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ただし「男になりたかった」と思っていたとはいえ、自分の体が持っている女性的特徴に嫌悪感を抱いてはいませんでした。自分の体は当たり前のようにそこにあるもので好きも嫌いもない、という感じです。体型や顔立ちなど、自分の見た目に頓着しない性格だったのも影響しているかもしれません。
自分の体そのものに違和感はないので、女性用トイレや女性風呂は気にせず使えます。水着もズボンタイプを中学生から使っているので、プールの授業も苦もなく参加できました。
体の性と心の性が解離している「トランスジェンダー」については高校生くらいで知ったように思います。しかし「自分は性別適合治療を受けて男になりたいのか」という自問をした際、「そこまではいいかな」と考えてしまったのです。
怪我も病気もしていない健康な体なのに、薬や手術で大きく作り替えるのは怖い、というのが主な理由でした。子宮を取ったら生理も無くなるのは魅力的だなと感じましたが、治療のリスクを考えるとそこまで踏み込めませんでした。
自分のことは「女性」だとどうしても思えない
でもリスクを犯してまで男性の体になりたいわけではない。
体は女性だから性別欄には「女」と書くけれども、モヤモヤした気分は残る。
あだ名が「鈴之助」なので「男と女どっちなの?」と冗談混じりに言われて回答に困る(その時は「性別は『自分』です」と答えて笑われました)。
そんな中途半端な感情を抱えたまま、「何となく生きづらいなぁ」と日々感じていました。
そんなとき、ある本と出会います。
それは『ノンバイナリーがわかる本』(エリス・ヤング著 明石書店 2021)(https://www.akashi.co.jp/smp/book/b598584.html?fbclid=IwAR0r3b1pqaumQae3ydixE1bW1Ox0NQS1VZoviqC55mjg_hwbd-XQmtJoJ8U)です。
自分はここで、「ノンバイナリー」という性自認を知りました。
ノンバイナリーとはざっくり言うと、戸籍に記載されている性別と関係なく「男性/女性という区別が当てはまらない」性自認や性表現を指し、トランスジェンダーの一種です。似た言葉で「Xジェンダー」というものもありますが、これは日本独自の言葉だそうです。
この本は、当事者でもある著書が、自身の経験や他の当事者への聞き取り調査やアンケートを元に「ノンバイナリーとは何か」ということについて解説したものです。基本的事項にはじまり、人間関係、社会との関わり、心身の健康面、法律面といった多角的な視点から、ノンバイナリーの人が置かれている状況について説明されていました。
この本を読んで、衝撃を受けました。「これは自分のことだ!」と。
自分の性別はどちらでもないと感じる。
たとえ誉め言葉でも日常の些細な区分でも、男女どちらかに振り分けられることに違和感がある。
ノンバイナリーの特徴として挙げられているこれらに心当たりがありすぎて、読みながら思わず笑ってしまいました。
「性別は『自分』だ」というのもノンバイナリーの人の間ではよく使われる表現だと知って、存在を認識する前から無意識に同じ事を言っていたことにも。
そして、ようやく自分を表すラベルが見つかったことに、このどっちつかずな違和感を感じたまま成長してしまったのが自分だけでないことに、心底ほっとしました。