◆第十話 魔人殺し
「待ってくれ! ディア! ディアーっ!」
ギルバレダンジョン十一階層のボス部屋。アークの前から、フェンリルのユニと共にディアが消えた。
「ま、またオレは……、オレは!」
十一年前、アークはここでジローニに助けられた。今度はディアだ。
『アーク、外に置いてある素材を換金しておいてくれ』
「い、いや。アイツは死ぬようなやつじゃねえ! オレは諦めねえ!」
ディアはユニに連れ去られる前、涼しい顔でアークに換金を頼んだ。あれは、必ず戻ってくるということに違いないと自分に言いきかせる。
ひとまず部屋を出ようとしたとき、ディアが倒したミノタウロスの死体が目に入った。
「こいつの素材も採れるか……?」
ミノタウロスのちぎれかれた首に何度か剣を叩きつけて、その頭部を持ち上げた。顔だけ見ると普通の牛に似ているが、恐ろしい形相は人の要素もある。やはり、ただの大きな牛ではない。まさに魔人である。頭部だけで小樽くらいの大きさがありツノも立派だ。売れるのかわからないが、ディアの倒したミノタウロスをそのままダンジョンに吸収させるのは気が引ける。アークは台車に乗せてあった魔牛と一緒に、ミノタウロスの首を冒険者ギルドへ持って帰った。
*
「あら、アークさんおかえりなさい。ディアは一緒じゃないの?」
「ミルナ、ギルドマスターを呼んでくれ───」
「こいつは確かにミノタウロスじゃな。よう倒せたもんじゃ」
冒険者ギルドの裏手にある大型素材置き場。ミノタウロスの頭部を見てそう言った老人の名はノーグ。冒険者ギルドのギルドマスターだ。
「ノーグ、こいつを知ってんのか?」
「昔ダンジョンでやり合ったわ」
「か、勝てたのか?」
「やったのは仲間だったがの」
「そうか、すげえな……。それでディアの飛ばされた先に心当たりはねえか?」
「昔のパーティメンバーで、その手のことに詳しそうな者がおる。連絡がつくかわからんが聞いてみようかの」
「そ、それならオレが直接行く!」
「いや、どこにいるのかわからんのじゃよ」
「じゃあ、どうやって……!」
「まあ、待っておれ」
ノーグが席を外し、アークは冒険者ギルド内の応客室で思いふけっていた。十一階層を出た後、アークは十階層に転移してボス部屋に入ってみたのだ。すると出てきたのはあのフェンリルではなくて、黒い狼のボスだった。
「どうなってんだよ……」
「アークよ。聞いてきたがのう」
ノーグが部屋に入ってきた。向かいのソファに座る。
「その話が本当なら、多分二、三年で帰ってくるんじゃないかとのことじゃったよ」
「な、なんでわかるんだよ! 何か知ってんのか?」
「詳しくは儂もわからん。だがこうも言っていた。その者が強さと知恵を兼ね備えていなければ帰ってこない。むしろそっちの方が可能性が高いと」
「な、なんだよ! その昔の仲間って信用できるのか?」
「恐ろしいババアじゃが、嘘は言わんよ。信用はできる」
(ババア?)
「アークよ。ディアはどこにいるかわからん。その者は知っているかもしれないが、絶対に教えてはくれん。だが、強くて知恵があれば帰ってくると言っておる。なら待つしかなかろう。その間、お前さんはどうする?」
「どうって……待つしかないんだろ?」
ノーグが何を言いたいのかわからなかったアークは、声も尻すぼみになっていった。
「アークよ。ディアはある外国の勢力から追われておる」
「は? なんだって?」
自分の知らないディアの事情を聞いて、アークは前のめりになった。
「ディアは幼い頃からずっと逃げて旅をしているんじゃよ。知らなかったのか?」
「知らねえよ! なんでノーグは知ってんだよ」
「それは儂の力じゃ。そして身を隠すならこのギルバレは最適じゃよな? でもディアは旅立とうとしていた。何故じゃと思う?」
「そんな、いきなりそんなこと言われてもわかんねえよ……」
「このギルバレで知り合った人に迷惑をかけたくないからじゃ。ディアを追っているのはアイエンド王国の《魔女狩り》じゃよ」
「な、魔女狩り? あの、捕まえたら家族や知り合いまで殺すって……、ディアがそうなのか?」
「ディアは子どもだが、ありゃ化け物の類じゃろう。お前さんが一番よく知っているんじゃないかの。よく知らない者にとっては不気味で仕方ないじゃろうな」
「そんな! ディアは表情が顔に出ないだけでちゃんとした優しい人間だ!」
「儂もそう思うぞ。だからアーク、お前さんが守ってやるんじゃ」
「オレが? ディアを守る……?」
「もし、今アイエンド王国の連中がエンパイア王国にディアを探しに来たら、エンパイア王は通すと思うか?」
「素通りだろうな。エンパイアにギルバレの冒険者を庇ってやる義理はねえ」
「そうじゃ。魔女の仲間だと認定されたらたまったもんじゃないからの。じゃあその後、魔女狩りがギルバレに辿りついてディアを引き渡せと言ったら、冒険者の連中はディアを守るかのう?」
「喜んで引き渡すだろうな。オレ以外は」
「うむ、そしてディアと師匠であるお前さんは殺され、長期滞在していた宿の親子あたりもついでに殺していくじゃろう。もし返り討ちにしたとしても相手はアイエンドじゃ。その気になれば数倍の戦力で国ごとやっちまえばいいって連中じゃ。いくらディア個人が強くても抗えないんじゃよ」
「じゃあ守れねえじゃねえか……!」
「だが、誰かがこのギルバレの荒くれ共をまとめあげ、ひとつの国にしたらどうじゃ?」
「国? ギルバレをか?」
「そうじゃ。現状、ここはエンパイアの一部とされているが、実際には荒くれ者が集まっているだけじゃ。領地としては何も機能しておらん」
「ああ、知っているぜ。勝手に人が集まった街なんだろ」
「そうじゃ。そして自分の身は自分で守るだけの街じゃ。国でも領地でもない。さらに言うなら希望もない」
「ノーグはオレに何をさせてえんだよ……」
「お前さん、その腕はポーションでくっつけたんじゃろ? ちなみにそのポーションを作った薬師も魔女狩りから逃げてこのギルバレに辿りついたんじゃ」
「な、ハナエって薬師か?」
「それだけじゃないぞ。魔女狩りから逃げているのは他にもいる。誰にも知られないようにひっそりと生きておるんじゃよ」
「そ、そんなにか……」
「儂はの、ジローニにギルドマスターの席を譲るつもりだったんじゃ。あやつは腕が立つだけでなくて心根がまっすぐじゃった」
「途中で曲がっていたけどな」
「ふふ、そういうとこもあったがの。だがお前さんも知っての通り、あやつは帰らなくなった。そのせいで儂は引退できずに今に至るわけじゃ」
「ジローニの件は、オレのせいだ……」
「そうじゃ。お前さんのせいで儂は七十過ぎてもまだ働いておるんじゃ。だからアーク、お前さんがギルドマスターとなって、力をつけてディアのような理不尽に迫害されておる者を守るのじゃ」
ディアがアイエンド王国の魔女狩りに追われていることを知った。師匠と弟子とはいえ、それは冒険者としての関係だけだった。
(あいつはオレより強いし、いつも冷静で大人みたいなやつだった……)
アークはいつの間にか、ディアを子どもとは見なくなっていたのだ。
(だが、あいつは一人で戦っていたのか……。オレはそんなことも知らずに……!)
青い髪の無表情な弟子を思い浮かべた。なぜ、わかってやれなかったのか。
(こんなことで何が師匠だ……!)
「ノーグ、オレは決めたぜ……。必ずディアの居場所を作ってやるってな……!」
そう口にしたアークの言葉は、くすぶっていた日々と決別することを意味していた。
*
───半年後。アークは冒険者ギルドのマスター、ノーグに説得されギルドマスターの就任を了承した。そんなガラじゃないのは自分でもわかっているが、誰かがこの街を変え、力をつけてディアの居場所を作る。それは自分にしかできない、やるしかないんだと覚悟を決めた。
ノーグは完全に引退するのではなく、引き継ぎをしたあとも相談役としてアークに協力してくれると言う。そのノーグの提案で、アークの持ち帰ってきた魔人の首が冒険者ギルドに展示された。
───ミノタウロス。首だけでも、実物を見れば誰でもわかる。こいつは絶対に戦ってはいけない相手だと。しかし、アークは勝って帰ってきた。死闘の末、腕は一度斬り落とされたと言う。それを聞いた冒険者たちは戦慄する。なんという男だろうかと。
「あのおっさん、実力を隠してやがったのか……」
「ああ、あの魔人の首を見れば誰でもわかるぜ。ヤツは本物だ」
「よく見るとアークっていい男じゃない?」
若い冒険者や街の娼婦たちは、アークの勇姿に見惚れて強烈に憧れた。そんなアークにならず者たちがかみついてきた。くすぶっていたおっさんがいい気になるなと。アークは片腕だけでその二十人のならず者たちを片付けた。しかも殺さずに。
「オレは手加減が得意だからよ、安心してかかってきていいぜ。まあ、うっかり殺しちまったらごめんな」
ディアがミノタウロスを倒したときに、その場にいたアークは強さのような何かを吸収していた。少なくとも、ゴロツキ程度に負けることは無くなるくらいには───
「アークの実力がわからねえなんて甘いやつらだぜ」
「所詮ゴロツキよ。冒険者ならアークの真の力は感じ取れるもんよ」
「ああ、俺にはわかるぜ。アークから湧き出る強者の覇気がよ……」
なぜかそんなことを言いだす冒険者が増えた。その騒動があってからアークに絡む者はいなくなった。あのミノタウロスを倒した力は本物だと。そしてアークはこう言われるようになった。
《魔人殺しのアーク》
*
「───なあ、ノーグ。街じゃあオレがミノタウロスを倒したことになってんだがどういうことだ?」
「お前さんも一緒に戦ったんじゃろ?」
冒険者ギルドの会議室。どうも街の様子がおかしいと思ったアークは、ノーグに問いただしていた。
「オレは背中に一撃入れただけだって。それまで【威圧】で動けなかったんだからよ」
「それでもディアと一緒に倒したことには変わりあるまい。それにディアは魔女狩りに追われとるのだぞ? 目立ったらまずいじゃろ」
「う……、そりゃそうだけどよ」
「お前さんは勇気を振り絞って、あの魔人に立ち向かった。それだけで充分英雄じゃよ」
「そうかなあ……」
数日後。ギルバレ郊外に設営された演説会場へ多くの人が集まっていた。屋台や炊き出しも出ており、あちこちに吟遊詩人がいてアークの武勇を歌っている。死闘の末にミノタウロスを倒したと。
(全然違うんだけどな……)
アークは気まずい思いで、控室代わりのテントの中でノーグと打ち合わせをしていた。
「なあ、これやり過ぎじゃねえか?」
「いいんじゃよ。なるべく多くの人間を集めなければならないんじゃ」
確かに多くの人を集める必要があるのは解るが、アークは何故か自分が持ち上げられ過ぎている気がしていた。
「ほれ、そろそろ行くぞ。いいか? お前さんは英雄じゃ。思っていることをぶつけてこい」
「静粛に! 新領主の挨拶だ! 静粛に!」
警備の冒険者たちが民衆を大人しくさせていく。壇上にアークが登るとどよめきが起きた。
『あー、あー、聞こえるか? オレが新たにギルバレのギルドマスターになったアークだ。A級冒険者をやっている。まあ、昇格したばかりだけどよ』
拡声の魔道具からアークの挨拶が響く。