◆第四話 失くしたもの 2
「ディア様?」
「気づいたかサキ、気分はどうだ?」
ジューンの宿の一室。ミサキこと元メイドのサキは夜になって目を覚ました。ディアがベッドの横に椅子を置いて座っている。
「はい……、気分は悪くないです。あれほど全身が痛かったのにそれもないです」
「そうか、ハナエの薬が効いたな」
「ミサキお姉ちゃん! 治ったの?」
そこにモモが部屋に入ってきた。
「モモ、ミサキはまだ治している途中だ。ここはディアに任せておくんだ」
後からジューンが顔を見せた。
「だってミサキお姉ちゃん、ここ最近の中で一番調子良さそうだよ! このまま治っちゃうよ、きっと!」
「モモちゃん、心配かけてごめんね。お姉ちゃんが治ったらまた元気に働くからね」
「モモね、計算も覚えたしお仕事もちゃんとできてるよ!」
「えらいね、モモちゃん。お姉ちゃんがいない間はお父さんを助けてあげてね」
「ほら、行くぞモモ。ディア、すまんな」
「ううん、気にしなくていい」
ジューンがモモを連れて部屋を出ていった。部屋にはディアとサキだけが残る。
「ディア様」
「なんだ?」
「旦那様と奥様にあなたを託されたのに、僅か数年でこのようなことになってしまい申しわけありません」
「サキはよくやってくれた。俺が今こうして生きているのはサキがいたからだ」
「そう言ってもらって嬉しいですが、あのときは私こそディア様に命を救っていただきました」
「じゃあ、お互い様だな」
「あの、ディア様……。私はおそらくもう助からないと思います。今はお薬が効いてこうしてお話しできていますけど、自分でわかるんです」
「そうか、薬師のハナエもそう言っていた。治らない病気だって」
「それで、最期にお聞きしたいと思いまして……」
「なんだ?」
「あの夜のことです。あの騎士たちが来たとき、ディア様は突然人が変わったように強く、冷静になりました。そのおかげで私は助かったんですけど、あれはなんだったんでしょう?」
「自分でもよくわからない。サキが泣いている俺を引っ叩いただろう? あのとき、頭の中に何か声がしたんだ。何を言っているのか解らなかったが、急に知らない知識や生きるための方法が浮かんできた」
「あの、その節はすいませんでした。私もいっぱいいっぱいでしたので」
「いや、俺もあのときサキに言われたことがその通りだなと思えた。ここで泣いていても殺されるだけ、ご両親を無駄死にさせるつもりかって」
「ディア様はディア様ですよね? もしや別人?」
「泣き虫だった頃の記憶もちゃんとある。少なくとも別人じゃない。あとわかっていると思うが、あのときから俺は感情がない。楽しいとか悲しいとか感じなくなったんだ。小さい頃は確かにあったのは覚えている」
「でもディア様は暖かいです。笑わないだけで。思いやりはすごくありますよ!」
「そんなことはない。俺は剣を抜かれた相手は殺すようにしているんだが、人を殺しても何も感じない。あの夜と同じだ。それで冒険者の師匠に言われたんだ。殺す前にまず手加減してぶん殴れって」
「あはは! なんですかそれ! その師匠っていい人ですよ、きっと」
「ああ。口は悪いけどアークはいい師匠だ」
「あー、面白かった。ディア様、私がいなくなってもギルバレで冒険者をやるんですか?」
「いや、また旅に出る」
「この街は居心地よかったんですけどね」
「逃げている身だからな。仕方ない」
「しかし、あの魔女狩りってなんですかね。ただの言いがかりでしょうに」
「あのとき、お母様がすごい魔法を使っていた。お母様が魔女だったんじゃないか?」
「奥様は悪い魔女なんかじゃありません! 身寄りのなかった私をお二人がわざわざ引き取ってくれたのです!」
「そうだったのか。サキには故郷はあるか? 死んだら墓が必要だろう」
「私の故郷はあのお屋敷です。お世話になる前は孤児院に居たんですけど、ほとんど覚えていませんね」
「じゃあ死んだら遺体はどうすればいい?」
「冒険者が死んだらどうしているんですか?」
「さあ? そういえばアークが死体はダンジョンに運んで処分すると便利でいいって言っていたな」
「ははは! じゃあ私もそれでいいです!」
「そうか? じゃあそうするか」
「ディア様といっぱいお話しをしたのは初めてですね! 最期にこんなに楽しくて幸せです」
「そういえばそうだな。だが幸せってことはないだろう。こんな逃げまわっている生活で。結婚だってしていないのに」
「結婚なんていいんですよ! 私には旦那様と奥様にご恩を返すことの方が大事なのです。あ、そうだ。結婚はできないけど、私が死んだら骨の一部を身につけて下さい! そしたらこれからも一緒です!」
「わかった」
「ディア様、楽し過ぎてなんだか眠くなってきました」
「じゃあそろそろ寝るか」
「ディア様、多分最期になると思うんで手を繋いで下さい」
「わかった」
「えへへ、死ぬ前の特権です」
「手を繋ぐくらい、言えばいつでもしたけどな」
「えー、じゃあもっと早くから、言っておけば、良かった……」
「……」
────その翌朝、サキは永眠した。
*
ジューンの宿がある丘を裏手の方に進むと手付かずの草原が広がり、奥にはさらに小高い丘がある。そこに建てたサキの墓の前でジューン親子とディアは立っていた。
「うう、ミサキお姉ちゃん……」
サキが亡くなった日、遺体はダンジョンで処分すると言ったら泣き疲れていたモモが怒りを爆発させた。
『なあ、ディアが良ければ死んだ妻の隣に墓を作っていいか?』
そんなジューンの提案で、結局このギルバレにサキの墓を建てることになった。そしてディアはサキの遺体から左手の骨をもらった。サキとの約束で身につけるためだ。
墓にはミサキの名前が刻まれた。本名はサキなのだが、何よりモモたちにとってはミサキなのだからそれでいいのだとディアは思った。
「ええっ、ディアも行っちゃうの! このままいればいいじゃない!」
「モモ、ディアを困らせるな」
「だってえ……」
モモにかなり渋られたが、ディアはジューンに挨拶をして、一年ほどサキと過ごした宿の部屋を出た。
ディアはその足でハナエやアークに挨拶していこうと考えた。今までの旅の中ではそれほど深く人と関わることが無かったので、そんなことを考えたのは初めてだった。多分サキだったらそうするのではないか、そんな気がしたからだ。
ディアはハナエの薬屋に足を運んだ。
「いらっしゃい、坊や。ポーションの文句なら受けつけないよ」
「礼を言いにきた。あのポーションはすごい物だった」
「まさか……、病気が治ったのかい?」
「いや、でも苦しまずに死んだ。それに死ぬ前にちゃんと話ができた。ハナエの作ったポーションのおかげだ」
「そうかい……。だけど礼を言う必要はないさ。あんたは金を払ってあのポーションを買ったんだ。あたしはちゃんと対価をもらっているよ」
「それでもありがとう」
「……あんた、もしかしてギルバレを出ていくのかい?」
「ああ、これからギルドに寄ってそのまま旅に出る」
「ちょっとそこでお待ち」
ハナエは奥に行き、一冊の本を持って戻ってきた。
「あんたにこれをやるよ」
「これは?」
「それはあたしがまとめた薬草の本だよ。薬の作り方も書いてある」
「いいのか? こういうのは門外不出だと聞いたことがある」
「いいんだよ。弟子ができたら渡そうと思っていたけど、そんな気になるのはいなかったからね」
「これから弟子ができるかもしれないじゃないか」
「一人前の薬師になるには最低でも十年はかかる。それまであたしは生きちゃいないさ」
「なるほど、そうか」
「そこは否定しないのかい。まあいいよ。きっと役に立つから勉強するんだよ」
「わかった。ありがとう」
店を出ていくディアの後ろ姿を見て、ハナエは初めてディアが訪ねてきた日を思い出していた。
*
「───最高品質のポーションを手に入れたいんだが、用意できないか?」
ある日、冒険者の装いをした子どもが店にやってきた。普段からハナエはそんなことを聞かれても「できない」と答えるようにしているのだが、その子どもになんとなく違和感を覚えて事情を聞いてみることにした。するとどうやら、身内が不治の病になったらしい。医者の見立てだと余命三ヶ月から半年ほどだと。
「なるほどね。坊や、もしポーションがあったとしても病気にはほとんど効かないよ? 値段だってびっくりするほど高いんだ。坊やには金貨三十枚を払えるのかい?」
それは残酷なようだが子どもに諦めさせるための言葉だった。だが、
「わかった。用意する」
その言葉を聞いてハナエは少し驚いた。そんな家を買えるような大金を、こんな子どもに用意できるわけがないのだ。しかも病気は治らないと言っているのに。だが、この子どもは落ち着いた目で、金を用意できると答えた。話の内容から、患者は間違いなく乳のしこりから身体全体に悪い所が広がる病気だ。しかもこの子どもの姉なら年齢も若い。もしポーションがあっても、ほぼ助からないだろう───
ハナエはかつて、大国アイエンド王国にいた。
王都の学校を出て薬師ギルドで働いていたハナエは技術を磨き経験を積んでくると、それまで常識とされていた技術よりも効果的な技術がいくつもあることがわかってきた。
しかし、ハナエの薬師としての技術は受け入れられなかった。いくら効果的でも、それを認めてしまうと既存の薬師たちを否定することになってしまうからだ。材料の仕入れにも既得権益があり、一度よく売れた薬はもう製法は変えられないのだ。
そんな中、ハナエに魔女の手先じゃないかという疑いが持たれた。ハナエの作ったポーションが、ギルドのポーションより効きすぎるのだ。
そのことを教えてくれたのは、ギルドに勤める職員の一人だった。かつてその職員の母親がなかなか治らない病気を患っており、藁にもすがるつもりでハナエの調合した薬を与えた所、持ち直したことがあり、それを恩に感じていたのだ。
そこからハナエの行動は早かった。その日のうちに最低限の荷物を持ってアイエンド王国を脱出した。薬草の研究をしながらいくつかの国を旅して、このギルバレにたどり着いたのは三十年ほど前のことだった。
荒っぽい冒険者の街ではあるが、薬師としての需要もあるし何より薬草や魔物の素材が手に入りやすい。ここはどうやらエンパイア王国に属するらしいが領主らしき貴族もいない。ハナエはそんなギルバレを気に入り住み続けていた。
ハナエはディアと少し話して、この子どもの異常性に気づいた。薬で治るものではないが、幼少期などに辛い体験をすると無感情になったりする症状だ。ただ、その割には理性的だと感じたが自分だって全ての病気を知っているわけではない。様々な症状があるのだろうと思った。
適当に金貨三十枚と言ったが、この子どもはおそらく本当に持ってくるだろう。ハナエはそう感じていた。
最高品質のポーションは材料の仕入れだけでも金貨三十枚はかかる。なにしろどこで取れたのかわからないような植物や、ダンジョンの最下層にいる魔物の臓器などが必要だ。それでも足りない材料は、自分の持っていた物を使うしかない。金貨三十枚をもらっても完全に赤字である。
そんなポーションをこの子どもの言う患者に飲ませても助かることはないだろう。しかし───
「わかったよ。あたしが最高品質のポーションを用意してあげるよ」
そう返事をしていた。
(あたしもあと何年もつかわからないからね……)
現状、ハナエは自分以外に最高品質のポーションを作れる薬師を知らない。この子どもの言う患者を救うことはできないだろうが、これも何かの縁か。そう思って、全身全霊をかけてポーションを作ることにした。
*
ディアはハナエの店を出ると、次にガルフの武器屋に立ち寄った。サキの骨を身につけておけるように加工するためだ。
「ん? アークの弟子の坊主じゃねえか。剣の手入れか?」
「今日はいい。ガルフ、骨の加工はできるな?」
「ああ、装飾品で売れるな。何か作るか?」
「これなんだが……」
ガルフは人間の骨だと聞くと嫌がったが、サキの話を聞いたら綺麗に研磨された指輪を作ってくれた。ディアは指輪をはめると、最期にサキと手を繋いだ夜のことを思い出した。
(ディア様! これでいつも一緒ですよ!)
そんな声が脳裏に蘇る。
「ありがとう、ガルフ。いくらだ?」
「銀貨一枚じゃ」
「安くないか?」
「いいんじゃよ」
「わかった、じゃあこれ。それと今までありがとう」
ディアは銀貨を一枚カウンターの上に置いた。
ディアはガルフの店を出たあと、冒険者ギルドに向かった。酒場の方を見ると、いつもの席にアークが座っていた。
「よう、ディア。しばらく来なかったな」
「ああ、だけど用事はもう済んだ」
「あの金が必要だった話か? なんにせよ用事は終わったんだな。それで、ようやく次は十一階層か?」
「いや、もうダンジョンには潜らない。また旅に出ようと思っている」
「……そうか。いや、ちょっと待て。お前も座れよ」
そう言われてディアはアークの向かいに座る。アークは水と果実水を注文した。
「なあ、最後に一度だけ俺と組んでもらえねえか?」
「何故だ? アークはソロでも充分稼いでいるじゃないか」
アークは水を飲んで一呼吸置いた。
「このダンジョンの最高到達階層を知っているか?」
「知らない」
「十一階層だ」
「アークの仲間が死んだ所か?」
「そうだ、よく覚えていたな。そのときから誰も十一階層を踏破していない。つまり、オレの仲間を殺したボスがそのままいるってわけだ」
「仲間の仇を取りたいのか?」
「それもある。だが正確に言えば少し違う。オレはあの日からずっと止まったままなんだ。強いて言うなら、オレ自身のためだ」
アークは真剣な眼差しで遠くを見つめた。その先には何が映っているのか。ディアはアークの話に耳を傾けた。