◆第六話 やり残したこと
「────しばらくして、オレはやっと動けるようになったんだ。扉を開けて中を覗くと、赤い血が床に滲んでいて、もうジローニも魔人もいなかったよ。死体がダンジョンに吸収されちまった後だったんだ」
ギルドの酒場。かつてジローニの指定席だった場所で、アークの独白をディアはずっと静かに聞いていた。
「あの日からよ、オレはずっと空っぽなんだよ。なんでボス部屋を見たいなんて言っちまったのか。なんであのとき、根性を振り絞って体を動かさなかったのか」
「……」
「お前を弟子にしてからよ、蘇るんだよ。あの頃がよ。それで思い出しちまうんだ。オレにはやり残したことがあるってよ」
「……」
「オレは、いつかあのバケモンに立ち向かってよ。ワンパン食らわしてやんねえと、冒険者を辞めるに辞められねえってよ……!」
アークは顔を歪めながら、弟子に自分の思いを吐き出した。みっともないことだと解っていながら、その吐露は止められなかった。
「その牛の魔人を一発殴れば気が済むのか?」
ずっと黙って話を聞いていたディアが口を開いた。
「ああ、次の瞬間殺されるだろうがな。へへっ、すまねえ。つい無理なことを頼んじまうところだった。やっぱり忘れてくれ」
「わかった。連れていってくれ」
「あ?」
「十一階層のボスをやるのに一緒に来てほしいんだろう? 連れていってくれ」
「だって、お前、旅に出るって……」
「アークのおかげでサキが笑ったんだ」
「サキ? 誰だそれ?」
「姉のような元メイドだ」
「なんのことかさっぱりわからねえんだが」
「サキは病気で死んだ。だけど死ぬ前にアークの話をしたら楽しそうに大笑いしていたんだ」
「お前ほんと説明下手くそだな。病人に一体なんの話してんだよ。て言うか本当にいいのか? とんでもねえバケモンだぞ。いくらディアでもマジで死ぬぞ」
「もうサキがいないから、死ねない理由がなくなった。行くなら早く行こう」
ディアが荷物を持って立ち上がった。
「お、おい。今から行くのか?」
「もう宿を引き払ってしまったんだ。それとも何かすぐに行けない理由でもあるのか?」
「……いや、ねえな。先延ばしにする理由なんか何ひとつねえ」
「じゃあ行こう」
アークは立ち上がり、そのままディアを連れてギルバレダンジョン十一階層へ向かった。
入り口からそのまま十一階層に転移した。十年以上経ってもまだ印は有効らしい。
(変わらねえな……)
広く天井の高い洞窟は、アークにとっては約十一年振りの景色だった。アークは自分が生きて帰れるとは思っていなかったが、ギルドから台車を借りて持ってきていた。あの牛頭の魔人と戦っても、ディアなら生きて帰れるのではないかと思っていたのだ。
「アーク、魔物が来る」
ディアに声を掛けられて剣を構える。広い通路の奥から牛の魔物が突進してきた。あの頃はさんざん狩っていた相手だ。これくらい倒せないと、あの魔人に立ち向かうなんてとてもできないはずだ。
「魔牛だ、こいつはオレがやる」
「わかった」
アークは直線的に突っ込んでくる魔牛をなんとかかわしながら仕留めた。若い頃の動きをまだ体が覚えていたようだ。
「これが金貨三十枚の魔物か?」
「おう、これはディアにやるぜ。付き合ってもらった報酬だ」
「ありがとう。生きて帰ったら換金する」
ディアが魔牛を持ち上げる。死体は台車に乗せておけばダンジョンに吸収されないのだ。
「ディア、ここがボス部屋だ」
「じゃあ入ろう」
ディアは扉を開けてスタスタと中へ歩いていった。
「お前ほんと緊張感のないやつだな」
そう言うアークも、来る前はもっと緊張するかと思っていたがディアといると不思議と平常心でいられた。
「まったく、調子が狂うぜ」
扉の中に入る。ボス部屋の中はあのときと変わりなかった。人工的な石造りの部屋だ。
「……来た」
ディアがそう呟き、背負っていたリュックを床に置いた。ゴゴゴッと重い音が鳴り響いて奥の扉が開く。そして中から斧を片手に牛頭の魔人がゆっくり歩いてきた。十一年ぶりの再会だった。
(ついに来たぜ、ジローニ……)
魔人は歩みを止めて二人をジッと見つめる。
「あれがそうか?」
「ああ、そうだ。あいつがジローニをやったやつだ」
人間の倍ほどある背丈と筋肉。見るだけで威圧感に飲まれそうになる。
「ようこそ人間。久しぶりの来客だ」
「ほんとに喋るんだな」
ディアは特に驚く様子もなく魔人を見据えていた。
「おや? そっちの男は以前会ったか?」
「覚えてんのかよ。光栄なこったな」
「レベルは……36か。確か前は27くらいだったはずだ。修行が足りないんじゃないか?」
「くすぶっていたのは間違いねえな。おい、以前オレと一緒に来た男を覚えているか?」
「髪の長い男だな。覚えているぞ。一振りで死んでしまったがな」
(この野郎、絶対に許さねえ……!)
「そっちの小さい方は良く見えないな」
魔人が目を凝らしてディアを見つめる。
「悪いけどおしゃべりは得意じゃないんだ」
「はははっ、ディア! やっぱりお前は最高だ!」
「これは失礼した。じゃあ始めようか、動けるものならな!」
ブモオオオオオオオ!!!
牛頭の魔人はあのときと同じく【威圧】の咆哮をあげた。
「くっ!」
ビリビリとした魔人の【威圧】を受けて、アークは十一年振りの感覚を思いだす。
これでもかと激しくなる動悸。これが本当に自分の心臓の音かと思わせる。湧き上がる恐怖心から、目と鼻から液体が止まらない。視界がみるみる狭くなってくる。
(怖い)
(覚悟を決めたはずなのに!)
(死んでもいいと思ってきたのに!)
(体に力が入らねえ!)
「がぁっ! ググうぅぅ!」
必死に抗うアークの隣で、涼しい顔のディアは歩き始める。
「ほう、この【威圧】に耐えるか」
「何かしたのか?」
ディアの体がブンッと消え、
(やりやがった……!)
同時に魔人の足から血が吹き上がった。あの魔人に、ダメージを負わせたのだ。
「ぐっ! 人間、何をした!」
「剣で斬っただけだ。斬り落とせないなんて丈夫だな」
再びディアが姿を消す。すると二度目にして片方の足首から先を斬り落とすことができた。
(なんてやつだ。今ならやつを倒せる。チャンスなんだ!)
「アーク、動けるか?」
「あああ! クソっ! 動け! 動けよぉ!」
アークはまだ【威圧】の影響に抗っていた。ディアはそれを見て、一人で魔人に斬りかかる。
(情けねえ……! 弟子の前でなんてザマだ!)
ディアの剣は斧で防がれて折れてしまった。それでも予備の短剣を抜き、再び斬りかかる。
(くそッ! 動け!)
魔人が斧を振り下ろし、ディアが短剣で防ぐとまたしても折られてしまった。
これでディアの手持ちの剣は無くなった。武器を持たないディアは、再び一人で魔人に飛びかかっていった。魔人が斧を振り下ろす。ディアは襲ってくるそれをなんとか掴んだが───
「フンッ!」
魔人はそのまま斧を振り回す。ディアが投げ飛ばされて、壁に叩きつけられた。力こそ強いが、体重は普通の子どもと変わらないのだ。
(クソ! またオレは! 仲間を……!)
そこに、かつての師匠の言葉が脳裏に蘇った。
『アーク。いつだって、何かを始めるのに遅過ぎるなんてことはない。大事なのは、その一歩を踏み出すかどうかだ』
(ジローニ……!)
『アークが強くなって十階層を踏破したら、また一緒に深層を目指そうぜ』
(オレは……あれから! ずっとこのときを待っていたんだ!)
『アーク、じゃあな……』
「うおおおおお!」
『スキル【不屈】を獲得しました』
アークの脳内に知らない声が流れた。そのまま、ディアに襲い掛かろうとしている魔人の背後に走りだし───
「グアッ!」
全体重を乗せて剣を突き刺した。
(へへ、ざまあみろ。やってやったぜ、ジローニ……)
「ま、待たせて悪いな……」
「おのれえぇぇぇ!」
魔人は激昂して振り向き斧を振る。アークの片腕が斬り落とされ、そのまま胴体からも鮮血が舞った。
「充分だ────」
弟子の声が聞こえた。と共に、魔人の首から大量の血が吹き出ているのが見える。
「グ、グオオ……オオ……」
見るとディアが魔人に大剣を叩きつけていた。首の半分ほどに大剣がめり込み、目から光が消えていく。やがて膝から崩れ落ち、大きな音と共に埃を舞い上げた。
(死んだのか? ディア、お前……)
同時に大量の何かが体の中に吸い込まれていくのを感じた。
「や、やった……。ディア、やったんだな!」
「うん、死んでいるな」
アークは肘から先の無くなった腕を押さえながら、ディアに駆け寄る。すると、ディアが持つ大剣は見覚えのあるものだった。
「ディア……、その大剣は……」
「吹っ飛ばされたところに落ちていたんだ」
視界が暗くなり、息づかいが激しくなっていく。
「ハァ……ハァ……、そいつは……、ジローニの愛剣だ」
「そうなのか。丈夫な剣で助かった」
「へへっ……、オレとディアとジローニ、三人であのバケモンをやったんだ……」
「そういうことになるな」
自分の生命力が尽きていくことを感じる。アークはもう痛みもよくわからなくなってきた。
「ハァ……ハァ……、さっきの……オレ……、カッコよかったか?」
「鼻水を垂らしていていたときか? 別にカッコよくはなかったが」
「おい……、そこはカッコよかったって……、言う流れなんだよ……」
「でも助かった。一発やれて良かったな」
すでに自分が助かることはないとわかっていたが清々しい気分だった。
(もう思い残すことはねえ……。あの世で師匠に報告だ……)
「ディア……、オレのギルド証を持っていけ。預金は全部お前にやる……」
「そうか? あ、ちょっと待っていてくれ」
ディアはリュックを取りに行き、戻ってくると薬瓶を取り出した。
「ハァ……ハァ……、なんだそれは?」
「ハナエの作ったポーションだ。まだ余っていたから持ってきた」
はらわたが見えそうな腹部の傷に、少しずつポーションを垂らしていくとみるみる傷が塞がっていった。さらに斬り落とされた腕をあてがって接合部にポーションを垂らしてみると、どうやらくっついてはいるようだ。
「アーク、口を開けてくれ」
最後の数滴をアークに飲ませた。すると、フラフラだった頭が少し回復した。
「どうだ?」
「す、すげえ……。まだ腕は動かせねえが、治っているみてえだ」
「良かったな」
「こんなポーション、見たことねえよ」
「これは薬師のハナエが作った最高品質のポーションだ」
「最高品質って……、金貨五十枚出しても手に入らねえってシロモノじゃねえか!」
「そうなのか? 金貨三十枚で売ってもらったんだが……」
ディアはリュックを背負い、アークに肩を貸して立ち上がらせた。
「な、なあ、さっきの預金を全部やる話だけどよ……、やっぱり無しにしてくれねえかな……?」
「さっきのアークはカッコよかったな」
「頼むよ!」
そんなやり取りをしていると背後にブンッとした気配がした。
「……!」
二人が振り返ると、目に映ったのは悠然と立つ銀色の狼だった。
「ま、マジかよ……。ここでアイツが……」
「十階層のボス……?」
狼はゆっくり歩いて、倒れている魔人の死体を一暼すると、二人の方に視線を向き直す。ディアは左手の指輪に手を当てていた。
「アーク、逃げろ」
「ダメだ! お前が逃げるんだ、ディア!」
アークはまた仲間に助けてもらって命拾いをすることだけは絶対に許せなかった。この十年ほど死んだように生きてきた。あの牛頭の魔人を倒せた。それでもう思い残すことはないと、先ほど死を受け入れたばかりなのだ。
「ミノタウロスを倒したようだな」
「しゃ、喋った?」
突然話しだした狼に狼狽えるアーク。
「ミノタウロス? その牛頭のことか?」
「そうだ。個体名はなく種族名だがな」
だが、ディアは表情を変えずに狼と会話する。
「あんたには個体名があるのか?」
「我が名はユニ。種族はフェンリルだ。汝の名は?」
「ディア。人間だ」
(ディアは少しでも戦闘を避けるために会話しているんだ。こいつ、こんなときになんて精神力なんだ……)
あのユニという狼の魔物は、かつてアークが一年も戦った相手だ。
(フェンリル? やけに頭の良さそうな魔物だと思っていたが、やっぱり喋れるのか。やつは今まで何度も死んでは湧いているはずだ。もう不死身じゃねえか……)
「ユニ、戦うんだったら後ろの男は見逃してくれ。怪我をしているんだ」
「もとより汝らを殺すつもりはない。だがディアよ。汝にはついてきてもらうぞ」
「わかった」
「お、おい! ディア、何言ってんだよ!」
「アーク、外に置いてある素材を換金しておいてくれ」
そう言い残すと、ディアとフェンリルのユニはその場でヒュッと消えた。
「待ってくれ! ディア! ディアーっ!」
他に誰もいなくなったボス部屋に、アークの叫び声が響き渡った。