第49話 第1節 無敵な僕が黙々とカニを食べる
僕の無断欠勤理由として、熱が出たと言うと感染症の疑いが濃厚になり、更に数日間のお休みとなってしまう。そこで病原菌を空気伝播させない系の食中毒をチョイスして、ひどい下痢と嘔吐を繰り返して連絡できなかった事を室長に謝罪した。病院からも何度か電話をくれたようだが、今後は連絡くらいはするように注意された程度で収まった。
前だったら無断欠勤して怒られるなんて、すっごく落ち込む事だったけれど、ちょっと無敵な僕になっている。あんな夜の後だし、こう子さんと結婚できる事になった次の日だから。もちろん無断欠勤なんてやったらダメな事はわかっているけれど、ほとんど落ち込んでいない僕がいる。
数日後、こう子さんのお母さんとお姉さんに僕が酔っぱらってしまった翌日の醜態を謝るのと同時に、こう子さんの家族全員に結婚する報告をした。お父さんがお寿司を出前で取ってくれた。
お父さんがお寿司を食べながら結婚式について、盛大に援助はすると言ってくれたけれど、僕とこう子さんの中では、こじんまりにしたいという希望がある事を伝えた。
お父さんは残念そうだったけれど、お姉さんが「時代が違う」と援護射撃をくれたり、お母さんが「あんたの結婚式じゃない」ととどめを刺してくれたので、お父さんはしぶしぶ理解してくれた。
札幌にいる僕のお父さんにも連絡をすると、次の週末には連休を取って帰る。その時にこう子さんのご両親にご挨拶に行きたいからスケジュール調整をしておいてほしいと言われた。
お父さんが札幌から帰ってきた夜に、こう子さんとお父さんと僕は3人でご飯を食べた。
外食じゃなくて、お父さんが買ってきたカニを食べたのだけれど、何も会話がなく静まりかえって黙々とカニを食べていた3人だった。お父さんが笑い出し「今日のこの場に、カニは向いていなかったかもな」と言った。
お父さんは札幌支所の責任者になる可能性が高く、しばらくは東京に戻れない事。このマンションの購入ローンは前倒しで完済しており、処分するつもりは無い事。僕ら二人がこのマンションで暮らしてくれると嬉しいと思っている事。お父さんが逆出張で東京に戻った時には泊まらせてくれたらもっと嬉しいという希望。そんなことを話してくれた。
こう子さんの今後のキャリアはまだ未確定だけど、まだ子供の事は考えていないので、しばらくはこのマンションで生活させてもらえらばありがたいと考える事。2LDKのマンションなのでお父さんの部屋はそのままにしても、二人の生活には十分な広さがあると考える事を話した。
こう子さんのお父さんが気に入っている本格四川中華料理屋さんに、全員が集まった。こう子さんは、辛いのが苦手だから嫌がるかと思ったけれど、今日は食事が目的って訳ではないからすんなり受け入れた。
丸い大きな回転テーブルに、全員が座った。
まだ席に着いたばかりの時に、お姉さんが少し離れた席から言った。
「悠太、コップが足りないからもらってきて!」
隣に座った僕のお父さんが小声で言った。
「響子さんのご家族は、みんなが悠太の事を悠太って呼んでいるのを聞いて、なんだかすごく安心しているよ」お父さんはとてもやさしい顔をしてくれた。
こう子さんのお父さんが声を出した。「悠太のお父さん、本日は札幌からおいで下さりありがとうございます。我々もこれから家族となりますので、よろしくお願いします」
「私の方こそ、本日はお招きいただきありがとうございます。男手一つで育てた子なので、至らないところが多々あると思いますが、やさしく一生懸命な人間に育てられたと自負しています。今後ともしっかりと教育していただければと思います」僕のお父さんが応えた。
こう子さんとあんな素敵な夜を過ごした後、何度も何度もさらに素敵な夜を過ごしている。
こう子さんに対して僕が持つ、なんというか、エロい愛情と、こう子さんやこう子さんの家族に対して持つ、なんというか、家庭的な愛情と、多分同じところから生まれた2つの気持ちは、交じり合うのを嫌うけれど、確実に両方とも大きく存在する。
誰かが見る僕は一人なんだけど、実は色々な僕が僕を作っているから、見る人によって、僕は違うんだろうと思う。だから、僕が誰かをこうなんだと決めつける事は全然できないし、誰かを間違ったイメージでとらえるなんて事はたくさんあると思う。
だって、僕の中に僕はたくさんいるんだし、誰かの中に誰かはたくさんいるから、その中の一人だけをわかったところで、全然わかった事にはならない訳だから。
結婚式と新婚旅行については、僕のお父さんから提案があった。
強制するつもりはないけれど、お父さんとお母さんが結婚式をした沖縄の読谷にあるホテルの教会は、とても良かったし、ホテルもとても良かったから、お勧めだよという事だった。
お父さんが札幌に戻った夜、僕とこう子さんは僕の家の片づけや模様替えの話し合いをした後で、やっぱり最高のエッチをした。
大好きな人と裸でベッドでお話をする。あの響子コーチと「ピロートーク」をするだなんて。なんて、なんて大人になったんだ。僕は。
「こう子さん。結婚式や新婚旅行についてだけど、ハワイに行きたいとか、何か希望はある?」
「ハワイかぁ、良いけどねぇ。でも悠太、これからも二人の生活は続いていくんだよ。現実離れしたような恋人期間が『ゼロ』で家族になっちゃおうとしているから、ちょっと残念ではあるけれど、お金の事も考えていかなきゃダメだと思うの。いつまでも親に甘えた考えを持っていられるほど、どっちの親も大金持ちって訳じゃないしね。だから私は結婚式自体、しなくていいんじゃないかな?って思ってはいるんだけど。でも悠太のお父さんが私たちに読谷の教会の話をしたって事はさ、やっぱりそこで式を挙げて欲しいんじゃないかな?って思うの。どう思う?」
「うん、お父さんがお勧めだよとか言うのって、あんまり記憶にないんだよね。だからお父さんとしては、そうして欲しいと思っていると僕も思う」
「冷静に考えてみるとね、今の私たちくらいの時に結婚して、二人の間に子供ができて……私は……悠太が亡くなっちゃったら……」こう子さんは泣き出してしまった。
「こう子さん。僕は死なないよ。こう子さんが死ねって指示を出すまで死なない」
「うん、ごめんね。でもだからね、お父さんの苦しさや寂しさや、それら全部を後回しにして悠太を愛し続けた事にね、私は心からの感謝と敬意を表したいの。悠太は自分のお父さんだから意識しないだろうけれど、悠太のお父さんはかなりのイケメンなんだよね。絶対に今まで悠太のお母さんになりたいって人はいたと思うの。でも、自分よりも悠太を優先した結果として、ずっと一人でいるんじゃないかなって思うと、それは悠太に対するすっごい愛情の強さだと思うんだ。悠太のブレない強さはお父さん譲りだね。だから私の希望は、読谷の教会で式を挙げる事。お金については、私にも少しは貯金があるし、お父さんにも甘えちゃおうかなって思っちゃう」
「さっきは甘えるのは良くないって言ったのに」
「それはそれ。これはこれよ」
次の日から僕たちは、読谷の教会で式を挙げる為の情報収集を始めた。
大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。