◆第十六話 奈落
「な、なんだよこりゃあ……」
アークたちが王都内に進軍すると、そこには青白い顔に牙を生やした住民たちが待ち構えていた。
兵士ではなく、女子供も含め普通に生活していたであろう住民たちだ。
「ジ、ジローニ!」
「混血種吸血鬼だ。レベルはバラバラだが平均で50ってとこだな」
「……王様。あれに噛みつかれると、吸血鬼に、なる。気をつけて」
ナウが口に出して忠告した。
「な、なんてことしやがるんだよ……。ナウ、こいつらもう元に戻らねえのか?」
『どうやったかわからないけど、これをやったのはシオンだと思う。シオンを殺せば元に戻る』
メモを見たアーク。
「レベル8000を殺せばいいんだな……」
「アーク、こいつらを無力化するのは無理だ。殺すか撤退するか今決めろ」
ジローニがアークに決断を迫る。
「く、くそッ! どうすりゃいいんだよ……」
『いいですか、小を捨てて大を拾う。そういう判断が貴族、ひいては指導者には必要なのです。恨まれますがなあ』
「ドクソン……」
アークは目を閉じて一息つき、そして目を開いて号令を発した。
「全軍前進! 噛みつかれるな!」
号令が広がっていく。
「全軍前進、噛みつかれると魔物になるぞ!」
「噛みつきに注意しろ!」
「全軍前進! 相手は魔物だ! 何も考えるな!」
「進め!」
「おおお!」
五千台のの魔導トラックが進みだした。元住民の吸血鬼を轢き殺していく。荷台や運転席にしがみついてくる吸血鬼たち。それを斬り殺していく兵士たち。
市街地を進んでいき、ついにトラックが通れなくなった。わらわらと無数の吸血鬼が虫のように群がる。
商人風の男、主婦であろう女、そして子ども。吸血鬼たちが鋭い爪を振るうとトラックの幌が簡単に破ける。明らかに人間の力ではない。そして吸血鬼には魔導銃が通用しなかった。当たれば一瞬動きは止まるのだが死なないのだ。
「降りて進むぞ!」
兵士たちは陣を敷きながら進んでいく。
「ぐ、ぐあああ!」
「マークが噛まれた!」
最初の噛まれた兵士が出た。マークと呼ばれた兵士は顔が青白くなり牙が伸びてくる。そして仲間の兵士に襲いかかろうとしたとき。
───エルフィンが心臓を貫いた。
「エルフィン隊長!」
「マークは英霊となった。吸血鬼にされたら殺してやるんだ」
「う、うおおおお!!」
兵士たちは次々と吸血鬼を殺して前進した。顔色の悪い元住民を。そして仲間が噛まれたら泣きながら心臓を突き刺す。共に訓練した仲間を。
「トシオがやられた!」
《狂犬トシオ》の名で恐れられていた小柄な兵士、トシオが吸血鬼に噛まれた。彼は一般市民の姿をした相手に本来の実力を発揮できなかったのだ。
「こ、これで死ねるよお」
───トシオは短剣を自らの心臓に突き刺した。
「グ、グフッ、隊長、あとはお願いします……」
「よくやった、任せろ」
そう言ってエルフィンはトシオを看取った。
十万人の兵士に対して百万人の吸血鬼。襲撃軍は城に近づくにつれて兵士を失っていった。
「こっちだ! 来い!」
ジローニが【挑発】で吸血鬼を惹きつける。そこに薄紫の豹がブレスを吐く。動きが止まった吸血鬼を兵士たちが次々に心臓を貫いていった。
ナウがまだ吸血鬼だったのなら良かったが、今は半分人間のダンピールだ。噛まれたら意思を持っていかれてしまう。ナウもまた吸血鬼たちを斬り殺していった。
上空からセラが紅蓮の炎を飛ばしても、燃えながら進んでくる住民たち。その焦げた人のようなものに、兵士が剣を突き刺していく。
「皆さん、気を確かに持つのですわ! 訓練を思い出して下さい!」
───マユカ様まで来ているんだ! 情けない姿を見せるな!
───おお!
マユカは自分の役割を解っていた。王妃の自分が士気を保つのだ。こんな地獄の中で正気を保つのがどれほど大変か。
父親がドクソンによって殺された日、マユカは正気を保てなくなった。もう決めたのだ。前に進むと。
そんなマユカをレオナは杖を、メグは剣を持って支える。ウォンカーは返り血を浴びながらひたすらに細剣を振っていた。
「アッシュ君、皆殺しです!」
「カシコマリマシタ」
この戦場においてミドリの連れてきたアッシュ君は無類の強さを誇った。噛みつかれないからだ。正確に言うと噛みつかれても牙が通らない。だが、ミドリの近くで命令を聞かないと動けないので行動範囲は狭かった。
同じ意味で少しだけ有利な人物がいた。四肢をミスリルに改造されたトギーである。胴体は金属鎧を着ているので顔だけ噛みつかれなければいいのだ。トギーは積極的に前に出て戦っていた。
元ゴーレムのハルも同様に前に出る。生身の見た目だが防御力はオリハルコンのままなのだ。薄紫の豹はブレスを吐き続けた。動きを止めれば、兵士が心臓にとどめをさしてくれる。
ディアは〈グリフォンのブーツ〉で屋根から屋根へ飛び移り、氷結の弓矢を放っていた。乱戦になってしまって霧の魔法が使えないのだ。
それにこのあと控えているであろう高レベルの吸血鬼がいる。万が一にも噛みつかれるわけにいない。敵はレベル3000程のディアよりもかなり格上だ。だが、今までもそんな敵は何度も戦ってきた。おそらく倒せるとしたら自分だけだ。
ギルアバレーク軍は五万人程を失っていた。殆どが自決によるものだ。しかし、イクス・ファミリアはまだ百人程しか失っていなかった。一人一人が高レベルであり、特にナウカナの機動力は凄まじかった。
「お兄様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ツバサ、一族のことはお前に頼む」
「え……?」
「俺はあのとき、使徒様に命を取られなかった。それだけではなく一族を豊かにしてくれたんだ。俺は今日、力尽きるまで斧を振るつもりだ」
「そんな、お兄様……」
「ツバサ、止めるんじゃないぞ」
そう言ったのはアスピ族のワイズだった。
「この窮地、儂もどうやら命を投げ出さなきゃいかん。メグを使徒殿に託して正解だったわ」
「ワイズさんまで……」
「ツバサ、俺がやられたらメグ殿の所へ行け。行くぞ、ワイズ殿」
「おうよ! ブレイズ、ツバサを守れ! あとは頼むぞ!」
「……はい!」
アスピ族の戦士長ブレイズは族長ワイズにあとを託され、その意味を噛み締めて返事をした。
ワイズとナウカナは吸血鬼の中に飛び込んでいった。次々に倒れていく吸血鬼たち。そして二人で数千人を倒したのちに、力尽きた。
徐々に百万人の吸血鬼との戦いは収束が見えてきた頃、トギーは最前列で戦っていた。古城も近い。あの十騎士を喰らっていたダンジョンだ。
「ねえ、トギー」
「なにテンテン、今いそがしいんだけど」
トギーが振り向くと、青白い顔で牙を生やしたテンテンが鎧を外して自らの心臓に剣を突き刺していた。
「ごめん、ミスっちゃったよ」
「テンテン!」
「あのねボク、トギーのことが好きだったんだよ。言えて良かった、じゃあね」
「テンテン!!」
テンテンがその場で倒れた。トギーが寄り添おうと駆けだすも、吸血鬼たちがそれを許してくれない。
「う、テンテン……!」
トギーは嗚咽を漏らしながらも剣を振る。自分がやられるわけにいかないのだ。そしてテンテンの死体が吸血鬼たちに埋もれていった。
王都襲撃軍は残り三万人程になった。普通の戦争ならとっくに白旗を上げて負けている。しかし、相手は既に人間ではないのだ。兵士たちは無心で殺し、そして自害していく。
その様子をアークは見つめていた。
アイエンドをぶっ潰す。そう決めたのは自分だ。だから今、目の前で死んでいく兵士たちは自分が殺したのも同じだ。もう目を逸らすわけにいかないのだ。
「アーク、生きているかあっ!」
そこに聞こえたのはリオンの声。振り向くとエンパイア軍の援軍が見えた。
「リオン、来てくれたか……」
見上げると空には航空部隊がいた。その向こうにリン・ジラール率いるジラール王国軍も見える。
「アークさん! 間に合いましたか!」
プールイ共和国のモイセスだ。こっちも終わったようだ。
それぞれが二十万の兵を率いてやってきた。対して吸血鬼はもう三十万人を割っているだろう。
「みんな! 王都民が吸血鬼にされている! 噛みつかれないようにしてくれ!」
味方の六十万人がなだれ込んでくる。これで古城までの道ができた。
「援軍が到着した! ギルアバレーク軍は古城に向かえ!」
ナウの話によると古城の中はダンジョンとなっていて、万の単位で突っ込むことはできない。中に入るのは、アーク、ディア、ハル、ナウ、ジローニ、セラ、トギー、ハグミ、エルフィン。この九人で向かうのだ。
「あなた、お待ちしています」
「任せとけ」
「ディア! 必ず勝ってきなさいよ!」
「使徒様、ご武運を!」
「わかった」
マユカとミドリにはメグ、レオナ、ウォンカー、アッシュ君がついている。
六十万人が壁を作り、吸血鬼たちを薙ぎ倒して道を作る。アークたちはその道を進んでいった。
「いよいよボス戦だな」
アークがそう言ったとき。上空に巨大な飛行物体が現れた。見たこともない金属製の平たい船のような何かだ。
「な、なんだあれ?」
その飛行物体の下部に光が集まる。そして───
チュンッ! と音をたてて光の線が地上に飛ばされた。同時に地面から爆炎が上がり、援軍の兵士や吸血鬼がまとめて吹き飛ばされる。まるで一生懸命に組み立てた積み木を蹴っ飛ばされたような、そんな感情がアークを襲う。
「ま、まさかあれが神の力だってのかよ……」
なんとか死闘を乗り越えてこれからというときに訪れた絶望感。アークは目眩がする中、立っているのがやっとだった。
そんなアークをよそに、またしても飛行物体に光が集まる。
「た、退避ーッ!」
チュンッ! と音が鳴る。
またも爆炎とともに、援軍に来てくれた兵士たちが焼かれて吹き飛ぶ。もう戦いでもなんでもない。なすすべが無かった。
「こんなの、どうすりゃいいんだよ……」
アークは、この地獄絵図をただ見ていることしかできなかった。
「ハル、セラ、行くぞ」
「はい!」
「え、あれにかや?」
「嫌ならハルだけでいい」
「い、嫌だとは言ってないぞよ!」
ディアはセラに抱えられ、ハルを伴い空に向かおうとする。
「ま、待てよ! あれをどうにかできると思ってんのかよ!」
「さあ、やってみなければわからないな」
ディアにもどうにかできるとは思えなかったが、このまま何もせずにいても全滅するだけだ。だったら行動するしかない。
「セラ、飛べ」
「は、はいぞよ〜……!」
セラが燃える羽根を広げたとき、
───ゴオオオオッ! と轟音が鳴り響く。
飛行物体は突然、真っ直ぐな紅蓮の炎に貫かれていた。
「な、なんだ?」
飛行物体はそのまま上空でゆらめき、直後に熱風を撒き散らして爆発した。地上にはバラバラになった金属片が落ちてくる。空には黒煙が広がりその向こうには、
───山のように巨大な真紅の龍が飛んでいた。




