◆第五話 黄金時代
アークはギルバレに来て一年も経つ頃には、師匠であり相棒のジローニの教えによって冒険者として成長していた。
「アーク、ここからは一人で潜るんだ」
五階層を踏破した日、いつもの酒場の席でジローニが言った。アークは動揺したが、元々はしばらくの間という話だったのに一年も付き合ってもらったのだからと、自分を納得させた。
「そうか……、今までありがとうなジローニ」
アークは気落ちしながらも礼を言った。
「ふふ、そうじゃない。十階層のボス部屋は一人しか入れないんだ。だから結局一人でも戦えるようにならないと十階層からは先には行けないのさ」
「それで、ここからはオレ一人で潜れってことか。わかったぜ!」
ジローニに見捨てられたわけじゃないと知って、アークはすぐに気を取り直した。
「アークが強くなって十階層を踏破したらまた一緒に深層を目指そうな」
アークはソロで潜るようになってからも順調に階層を進めていった。ジローニとは別行動だったが、たまにギルドで顔を合わせれば酒場のいつもの席で一緒に飲んだりはしていた。その日も二人はテーブルに向かい合っていた───
「なあ、ジローニは十階層のボスを倒したんだよな? ボスの素材はめちゃくちゃ高価らしいじゃねえか。もうやらねえのか?」
「ああ、もう二度とやりたくないな」
「一度は倒しているんだろ? どうやって倒したんだ?」
「どうして勝てたのか今でもわからんな。必死にやったらなんか勝てた」
「なんだそれ? 参考にならねえなぁ」
「ただ、なんとなくあの狼は魔物らしくなかったな。こう、知性があるって言うか」
「どういうことだ?」
「必死だったから記憶が定かじゃないんだが、まるで稽古をつけられている感じだった。実際、死ぬほどやられても殺されることはなかったしな。それで五回も挑んでようやく倒したのさ───」
ジローニの話を聞いたアークは、早く十階層のボスと戦ってみたくなった。アークが思うに、ジローニは凄腕だが根っからの冒険者である。なるべく慎重に魔物を倒して、素材を持ち帰ることを優先するタイプだ。そこに強さを追求する気持ちはない。だがアークは強くなりたいから剣術を始めたこともあり、ダンジョンでも強くなることを求めた。
実際、魔物を倒すたびに自分が強くなっていくのがわかった。剣術での修行によって強くなっていったときと違い、ダンジョンで魔物を倒すとまるで相手の強さを吸収するような気がするのだ。ソロになってからは特にその感覚が強かった。
「十階層のボスに勝ったらどんだけ強くなれんだろうなぁ……」
その後二年が経ち、アークは十階層のボス部屋に辿り着いた。話に聞いていた通り、銀色の大きな狼が悠然と立ってこちらを見ている。まるでアークを値踏みするように。
「こりゃ、確かに普通の魔物じゃねえな……」
ジローニから聞いた話を思い出していた。確かに知性を感じる。足を踏み出そうとすると、いきなり側面から殴られてアークは吹っ飛んでいた。
「嘘だろ。あんだけ離れていたのに全く見えねえ……」
まるで瞬間移動したかのようだった。なんとか立ち上がると、今度は背後からまた殴られた。それの繰り返しだ。
「はぁ、はぁ……、俺には爪を立てるまでもねえってのか……」
結局気を失うまでやられ続け、気がついたらボス部屋の前で目が覚めた。
それからアークはボスに挑戦しては敗れ、怪我が治ればまた挑むの繰り返しだった。ジローニが倒すのに五回かかったと聞いたとき、自分は一回で倒してやるなどと考えたものだが考えが甘かった。やっぱりジローニは凄腕の冒険者だと今更ながら思い知らさせた。
その後、半年以上かかって、ようやく爪を立てて攻撃してもらえるようになった。もう何回挑んでいるのか数えることもやめてしまい、ボスに挑んで一年経った頃、やっと倒すことができた。
何故勝てたのかわからなかったが、なんとなく手加減をされた上で仕方なく合格させてもらったような気分だった。
「ジローニ、待たせたな!」
十階層を踏破したアークは再びジローニと組もうと声をかけた。
「ずいぶん時間がかかったな。三年くらいか? 俺もそろそろ引退だぞ」
「ま、待ってくれよ、あんたが言ったんじゃねえか。オレが強くなったら一緒に深層を目指そうって」
「待ちくたびれたよ。今俺は副ギルドマスターにならないかって誘われているんだ」
「そ、そんな! それはめでたいけどよ……」
落胆するアークを見てジローニがフッと笑みを浮かべる。
「まあ約束は守るさ。ただし、あと一階層だけだ。過去の最高到達階は十一階層だからな」
「ほ、本当か! わかった、それでいい!」
再び組むことになった二人は、アークの十階層踏破を酒場で祝うことにした。そのとき、ジローニは珍しい話題を口にしていた。
「なあ、アーク。この世界ってのはなんだろうな」
「は? 世界?」
何を疑問に思っているのか、アークにはわからなかった。
「例えば、俺たちが話しているこの言葉。ニホンゴって言うだろ?」
「ああ、そうだな」
「俺の知る限り、ニホンなんて国はない。なんでニホンゴって言うんだろうな」
「さあ、考えたこともないな」
おかしなことを気にするんだな、とアークは思った。
「他にもダンジョンってさ、好きな階層に転移できるし、死体は消えるし、おかしいと思ったことはないか?」
「そう言われりゃそうだけどよ、元々そういうもんだからおかしいとは思わねえな。日が登って沈むのと同じようなもんだぜ。理由なんて誰も考えねえよ」
「アークは知らないだろうけど、魔物を倒すと物が出てくるダンジョンもあるんだよ。武器とかお宝とかがさ」
「なんだそれ? めちゃくちゃいいじゃねえか」
「まあ、もらえるのに越したことはないけどな。その仕組みがさっぱりわからないんだ」
「そんなことを考えるのはあんただけだぜ。冒険者はたいがい単純だからよ」
別に仕組みがどうなっていようが、ダンジョンは魔物を倒せば素材が手に入る。そういうものだ。それが冒険者の共通認識だった。さらにこんなことも言っていた───
「なあ、アーク。冒険者にとって一番大事なことは何かわかるか?」
「今度はなんだよ急に。そうだな、強さかな? いや、稼ぎか?」
「死なないことだ」
ジローニは珍しく真面目な表情をしていた。
「冒険者はな、パッと稼いでパッと辞めるのが一番なのさ。どれだけ稼いでも死んだら金なんて持って行けないだろ? アークも稼いだらいい女を見つけてさ、とっとと冒険者なんか辞めて結婚でもしろよ」
「そうか、そうだな。覚えておくよ」
「まあ、ギルバレにいる限りいい女に出会うことはないんだがな」
「じゃあ、辞められないじゃねえかよ」
翌日、二人は十一階層に潜った。そこは広めの洞窟で大型の魔物を予感させた。このとき二人はギルドから台車を借りて持ってきていた。もし一人が死ぬようなことがあれば死体を持って帰るためだ。不吉ではあるが、それだけ十一階層には緊張感を持って臨んだ。
そして現れたのは大きなツノをもった牛の魔物、魔牛だった。魔牛はかなりの速さで向かってくるが、その動きは直線的だ。二人はかわしながら何度も剣で攻撃して、どうにか倒すことができた。
(さすが十一階層、ボスでもねえのにかなりの強敵だぜ……)
アークは十一階層の難易度を改めて実感する。大きな獲物だったが、念のために持ってきた台車で死体を丸ごと持って帰ったら金貨三十枚で売れた。あの十階層のボスの素材でさえ金貨二十枚しなかったのにだ。査定によると、魔牛はツノや革、肉から内臓まで全て最高級とのことだった。
その日から二人は十一階層を狩り場にした。アークもB級冒険者に昇格して羨望の眼差しを集めるようになる。二人は大金を手にして、もう充分稼いだから冒険者を引退しようかと話し合った。
「なあジローニ、もしかしたら大昔の冒険者も充分稼いだからそこで辞めちまったんじゃねえかな? だから、ここが最高到達階層なんだよ、きっと」
「そんな単純な理由とは思えないけどな。だがもう次が最後だ。あと一回潜ったら冒険者は引退だ」
その日、二人はこれが最後と決めて十一階層に潜った。最初は手こずったが、その頃には魔牛を仕留めることもすっかり慣れていた。そんなとき、
「ん? ジローニ、あれは……」
「ボス部屋だな」
何度も魔牛を狩っていた二人の前に、見慣れた木製の扉が現れた。
「なあ、一度だけボス部屋を覗いてみねえか?」
「ダメだ。何があるかわからん」
「でも、これが最後なんだよな? なにも倒さなくていいんだ。もう、ここに来ることは二度とねえ。だけど、これからの冒険者のためにもどんなボスが出てくるか確認しておきてえじゃねえか。少しでもギルドに情報があれば今後の役に立つんじゃねえのか?」
そう言うとジローニが少考していた。アークと違ってボスを倒したいなんて願望はないはずだが、方便であっても一理あると考えているのだろう。ギルドの持つ情報は多いほどいい。この階層の情報は現状、彼らにしかもたらすことができないのだ。
「絶対に戦わないか?」
「ああ、どんなボスなのか確認したらすぐに逃げるぜ!」
ボス部屋は、一度入ったらボスを倒すまで出られないといったような仕組みはない。ボスを一目見てすぐに引き返すことは誰でもやることだ。
(おそらくこれまでのボスを見るに、ここのボスはでかい牛の魔物だろうな。あの狼のような知性を持っている可能性だってある。どんなやつか確認したらすぐに引き返せばいい……)
油断は禁物だが、戦わないと決めて入るなら大丈夫だろう。二人にはそんな共通認識がうまれた。
「どんなに強そうでも弱そうでも絶対に戦うなよ?」
「大丈夫だっての! 死なないことが一番だからよ!」
そして二人はボス部屋に入っていった。すると、そこはいつものボス部屋と雰囲気が違った。他の階層ボスの部屋は広い洞窟だったが、ここは人工的な作りになっている。壁が石垣のようなものでできていて、正面には巨大な扉がある。床も石畳だ。そして何より、ボスがいない。二人は部屋の中に歩みを進めてみた。
「なんだよ、ここは……」
「アーク、ヤバい予感がする。もういい、引き返そう」
ジローニがそう言ったとき、ゴゴゴッと重たい音と共に正面の扉が開き始めた。うっすらと、巨大な影が見えた。
「ジローニ! 魔物が出てくる!」
「アーク! 引き返すんだ!」
二人は入り口まで全力で走った。そして扉を開きかけ、そこで振り向いた。
目に映ったのは、手に巨大な斧を持ち、二本足で立つ牛の頭をした魔物の姿だった。
「な、なんだよ。ありゃあ」
「アーク、あれは魔人だ……」
魔人。人の形をした魔物のことだ。聞いたことはあっても、アークは実際に見たのはもちろん初めてだった。
────ブモオオオオオオオ!!!
直後、牛の魔人は全身がビリビリと震えるような雄叫びをあげた。すると、二人はピタリと動けなくなってしまった。
アークが感じたのは体験したことのない恐怖。まだ、戦ってもいない。何もされていない。それなのに叫び声を聞いただけで、まるで赤ん坊が母親に見捨てられたかのような不安感、絶望感、あらゆる負の感情が全身を駆け巡った。
「ア、アーク……、こ、これは、ただの、【威圧】だ! 惑わされるな!」
ジローニがかろうじてアークを鼓舞する。だがアークはまるで赤子のように涙が溢れたまま震えて動けずにいた。
「ほう、髪の長い方ははレベル42か。最近の人間にしてはやるじゃないか」
魔人が喋った。
「そっちは……、レベル27か。全然ダメだな」
牛の魔人はレベルがどうとか喋っている。なんのことかはわからないが、この魔人が圧倒的に自分たちより強いことだけは嫌でもわかる。
(クソっ、しくじった! ここまでか……)
そう思ったとき。
「アーク、じゃあな……」
ジローニが扉の外へとアークを蹴っ飛ばした。そのまま、ギギィと音を立てて扉が閉まる。
「ふむ、仲間を助けたか。まあ、あっちはたいしたことないから見逃してやろう」
「なかなか優しいじゃないか。ありがとよ」
そんな会話が、扉の外に放り出されたアークの耳に入ってきた────