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ReTake2222回目の安田悠太という世界線  作者: 平瀬川神木
第11章 宿命への収束
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第59話 第4節 13年前に決まっていたこと

 美咲はただでさえ多忙な毎日の中で、自分の専門ではない精神、神経、記憶についての調査を進めている。睡眠時間は6時間程度しか取れていない。1週間で。

 「そろそろアンフェタミンにでも手を出すか?メタンフェタミンよりかは幾分マシでしょ」そんな独り言が口からこぼれる。

 これから確実に起こり得る、悠太君の自殺をどのように防ぐか?もはや関係を持てない自分に何ができるのか?法律を犯す事だっていとわないけれど、結果的に目的が履行できなくなる行動はしない。

 とにかく記憶が戻らない悠太君を不安から守り、記憶が戻った悠太君を絶望から救う。この準備を整える必要がある。しかもそれを実際に実行できる方法で。人生で最高難度の、自分の存在価値を突き付けられたテスト問題だ。

 美咲の脳というCPUは休む事なく最高周波数での高速演算を続けており、すでに熱暴走と言える状態だった。 

 

 「美咲ちゃん、呼び出して悪いね」

 真理雄は屋外カフェのテーブルに座ってコーヒーを飲む彼女に声をかけた。残暑厳しい天気だったので、彼女はノースリーブの真っ白いマオカラーシャツにややタイトな黒のロングスカートを履いている。

「悪いとかなんとか。やめて」疲れ切った美咲は、一切の取り繕いが無い態度で、真理雄に言った。

 真理雄も椅子に座りながら言った。「うん、わかったよ」彼は視線でウェイターを呼び、「エスプレッソを3杯、1つのカップで」と注文した。それを聞いて、とても深刻で厳しい表情を崩せずにいた彼女は、じわじわと表情が緩みだして笑い出した。

「最高ね。真理雄君」彼女にはわかっていた。自分だけがしんどい訳ではない事を。それでも、もはや取り繕う事すらできないくらい追い詰められている。真理雄がカフェイン漬けにならなければ、やっていられないと表明した。しかも論理的効率を考えて、3杯を1つのカップで。

 「真理雄君だって泣きわめきたいはずよね……」彼女はつぶやいた。

 

 悠太が病院に運び込まれた1週間後に、美咲は一方的に電話1本で婚約者に別れを告げた。6年の時間を自分のために費やしたその婚約者は、今頃カフェイン漬けか、アルコール漬けか、出刃包丁を買って美咲に復讐を遂げるか、復縁を迫るかもしれない訳だから、元婚約者にしたって同じ立場なのかもしれない。今回の流れは、関係者全員にとってキツ過ぎる。

「真理雄君、ゴメン。ちょっと状況がキツ過ぎてね。あたった」彼女は先ほどの無礼な態度を反省して謝罪した。真理雄は両手のひらを、肩のあたりで空に向けて、首を左右に振った。アメリカドラマみたいなジェスチャーだ。彼女はまた笑いだした。

 真理雄が言った。「悠太君が退院して3か月経つけれど、精神科のカルテを見るには記憶は戻っていない。精神科医とご家族の面談でも、かなり不安定な生活状況とみるべきだろうと考えている。プライベートでも僕の妻が、悠太君の家に遊びに行ったり、一緒に食事に行ったりもしたようだけど、攻撃的になっている悠太君を、ご家族がなだめる事に疲れている様だと言っていた」

「私に気を使って、ご家族、なんて言わなくていいわよ」

「ごめん」

「私ね、これは医師としてではなくて。たぶん悠太君は離婚されると思うの。もってあと3か月。やはり1年はもたないと思うの。精神疾患の患者と対峙する家族にかかる負担は、並大抵じゃないわ。まして突然今日からという状況は、本当にキツイ。響子さんはよく頑張っていると思う。それに完全記憶喪失の場合、双極性や鬱に比べて、特に家族にとって厳しくなる。片や元気に普通に生活をしている状況と、片やベッドから出てこれない状況では、家族が受け取るニュアンスは別物だわ。せめてあと半年……入院を引き延ばしたかった……」彼女は真理雄の向こう側の、若いカップルをぼんやり眺めながら言った。真理雄はウェイターが持ってきた「ザ・カフェイン」をゴクゴク飲んだ。彼女はまた吹き出した。


「僕は医師としてだけれど、響子コーチは強い人だよ。それと同時に儚い人だ。だから多分、この状態で彼女には圧倒的な、そう、浮き輪が必要だと思う。たぶんそれは、悠太君が最も望まない浮き輪になると思うんだ」

「男って事?」

「うん。だから遅かれ早かれ、美咲ちゃんの読み通りになると思う。でもそうなって欲しくない気持ちは、個人、真理雄という僕にとってはもう、すっごい強いよ。だって、彼の、悠太君の、少なくても14歳からの悠太君の人生は、響子コーチとの今日を迎える為だけに存在した時間だったからね」真理雄は、またゴクゴクとザ・カフェインを飲んだ。


 それを見ていた美咲もコーヒーを口にしながら言った。「一番の問題はね、響子さんが浮き輪を使おうが使うまいが、離婚しようがしまいが、どっちにしても避けられない、悠太君の自殺企図なの。私はこれを防ぐためならなんだってやるわ。もはや医者じゃない。黒田美咲としてなんだってやる。そのために婚約も解消したわけだし」

「元婚約者さんの川野辺先生から電話があったよ。美咲ちゃんは元気にやっているか?って」

「私には……もったいない人だったわね」美咲はコーヒーを一気に飲み干した。


 それからも今までの常人であれば十分倒れうるだけの過酷な日常は続き、その上で美咲も真理雄も、それぞれの思考を元に悠太の命を守るための準備を進めている。

 実際には二人共に、準備は進めているが、何一つ積みあがらない現状であった。打つ手がない状態。この状況が余計に苛立たせる。

 

 美咲と真理雄は、静かな夜の病院で、パソコンのキーボードをたたいていた。カタカタカタという音だけだ妙に響いていた。

「こんな静かな夜なんて……あるものなのね」美咲が独り言のように言った。珍しく深夜帯に3次救命の受け入れが1件もない夜だった。

「……美咲ちゃんの読み通りになったね……残念だけど」真理雄もキーボードをたたきながら独り言のように言った。

「誰だと思ってるのよ」美咲も独り言を続けた。

 

 真理雄は手を止めて、疲れた目を抑えながら言った。「響子さんが浮き輪に手を伸ばしたかどうかは定かじゃないけれど……まあ、それはどっちでも関係ないけどね……」

「関係なくはないわよ。それ自体は関係ないけれど、それを悠太君が知ったのか知らなかったで、これからのリスクに大きな違いが生まれるわ」

「そうかなぁ?記憶を失くしている悠太君であれば、それは関係ないんじゃない?響子コーチへの執着は忘れている訳だし」

「嫌ぁねぇ、医者らしくもない事を言って。記憶は無くならないわよ。引き出せないだけ。保管庫から引き出せないだけなのよ。それが段ボールに詰められた腐ったイワシのように、悪臭が脳全体を覆って、段ボールから垂れ落ちる腐敗液が、周囲の健全な野菜まで腐らせるわ」

「美咲ちゃんこそ医者らしくもない。記憶は悪臭を放つ事はあっても、腐敗液は発生しないよ」 

 美咲は席を立って、真理雄のデスクに腰を掛けて、真理雄を少し見下ろす形で言った。「真理雄君。私が彼を支える。私の全てをかける。これは13年前に決まっていた事だわ。いや……もっと前からかもしれない。悠太君の平泳ぎを初めて見た時から。履行タイミングが来たから履行する。それだけよ」

「あえて言わせてもらうよ。美咲ちゃんが響子コーチに言ったように、あれは悠太君であって悠太君でないけれど。それは理解できているの?」

「誰だと思っているの?」

「だとしても、僕らは精神科医ではないけれど、現状がどれだけ厳しいかは理解しているんだよね?美咲ちゃんの仕事はどうするの?病院は?前提変更が大きすぎて、もはやスクラップアンドビルドしか残っていないように見えるよ。理解している?」

「なに言ってんの?見てみなさいよ。あなたの前にいる女を。もうとっくに壊し始めているじゃないの。良い子でやってきた私の立ち位置を壊して教授連中に噛みついて、6年がかりで口説いてくれた名の知れた心臓外科医がである婚約者を捨てて。スクラップはとっくに始めているわ。悠太君がこの病院に運び込まれたあの夜から。私は自分の人生を、とっくに壊し始めているわ」

 真理雄は天井を見上げて、天井と同じ向きにある美咲を見て笑い出した。「フフフフ、そうだね。観察力が不足だね。僕は。さて、僕にできる事は?」

 

 午前中の光が差し込む気持ちの良い日。美咲は電子カルテを見て、悠太が精神科受診に来るタイミングを見計らい、会計窓口がある大きなホールのソファーを見渡せる場所にいた。悠太の姿を見つけた。響子と離婚し東京に戻った父親と暮らしている事は把握している。悠太が一人でソファーに座って会計を待つ姿を見て、心が震えた。身体中震えた。美咲は悠太に向かって歩き出した。「時間をかけて……時間をかけて振り向かせてみせる……私を誰だと思っているの?」美咲はつぶやいた。


大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。

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