◆プロローグ
大陸の西部に最古の国と言われる王国がある。名をアイエンド王国といい、大陸の五分の一ほどを占める国土はその世界で最も大きな国である。
王都では無数の魔導灯が街を照らし、夜になっても多くの群衆で賑わっていた。そんな豊かな街の中心部には貴族街があり、その中のひとつ、モーリス伯爵の屋敷ではささやかな誕生会が催されていた。
伯爵の一人娘、クラウディアの五歳の誕生日を祝うのは伯爵とその妻のドリー、そしてメイドのサキも親子の側で笑みを浮かべていた───
「ディア、誕生日おめでとう」
「ありがとう、お父さま!」
テーブルにはサキが運んだ料理が並んでいる。
「ディア、おめでとう。はい、プレゼントよ」
「ありがとう、お母さま!」
ドリーが手渡した箱をクラウディアが開けると、中には首飾りが入っていた。青い魔石が装飾されており、クラウディアの青い髪とよく似合いそうなものだ。
「わあ、とっても綺麗! もう着けていい?」
「ええ、いいわよ。後ろをむいて」
ドリーはさっそくクラウディアに首飾りをかける。
「えへへ。サキ、どう? 似合っている?」
はにかんだクラウディアは椅子から立ち上がり、ドレスの裾を手にしながらポーズをとる。
「はい、とってもお似合いです!」
クラウディアが生まれたときから彼女に最も長く寄り添ってきたメイドのサキも、満面の笑みで自分のことのように喜んでいる。そんな暖かなひとときは、突然扉の向こうから聞こえるただならぬ悲鳴と物音で中断された。
「あなた、これは……」
不安そうな顔で尋ねるドリーに、表情を固めた伯爵が答える。
「……魔女狩りだ」
魔女狩り───。それはアイエンド王国が行う処刑のことである。魔女とは太古の昔に全ての生命を気まぐれで消し去ったといわれる存在だ。それが今でもどこかに隠れて生き延びていると言い伝えられている。
王国が魔女を認定する確かな基準などはない。魔力探知の魔道具によって高い魔力が検出されれば一方的に魔女認定をして、さらには念のために家族や友人までを亡き者とするのだ。
「魔力反応は上だ!」
使用人たちの悲鳴が鳴り止むと、乱暴に響く足音と怒声が近づいてきた。伯爵は立ち上がり、壁に飾ってあった剣を手にする。伯爵が叙爵したときに国王より賜った剣なので多少の宝飾がされているが、実用できないわけではない。
「サキ、ディアを頼む」
剣を握った伯爵が部屋の扉に向かう。ドリーはクラウディアの両肩に手を乗せた。
「ディア、愛しているわ。サキ、ディアをお願いね」
「お、奥様……」
それは慈愛に満ちた、優しく、悲しい笑顔だった。踵を返したドリーは、伯爵の一歩後ろに立つ。
ドカッと、扉が蹴り開けられた。ゾロゾロと鎧を身に纏った兵士が押し寄せる。
「なんの騒ぎだ」
対峙した伯爵が問うと、兵士の一人が前に出た。
「モーリス伯爵。以前からこちらの屋敷でたびたび魔力が検出されています。今回、奥様が魔女認定されました」
予想通りの答えだ。
「そうか。だが、私も貴族である前に一人の父親であり、夫だ。黙ってやられるわけにはいかん」
剣を構えた。相手の兵士は二十人ほど。
「あなたも討伐対象です。ご覚悟を……。やれ!」
その号令と同時に兵士たちが前に出ると、伯爵の背後から無数の火の矢が飛びだした。そこには両手を前方に向けたドリーが、目から血を流しながら膝をついていた。あぶら汗を流しながら呼吸を荒くしており、全力で魔法を行使したのが見てとれる。
「や、やはり魔法使いかあぁっ!」
「やれえっ!」
十人ほどの仲間が絶命して、兵士たちは怒声をあげて襲いかかった。長槍を持った兵士がドリーの胸を突き刺し、同時に火の矢によって絶命する。伯爵は兵士を一人、二人と倒していくが、盾を持った兵士に体当たりされて体勢を崩すと、そのまま剣で串刺しにされた。
「だ、旦那様……」
クラウディアを連れてテーブルの下に避難していたサキは、モーリス伯爵の最期を見た。そして残り三人となった兵士に、ドリーが最後の力を振り絞って火の矢を放ち、これを仕留めて突っ伏した。
「奥様!」
サキが倒れたドリーのもとに飛びだしていく。服は赤く染まり、顔色は蒼白だった。
「サキ……、ディア、を……」
最期に我が子をサキに託し、ドリーは目の光を失った。
「お、奥様……」
伯爵夫妻はたった二人で、自らの命をもって二十人の兵士を全滅させた。
その二人にクラウディアを託されたサキはかろうじて気を保つ。泣いて悲しんではいられない。この一人残された少女を守る使命がサキを奮い立たせた。
「ディア様、今のうちに逃げますよ!」
「い、嫌だ……。お父様、お母様……」
サキはクラウディアを抱えて逃げようとするも、両親の最期を目にしてしまった少女はテーブルの脚を掴んで離そうとしなかった。
───パシンッ! と、乾いた音が鳴る。
「ちょっと、こんなときに勘弁して下さいよ! 旦那様も奥様もあなたを生かすためにお亡くなりになったんですよ!」
動こうとしないクラウディアに、涙目のサキが平手打ちをしたのだ。こんなことは初めてのことだった。
「賊はまだいます! あなたがここで泣いていても殺されてしまうだけ! そうしたらお二人はなんのために死んだんですか! 考えたら解るでしょうが! ご両親を無駄死にさせるおつもりですか!」
普段は優しく接していたサキだったが、生死をかけた緊急時ゆえ五歳の少女に思わず本音をまくし立ててしまった。
「う、うう、ああ!」
すると、クラウディアがうずくまって呻きだし、ひどい汗を流して両手で頭を抱えはじめた。
「え、ディア様?」
『───緊急生命維持活動を行います』
突然クラウディアの頭の中に、聞いたことのない声が響く。その内容は、五歳の少女には理解できるものではなかった。
「うう、ぐ、ああ!」
『身体強化魔法を習得します』
『脳への身体強化魔法を許可します。演算能力が向上しました』
『スキル【集中】を獲得しました』
『生命エネルギーから知識と経験をインストールします』
『ストレージが足りません。感情をアンインストールします』
そんな声が鳴り止み、クラウディアはビクッと体を震わせた。
「だ、大丈夫ですか、ディア様? どうされたのですか……」
クラウディアの様子に戸惑っていたサキは、背後に新たな気配を感じた。
「チッ、さすが魔女だけあるな。二十人いて相打ちか」
そんな声にサキが振り返ると、そこにいたのは白いミスリル製の金属鎧を着た二人の騎士。兵士たちの上官のようだった。二人は伯爵とドリーの死体を確認すると、クラウディアたちに目を向けた。
「残りはこいつらだけだな。さっさとやるぞ」
剣を抜いて近寄る騎士たちに、サキは泣きながら両手を広げて立ち塞がる。
「ディア様! 逃げるんです! 逃げて下さいよぉ!」
サキは十六年という短い人生の終わりを覚悟した。自分がやられている隙にどうにか逃げてほしい。そのことだけを願って、固く目を閉じた。そんなサキに剣を振りおろされるとき、
───騎士の顔が破裂して吹っ飛んだ。
「へ?」
そっと片目を開けて、唖然とするサキ。
頭部のない騎士の体はぐらりと揺れて、倒れた。
見ると折れたテーブルの脚が転がっている。クラウディアがテーブルの脚をへし折って投げつけたのだ。
理解の範疇を超えた出来事に困惑するのはサキだけではなく、残されたもう一人の騎士も何が起きたのかすぐには判断できなかった。そんな中クラウディアが歩きだしたかと思うと、ブンッと姿を消した。
サキが目にしたのは、急に首から大量の血を吹きだして倒れる騎士と、その奥に自身の身長と同じくらいの剣を持ったクラウディアの姿だった。おそらく、クラウディアが目にも止まらぬ速さで死んだ騎士から剣を奪って残りの一人を殺した。だが、そんなことが起こりえるのか? と、サキは思考が追いつかないまま立ちつくす。すると、
「サキ。この二人は貴族だ。逃げるから着替えや食糧など必要な物をまとめてくれ。私はお父様の部屋から路銀を用意してくる」
返り血をつけたクラウディアが、青い髪をわずかに揺らして振り返る。声こそ子供のままだが、まるで大人のような意思を感じる落ち着いた声だった。呆然としていたサキはハッと我に帰り、すぐさま動きだした。そして五歳の少女クラウディアは、この日を境に居場所と感情を失った。