◆第十一話 エルフィン
十年以上前、ギルアバレーク王国がまだ荒くれ者の集まる街ギルバレだった頃───
商店街から、一本裏道に入ると歓楽街となる。そこにはいくつかの娼館と飲み屋が建ち並んでいた。その娼館のひとつに隣接した家に、男が入っていった。
「おかえりエルフィン!」
「エルフィン、今日は何階層に潜ったの?」
「四階層だ」
「すげえ! 話を聞かせてくれよ!」
多くの子どもたちに迎えられた男の名前はエルフィン。新人を抜けたばかりの冒険者だ。エルフィンは数年前、フラッとこの街にやってきてこの歓楽街に住み着いた。
まともな人間なら近寄らない場所だが、面倒なしがらみもなくエルフィンにとっては悪くない住み心地の街だった。別に冒険者を目指していたわけではなかったが、やってみると性に合っていた。他人に気をつかうこともなく、死んでも自己責任。そんなところが気に入っていたのだ。
ある日、一人の女がエルフィンの元にやってきた。それは新人の頃に一度買った娼婦だった。その女は、手に赤ん坊を抱いていた───
「この子はあんたの子よ」
「俺はお前を買っただけだ。なぜ俺の子だって言うんだ?」
「あのとき、避妊の魔道具をしてなかったのよ」
何を勝手な。商売で相手をしたのだから、子どもができたのはそっちの責任だろう。エルフィンはそう思ったが、女は赤ん坊を置いて逃げてしまった。
「待て!」
追いかけようとするも、赤ん坊が泣き出してしまった。
「クソっ」
エルフィンは赤ん坊を抱いて揺らしてみる。すると赤ん坊は泣き止み、どこか笑っているようにも見えた。
「まいったな……」
*
「リンコ、いるか?」
「エルフィンかい? おや、なんだいその子は」
エルフィンは隣にある娼館の女主人、リンコのもとを訪ねた。
「昔買った女が置いていった。誰か母乳が出る女はいないか?」
「なんだって、そりゃ大変だ。スミレ! こっちに来ておくれ!」
リンコは一人の娼婦を呼んだ。どうやら母乳を与えてくれるようだ。
「可愛い子だねえ。あんたこの子どうするんだい」
スミレによって乳を与えられた赤ん坊がぐっすりと寝ている。リンコとエルフィンはその様子を眺めながら話していた。
「どうもこうも、買った女が勝手に置いていったんだ。女が見つからなければどこかに売るしかないだろう」
「まったく、これだから男は……。いいかい、確かにあんたは女を買っただけだ。でもそれはこの子には関係ない。子どもには親が必要なんだよ」
「そう言われてもな。子どもなんてどう育てるのかさっぱりわからんぞ」
「仕方ないね、あたしが手伝ってやるよ───」
その日からエルフィンは赤ん坊と同居するようになった。娼館には子どもを持つ娼婦もおり、一緒に世話をしてもらうかわりに稼ぎの一部を渡すのだ。
いっそ金を渡すから引き取ってくれないかと相談してみたが、それはリンコに断られた。
「子どもはただ育てるんじゃダメなんだ。前に言っただろう、親が必要なんだよ」
親と言われても、そんな意識はエルフィンにはなかった。しかしどこかに捨てるわけにもいかず、なし崩し的に面倒を見ることになったのだ。
「エルフィンいるかい? え、ちょっとあんた何やってんだい!」
ある日、リンコがエルフィンの家を訪ねると、そこにはナイフを持ったエルフィンと赤ん坊がいた。
「リンコか? 爪を切っていたんだ」
「そんなナイフで切るんじゃないよ! ちゃんと爪切りを使いな!」
「そうなのか? よく研いであるから切りやすいんだが……」
「まったく、あんたは……」
エルフィンは慣れないながらも赤ん坊の面倒を見ようとしていた。自分にに愛情があるのかはわからなかったが、なんとなく猫でも飼っているような気でいたのだ。
「あんた、そろそろ名前をつけてやったらどうだい」
「何も思いつかんな」
赤ん坊は女の子だった。エルフィンは人生において女の名前など考えたこともなかった。
「あんたの母親の名前は?」
「さあ、知らないな」
「困ったね、なんでもいいから名前を呼んでやらないと覚えないよ」
「じゃあ、ジルだ」
「いいじゃないか、あんたが考えたのかい?」
「孤児院で飼っていた猫がそう呼ばれていたんだ———──」
*
ジルはぶっきらぼうな父親と違って、明るい子に育っていった。娼婦たちもよく面倒を見てくれたし、その娼婦の子どもたちもよく遊んでくれたのだ。
そして新人だったエルフィンもD級冒険者となり生活も安定してきた。元々それほどやる気のなかった冒険者稼業であったが、ある若い冒険者が次々と記録を更新していく姿を見て刺激を受けたのだ。
「アークが十階層を踏破したってよ!」
「すげえな。若手じゃ一番の稼ぎ頭だろ」
そのアークという冒険者は、エルフィンより少し年上のC級冒険者だった。明るくて面倒見のいい男であり、エルフィンも何度か声をかけられたことがあった。
「エルフィン、D級になったんだな! 四階層は稼げるから頑張れよ」
「ああ、ぼちぼちやるさ、アーク」
性格的に人付き合いの苦手なエルフィンであったが、アークとはなぜか挨拶程度の会話は交わすようになっていた。
(俺とたいして変わらない年齢なのに十階層を踏破したのか。俺もそこまで稼げるようになれば……)
もし、そうなればジルを連れてまともな街に行くことだってできる。場合によっては、あの娼館の連中だって面倒を見ることもできるだろう。アークの活躍をみて、エルフィンはそのような希望を持つようになった。
*
エルフィンがダンジョンから帰ると、今日も家にはたくさんの子どもが待っていた。知らない子どもまでいるのだ。最近はもう慣れたもので、エルフィンも帰りに買ってきた干し果物などを子どもに渡す。
「今日はなんの魔物を倒したの?」
「もうボスと戦ったのか? エルフィン!」
そこにいる子どもたちは、母親はいても父親がいなかった。全て娼婦の子どもなのだ。そんな彼らにとって、エルフィンは憧れの父親であり英雄だった。
エルフィンは順調に階層を進め、C級冒険者となった。その頃、アークは相棒と組んで十一階層まで進み、B級冒険者となって稼ぎまくっていた。一匹で金貨三十枚の魔牛を毎日狩ってくるのだ。
(アーク、もうあんなところまで……。俺もあそこに辿り着けば……)
エルフィンは子どもたちの顔を思い浮かべる。まだ小さいが、ろくな教育もできていないのだ。このまま大きくなっても男は冒険者となって半分は死に、女は───
(ジル……、待ってろよ……)
元はエルフィンに父親の意識など微塵もなかったが、今では違った。まともな人間に育ってほしい。そう願うようになっていたのだ。
*
ある日、エルフィンが家に帰ると娼館から怒声が聞こえてきた。
「ババァ、いい加減にしろよ! ウチが面倒見るって言ってんだろ!」
「ふざけんじゃないよ、とっとと帰んな!」
どうやら、リンコがゴロツキとやり合っているようだ。ゴロツキは三人。腰には剣を吊っていて、一人は弓を背負っている。服装や装備から見て、冒険者崩れのようだった。
「リンコ。なんだ、そいつらは」
「エルフィン……、なんでもないよ。あんたは関係ない」
リンコの様子がおかしいと感じたエルフィンは男たちに向き合った。
「あ? なんだてめえは、すっこんでろ!」
「この娼館は俺が面倒見ている。なにか用か?」
「だめだよエルフィン!」
リンコの制止を無視してエルフィンはジッと男たちを睨んだ。
(抜いたら殺すか……)
そんなエルフィンの意思が伝わったのか、男たちは剣を抜かなかった。
「チッ、てめえ覚えたからな」
男たちは踵を返して去っていった。
「エルフィン、あんたなんてことを!」
「あいつらがどうかしたのか?」
どうやら、男たちはナオブ・ファミリーというマフィアの連中だそうだ。
普通、商売をしている者は冒険者ギルドに税金を納めて、その代わり見回りをしてもらっている。しかし、娼館や飲み屋などはケツモチと言って、マフィアがバックについて上納金を掠めるのだ。
だが、リンコの娼館はケツモチを持たなかった。リンコがゴロツキたちと張り合ってきたのだ。
「───そのケツモチっていうのは普通に頼むことはできないのか? 用心棒みたいなものだろう?」
「まともなマフィアならね。ナオブ・ファミリーは商品にも手をつけるような連中なのさ」
どうやら、あまりまともな組織ではないらしい。それでリンコはケツモチを渋っているようだ。
「他にまともなマフィアはいないのか?」
「どこも似たようなもんさ。結局、冒険者ギルドが一番頼りになるんだよ」
エルフィンも冒険者ギルドが街の見回りをしていることは知っていた。だが、常に張りついているわけではない。マフィアはその隙間で嫌がらせをして、ケツモチになるというやり方だった。
「次に来たら俺が相手をする」
「ダメだよ、エルフィン。あいつらはまともにやり合ってくれる連中じゃないんだ。あんたはダンジョンで強くなったんだろうけど、卑怯なことじゃあいつらの方が上なんだよ」
「卑怯なことか……」
「そうだよ。あんたも気をつけておくれ」
「ああ、わかった」
エルフィンはそう返事をしたが、ゴロツキ程度に負けるつもりはなかった。自分だって綺麗な戦い方をするわけではないのだ。
後日、エルフィンが冒険者ギルドに行くと異様な雰囲気が立ち込めていた。見ると、アークが酒場で真っ青な顔をしながら座っていた。
「まさかジローニがやられるとはなあ……」
「アークのやつ、見てらんねえな……」
どうやら、アークの相棒が十一階層で死んだらしい。
(アーク……)
エルフィンはアークに話しかけることができなかった。できたとしても、何も言えることなどないのだ。エルフィンは、目標としていた冒険者の落ち込んだ姿が脳裏に焼き付いてしまった。
だからだろうか、七階層で蜘蛛猿の魔物を狩っているときに───
ズサッ! とした音と同時に、視界が半分失われた。襲いかかる矢に気付くのが僅かに遅れたのだ。
物陰に隠れた男が放った矢はエルフィンの片目に命中した。
(しまった……)
続いて男の弓から矢が放たれる。エルフィンの頬を掠めた。目の前には蜘蛛猿の魔物、周囲からは弓矢の攻撃。しかも深傷を負ってしまった。
(まずはどうする……)
エルフィンはすかさず蜘蛛猿の脚に剣を叩きつけた。視界が不自由なので狙いがうまく定まらない。
(仕留めるのは無理か)
魔物を倒すことは諦め、脚を二本斬り落として動きを鈍らせたところでその場を脱した。
(弓矢を放った奴はどこだ?)
周囲を見渡すも、すでに逃げられてしまったようだ。だが、
(あの男は……)
リンコと揉めていた連中の一人だった。
(ナオブ・ファミリーの手先か……)
「落とし前はつけなきゃな」
そう言ったエルフィンは、片目に刺さった矢を引き抜いた。
エルフィンがギルドで傷の応急処置をした後、家に帰るとリンコが待っていた。
「エルフィン! こ、子どもたちが!」
見ると家の中が荒れていた。
「ああ、そういうことか……」
エルフィンは悟った。子どもがさらわれたのだ。
「ナオブ・ファミリーのアジトはどこだ?」
一悶着あったが、エルフィンはナオブ・ファミリーのアジトをリンコから聞き出した。そして、ゆっくりと歩いていく。
娘とその友達をさらわれたのだ。急いで走っていくのが普通であるが、エルフィンはそうではなかった。
このC級冒険者がソロで生き延びてきたのには理由がある。エルフィンは並外れた【冷静】で【合理的】な思考を持ち合わせていたのだ。
マフィアが子どもをさらったのは目的があってのことだ。ひとつは見せしめに殺すため。それならば、もう殺されているはずだ。
そして、生かしているなら人質として自分を殺すなりリンコの娼館を言いなりにするだろう。どちらにせよ、いい未来ではない。
(悲しむのは後でもできる……)
エルフィンは、すでにジルたちが殺された前提で行動することにした。ゆっくり歩いているのは、その覚悟を決める準備のためだ。
(覚悟は決まった。迷わずにやる……)
「おい、あの野郎来やがったぜ」
「一人かよ、ナメてんな」
ナオブ・ファミリーのアジトにエルフィンがゆっくり歩いてくる。アジトの前には二人の見張りが立っていた。
「おい、止まれ! てめえ、ガキの命が───」
言い終わらないうちに男の腹に剣が刺さっていた。そのまま横なぎに斬り裂く。
「ぐおお!」
「おい! 何やってんだ! ガキの───」
同時にもう一人の男の目に指が突っ込まれ、
「ぐああ!」
───眼球がくり抜かれる。
倒れた男の顔面をブーツで蹴飛ばし、残った目に剣を突き刺した。
「ぐああ! 見えねえ! 何も見えねえよ!」
最初に腹を刺した男は絶命していた。その首を剣で斬り取って髪を掴む。エルフィンは、その生首を手にして建物の中に入っていった。
「おい、来やがったぜ」
「見張りはどうした?」
中には五人の男がいた。人数というのはバカにできない。たとえ一人一人が弱くてもだ。正攻法では苦戦することがわかっていた。よって、
───エルフィンは生首を放り投げる。
「う、うわあ!」
「ガイの首だ!」
この一瞬しかなかった。五人の男が狼狽えた隙に、エルフィンは二人の首を斬り裂く。その血が吹きだしたことで他の三人の動きがとまった。一人の股間を蹴り上げ、同時にもう一人の足を刺す。残りの一人と対峙するエルフィン。
「ま、待て! ガキの命が惜しくねえのか!」
(やはりこれか……)
人質を取っていれば優位に立てると思っている。仮にこいつらの言うことを聞いて、人質が助かる保証などない。むしろ、自分が殺されたあとに殺されるか、もしくはもっと酷い目にあうのだ。
それならば、人質はすでに殺されていると覚悟を決めて皆殺しにしたほうが、万が一生きていれば救出できる。
「子どもは生きているのか」
「そ、そうだ! 今なら───」
生かしてやる、などと言うつもりだったのだろうか。すでにエルフィンがその首を斬り落としたので、その答えはわからない。
生きている残りの二人。一人は片足を斬り落とし、一人は壁に顔面を叩きつけたあとに眼球をくり抜く。大声で喚いたままの二人を部屋に残し、エルフィンは進んでいく。
(これでいい……)
仲間の喚き声があった方が、次の敵の集中力を欠くことができる。
次はどうやら最奥の部屋のようだ。ドアを蹴飛ばすと、猿ぐつわをされた四人の子どもと三人の男がいた。
男の一人がナイフをジルに当てている。
「ん───!」
「そこまでだ! こいつが見えねえのか」
「おいおい、やってくれたじゃねえか」
ニヤついた男が、顔を近づけてくる。
「こいつはテメェのガキだってな───」
その首を斬り落とし、噴き出た鮮血を浴びる。
「おい、ガキを殺すぞ! 剣を捨てろ!」
一人の男が剣を抜く───
その前にゴトッと首が落ちた。残るは一人。ジルの首にナイフを当てている男だけだ。
「き、聞こえねえのか! ガキの命が、」
「一人殺せば、お前は拷問したのちに殺す」
そう言ってエルフィンは、男の前に眼球を放りなげた。血管がついたままのそれが床に転がる。
「二人殺せば、お前は手足を無くした上で一生闇の中で生きることになる」
エルフィンは子どもが殺されていることを覚悟していた。ここで命乞いをしたところで結果は変わらないのだ。そして、その覚悟が男に伝わった。
「ひ、一人も殺さなければ……?」
「苦しまずに殺してやるよ」
*
「エルフィン!」
「うわああ、怖かったよお!」
「エルフィーン!」
解放された子どもたちがエルフィンにしがみつく。最後の男は約束通り、首を斬り落とされていた。
ナオブ・ファミリーのアジトの前には人だかりができていた。建物の前で両目を押さえた男が大声で喚いていたからだ。隣には首のない死体。
すると、建物の中から血を浴びた男が四人の子どもを連れて出てきた。群衆はそれを見て理解した。連れ去られた子どもを、この男が取り戻しにきたのだと。
血に塗れたその男は、喚いている男を一瞥すると表情を変えずに喉に剣を刺した。
「グ、ウググッ」
そのまま、子どもと手を繋いで男は歩いていった。
───その後、ナオブ・ファミリーの縄張りは一人の男に牛耳られていくことになった。