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この本から学んだもう一つの大事な考え方は、ノンバイナリーに限らず性自認や性的指向は常に同じとは限らないもので、自分が「今」当てはまるラベルを(貼る/貼らないを含めて)選択することが一番大事だということです。
もちろん一生を通して変わらない人もたくさんいるけれど、変わる人だっているのだから、将来的に変わるかもしれないということを恐れてラベル貼りを躊躇わなくてもいい。今、自分が「これだ」と感じたラベルを貼りたいのなら貼ればいいし、貼らなくてもいいし、時期に応じた選択をして自分が生きやすいようにするのが一番だ。
この考えは、どっちつかずな立ち位置にいることに漠然とした不安を感じていた自分を支えてくれました。
ちなみに、「ラベルは自分で選べる」と言うと「トランス女性と言い張って痴漢や覗き目的で女性トイレや風呂に侵入してくる輩が出てくる!」と言い出す人がいそうですが、トランスだろうが騙る人だろうが犯罪は犯罪なので関係なく処罰せよ(真顔)と思います。
性別専用スペースについては身体的性別(移行治療をしていれば移行後の性別)に合わせて利用すべきだと考えており、その辺りは当事者間でも共通認識が取れているらしいのでもっと信用すべきです。というか失礼を承知で言えば、男性みたいな見た目の女性はたくさんいますし、それを信用できないともう何も信用できないのでは?
話が逸れるのでここまでにしますが、ラベルの話はあくまで自己認識、生き方の問題と考えてください。
「自分が生きやすいラベルで生きていい」という言説で、救われる人間がいるんです。
というわけで、この「男になりたかった女」は「ノンバイナリー」というラベルで生きていくことにしました。
性別を聞かれたら「ノンバイナリー」と答え、性別欄は「その他」かあれば堂々とそちらを選ぶ。女性扱いをされたら「違いまーす」と思うなり、言えるような関係性なら言うなりしてもいい。
そう考えることで、かなり心が楽になりました。
他の当事者の話を聞いていると自分よりももっと強い違和感を抱いていた人もいるらしく、それを思うと自分程度の人間が「ノンバイナリー」と称してはいけないのかもしれない、と葛藤することもあります。でもこのラベルを貼りたい気持ちは確かなので、気が変わらないうちはこのまま生きていこうと思います。
とはいえ、貼ったところで何も変わりはしません。今まで通り仕事をして、遊んで、女性用トイレや風呂に入り、日々を過ごしていくだけです。
ただ、生きづらかった人生が、ラベルを貼るだけで生きやすくなりました。
この文章が、同じ生きづらさを感じている人に届いて、選択肢の一つになれば幸いです。できれば生きづらさを自覚し始めた学生時代の自分に届けたかったのですが、それは叶わないので。
そして、「こんな生き方をしている人間もいるんだ」と知ってもらうきっかけになれば嬉しいと思います。