第46話 第6節 逆プロポーズ
冴子さんは、ふっと身体を前に倒して、胡坐をかいて僕をじっと見た。怖いくらい真面目な顔で僕をじっと見た。しゃべり方が突然変わった。
「ねえ。あなたは『自分が自分が』が強すぎるわ。自分がこんなに好きなのに、自分はこんなに一生懸命なのに、自分は全部かけているのに。うんざり。人の人生をなんだと思っているの?自分の人生の飾りだと思ってるんじゃないの?笑える。よく聞いてなさい。私の心の中には、今でも優志がガッツリ住んでいるわ。私を愛してくれた男。私を地獄のような毎日から救ってくれた男。勇敢で優しく強い男。だから今でも彼を愛している。セックスだってそう。彼とのセックスは最高だった。彼とのセックスでは奥の方でイけるの。クリイきなんて笑っちゃう。だから真理雄じゃ到底敵いっこないわ?それでも真理雄は私を愛した。それごと私を包もうとしている。あの小さな真理雄が必死でね。カッコ良いじゃないの。最高よ。だから私も彼を愛した。心の中に優志を住まわせたままで、彼も愛した。これは二股なの?私はそこら辺のバカな女じゃないから、愛した男を上書きなんかしない。私は一度愛した男は忘れないわ。あなたは何?童貞で好きな女をクリイきすらさせたことがないあなたは何様のつもり?響子さんの人生は、あなたの飾りじゃないわ。彼女には彼女を主役にした物語がある。それはあなたの物語ではないわ?人の人生という物語を、蔑ろにして踏みつけてゴミみたいに扱ってるのは誰?自分の正しいがこの世の『ことわり』だなんて勘違いしたバカで知ったかぶりしているのはどこの誰?」最後にギロッと僕の顔をにらみつけて、2秒後にふわっといつものやさしい美人に戻った。
冴子さんはまた両手を後ろについて空を見上げた。
「今日はぁ~良い天気ねぇ〜。女はねぇ、強い男が好きよ~?古いなんて言う人もいるけれど、何万年も前から戦うのが男の仕事で、寝床と子孫を守るのが女の仕事なのよぉ〜。だからぁ、本能ってやつ?文化なんかじゃ覆いかぶせない、本能ってやつで強い男が好きなのよぉ〜。でもそれはねぇ〜表面的じゃダメなのよぉ〜。表面上の強いフリに騙されるおバカな女もいるけれどぉ、イイ女は違うわよぉ?ちゃんとその男の本質的な強さを見極めるのよぉ〜。悠太君も頑張って強い男にならないとぉ、バカな女にしかモテないぞぉ!」
冴子さんは立ち上がって、両手でお尻についた砂を払った。
「じゃあねぇ〜、悠太君。感情に流されて、大切な事に向き合う事から逃げる男は、強い弱いの前に試合会場から逃げ出している論外男だからねぇ~!」僕に向けてウインクをして、片手をバイバイと振って歩き出した。
僕は呆気にとられたし、自分が知っていると思っている人の事も、この世界の事も、真実の1割くらいしか解ってないんじゃないかって気がしていた。
家に向かう電車の中で、ずっと前に百瀬コーチから言われた事を思い出していた。
他人の中にいる僕は、僕が発した言葉と行動で出来上がるもの。僕がどう考えているかなんて関係ないって言っていた。僕は今まで知らなかった冴子さんの一面を見て、僕の中の冴子さんが変わった。昨日までの冴子さんは消えて、新しい冴子さんが僕の中に生きている。僕は解っているつもりになっているだけで、本当は何にも解っていない。それなのに、ただ知ったかぶりを続けて、正しいとか間違えているとかを振りかざしている大バカなんだ。
僕は電車の中で、ひどい後悔を感じていた。
どうやって、こう子さんや、お母さんやお姉さんに謝ればいいんだろう?そんな事を考えながら、駅から家までを歩いていた。ああ、自転車も取りに行かなきゃいけないなぁ……
でももう暗いから、明日早起きして、マッサージのお店に行って、自転車に乗って病院に行って……って、今日無断欠勤しちゃったよぉ。まずいなぁ……具合悪かったのは嘘じゃないから、連絡できないくらい悪かったって謝ろう。
マンションが見えるとエントランスの前にこう子さんが立っていた。僕は涙があふれてきた。
流れる涙を拭きながら、走り出してこう子さんの近くまで行くと、こう子さんが顔をクシャクシャにして大声で泣き始めた。大人が「ワ~ン、ワ~ン」と泣くのを初めて見た。僕の涙は引っ込んだ。
「こう子さんごめんなさい。昨日の夜からずっと待っていてくれたの?!昨日は僕……」僕の言葉を遮るように、こう子さんが抱きついてきた。こう子さんはずっと泣いていた。
通りを歩く人がジロジロ見ている。とにかく部屋に行こう。そう思って抱きついているこう子さんを押し離して言った。
「とにかく、部屋に……」僕が言いかけるとまた遮って僕を抱きしめて、さっきまでの泣き声より大きな声で叫んだ。
「悠太君、結婚してください。私と、結婚してください」
僕は今日二度目の呆気にとられた。
こう子さんの背中を押して、部屋に入った。僕は最近ではキレイに使っているキッチンでお湯を沸かして紅茶を入れた。
こう子さんはブラックコーヒーが苦手だ。ミルクは無いから紅茶にした。
「はい、これ、飲んで」僕はこう子さんに言った。
「うん……」こう子さんはうなずいた。
「こう子さん、昨日は本当にごめんなさい。24時間も待たせてごめんなさい。あんな風に自分を抑えられなくなったのは……いつだったかこう子さんが河原で変な連中にからまれていた時も、気が付いたら身体が動いちゃっていたけど、あの時より訳わかんなくなっちゃって。三橋さんは怪我していないかな……」
「うん、大丈夫。確認した訳じゃないけど、いいよ。どうでもいい。昨日は私の方こそごめんなさい。昨日はね……」僕が遮った。
「もういいんだ。僕は自己中心的過ぎた。こう子さんの時間は僕の人生の飾りじゃないから。こう子さんにはこう子さんの時間がある、やっと理解できたから」
「ちゃんと言わせて?ちゃんと伝えたい」
「うん、わかった」
大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。




