第20話 第4節 宿命への収束
彼女は後ろ手に組んで、僕の前を歩き、時々振り返って笑顔をくれた。でも何も聞かなかった。気が付くと海沿いのホテルの前に来て立ち止まった。
振り返って僕の顔を見て、少しの笑顔と、少しの恐怖心のような顔をして、僕の手を取ってホテルに入った。
彼女は笑いながら言った。「こんなことするの初めてだからね」そう言うと、フロントで鍵を受け取り二人は部屋に入った。
「さぁ」彼女は僕をベッドに寝かせた。彼女は自分の服を脱いで下着姿になった。寝ている僕のエプロンを外して、シャツを脱がせた。僕は何も考えることができなかった。薄暗い部屋のあかりはまだ灯されていなかった。
遠くに聞こえる車のクラクション。とても静かで涼しい部屋の中。僕は心地よかった。
ベッドに仰向けになり、腕で顔を隠している僕の隣に座り、僕の胸の上に彼女は自分の耳を乗せた。
「安田君の心臓の音が聞こえる……強くて速い……」彼女はつぶやいた。人を好きになる気持ち。僕は思い出していた。ストレッチの時に僕の身体に身体を重ねてくる響子コーチの体温。呼吸の音。匂い。すべてが心地よい。
黒田さんは今、僕が響子コーチに感じているような深い呼吸や心が緩やかに落ち着くような幸せを感じているのだろうか?僕は何も感じていないのに、僕は黒田さんを心地よくさせているんだろうか?人を好きになるって何なんだろう?黒田さんが僕の上に跨ってきた。
僕の陰部と彼女の陰部が重なって、温かく柔らかい彼女の性器が、彼女の下着越しにわかる。
僕はといえば、こんなボロボロの心境なのに、響子コーチのことを頭に浮かべながら、黒田さんの下で勃起をさせている。僕は最低だ。
黒田さんが僕の顔に顔を近づけてきた。ダメだ。僕は黒田さんを両手で止めた。
「黒田さん、ダメだよ。僕は今、黒田さんと一緒にいるのに、黒田さんとホテルのベッドにいるのに、頭の中では他の人のことを考えている。こんなの黒田さんにあんまりにも失礼だ」
僕の言葉を遮るように、黒田さんは僕の唇に人差し指を置いた。「安田君。私は今でもあなたが好き。こうして私と二人きりでいるのに、安田君が他の誰か想っているとしても、私は安田君の事が大好きなの。初めてあなたのブレストを見た時に、なんて伸びやかな平泳ぎなんだろうって思ったわ。泳ぎ終えたあなたの嬉しそうな顔を見た時からね、恋しちゃったの。ずっと好きなの。すごく好きなの。話したこともないのに、すっごく好きになっちゃったの。だから、今はあなたが他の誰かを好きでもいいわ。時間をかけて振り向かせてみせる。時間をかけてあなたを私で満たしてみせる。だからチャンスを頂戴。私にも、あなたに愛してもらえるチャンスを頂戴。あなたが望むのであれば、私は都合のよい女で構わない。なんだって構わない。あなたが私を乱暴に扱いたいなら、それでも構わない。受け入れるわ。私の全部をあなたにあげるわ。あなたが欲しいもの、全部あげるわ。だからね。チャンスを頂戴。あなたに愛されるチャンスを、私にください。一度だけでいいから、私にもあなたに愛してもらえるチャンスを。ください」彼女はとても暖かく、とても真剣な表情で言った。僕はまた涙が溢れだした。
「黒田さん……美咲さん。僕は今、黒田さんが僕を思ってくれているのと同じくらいの強さで、同じくらいの大きさで、好きな人がいます。こうして黒田さんに想いを告げてもらって、生まれてきてよかったかもしれないって感じています。さっきまでは、生まれなければよかった。死んでしまおうって思うくらい、全部どうでもよくなっていました。でも、黒田さんになら、わかってもらえると信じます。たぶん僕が、黒田さんのその想いに流されてしまったら、自分のすべてを否定して生きることになります。今、黒田さんに抱きしめられて、僕は黒田さんを抱きしめたい気持ちでいっぱいです。まだしたことがないキスも、黒田さんとならいいかも、って思いもあるし、このまま黒田さんと一緒に生きていくのも良いかも、って気にもなっています。でも黒田さん。僕にも、僕にもあの人に愛されるチャンスをください。僕にも、僕にももう一度だけ、あの人に愛されるチャンスをください」
僕の顔に黒田さんの涙が落ちた。黒田さんは深くゆっくりとうなずいて、片手で髪の毛をかきあげながら、僕のおでこにキスをした。僕のおでこに黒田さんのおでこを付けた。僕と黒田さんの唇の距離は、ほんの3センチ足らずだ。
「大好きなんだけどなぁ。こんなにも、安田君の事が大好きなんだけどなぁ」黒田さんのおでこを僕の唇にあて、黒田さんのおでこを僕の胸に当て、ゆっくりと体を起こした。
黒田さんは僕に跨ったままで、ブラジャーを外した。僕の手を取って、彼女の乳房にあてた。黒田さんはずっと涙を流していた。
「こんなに……こんなにも好きなんだけどなぁ……」黒田さんは小さい声で言った。
薄暗い部屋の中、パンティーしか身に着けていない黒田さんの裸はとてもキレイだった。僕の手を、黒田さんの手と乳房でサンドイッチして、ズボンの中で勃起した僕の陰部に、黒田さんの性器を押し付けていた。黒田さんは少し腰を動かして、小さくうめき声を出し、時々眉間にしわを寄せた。本当にキレイだった。
静かな部屋に、時々ベッドがきしむ小さな音と、黒田さんのほんの小さな快感の声がしばらく続いた。
長い髪の毛を、両手でかきあげて天井を見上げた黒田さんの、白くきれいな肌に恥ずかし気に張り付いた、薄いピンク色の小さな乳首が、窓から入る月明かりに照らされて、本当にきれいだった。
黒田さんは首を左右に大きく振って言った。「わかったわ。私がこんなに好きな人に、生涯苦しい思いをさせるのは、私の恥ね。でも安田君、覚えておいてね。私、これでも結構モテるのよ?こんな私をふったんだから。あの時、私の気持ちに応えればよかったかな?ってずっと後悔していてね。私の全部をあげるって言ったのに、いらないって言った自分を後悔し続けてね。それが安田君にできる、私の想いへの……つぐないかしらね」黒田さんは僕の鼻にキスをして身体を起こして僕の上から降りた。
その後、二人でモスバーガーに行って、夕飯を食べた。黒田さんの学校での話や、水泳の話はとても楽しかった。僕は二人で夕飯を食べている間、一度も響子コーチの事を思わなかった。好きな人と過ごす時間とは、本来こんな風に穏やかで、他の男の人のこととかを考えず、相手のことだけを考えている、心和む時間なんだろうと思う。僕のそれとは、似ても似つかない。心の傷が癒えていくような時間だった。
黒田さんは帰りに、連絡先を交換してしまうと、私はずっと安田君からの連絡を待ってしまうから、連絡先の交換はしないと言った。もし私にとっての「運命の人」が、安田君であるならば、また巡り合えるから、私はそれまで安田君に恥じない生き方をするね。彼女がそういうと、電車のドアがハサミのように閉まり、僕たちの関係を切った。
電車に乗った僕を、黒田さんはホームで見送ってくれた。ずっと手を振って、ずっと見送ってくれた。
大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。




