◆第二話 若き日の回想
アークは元々、東の中堅国であるビス王国の辺境、プールイ領に仕える騎士だった。平民の彼が騎士に取り立てられた理由は領の剣術大会で優勝したからだ。幼い頃から騎士に憧れていたアークは剣術の稽古を欠かさずにしていたので、その成果が実ったかたちである。
騎士といっても国に仕える騎士ではないため、アークは街の警備のような仕事をしていた。普段は街で酔っ払いのケンカを収めたり、訓練で新人に剣の指導などしたりしていたが、基本的には平和な領地だった。そんな日々を過ごしていたアークに、ある出来事が起こった。
「おいアーク、聞いたか? 鉱山で魔石が出たらしいぞ!」
街の見回り中、同僚のニールにそんなことを言われた。
「はあ? 魔石なんてすげえじゃねえか」
「ああ、鉱山では大騒ぎだ」
アークの仕えるプールイ領は鉄鉱石が獲れる鉱山が主に産業を支えており、それほど栄えた土地ではなかった。そんな領地で突然、天然の魔石が産出されたのだ。魔石は魔物の体内から獲れるものだが、稀に地中に埋まった古代のダンジョンが良質の魔石を残すことがある。それは通常の魔石より高価なものだ。それが大量に採れるという。
「こりゃ閣下も喜ぶな。オレの給金も上がればいいけどよ」
アークはそんな明るいニュースを素直に喜んでいた。
ある日、いつものように街の見回りをしていると突然鐘の音がけたたましく鳴り響いた。訓練以外では初めて聞いた非常時の鐘の音だった。
「な、なんだ? 訓練じゃねえよな」
「アーク! 外国の奇襲だ!」
走ってきたニールにそう言われて急いで見張り台まで行くと、領地をずらっと取り囲む二千人ほどの兵士たちが見えた。
「な、なんだよ、ありゃあ。こんな田舎になんの用があるってんだ……」
そう漏らしたアークは、ひとつ原因を思い浮かぶ。
(まさか、魔石か? あんな物が採れるようになったら狙われてもおかしくねえ……)
領地を取り囲む兵士たちの中から、使者らしき男が出てきた。男は拡声器の魔道具で口上を述べる。
『プールイ領の者に告ぐ。この土地は歴史的にみて我々セント王国の領土であることが判明した。速やかに謝罪して土地を明け渡せ! 抵抗すれば包囲した我が軍が攻撃を開始する!』
「な、何言ってやがんだよ……」
セント王国軍の言っていることは到底理屈の通じないものだったが、今は議論をしている場合ではない。もうすでに囲まれているのだ。
「クソッ、こっちの戦力はかき集めて百人ってとこか。籠城戦で国に援軍を求めるしかねえ……!」
アークは領主館へと走った。
「閣下! セント王国のやつらが来やがった! 援軍の要請を!───」
───しかし、領主であるプールイ伯爵は戦わずしてあっさりと領地を引き渡した。それに納得のいかなかったアークは、伯爵に詰め寄ったらこう言われた。
「アーク、領民の命より大切な物なんてあるのか?」
その日、伯爵は幼い娘と妻、そして一人の執事だけを連れて追放された。
「閣下、なんでだよ……」
騎士や兵士たちはそのままセント王国に仕えることもできたが、そんな気になれないアークは騎士を辞めて旅に出ることにした───
「騎士を辞めたはいいけど、これからどうすっかな……。やっぱ冒険者になるくらいしかねえか」
旅の道中、アークは剣術の腕を活かして冒険者になろうと考え、ダンジョンの街ギルバレに辿りついた。冒険者ギルドでは簡単な試験があったが、得意の剣術ですぐに合格できた。
晴れてE級冒険者となったアークが、道具を揃えるために商店街を歩いていたときだった。
「キャアア!」
路上から女性の悲鳴が聞こえた。声のした方を見ると、一人の荒くれ者が女を路地に引きずり込もうとしているところだった。
「おい、何してやがる!」
アークが咄嗟に女を助けようと走りだしたとき───
「やめとけ」
誰かに背後から肩を掴まれた。
振り向くと、長髪をひとつに結い見たところベテラン冒険者といった風貌の男がアークの肩を掴んでいた。
「何言ってんだ! 誰だか知らねえが放っとけるかよ!」
「やつらはグルだ。いいから見てろ」
そう言われて路地の方を見ると、別の一人の男が女を助けようと路地に入っていった。
「あーあ、あれも新人か。仕方ない、様子を見てこいよ」
アークが路地を覗き込むと、助けに入った男は五人の荒くれ者たちと一人の女に囲まれていた。
「お前らグルか! その男を離せ!」
「なんだ? カモがもう一匹来たぜ?」
つい声を出してしまったが相手は五人。アークは剣を抜いて対峙した。
「抜いたな? 死んでも文句は言えないぜぇ?」
「何言ってんのよ。死んだら何も喋れないでしょ」
「ハーッハッハ! そりゃそーだ!」
女も荒くれ者たちの仲間だった。先手必勝とばかりにアークは素早く一歩を踏み出した。しかし、荒くれ者たちの中の一人に砂を投げつけられ、アークは視界を失った。目に砂が入って、目を開けようとしても開けられないのだ。
「クソっ! 卑怯な!」
「ああ、卑怯だよ? じゃあ死んでくれ」
剣が抜かれた気配がしたが、アークの視界はまだ戻らない。
(くそッ、こんなところで……)
「その辺にしとけ。可哀想だろ」
「チッ、ジローニか。おい、行くぞ!」
さっきの冒険者の声がした。荒くれ者たちが去っていき、囲まれていた男も礼を言って去っていく。
「おい、大丈夫か? 近くに井戸があるからそこまで我慢しろよ」
「くそっ、あんな卑怯なやつらだとは……」
「何言ってんだ。ここじゃあいつらの方が正しいんだよ」
「どういうことだ?」
井戸で目を洗ったアークは、ジローニという冒険者に酒場へと連れていかれてギルバレの常識を教わった。
「───それじゃ、騙されたやつが悪いってことか」
「そうだ。やつらは男一人だと見せかけて、別の四人が待ち伏せしていた。これはギルバレじゃ正当な罠だ。ダンジョンでも似たようなことはある」
「そ、それでも五人ならなんとかできるはずだったんだよ!」
「何ともできなかったじゃないか。魔物に目潰しされたら文句を言うのか? いいか、いくら剣術が優れていようと今のお前はここじゃ一番弱い。さっきの女一人でもお前を簡単に殺せただろう」
アークは何も言えなかった。
「授業料だ。ここの支払いは済ませとけよ」
「ああ……」
立ち去っていくジローニに、アークは気の抜けた返事をするのが精一杯だった。
しょぼくれた足取りで宿に帰ったアークは、ベッドに寝そべりながら今日のことを考えていた。
「オレが甘かったってことかよ……」
騙された自分が悪いというのは納得がいかなかったが、確かにあの男がいなければ自分は惨めに殺されていたであろう。地元の騎士団や兵士の中では一番強かった自分が、ここでは一番弱い。アークは認めたくなかったが受け入れるしかなかった。
(あのジローニって男。きっと、この街では名が知られているんだろうな……。あ、いけね)
ふと、ジローニに礼のひとつも言っていなかったことに気づいた。いつか会ったらちゃんと言おうと思ったが、次の日に冒険者ギルドに行くとすぐに再会することになった。
「ジローニ! 昨日は……!」
「ん? 昨日の新人か。気にすんな、あれは仕事だ」
「仕事?」
「ああ、高ランクの冒険者にはギルドから街の見回りの依頼がある。この街には兵士がいないからな。依頼を受けた冒険者がゴロツキどもを取り締まったりするのさ」
「じゃあ、ギルドから報酬が出ているんだな?」
「そういうことだ。だから気にしなくていいぞ」
「……だったらなんで奢らせるかな!」
結局アークは礼を言いそびれたままだったが、それからなんとなくジローニに会うたびに話す関係になった。
その日も、酒場のいつもの席でジローニが一人飲んでいるとアークが寄ってきた。
「ジローニ、ここいいか?」
「なんだ、アーク。また授業料払ってくれるってんならいいぞ」
「あんた本当にがめついな」
悪態をつきながらも、アークはジローニの向かいの席に座る。
「なあ、ジローニ。あんたずっとソロでやってんのか?」
「いや、俺にも以前は相棒がいたのさ。今はもういなくなっちまったがな……。いいやつだったよ」
遠くを見つめながら寂しそうに話すジローニ。
「す、すまねえ! 嫌なことを思い出させちまった」
「そいつは今、冒険者を辞めて宿屋をやっているけどな」
「生きてんのかよ」
───冒険者を始めたアークは、早速ダンジョン攻略に行き詰まっていた。ギルバレダンジョンの魔物は獣タイプが多い。一階層に多くいるのはツノの生えたウサギの魔物だ。子どもの頃から剣術を鍛えてきたが、獣を狩ったことはほとんどなかった。魔物が現れても近づけば逃げられるし、そうかと思えばいきなり不意打ちされる。まともに対峙できたとしても、魔物特有の動きに翻弄されて、ようやく一匹倒したところでヘトヘトになってまうのだ。
「───それで困っているのか」
「情けねえけどよ。他のやつは、十五歳の成人になったときから冒険者を始めているやつばっかりだ。オレみたいに、二十二歳にもなって冒険者を始めるなんて遅かったんだろうな……」
「フッ、俺が冒険者を始めたのは三十歳のときだぞ」
「え……あんたほどの腕利きが?」
「アーク。いつだって、何かを始めるのに遅過ぎるなんてことはない。大事なのは、その一歩を踏み出すかどうかだ」
「一歩を、踏み出す……」
そのジローニの一言がアークはやけに心に響いた。
「仕方ないな。俺がしばらく組んでやるよ」
「いいのか?」
「何言ってんだよ。そのつもりで話しかけてきたんだろう?」
「そ、そうだけどよ……」
その日からジローニはアークの師匠となった。
「おーい、ガルフ。買取りだ」
「なんじゃジローニ、まさかもう剣をダメにしたのか」
「俺じゃない。こいつはアーク。俺の弟子だ」
ジローニは早速アークの大切にしていた金属鎧や大剣を武器屋に売らせた。
「大剣は四階層から使えるからまた買えばいい。浅い階層なら、革の鎧とナイフの方が役に立つ」
アークはジローニの言うことを素直に聞いて従った。
ジローニは冒険者のルールなども教えてくれた。酒場のいつもの席でのことだ。
「アーク、ギルバレでは滅多なことでは剣を抜くなよ」
「そりゃ抜かねえけどよ、なんでだ?」
ジローニによると、ギルバレはダンジョンを中心に人が集まり、勝手にできた街だそうだ。一応エンパイア王国の辺境に位置しているが、王国が気づいたときにはすでにギルドを中心に冒険者たちが自治している状態だったらしい。王国は兵士を派遣して貴族に管理させようとしたことがあったが、そのときは冒険者たちに返り討ちにされたという。最終的にギルドマスターが名ばかりの男爵となり、僅かな税金を納めることで鉾を収めるようになったとのことだ。それからこのギルバレは荒くれ者が集まり、自由の代わりに命が軽い。そんな街になっていった。
「───つまり法もないし、取り締まる兵士もいない。盗もうが殺そうが罪に問われないんだ」
「まさに、無法地帯ってやつか」
「ああ、だがそのわりには平和だろ?」
「まあ、そう言われりゃそうだな……」
ギルバレでは、冒険者同士の争いがたびたび起こるが、剣を抜くようなことは滅多にない。冒険者同士ともなれば、どちらも命を賭けることになるからだ。
「つまり剣を抜いたら殺されても文句は言えねえってことだな」
「そうだ。法律のないこの街じゃそれがルールになっている」
そうして若き日のアークは、ジローニから多くのことを学んでいった。