第38話 第4節 響子コーチとツーリング
僕はロードバイクを買う為の、無理なアルバイトはやめている。響子コーチのチームのキャプテンさんの申し出は断ったが、僕が所属しているチームの40代のメンバーさんから、ジャイアントという自転車メーカーの初心者モデルのフレームをベースにした、ロードバイクを譲ってもらった。
ブレーキやギアなどのパーツは中級機以上のものと交換してあり、玄人受けする良いバイクに仕上がっている。泳ぎをコーチしているお礼として無料で良いと言われたけれど、それはちょっと嫌だったので、5万円を渡した。それでも格安だ。個人売買の中古自転車で修理の時ショップに持ち込むことができなくっても、自転車整備は勉強してるから自分で整備できるし、メンバーさんに聞いたって良い。
響子コーチが海外へ行く前に、一度でいいからツーリングに行きたいとお願いをしたら、忙しい中で時間を作ってくれた。
僕らは海沿いを走り、伊豆の一碧湖まで行き、1泊して戻る計画を立てた。お泊りなんだから、正直自転車で一緒に走る以外の期待もしてしまうけれど、できるだけ清く正しく美しく、響子コーチとのツーリングを楽しもうと思っていた。
ツーリングの日の天気については、僕も響子コーチも晴れ男と晴れ女なので、さほど心配はしていなかった。案の定とても良い天気になった。二人の最小限の着替えなどは、先に準備をしてもらって僕のデイバックに入れて背負った。
僕は初めてのツーリング。響子コーチは何度か経験がある。泊まりでの経験もあるというから、僕は誰と言ったのかを聞いた。
「あ~チームの……」
「僕は初体験なので、よろしくお願いします」チームの……の先は、僕にとって完全に地雷だと判断して遮るように割り込んだ。
僕たちはバイクを分解して、輪行バッグという大きなカバンに入れて電車で小田原まで出て、小田原から自転車で一碧湖まで向かう。湖のそばのホテルで1泊し、違うルートで小田原まで戻り、電車で家に帰るルートを計画した。
自転車で走る時間は、予定で片道4~5時間。片道60キロだ。
ルートは響子コーチの意見で、行きにキツイと帰りがヤバいから、行きに海沿い、帰りは山越えとなった。
実際問題として、二人ともトライアスロンチームでトレーニングの継続はしているし、どっちもアスリートって感じなので心配はしていない。僕はツーリング未経験だけど毎朝1時間走っているし。
響子コーチは僕の方が不慣れだから前を走れと言った。危険なのは後ろだから響子コーチに前を走ってもらいたかったけれど、上手い言い方をしないと聞いてくれない。
品川駅で待ち合わせをして、僕の方が早く着いたので待っていると、大きな輪行バッグを担いだ響子コーチが来た。
当然僕が持つと言ったのだけれど、自分の分は自分で持つのが最低限のアスリート根性だと言うので、せめて響子コーチのデイバッグを僕が持つ事で合意が取れた。
東海道本線はグリーン車を使い、電車の中から僕はウキウキで、本当ならば駅弁とかを二人で食べたかったのだけれど、響子コーチがおにぎりを二人分作ってきてくれたので、当然そっちの方が100倍良い。
1時間半くらいの電車の中では、これから行く海外留学の話とか、その後の展望なんかも聞かせてもらって楽しかった。
「響子コーチ。僕はツーリング初めてだし、長距離のバイクも初めてなのでペースがわかりません」
「サイクルコンピューターの指示に従えば大丈夫だよ」
「もしですよ?サイクルコンピューターの指示に従う事に集中し過ぎて、転んだりバテたりしたら困ります」
「私も後ろにいるし、声もかけるよ」
「慣れるまでの間だけでも、リードしてもらえませんか?」
こうして僕は響子コーチの後ろを走る事になった。真理雄がいなくても、僕だってこのくらいの事は出来る。
小田原に着いて、バイクを組み立てて、僕らは走り出した。
海沿いを走るのは気持ちが良いけれど、何より予定外に最高なのは、ずっと響子コーチのお尻を見ながら走れる事だ。
ピタッとしたヒザ上までのピンクのサイクルウェアを身に着けた響子コーチのお尻は、それはそれはもう……ごちそうだ。
何度か途中、慣れたなら交代と言われたけれどお断りをした。
熱海にある海鮮丼がおいしいと評判のお店に入った。
白地に薄いピンクで模様が入ったサイクルパンツを着た、本当にキュートな響子コーチが、リンゴジュースの入ったグラスを持って言った。「おつかれ~」
「お疲れ様です。今日はありがとうございます。もう本当に幸せです」
「ははは、大げさだねぇ、悠太君は」
「まだ25%くらいしか走っていないけれど、ちょっとお尻が痛いです」
「ああ、教えてあげればよかったね。お股にジェルを塗っておくと結構楽だよ。擦れる事がないからね」
「え?響子コーチはお股にジェルを塗ってるんですか?」
「うん。チームで塗ってもらってから、楽だな~って思っていつも塗ってるよ」
「え?……塗ってもらってから?」
「ああ、ええと、教えてもらってから?」
「ビックリしましたよ。チームの誰かに、塗ってもらったのかと」
「ははは、ごめんごめん。地魚丼が楽しみだね」
海鮮丼も美味しかったし、何よりずっと響子コーチといられる事が、本当に幸せだ。
ご飯を食べ終わって、予定より早く14時ころにはホテルに着いた。
チェックインの時に、響子コーチの名前で予約してくれてあったので、僕はラウンジで待っていた。
「お待たせ、行こう」鍵をもらった響子コーチが言った。僕は響子コーチにくっついて、歩いていた。
「ここだね。響子コーチは部屋の鍵を開けた」
「響子コーチ。僕の鍵は?」
「え?同じ部屋じゃ嫌だった?」
僕は心臓が止まりそうになった。「いやいやいや、嫌じゃないです。いやじゃじゃいうおえない」
「はははは。どうした?何言ってるんだかわかんないよ?」
僕はドキドキで口がうまく回らなくなっていた。
「悠太君、着替えてから湖回りを散歩しようよ」
着替えて、着替えてって、着替えてって、同じ部屋……
響子コーチは部屋に入り、ものすごくドキドキしている僕の横を抜けて、バスルームに入って着替えをさっさと終わらせた。
そうだよなぁ〜。僕もバスルームで着替えを終わらせた。
二人で静かな湖の周りを歩いて、そこでも色んな話をした。一緒にいられるだけで、僕は本当に幸せだ。
二人で夕飯を食べて、大浴場に行って疲れを流して部屋に戻った。
僕は先に戻って、ベッドの上で響子コーチのお尻を思い出して、本当に幸せだなぁ~という気分を実感していた。
大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。