◆第二話 帰還の夜
ギルバレの街に鐘の音が三回鳴り響く。以前にはなかった、時刻を知らせるものだ。その音を合図に、ディアはハルを連れてジューンの宿を出た。
すっかり暗くなっているはずの時間だったが、各所には照明の魔道具が設置されており街が眠る気配はなかった。アークたちとの待ち合わせの店がある歓楽街へ行くと、仕事帰りの職人や冒険者など多くの人で賑わっていた。人々は談笑しながら飲食店で舌鼓を打っており、串焼きを頬張る子どもも目についた。通りの隅には見張りの兵士が常勤しているようだ。
「マスター、ギルバレは賑やかな街ですね」
ハルがそんな感想をもらした。ディアは感情がないとはいえ、いくらなんでも変わりすぎだろうと思った。
「前はそんなことなかったんだけどな」
そんな会話をしながら歩いていくと、目的の店が見つかった。以前には無かった洒落た酒場で、個室を予約してあるそうだ。二人が店に入ると、丁寧な接客の店員に奥へと案内された。個室にはアークとジローニがいて、何故かミドリもいた。
「ディア、すまねえ。こいつがどうしても離れねえんだよ」
「ディアさん、昼間はすいませんでした。ワタシ、ゴーレムのことになるとちょっと自分でも制御できないんです」
白衣を着たミドリがシュンとしていた。
「わかった。ハルに何かすれば次はない」
ミドリはいきなり幻視で斬られたことを思い出したのか、青い顔で何度も頷いた。
「アーク、ハルは俺たちにとってはただのゴーレムじゃない。家族以上の仲間なのさ」
グラスを片手にジローニが言った。金属鎧や黄竜の盾は【収納】にしまっているのだろう。身軽そうな布の服を着ている。
「ミドリはこんなんでもウチの魔道部長やってもらっているんだ。こいつの働きでギルバレは大きく発展した。迷惑かけねえようにオレが見張っているから大目に見てくれよ。わかったな、ミドリ」
「はい、反省しております……」
一同はディアたちの帰還を祝う乾杯をして、ハルは小さな魔石をグラスに入れて美味しそうに吸った。手のひらでなくても魔力を吸収できるようだ。
「───話は大体わかった。そのノア・アイランドってのは本当に神様の作った島なんだな」
それぞれが酒や食事を口にしながら、おおまかな説明はジローニがしてくれた。ディアは途中聞かれたことに答えるくらいで済んだが、やはりこの世界を作った神の話には一同も驚愕していた。
「───ナギが言うにはこの世界全部作ったらしい」
「俺もにわかには信じられなかったが、無くなっていた腕が一瞬で生えるのを見れば疑いようがない」
「ワタシは信じますよ! ハルさんはまさに神の御業でしか作れません!」
ミドリの眼鏡がキラリと光る。
「アーク、その腕はディアがくっつけてくれたんだよな?」
ジローニがアークの腕を見て言った。
「ああ、この腕と腹も深く斬られていたのを治してくれたんだ。マジで死を覚悟したぜ」
「俺は実際二回死んでいるけどな。ディア、ここならいいだろ。他に誰もいない」
「わかった。【ヒール】」
ディアがアークの腕に【ヒール】をかける。
「うおっ、なんだこれ?」
「どうだ、アーク。腕は力を入れられるか?」
「見ただけでわかっちまったのかよ……。ディアもジローニも本当すげえな」
アークは一度斬られた腕を余ったポーションでくっつけたが、力を入れることができなくなっていたそうだ。ディアやジローニは一目で気づいたが、これまで誰にも見破られることはなく、争いごとは全て片手で片付けてきたと言う。
「んっ! 大丈夫だ。完全に治った」
手のひらを開いたり握ったりを繰り返すアーク。
「まあ、お偉いさんになったお前には剣を振る機会はもうないかもしれないけどな」
「そうとも言えねえよ。もうすぐ戦争が始まるかもしれねえ」
「どういうことだ?」
「実はよ……」
アークはギルバレの数年をふりかえって話し始めた───
*
「───フリード男爵、お約束の開発に協力してくれる方々をお連れして参りましたわ」
「すまねえな、王女様。助かるよ」
エンパイア王国の第一王女、マユカ・エンパイアを団長とした使節団がギルバレに到着した。およそ百人の大所帯だ。
「英雄に協力できてわたくしも嬉しいですわ」
「王女様にそう言われちゃあ、もう二、三匹魔人を殺してこなきゃならねえな。ハハハ」
和やかな雰囲気でマユカと談笑するアーク。
「……ところで、なんでお前がいるんだ?」
そこにはアークに決闘でコテンパンにされたヒューガー子爵がいた。
「俺は命を賭けた決闘に敗れた。このままおめおめと生きているわけにはいかないのだ。だから俺の命を渡しにきた。殺すなり使うなり好きにしろ」
「お前子爵だろ? 俺は王女様にちゃんとお茶をご馳走してもらったからいいぜ。早く帰れよ」
「家督は弟に譲ってきた。今の俺はただのエリン・ヒューガーだ」
「フリード男爵、ヒューガーは言っても聞かないのです」
マユカが困り顔で説明する。
「フリード男爵、俺の命は好きに使ってくれて構わない。なんなら今殺せ」
「お前重たい奴だなあ。じゃあウチの騎士団長やってくれよ」
「わかった。騎士団は何人いるんだ?」
「お前一人だよ」
*
使節団には多くの人材がいた。内政のプロたちの手を借りて街の住民登録から始まり、各種職業訓練、インフラ整備、紡績の工場建設、農地開発などなど、瞬く間にギルバレの開発は行われた。また多くの商人が建設資材を運んできて、帰りにはダンジョン産の素材を馬車に積んでいく。
手付かずだった平原はヤスコ団長率いるギルバレ兵士団の訓練によってどんどん耕されていき、土嚢が積み上がる。穴を掘っては戦闘訓練、全団員がスコップの達人と化した。
街の外には屈強な男たちが集まり、使節団の現場監督の指導のもと外壁ができていく。
冒険者ギルドは要塞と化し、ギルバレの主要機関が集められた。どのような災害が起きても都市機能を停止させないためである。
各所でトラブルが起きれば英雄アークが直接場を収める。その度に荒くれだった者たちは、あの日の誓いを思い出して使節団員の指示に全力で応えた。
「ミドリ先生!」
「マユカ殿下、この度はワタシを救ってくれてありがとうございました!」
ミドリとマユカは再会を喜び、ミドリは新しく発足された魔導部の部長となった。それにより街には街灯の魔道具が各地に設置される。動力源の魔石はギルバレの自給自足となっていた。上下水道が整備されると魔道具を使った浄水場が建設され、各所には労働用ゴーレムが次々に配置された。
孤児院と学校が建設されると、今までスリやかっぱらいで生き延びていた子どもが無償で衣食住を保証されるようになった。
アークの補佐にはマユカが直接入り、領地経営をしている貴族を次々に紹介された。アークは必死で彼らの知識を学び、寝る間を惜しんでギルバレに落とし込んでいった。
「王女様、あんたすげえなあ。オレには全然分からねえことをこうも見事によ」
加速的に改善されていくギルバレを見て、アークは素直にそう思った。こんな若い女の子なのにたいしたものだと。
「もともと善政を敷きたいとは思っていたのですが、わたくしの立場ではできないことが多かったのですわ。それに、王都で何か導入するにしても人口が多くてすぐには進まないのです。なのでやりたかったことがここギルバレでできて、わたくしもやりがいがあって楽しいですわ!」
マユカは王族の立場から見ても自国のエンパイア王国には問題点が多くあり、今更改善できないようなこともたくさんあったそうだ。だが、ギルバレは小規模でまっさらな領地である。初めからこうしておけば良かったという政策をマユカは提案し続けた。
エンパイアでは領地ごとに人頭税を採用しているのだが、ギルバレでは所得税が導入された。監査役の職員はギルドが管理しており、商人も売り上げ税ではなく利益からの税に変更された。それによって商人は経費を使うようになり、いっそう経済は回った。
さらに医療保険制度を導入して、医療機関を立ち上げた。いずれは年金制度を導入したいとマユカは言っていた。
使節団にはそのままギルバレに残ってくれる人もいて、エンパイア王国内で仕事に困っている人も詰めかけた。そこに目をつけた商人がさらに群がる。行けばなんでも売れる。貴重な素材が現地で直接買える。護衛は全てギルバレから派遣される。行かない理由が無かった。そうしてギルバレは使節団が帰る頃には大きな変貌を遂げていた。
なお、ヒューガーはヤスコ団長率いる兵士団に研修として一ヶ月の体験入団をすることになった。
*
「へえ、エンパイアの王女がなあ。それが戦争とどう関係があるんだ?」
アークからギルバレの経緯を聞いたジローニが聞いた。
「それなんだけどよ……」
アークが説明を続ける───
エンパイア王国第一王女マユカの協力のもと、急激な発展を遂げたギルバレ。その好景気の余波はエンパイア王国内にも訪れ、失業率が下がり商人の利益が上がりといいことずくめであった。元々手付かずの土地だったのがいきなりのゴールドラッシュである。マユカはその活躍により王国内での人気はうなぎのぼりとなっていた。
その陰で、そんなギルバレの発展を快く思わない者たちもいた。エンパイア王国の貴族派である。忠誠はあれど国を支えるのは貴族。貴族派は王家に権力が集まることを良しとしない考えの派閥だそうだ。その筆頭の貴族はドクソン公爵という。古い王家の血筋であり、エンパイア王国内では絶大な権力を持つ。そのドクソン公爵に不穏な動きがあった。
「───ウチの斥候部によると、その公爵はアイエンドと繋がっているんだよ」
アイエンド王国。ディアの生まれた国であり、魔女狩りで両親や使用人を殺され、今なお逃亡を続けている原因の国である。
「それがギルバレに関係あるのか?」
「ジローニ、俺はいつかアイエンドとやらなきゃなんねえって思っている。ギルバレはおろかエンパイアよりもでかい大国だがよ」
アークの真剣な意思が一同に伝わる。。
「そのドクソンって野郎が戦力を集めているらしいんだ。こっちに来る可能性もなくはないが恐らくは……」
「まさかクーデターか」
「オレは、って言うかウチの斥候部はその可能性が高いって見ている。奴はアイエンドの属国になってでも王様になりてえんだよ」
「その王女に世話になったから介入するってことか? なんかお前らしくないような気もするけどな」
聞いていたディアもそう思った。冒険者とは自由な職業だ。わざわざ他国のために戦争なんかするのかと。
「ジローニ、オレは決めたことがある」
「なんだ?」
アークがディアに顔を向ける。
「なあ、ディア。隠していてもしょうがねえから聞くけど、お前アイエンドに追われているだろ」
「ん? ああそうだ」
バレていたのか。まあ、明日にはギルバレを出ていくのだ。そう思ってディアは気の抜けた返事をした。
「すまねえな。前のギルマスのノーグが調べた」
「気にしなくていい。ジローニも知っている」
アークが目を向けるとジローニは頷いた。
「そうか、話が早え。オレはお前がいない間にお前の居場所を作りてえって思った。そのための街作りなんだ。いつまでも逃げて旅を続けるなんて見てらんねえんだよ」
まさか自分のためにここまでしているとは思っていなかったディアは複雑な気分だった。
「そうか、でも大丈夫だ。ナギがあの島に戻ることができるようにしてくれたから俺はそこで暮らす」
ナギに〈帰還の輪〉をもらった。これからはあの島で暮らせば、誰にも迷惑をかけることはない。
「ディア、待て」そこにジローニが待ったをかけた。
「お前はここに残るんだ。お前は強い、一人でも充分生きていける。だが、それじゃダメだ」
何を言いだすのかと、ディアは黙ってジローニの話を聞いていた。
「俺はあの島に一人で十一年暮らした。誰もいない場所でだ。その俺を一番苦しめたのは片腕での生活じゃない。孤独なんだ」
ディアの目を見るジローニ。普段は飄々とした男が、いつになく真剣な目だった。
「俺はあそこでただ生きていた。死なないでいたってだけだ。だがお前やハルが仲間になって、そこでやっと俺は人間に戻った」
アーク、ミドリ、ハル。みんな黙って聞いていた。
「お前は自分じゃ分からないだろうが、他人のために泣ける奴だ。三年一緒に暮らした俺が一番良く知っている。お前は自分が思うより人を愛しているし、人に愛されている」
『ディア、愛しているわ! サキ、ディアをお願い!』
ディアは亡くなった母、ドリーの最期を思い出した。
「お前は一人じゃない。人と一緒に居ていいんだ。いや、居なきゃダメなんだ」
「俺がいると魔女狩りが来るぞ?」
「だから、オレが守ってやるって言ってんだよ! なんでお前はそうなんだよ! 頼れよ! もっと大人をよ!」
アークは目を赤くしていた。
「何故アークが泣くんだ」
その涙の意味は、ディアにはわからなかった。
「あの、マスター。私もそう思います。マスターはもっと人間と一緒にいるべきだと思います」
そこにずっと黙っていたハルが言葉を発した。
「あの島での生活は楽しかったです。もしマスターがあそこに戻っても、マスターなら寂しくないかもしれません。でもマスター、あなたにも人間として幸せになる権利があるはずです」
「ハルさあああん!」
なぜかミドリまで泣き始めた。
「なあ、ディア。お前、魔女狩りで両親を殺されたんだよな。やり返そうとは思わねえのかよ?」
アークが尋ねる。その疑問は自然なことだった。
「別に思わないな。あのとき使用人も入れて十人殺された。だがお母様たちは二十人殺して、俺も二人殺した。こっちの方が多く殺しているんだ」
そう。殺した人数はこちらの方が多かった。だから恨みもない。
「お前はそう考えるよな。だけどよ、俺は違う。なんの罪もない人を言いがかりで殺しにかかるような奴らだ。俺はよ、アイエンドの奴らにムカつくんだよ。許せねえんだよ! ディア、覚えておけ。これが怒りだ!」
「怒り……」
その言葉は知っている。だが、ディアには理解できていなかった。
「それによ、ウチにも魔女狩りから逃げてきた領民がいるからよ。領民の命より大切なものなんてないんだよ」
「俺の他に魔女狩りから逃げている人なんているのか?」
「ああ、ハナエっていう薬屋のばあさんだ」