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ReTake2222回目の安田悠太という世界線  作者: 平瀬川神木
第8章 社会人時代前編 大きな転機
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第41話 第1節 帰属意識

 響子コーチのお父さんやお母さん、お兄さんやお姉さんとの関係は、しっかりと深めていた。北海道の美味しいものが僕のお父さんから届くと、それを理由に響子コーチの実家に持って行った。真理雄から(本当は冴子店長経由で冴子店長のお父さんからだから真理雄は関係ない)海の幸をもらうと、それを理由に響子コーチの実家に行った。


 今までは週に1回響子コーチとご飯を食べていたが、今は週に1回響子コーチの家族とご飯を食べている。僕はこの事を響子コーチには報告していない。

 僕は響子コーチに嘘は言わないし、隠し事もしないけれど、僕からはまだ言っていない。


 僕は自分のお父さんと幼稚園の頃から2人暮らしだったから、大人数の家族の食事というのが初体験で楽しかった。たぶん県人会とか宗教とか一流企業や一流スポーツチームとかが似ているかもしれないけれど、帰属意識とか所属意識という言葉のように、僕が大好きな響子コーチの家族という集団の一員になっているような状態がとても幸せで気持ち良かった。

 

 学生としての平日は忙しかったけれど楽しく過ごし、週末はトライアスロンのチームの練習に行っている。

 練習といっても、メンバーでジョギングをしたり、バイクに乗ったり、プールで泳いだりするだけだ。定期的な大会に誘われてはいるけれど、響子コーチがいない今はそれほどの魅力を感じていない。体力維持と響子コーチの前で裸になる時が来ても、ブヨブヨとした体にしないために頑張っている。


 昼は手に入れたジャイアントのロードバイクで大学に通学している。マッサージの施術士になる事を目的にした、人生の方向転換はせずに、今まで通り医療技師を目指す事にした。

 真理雄に相談した結果として、病院などで保険診療をベースにした医療的なマッサージをする仕事にこだわりが無ければ、鍼灸は例外として、法的にマッサージ行為自体に資格は必要ない事。僕が響子コーチ特化型になりたいのであれば、ニッチな勉強をすれば良いと言われた。


 僕は真面目に、そして響子コーチに「僕のマッサージなしでは生きていけない」とか言ってもらえるかもしれない少しの期待を込めて、オイルリンパドレナージュというマッサージの民間資格の勉強をした。5か月の通信教材を使った勉強終了後、1か月の夜間実技講習を終わらせて、紹介してもらったお店でアルバイトを始めた。経験を積んで響子コーチ専属特化型のオイルマッサージ師を目指している。真理雄が言ったニッチかどうかは不安だけど、やるだけやってみる事にした。


 響子コーチの家族とご飯食べるのは金曜日の夜が多かったので月、水、木曜日の週3回で働いている。18時から22時までで歩合給だから、初めのうちは給料が少なかったけれど、最近はリピーターがついてきたので、1か月10万円くらいになっている。

 

 アロマで良い香りのする薄暗く温かで静かな部屋を、カーテンで仕切ったベッドで施術する。壁やドアで仕切る完全個室にしてしまうと、色々な問題が起こってしまうので、カーテン仕切り位がちょうど良いと店長が言っていた。


 お肌つるつるになりたい美容目的の人や肩こりや腰痛対策の人、ガンでリンパ節を排除した結果の「むくみ」を解消したい人などが来るお店だ。

 

 篤や健治には、悠太が風俗嬢になったと言われているが、そういうのではない。でも8割は女性のお客さんだ。


 女性のお客さんから飲みに行こうと誘われたりするけれど、お店で禁止されていると言ってお断りしている。

 男性のお客さんから飲みに行こうと誘われても、お店で禁止されていると言っている。

 

 僕の大学生活もあと一年になって、技師としての就職先を決める時に悩んだ。


 技師は結構引く手あまたで、自分が働きたい病院を選べる立場にある。もちろん真理雄が行く病院は、僕では入職できないレベルだけれど、民間の医療機関では結構選べる。

 響子コーチが働いていた国立病院機構の大きな病院も選択肢の一つなんだけれど、もしこの病院に響子コーチの元カレがいたら、もしその人が僕の上司になったら、僕はヤサグレてしまうかもしれないと心配もあった。

 だけど大きな病院の安定した収入は大事だと思ったし、この病院はかなり規模の大きな病理部があるので、最新の機械なども揃っている。

 結局僕は様々な要因からこの病院に就職を決めて、響子コーチには大きな病院に就職が決まった事は伝えたけれど、病院名までは伝えなかった。


 海外の響子コーチとはメールやSNSでの写真のやり取りや、時差の関係で本当に時々テレビ電話で顔を見ながら話をした。


 僕は一度手紙を書いた。僕が記憶している限りでは、ほとんど初めてに近い手書きの手紙だ。はがきの年賀状とかは書いたけれど、封書での手紙は記憶にない。響子コーチは僕の初めてのほとんど全部を奪っていく。

 あまり字がきれいじゃないけれど、どうしても自分の気持ちをもう一度伝えたくて、少しでも心が届けられると思って手書きを選んだ。これも過激極右ゲリラっぽいかな。


 何を書いたかといえば、今までも散々口で伝えてきた事。響子コーチは忘れちゃっているんじゃないか?という時がよくあるので、形にして証拠を残そうと思った。

 僕が中二で、響子コーチを初めて見た時に、世界がスローモーションになった。少し怒ったような顔で緊張していた響子コーチは、本当にとても素敵に見えた。僕の世界は音が消えて、お父さんがよく聞いていた音楽が頭の中に流れていた。

 僕はその後もずっと、響子コーチを見るたびにこの音楽が流れる。響子コーチの入場テーマ曲だ。

 響子コーチをはじめて見た時の景色は、今でも目を閉じれば鮮明に思い出すことができる。だから手紙を書いている間は、この音楽が頭の中で流れていた。


 何も変わらない自分の気持ちを思い返して、それを何度も正直に書いた。


 書き終えてから読み返すと出せなくなるから、読み返さずに出した。響子コーチにとっての僕はまだ王子さまではなく生徒側っぽいので、誤字脱字は気にしない事にした。


 1か月後に響子コーチから手紙が届いた。響子コーチの可愛い字だ。

 僕はちゃんと読みたかったので、色々終わらせて、夜お風呂に入って、正座をして封を開けた。

 

 「手紙をありがとう。悠太君の気持ちはとてもうれしかったよ。手紙は書き慣れていないけれど、悠太君の気持ちに向き合うために、私も書いてみました。

 悠太君と出会ってから、10年近くが経ちます。悠太君はずっと私を好きでいてくれています。本当にありがとう。

 私はそこまで想ってもらえる人間であるという自信はありませんし、悠太君の想いに応える事ができるかどうかはわかりません。

 それでも、ずっと好きでい続けてくれている悠太君に、心から感謝します。響子」

 

 僕は頑張ろうと思った。響子コーチが日本に戻ってきてから、僕がいつでも支えられるように頑張ろうと思った。

 中学や高校の時に三橋さんや百瀬コーチから言われたように、僕という存在が響子コーチの負担にならないように、響子コーチの支えになるためには、まずちゃんと生きなきゃって思った。僕は家の掃除から始めた。汚さないで生活しようと誓った。


大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。

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