で過ごしているのを見て、何故こんなにも差があるのかと惨めになるだけ。






 私は何が好きなのか。何をしたいのか。

 何が苦手で何をどう思うのか。

 わからない――もう、どうでも良い。


 




 17歳になった今でも友人と呼べる人などいない。

 私の人生において頼れる人などどこにも存在しなかった。


 唯一の救いと言えるのは息が詰まったときに忍び込んでいた立ち入り禁止の場所と、気づいたら傍に寄り添ってくれていた野良犬と野良猫の存在だけだった。


 この2匹も私と同じでおそらく帰る家がないのだろう。

 もともと野良として生まれたのか、誰かに捨てられたのかはわからない。

 ただ今まで2匹寄り添って必死に生きてきたということだけは明白だった。


 私の少ない稼ぎから2匹のご飯を買って、一緒に食事をしたりした。

 ときには私の話を2匹に聞いてもらったり、ただひたすら撫でまわしてみたり。

 今思うと……とても穏やかな時間を過ごしていたんだな。

 私の唯一の癒しだった。

 だがそんな大切な2匹も私が17歳になった年の秋、突然旅立ってしまった。



「またひとりになっちゃった……」



 夕日に照らされた美しい街並みが良く見える開けた場所。

 私は寂しげな笑顔で、そこに建てた2匹の小さな墓に花を供えた。

 供えた花はシオン。淡い紫色の美しい花。


 肌を刺すような冷たい風が私の髪をなびかせる。

 風下の方を向くと、そこには美しい景色。

 それらは色褪せた私の心を癒すと同時に、なんとも言えない感情にさせた。



「あれ……?」



 突然1粒の雫が落ちた。

 溜め込んでいた感情の防壁が決壊してしまった。

 何年ぶりに泣いたのだろう――私はただひたすら泣きじゃくった。






 もう無理だよ――生きる希望なんてない。

 今まで精一杯頑張ったよ。

 世の中の人はそれは甘えだと言うのだろうか。

 たとえそうであったとしても、もうどうでも良い。

 どうせ私の気持ちを理解しようとはしてくれない。






 私は2匹に背を向け、夕日に向かって歩き出した。

 そして風に背中を押されたように色褪せた日々からの1歩を踏み出す。



「今、逢いに行くよ」



 私は崖から飛び降りた。

 不思議と体が軽くなった気がした。

 背中に翼が生えたような――そんな感覚。






 享年17歳。

 私の人生は幕を下ろした。

 ここですべてが終わるはずだった。


お読み頂きありがとうございました。

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