シャロン:5
「シャロンさーん、頼まれていた本をお持ちしましたよー」
山狩りキャンプ地の一角。他と代わり映えしないテントの前に立ったオスカーは、呑気な調子でテントの内に向けて声をかける。
今回の山狩り作戦で一個小隊の長を務めるオスカー・パウエルと言えば、王都の軍ではそれなりに名の知れた人物。間違っても使い走りなど頼むような相手ではない。ないのだが……。
「あぁ、あんがと隊長。やっぱり待機中はどうにも暇でさぁ」
オスカーの調子に負けず劣らず、だらけた口調で彼を出迎えたのは魔術師シャロン・フォンコス。テントの隙間からノソノソ半身だけ這い出して対応する横着ぶりで、オスカーの手にした書籍を手にすると表情を曇らせた。
「……これ、違うわよ」
シャロンが手にした本をひらひらと振りつつ指摘する。
「え? でも、シャロンが頼まれていた『すっとこドス恋』ですよ?」
彼女の言葉に、そんなことはないと書籍のタイトルを指差して反論するオスカー。だが、シャロンは彼の反応に全くわかってないとかぶりを振る。
「私が頼んだのは『すっとこドス恋:下手投げ上手』よ。持ってきてくれたこれは『トキメキ地方巡業』だわ」
そう言ってシャロンが指し示したのは、オスカーの指す書籍タイトルの下に書かれたサブタイトル。彼女の指の先を辿ったオスカーは、その事実に気付き「そこかぁ……」と抜けた声を漏らす。
「これはなんとも、面目無いです」
「まあ、折角だし、これはこれで読むけどさぁ」
バツが悪そうに謝るオスカー。そんな彼にシャロンがやさぐれた態度を取ってしまうのも無理はない。
遡ること一ヶ月。魔術師シャロンとオスカー隊長の山狩り選抜探検隊は、国境を跨ぐ山中からついに瘴気の根源である謎の生命体を発見した。この謎の生命体に対してシャロンが思念による対話に挑戦し、これに成功。シャロンから得た情報と謎の生命体の処遇を巡り、山狩り選抜探検隊は一度王都に帰還することになった。
王都に戻った際にシャロンの所属する魔術店と政府、または軍部の間でどのような交渉があったのかはシャロンにはわからない。わからないが、彼女は謎生命体との交渉役という名目で王都の軍に正式に出向するよう店長に言い渡され、帰宅する暇さえなくそのまま国境の山狩りキャンプに送り返されることになったのだった。
そして、それからというものシャロンは定期的に山中の謎生命体に会いに行き、そうでない日は他の勢力によるシャロンへの干渉を警戒する軍の保護下、もしくは監視下に置かれつつキャンプ地で余暇を過ごすという日々をおくっている。
「せめてアイツの移動先が決まるとか、進展があればいいけどね」
シャロンの言葉にオスカーがまったくだと頷く。
彼女の言うアイツとは、山中に生息する謎の生命体のこと。生命体の放つ瘴気が隣国との国境を繋ぐ山を覆っているせいで交通に多大な支障が出ている。
この生命体を何処かに移動させなくてはならないわけだが、山一つ覆う瘴気を放つ謎の生命体を受け入れようと手を上げる奇特な地域など先ず無い。山を挟んだ両国内は勿論、周辺国にも要請をしてはいるが色好い返事は返ってきていない。
この計画の進まなさが、いつ終わるとも知れない自身の拘束に対するシャロンの不満を膨らませている。キャンプから出られないなら暇潰しの一つも欲しくはなるし、頼んだ本を間違えられれば文句なり皮肉なりの一つもボヤきたくなるのである。
そんな彼女の内心を察しているのかどうか、オスカー隊長がそう言えばと手を打つ。
「ああ、生憎あの生物の移送先は決まっていませんが、進展と言えば一つありました。連絡で今日の昼便の馬車で応援が届くそうですよ」
「応援?」
「ええ、応援です。あの生物を移送するためのね」
幸いな事に謎の生命体の自力移動は可能。身体の下部、木の根とも触手とも呼べそうな部位を蠢かせながら、人並みの速度で動けることは確認済みだ。
残る課題は、前述の山一つ覆う規模の瘴気である。対策も無しに謎の生命体を移動させでもしようものなら、移動する道中の一帯が漏れなく瘴気の塊に晒される事になるだろう。
オスカーが応援と言ったのは、その課題の解決策。もしくは、解決出来るかもしれない何かだ。
「あ、念のため言っておきますが、何が届くのかは私も知りませんよ」
何事か問うより早く、オスカーがシャロンに言い放つ。
「何せ取り扱う生物が前代未聞摩訶不思議な危険物ですからね。各国や各ギルドに協力要請はしているようですが、かなり慎重かつ秘密裏に進められています。我々にさえも情報が上がってこないんですよ」
これでは部下への状況説明もままならないとボヤく中間管理小隊長。そんなオスカーの背後で唐突にキャンプ内が騒ぎ始め、次いで馬達の嘶く声が鳴り響く。
「噂をすれば、かしら?」
「そのようですね。ああ、シャロンさん。様子を見に行かれるなら、その寝癖を直してからにして下さいね」
オスカーから指摘され、シャロンは初めて自分のブロンド髪がややこしく絡まっていることに気付いた。
「あー、もう! それもこれも、この瘴気のせいだわ」
そう言いながら髪を無造作にガシガシと手櫛で解かすシャロンの様に、オスカーがからからと笑う。
「便利な言い訳ですな」
そんな隊長の皮肉を無視して、シャロンはテントに引っ込み身支度を整える。支度と言っても大した手間はかからない。髪はバンダナで纏め、頭から魔道衣を被り袖を通すだけだ。
オスカーが待つという考えに至るより早く、シャロンが再びテントから顔を出す。シャロンはオスカーを促すように肩を軽く叩き、馬車の発着地に歩き出した。
「さてさて、一体何が届いたのかしら」
「例えば、あの生物を物理的に囲ってしまうような……。いや、違うか。遠目に見る分にはそれらしい資材がないですね」
「魔術的な対応は難しいとして道術か、はたまた……。何かしらの術を操る祭壇なら、装備一式馬車に載せられなくもないのかなぁ」
「そんな術があるんですか?」
「さてねぇ。生憎と魔術師のシャロンさんは魔術以外の魔法は詳しくないのです」
尋ねるオスカーに肩をすくめるシャロン。二人が会話を続けながら進む先で、到着したばかりであろう馬車の一団は早速荷卸しを始めていた。
長期化する調査隊キャンプに対して眼前の馬車群のような補給部隊が組まれ、王都から食糧や医療品等が定期的に送られてきている。
そして、この補給部隊の往来に合わせて調査隊の人員入れ替えも行われている。
山裾とは言え、キャンプ地は謎の生命体が振り撒く瘴気の範囲に入っており、長期滞在で体調を崩す者も少なくない。そのため、補給部隊の護衛も兼ねて隊員は定期的に入れ替えられる。もっとも、シャロンやオスカーのような瘴気に耐性がある常駐組も少なからずいるのだが。
食糧類の荷卸しと人員交代の引き継ぎと。どれもいつも通りと言えばいつも通りの作業風景で、物見遊山の二人のお目当ての荷が見当たらない。見当違いだったかとオスカーが引き上げかけたところで、シャロンが目ざとくそれを見付けた。
正しくは『それ』ではなく『彼女』だ。
馬車の荷台から姿を見せた、調査隊に合流するであろう兵士達。鎧に身を包んだその兵士達の中で、ただ一人ローブを纏った女性の姿があった。
一見するとシャロンのような魔術師にも見える彼女の容姿と、荷台から飛び降りた拍子に躓きそうになってあたふたする様を見て、シャロンは彼女が自分の知る者だと確信してその名を叫ぶ。
「コニー!」
そう呼ばれた女性。小柄な体格と幼い顔立ちで若く見えるが、おそらくシャロンと同年代か。女性は突然名を呼ばれて驚いたらしく、その場でビクリと身を震わせた。それから声の出所を探して三つ編みの黒髪を揺らしながら辺りを見回す。そして、手を振るシャロンを見付けると破顔する。
「あ、センセー!」
景気良く手を振り返しながら駆け寄るコニーと、それを迎え入れるように両腕を広げるシャロン。
え? 知り合い? と戸惑いの表情を浮かべるオスカーの横で、女子二人は姦しく挨拶を交わし再会を喜びあう。
「ご無沙汰しておりました、センセー。件の魔術師の話を聞いてよもやまさかとは思っていましたが、まさか本当にセンセーだったとは」
「こっちだって驚いたわよ。こんなところでコニーちゃんに会うなんて」
「ちょ、ちょーっとお待ちを御二方! どうやらお知り合いだということはわかりましたが……え? 先生とは?」
オスカーは一人取り残されそうになり、慌てて割って入る。
オスカーが知る限り魔術師シャロン・フォンコスは優秀な魔術師ではあるが、魔術店に所属する一介の魔術師に過ぎない。彼女が教師を勤めたという話はもちろん、弟子をとったという話は聞いた事がない。
そもそもシャロンを先生と呼ぶ女性、コニーは一見魔術師のような格好をしてはいるが魔術師ではない。そのローブの装飾の意味合いや携えている錫杖は、彼女が魔術とは違う別の魔法を使う者だと示している。
シャロンはオスカーの表情から何事か察すると、コニーを彼に向き直させた。
「ほら、私って前に冒険者に雇われて手伝いをしてたでしょ。その時に一緒のパーティーでこの子に世話になったのよ」
「せ、世話になったのはこっちです! 右も左もわからなかった私に冒険の心構えを御教授下さったのはセンセーなんですから!」
シャロンの説明にコニーが口を挟む。二人の言葉にオスカーは合点がいったと納得顔で頷いた。
「なるほど、冒険者としての先生と生徒でしたか」
「と言っても、ほんの少し先輩ってだけなんだけどねー」
少し困ったように肩を竦めるシャロンの横で、コニーが三つ編みを揺らして頭を振る。
「いいえ。ほんの少しだろうとセンセーはセンセーですから」
この辺は彼女なりの拘りがあるらしい。
そんな彼女コニーと初対面のオスカーをシャロンが互いに紹介する。
改めてオスカーに深々とお辞儀をした三つ編みの女性はコニー・ノースと名乗り、自身の職業が万物の気脈を操る道士だと告げる。そして、道士達が所属する協会の上層部が、状況を視察し対応策を検討するべく自分を派遣したと付け加える。
コニーの装束はまさに道士を代表する格好で、オスカーもそうなのだろうと予想していたところだ。瘴気も気の類と考えれば、その道に通じる道士に声がかかるのも当然なことだろう。
寧ろ、実のところ今までも王都から数名の道士が呼び寄せられていたのだ。
ただ今回の相手は瘴気の出所が異次元からの来訪者である為か、呼び寄せられた道士達ではその気脈の扱いがままならいでいた。それどころか、中には謎の生命体の姿を視界に納めることさえ耐え兼ねる者もいて、シャロンという交渉人の存在価値を高める結果になっている。
そんな経緯を経て道士協会が選出してきたこのコニー・ノースが半端者の道士な筈もない。冒険者仲間として共に過ごしたシャロンの評価も高く、シャロンが過去出会った道士の中でも屈指の実力者。人選からすれば、ようやく道士協会がこの一件に本気で対応する姿勢を見せ始めたというところか。
「それにしても元気そうで何よりだわ、コニーちゃん」
コニーへオスカーの紹介を済ませたシャロンが改め彼女に笑いかける。その言葉にコニーは少し表情を曇らせた。
「そう言うセンセーは、なんだか顔色が優れないですね」
コニーが心配顔で返すが、当のシャロンにはその自覚が全くない。言われて初めて「そうなの?」と驚いた顔でオスカーに振り向き、オスカーもまたシャロンの顔を見て「そうですか?」と首を傾げた。
「オスカーさん……で良かったですよね。あなたもですよ。まあ、この瘴気の中にいれば無理もないですけど」
コニーが口にした瘴気という単語に、二人がそうだったと頷く。
「いやぁ、かれこれ一ヶ月くらいキャンプ暮らしだったからねー。この瘴気にもすっかり慣れっこになっちゃって、コニーちゃんに言われるまで忘れてたわ」
「そうですね。瘴気の濃さも、あの生物の近くに比べたらこの辺りは瘴気なんて無いようなものですし。気にならなくなっちゃいましたね」
うっかりしていたと笑い会う二人に対して、コニーは怒ったものか嘆いたものかという複雑な表情を浮かべた。
「笑い事じゃないですよ。お二人とも瘴気が気にならなくなっているのは、身体が瘴気に慣れたわけじゃないんです。瘴気に対する感覚が麻痺しているだけです。実際はしっかり着実に蝕まれているんですからね」
コニーは叱るような口調で言うと手にした錫杖を地面に突き立てる。そのまま空いた両手をシャロンに差し出し、彼女に手を握ってくるよう促した。
穏やかながらも抵抗し難い彼女の様子に、シャロンがおずおずとコニーの手を取るとコニーが声にならない言葉を紡ぎ始める。
程無くして、何かが流れ出るような感覚がシャロンの体内を伝う。それに合わせて次第に身体が軽くなったような錯覚を覚える。そして同時に久しく忘れていた肌に纏わり付くような重苦しい瘴気の気配を感じて、彼女は思わず顔をしかめた。
「コニーちゃん、これって……」
「センセーが持つ本来の気を活性化させて、センセーの中に溜まっていた瘴気を押し出しました。たぶん、この一ヶ月でセンセーがどんな不快なモノに慣れっこになっちゃっていたのか御理解いただけたかと」
あっさりと返すコニーにシャロンがゲッソリとした表情になる。
「忘れていたかったかも……」
「無茶言わないで下さい。あのままにしていたら、本当に身体に差し障りが出ていたんですからね。さ、オスカーさんも」
さあ来いとばかりに手を広げるコニー。シャロンの様子に躊躇の姿勢を示したオスカーの両手を容赦無く鷲掴みにすると、先程と同様の呪文詠唱を行っていく。
「なるほど、これは……。中々に不快な……」
「全くもう。お二人ともずっと瘴気の中にいるからですよ。定期的にキャンプを離れて瘴気の毒気を抜いていれば、ここまで悪くはなっていなかったはずです」
ぴしゃりと言い捨てられて返す言葉もなく閉口するオスカー。その脇でシャロンが、私を解放しないからだと恨めしげに彼を睨む。
「件の謎の生き物の対処はさておき、キャンプ地内の調査隊のケアは仲間の道士でもなんとかなりそうですね。ひとまずそちらは手配してもらうよう報告しておきましょう」
オスカーの処置を済ませたコニーは、そう言うと謎の生命体がいる山を睨んで唸る。
「問題は本命の相手ですね。先に対応した道士の皆さんが音を上げたのも頷けます。正直なところ、私の手に負えるかどうかも怪しい難物ですよ」
「そんなに?」
コニーの実力を知るシャロンが少し意外そうに尋ねる。その言葉にコニーが「不本意ながら」と頷いた。
「この山一体に漂う瘴気は、私達道士が扱う気脈とはどこか質が違うんです。色々と試してみないと詳しくはわかりませんが、この瘴気に干渉するのは手間がかかりそうですね。ひょっとしたら出来ないのかも。とにかく、瘴気の範囲が広いのが問題点です。協会の道士、それも一級以上で頭数を揃えないと。それから……」
そこまで言ってコニーは小さく唸り、何やらブツブツと対応策を呟く。その横でシャロンがオスカーに進言する。
「オスカーさん、道士協会から必要な道士の情報を貰っておいて、軍からも道士達を探す人員をかき集めたほうがいいわよ」
その発言の真意を汲みかねてオスカーが小首を傾げると、横で考え込んでいたコニーが唐突に彼女を見て何度も頷いた。
「さすがセンセー、良くわかってらっしゃる。そもそも大抵の道士は町から町へ気の向くままの放浪旅が常なんですけど、それにしたって行った先の町の道士協会に挨拶くらいはします。でも、生ける伝説と呼ばれる程の御大の方々は良くも悪くも自然体で、あまり俗世に興味を持たれません。協会に名こそ入れているものの、その実は連絡も無く悠々自適の神出鬼没。ろくに協会に顔を出しもしないから、協会側でも誰がどこにいるか把握しきれないんです。どこかにいるはずだけど見当たらないから伝説扱いされるんです。本っ当に扱い難いったらありません」
その生ける伝説級道士に手を焼かされているであろう協会所属の道士コニーとしては、相応に思うところがあるのだろう。シャロン達が圧倒される勢いで言葉を並べていく。
「ですが、今回の相手には欲しい戦力です。私からもお願いします。道士探しの人手は一人でも多いほうがいいんです」
コニーが溜め息混じりにそう続けると、オスカーは頷いて返した。
「召集したい道士の一覧を頂けますか? 国内各地に手配するように連絡を……いや、足りないか。近隣諸国にも協力いただくよう進言しましょう。もっとも、私の一存で決定できるものでもないので、このキャンプの協議にかけることになりますが……」
オスカーの返事に安堵したコニーだったが、その返答の半ばを過ぎて表情が狼狽のそれへと色を変える。
「そうでした! 私、キャンプに到着したら中央会議テントに向かうように言われていたんです! えーっと、すみません。中央会議テントって、どこですか?」
あたふたと慌てるコニーの問いに、オスカーが目的のテントの方を指し示して言う。
「それでしたら、この先にある一回り大きなテントですよ。私も会議に出ますので、良ければ御案内しーー」
「あっちですね! ありがとうございます!」
オスカーが言い切るより早くコニーが走り出す。呆気にとられるオスカーの肩をシャロンがポンと叩いた。
「そそっかしいけど悪い子じゃないのよ。道士としても一流だし……」
そんなフォローを入れるシャロンとオスカーの見送る先で、蹴躓いて盛大に転びつつ悲鳴を上げるコニー。
「ホント、やる時はやるのよ……」
どこか自分に言い聞かせるような調子で、シャロンが言い足した。
今回の出目は1で『周辺国を交えて謎の生命体移動プロジェクト開始』でした。でしたが、如何せん相手が悪くプロジェクトが難航しています。各国対応に困って逃げ腰なので、代わりに対応できそうなキャラクターを急遽追加することになりました。
それでもなかなか片付かない問題ではあります。果たして、プロジェクトはどうなってしまうのか。
サイコロを振りましょう。
1は移動できないならと、道士達の協力で謎生命体を山中に封じようとします。2では1を嫌がった生命体と戦闘になります。3は陸の移動がダメなら飛ばしちゃおうという突飛な意見が出て、4は2と同様に3を嫌がる生命体と戦闘です。5では謎生命体が弱り始め、6は何故か謎生命体が増えます。
5はまだしも、6の増えるって何?
そして、賽は投げられる。