第13話 第2節 初めてのお金稼ぎ、初めての大人の嘘
11時を過ぎてお昼時間も近くなり、たくさんの地元のおじさん達でごった返し始めた店内を、ひたすら料理や飲み物を運んでいた。
入口の方で僕に手を振って、かき氷メニューの張り紙を指差す夫婦連れのお客さんが来たので注文を聞きに行った。
「いらっしゃいませ。何味にしますか?」
「おすすめは何かしら?」40代くらいの中年の夫婦で、日焼け対策として薄手の長袖長ズボンに身を包んだ奥さんの方が僕に聞いてきた。本当は、僕はまだこの店のかき氷は食べたことが無かったけど、地元のおじさん達は「練乳抹茶小豆」をよく食べている。
「一番人気は練乳抹茶小豆ですね」
「あなたも好き?」
「はい。僕もそれが1番好きです」少しの嘘で、僕は少し大人に近づいた。
奥さんは旦那さんの方を向いて聞いた。「あなたも同じでいい?」旦那さんはうなずいた。
「じゃあ2つね」
お客さんからお金を預かった時に、聞きなれているけれど、聞いた事のない声がした。熱いものに触ってしまった手を引っ込めるように、脳が考える前に、無意識に声がする方に体が動いていた。
僕の目の前を、サングラスをかけた女性ライフセーバーが走っていく。1度だけ、一瞬だけ顔をこちらに向けた後は、全力で水際まで走り、ヒザ下の水深をスムーズに走るために、足を外回しで水面上を前に持ってくるような独特の内股外回しの走り方で海面を移動し、足が水面上に出せない位の深さになってからはイルカのようにジャンプ入水を繰り返し、水深が腰高になると泳ぎだした。間違いなく響子コーチだ。
完全に気を取られ預かったお金を落としてしまって響子コーチを見送った。
「あなた大丈夫?」お客さんの奥さんに声をかけられて我に返った。
「はい、すみません」そう言って、落としたお金を拾い店の奥の厨房に戻り、店長に練乳抹茶小倉のかき氷を2つと伝えた。
「おい安田君、もしかしてお前の目当ての女がパトロールに出たのか?」昼ご飯を食べに来ていた店長のお父さんがニヤッと僕を見た。
出来上がった練乳抹茶小倉かき氷を2つお盆に乗せて、入り口で待っているお客さんに渡した後で、僕はビーチを見回した。響子コーチはどこにいるんだろう?もう事務所に戻ってしまったかな。辺りをキョロキョロ見渡していると、僕がいる海の家の反対方向の水際を歩きながら、首を左右に振って周囲を警戒している響子コーチを見つけた。僕は手を振りたい気持ちを抑えた。
店の中から僕を呼ぶ声がしたので、慌てて店の中に戻り、料理を運んだ。13時半くらいになり、少しだけ落ち着いたなと思っていた時に、入口に人影が見えたので、急いで「いらっしゃいませ〜」と言いながら向かった。
入り口に響子コーチが立っていた。
「なんで?」響子コーチはちょっと怒ったような感じで僕に聞いてきた。
「響子コーチのそばに居たくって、その理由を話したらこの海の家で雇ってもらえました」そういうと響子コーチの顔がみるみる赤くなり、恥ずかしいような、びっくりしたような表情をした。
「あ~!その人が安田君の女神さまなのね~?」そう言いながら冴子店長が出てきた。
響子コーチが小声で僕に聞いた。「女神さまって、悠太君はいったい何をどんな風に言って雇ってもらったの?!女神さまってなに?!」
僕は響子コーチに答えた。「大好きな人がこの海水浴場でライフセーバーをやることになったのだけれど、大好きな人のそばにいたいので、ここで働きたいって言っただけです」
「私はこの店の店長で冴子って言います。あなたが響子コーチね。よろしくね!響子コーチ!」店長は右手で手を振った。
「はい、えぇと、林葉響子といいます。うちの悠太君がお世話になります。若輩者ですがよろしくお願いします」響子コーチはドギマギしながら言った。
「よく頑張ってくれてますよぉ。こんな真面目に響子コーチ一筋な人ですもん。うちの父もお気に入りなんですよぉ」そう言うとまだ店の奥にいた、冴子店長のお父さんがこちらに向かって手を上げた。
この日は初めて外で呼び込みをやったり、パラソルを何本も立てたりもして疲れてはいたけれど、響子コーチに僕がそばにいる事に気付いてもらえたので、すっごく元気だった。帰りの電車の中でも眠くならなかった。
時間に余裕が無さすぎるのは困るので、海の家のバイトには、スイミングクラブの準備も持って行ってる。だからバイト終わりに家には寄らず、直接電車でクラブに行くことになる。
高校になると中学の時より、選手コースの開始時間が遅くなる。響子コーチはコーチだから小中学生の時間も教えているけれど、僕はクラブに来る時間が遅くなった。
古岡コーチから、帰りが遅くならないように、先にジムトレを済ませるか?という提案もしてもらったけれど、小、中学生コースがジムトレをやっている時間では、響子コーチが僕に関わってくれる時間が減ってしまうのではないのか?そう考えたので、ジムトレは泳ぎが終わってからの時間を維持している。
プールの時間はいつものようにクロールを泳ぐ。高校に入ってからは、前半も後半もクロールだけだ。ちゃんとやってみると、あまり好きではなかったクロールも、なるほどが多い。
僕は元々短距離選手だったので、クロールはバチャバチャせわしない感じだったけど、長距離のクロールは別物で、ちゃんと伸びてちゃんと息継ぎしないと、すぐバテちゃう。だからクロールに関しては、長距離の方が気持ち良いと感じている。
プールが終わってジムトレに向かうと、腰に両手を当てた響子コーチがいた。
「いったいどういう事なのよ?!なんで悠太君があそこにいるの?なんで私がライフセーバーやってるの知ってるの?」矢継ぎ早に聞かれた。
「怒ってるんですか?僕が同じビーチでバイトを決めたから?それとも面接の時に、好きな人がライフセーバーで働いているから、どうしてもあの海の家で働きたいって本当の理由を話したから?」
「別に怒っては無いけどさぁ。驚くじゃん。前もって言って欲しかったのはあるよね」
「だとしたら謝ります。ごめんなさい。でも前もって言って、止められたら嫌だったので、言えなかったです。響子コーチが知っていたら止めましたか?」
「う〜ん、止めたかもしれないなぁ……」
「それはなぜですか?僕がそばにいるのは気持ち悪いですか?響子コーチにとって、僕がそばにいたいと思うことは、迷惑で嫌なことですか?そうだとしたら、全部考え直します」僕は結構必死になっていた。
「いやいや、気持ち悪いなんて思わないよ。なんか久しぶりに、なんて言うか……悠太投手は『ど真ん中』に『豪速球』を投げてくるなぁというか……」
「ははは。野球に例えてくれるとわかりやすいかも」僕は思わず緊張が解けて笑った。
「笑ってる場合かって話よ。まったく。とにかくこれからはさぁ、ちゃんと話してほしい。できる限りは、そのぉ、拒否はしないからさ」
「でも嫌な時は言ってください。僕は響子コーチを嫌なことから守りたいって気持ちを一番大事にしたい。それなのに、僕が響子コーチを嫌な気持ちにさせてたら意味がないから」
この後のジムトレは響子コーチが一緒にいてくれた。ストレッチはいつものように、響子コーチの体温や呼吸をそばで感じることができて、とても幸せな時間だった。
週末は選手コースがお休みなので、17時までアルバイトをする。響子コーチのお休みがわからなかったから、面接のときにお休みについては後で決めたいと伝えてあった。これからお昼で忙しくなる少し前の時間帯に、海の家では冴子店長がスマホで誰かと電話をしていた。
「悠太く〜ん。これから忙しい時間なんだけどさぁ、ちょっと頼まれごとされちゃったの〜。お願いできる?」
「僕に出来ることは何でもやります。どうしたら良いですか?」
「来週末にねぇ、このビーチで花火大会があるのよ。不足しているものの買い出しにライフセーバーが出るんだけど、その荷物持ちに監視事務所に行ってきてくれる?」
「わかりました」もしかしたら響子コーチに会えるかもしれない。とルンルン気分で監視事務所に向かった。
大切なお時間を割いていただきありがとうございました。わかりにくいところやご意見ご感想などいただければ幸いです。




