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シャロン:4

 魔術師シャロンは世界に名を轟かせるような超一流魔術師ではない。そうかといって、歯牙にもかけられないような名ばかりの魔術師でもない。


 術式を編み上げる速さも精度も人並み以上の腕前で、魔晶石からの魔力吸い上げと魔術への出力変換効率も高い。魔術師数人寄れば上から数えてもらえる程度の実力があると自負しているし、実際に周りの評価もそれくらいには高い。


 まとめると、超は付かなくても一流の凄腕実力者。なのである。


 そんな魔術師シャロンの魔術によって生み出された石組みの壁は、彼女の相応の自信とともに容易く突き穿たれた。


「嘘……」


 思わず彼女の口から漏れ出た。だが、壁にできた拳大の穴と穴から伸びる濡れ枝のような触手が、これが偽り無き現実だと返してくる。


 そして、驚愕するシャロンに向かって奇怪な化物の触手が伸びる。


 襲い掛かるような苛烈さはなく、追い込むような周到さもない。ただただスルリと伸びてきたそれの殺気の無さにシャロンの反応が一瞬遅れ、間一髪避けようとした彼女の肩をかすめた。


「え?」


 後ろに飛び退いて距離を取ったシャロンが、先程とは別の驚愕で動きを止める。


 そのまま動かない彼女が怪物に捕らわれたと思ったのか、近くにいた騎士達が濡れ枝のような触手からシャロンを助けようと切りかかる。


「あ、わ! ちょっ、ちょっと待って!」


 シャロンを助けようと振り上げられた騎士達の剣は、当の彼女の制止によって押し止められた。どうしたことだと困惑する騎士達を手で制しつつ、シャロンは背後を睨み付ける。


「アンタも! そんな薄気味悪い空気を巻き散らかさずに大人しくしてなさい!」


 突如発せられたシャロンの一喝。彼女の視線からして怪物に向けられたことなのだろうが、あまりに唐突な一声に騎士達まで我が事のようにビクリと身をすくませた。


 不思議なことにというべきか、むしろ当然というべきか。シャロンの剣幕に圧倒されるようにヌラリとした触手が彼女と距離を取り、所在無さげにゆっくりと揺らめくことしかしなくなる。


 シャロンは、この場が一旦落ち着いたことを感じとると軽く息を吐いた。


 ここまで走り込んできたせいか、或いは怒鳴って気が昂ったのか。我に返った彼女の耳が、自身の鼓動の高鳴りを感じとる。


 彼女は動悸を静めるように一際大きく息を吐き、改めて騎士達へと向き直ると、努めて穏やかに声をかける。


「今のうちにみんなコイツから離れて。あと、誰か小隊長を呼んできてくれるかしら」


 元より退却寸前の状態だった騎士達は、その言葉に素直に応じた。シャロンのことを心配そうに見る者もいたが、襲い掛かる気配のない化け物の様子にそれ以上食い下がることもない。


 少しずつ距離を広げていく騎士団員の姿を見送り、シャロンはもう一度背後へ振り返る。


 振り返った先は、先程彼女が魔術で作り上げた岩と蔦の壁。そして、その壁を突き破ってきた異形の触手。


 鈍い光沢を放つ黒く粘った表皮の触手。初めて見た瞬間よりは心なしか慣れてきた気もするが、この怪物の全容を見て同じ感想を抱ける気はしない。試したくもない。慣れた気こそするものの、相手をしなくてよいならそうしたい。


 そう思いながらも、どこか諦めたように溜め息を一つ吐いて、化け物の触手に一歩近寄った。


 壁を容易く突き抜いた触手が肩をかすめた時、確かにシャロンの意識の中に別の何者かの意思が干渉してきた。彼女の心の中にやってきた招かれざる客は、タイミングからすれば目の前の異形のモノでしかない。


 シャロンの中に訪れたそれは言葉という形に収まらない光や音のような曖昧なもので、肩をかすめた一瞬でそれを解釈するのは困難な話だった。


 ただ、少なくとも敵意ではない。むしろ友好的。もしくは、助けを求めているような弱気なものにシャロンには感じられた。化け物の真意をより詳しく知ろうとするならば、その術は自ずと見えてくる。寧ろ見えてはいるのだが……。


「何やら随分と思案されているようですが……。これは一体どういう状況なんですか?」


 眉根を寄せて葛藤を続けるシャロンの背後から、彼女の聞き慣れた男の声が上がる。


 声の主オスカーが、この場を一見して状況を掴みかねるのも無理はない。近付こうが視界に入れようが嫌悪感を抱く化け物を前に、シャロンは末端とは言えその化け物を間近で凝視しているのだ。


「ああ、オスカー隊長。来てくれて助かるわ」


「ご希望の小隊長ですが、三人のうちナックス隊長は安静にしてもらっています。エメドラ隊長はナックス隊と、ついでに私の隊の指揮も対応してくれています。結果、小隊長は私一人なんですが、足ります?」


 ゆらゆらと揺れる異形の触手を警戒しながら尋ねるオスカーに、シャロンは満足気に頷いてみせた。


「まあ、問題無しかな。寧ろオスカーさんになら頼みやすいわ」


「そう言われるのは光栄ですが、何をするつもりなんですか?」


「ちょっとした度胸試しを、ね。やったものかどうか悩んでんのよ」


「度胸試し?」


 オスカーは鸚鵡返しにシャロンに尋ね、シャロンが彼に事の顛末を伝える。話が進むにつれ、オスカーは警戒の険しい表情を次第に弱め、変わりに困り顔を浮かべていった。


「なるほど、度胸試しですか。シャロンさんがやろうとしていることはだいたいわかりましたよ。私が呼ばれた理由もね。わかりはしましたが、さて……」


 困り顔のまま、オスカーは腰に携えた剣の柄に手をかけた。


「少なくとも、私だったらやりたくない話だ。シャロンさんの勇気には感服しますよ。ただ、正直なところあなたが正気を保っていられるかが心配です。もちろん、いざとなれば私が責任をもって介錯させていただきますけれど」


 オスカーはシャロンがやろうとしている事を察した上で、止める気はないらしい。寧ろ、失敗した後の面倒をみるところまで覚悟の上らしい。


「そこまで躊躇無く言われるのは、ちょっといい気がしないわね」


「信頼の現れと思って下さい」


「まったく、頼もしい雇い主と仕事が出来て嬉しい限りだわ」


 オスカーとのやり取りするうちに覚悟を決めるシャロン。オスカーの見守るなか、揺れ動く化け物の枝先に向けて手をかざす。


 現時点での異形の化け物との接し方は二つ。やるかやられるかの殺し合いか、打開策を講じ合う平和的交渉。どちらかと問われれば、対峙する相手が山一つ覆いかねない瘴気を撒き散らすような化け物である以上、選択肢は前者になるだろうと調査隊の誰もが考えることだ。


 実のところ、この場に立ち会っているオスカーなどは眼前の怪物をどうやって撃退するかを未だに模索してさえいる。そもそも交渉の提案者が信のおけるシャロンでなければ、オスカーは聞き入れなかったかもしれない。


 そのシャロンも自分の判断に自信があるわけではない。先程化け物が一瞬触れた時の敵意の無さも、こちらに取り入る為に悪意を隠していたのかもしれない。もし怪物に敵意が無く純粋に話し合いたいのだとしても、瘴気の権化相手に意識下で交信し続けることにシャロンの精神がもたないかもしれない。


「ここに来て他に思い付く手立てがあるでなし……ええい、ままよ!」


 決めた覚悟をなお揺るがせながらも、シャロンは思い切って蠢く触手を掴む。


 途端にシャロンの中に流れ込む彼女以外の意思。その異物感に思わず触手を手放してしまいそうになり、辛うじて堪える。


 静かに深く呼吸を繰り返し、改めて意識を自身の内に向ける。そこに沸いて出た別の存在を認知し対面する。怪物のものであろうその別意識と、言葉ではない何かでの対話といういまいち勝手のわからない交渉が始まり……。


「ぶはぁっ!!」


 時間にして数十秒。集中するあまり息をするのも疎かになっていたらしい。シャロンは忘れていた分の呼吸を取り返すように大きく息を吐いた。


「シャロンさん、顔色が優れませんが大丈夫ですか? そもそも、あなたはまだシャロンさんですか? 本物のシャロンさんなら、私の剣にかけた魔術の名前が言えますか?」


 矢継ぎ早に問いかけるオスカーにシャロンは片手をかざし、少し待ってほしいとジェスチャーを返す。


「……すっとこドス恋……ドキドキ初恋場所」


「それは適当過ぎるとあなたのトコの店長が却下した名前でしょうに。確か、元ネタは当時シャロンさんが読んでいた恋愛小説でしたっけ?」


 未だ息を荒げ、肩で呼吸しながらシャロンが正解だと頷くと、安堵と呆れを混ぜた顔になるオスカー。


「とりあえずシャロンさんなのは間違いないとして、あの化け物と対話できたのですか?」


「一応、意志の疎通はできた……と思う」


 大きく深呼吸して落ち着いたシャロンは、オスカーから怪物の触手へと視線を変える。


「どうやら敵意とか悪意はないみたいよ、コイツは。ある日突然気付いたら山の中にいて、自分がどうやって時空を跨いでここに来たのかわかってない」


「時空を跨ぐ?」


「コイツは全くの異空間から来てるわ。どう説明したらいいのか……。コイツの心象風景みたいなのが見えたんだけど、それが……あの、有名な抽象画家の……」


 説明に窮して虚空で両手をバタつかせるシャロン。彼女の数少ないヒントを聞きながら、オスカーが小首を傾げる。


「有名な抽象画……。フィルオットの『窓際』とかでしょうか」


「あー、たぶんそれ」


 同意するシャロンの表情を見るに、画家の名も作品の名もピンときていないようだ。取り敢えず、彼女が意識下で見たのは異次元の風景だったのだろうとオスカーは納得した。


「この際、素性は置いておきましょう。問題はこの瘴気の扱い方だ。シャロンさん、この生物は瘴気について何か伝えてきましたか?」


 彼の問いかけにシャロンは頷いて返すが、その表情は浮かない。


「結論を言えば無くすことも抑えることも実質無理。コイツにとっては、この瘴気が私達でいう空気みたいなものなのよ」


 その回答にオスカーは思考を巡らせ、一つ溜め息を吐いた。


「単純にこの生物を殺めたところで、今さら吐き出された瘴気が消えるわけでもない、と。寧ろ戦闘になれば尚更瘴気が拡大しかねませんね。いやはや、彼が好戦的だったら危ないところでしたね。ん? 彼? 彼女?」 


「コイツに雄雌の区別は無いみたいよ」


 オスカーの素朴な疑問に答えつつ、シャロンもまた今後の対応について思考を巡らせていた。


 この怪物に悪気は無く、必要なものであっても、この世界の住人にとって瘴気は害でしかない。


 不幸中の幸いなことは、山一つ覆いかねない規模という巨大さではあるものの、怪物が暴れなければこれ以上の瘴気拡大はないらしいこと。さらに加えて朗報は、怪物は自力で移動できること。


 つまり、隣国との交通路であるこの山から移動させることは可能。


 移動させるにあたって思い付く課題は、怪物の移動先と、怪物の移動に合わせて瘴気が拡がらないよう抑止する手立て。それに加えて、怪物にこれらの協力を取りつけること。


「コイツを瘴気ごと山から下ろすとして、瘴気を抑え込むなんて当然私だけでできることじゃないわ。そもそも魔術師だけじゃ無理な話よ。他の専門術師達をかき集めての合わせ技。それも、この濃い瘴気に順応できるだけの猛者……って、世界屈指の実力者の夢の共演が見れそうな条件だわ」


「この生物の移動先にしても問題です。この山と同等の敷地を宛がわないといけない上に、そこまでの移動経路確保。受け入れ先が見付かるかどうか……」


 苦笑いするシャロンと頭を抱えるオスカー。その脇で相変わらずゆらゆらと揺れる怪物の触手。


「ひとまず調査は一段落です。皆も待たせていることですし、さっさと帰還して本部に経緯を報告するとしましょう。ひとまず、この生物にはここで大人しくするように頼んでおけますか、シャロンさん?」


 一通り弱りきって少し立ち直ったらしいオスカーの提案に、今度はシャロンが弱り顔をうかべる。


「うへぇ、またアレやるの?」


 心底嫌そうな顔で虚空を掴む仕草をしてみせるシャロンに、オスカーは当然だと頷く。


「そりゃあ、ねえ。私は出来ませんし、この生物に不用意に移動されても困りますし」


 そう言ってオスカーは、シャロンをうねうねと蠢く触手の元に向かうよう促す。


「言っておきますけど、もうこれで仕事終わりですからね。これ以上の話は私の手に余るもの。私は王都に戻って休暇もらって休みを満喫してやるんだから!」


 不満タラタラな魔術師にオスカーは一度キョトンとした顔になると、やがてカラカラと笑い出した。


「そりゃあ無理な相談ですよ、シャロンさん」


 なぜ? と問いたげにシャロンは破顔する隊長を見る。その視線の先、笑っているオスカーの目の奥が笑っていない。


「この生物に悪意は無い。あなたや私も同じです。でもね、シャロンさん。皆が皆、善意で生きているわけじゃないんです。この生物が放つ強大な瘴気は既に凶器で、扱い方一つで兵器にもなるんですよ」


 笑うことを止めたオスカーが、改めて申し訳なさそうにシャロンを見つめた。


「シャロンさん。あなたはその兵器と対話できる。ともすれば、この瘴気を扱えるかもしれない人です。少なくとも現時点ではたった一人の貴重な存在なんです。悪意で算盤を弾く輩からすれば、シャロンさんは死の女神を呼ぶ巫女のような存在だ」


「オスカーさん、なんだか悪党にスッゴく心当たりがありそうね」


「まあ、仕事柄いろんな方に出会いますので。あ、悪党が誰とか聞くのは勘弁してくださいね」


 シャロンの茶々入れにオスカーは苦い笑みで返し、「とにかく……」と表情を神妙なそれへと戻す。


「私は国の安寧を守る者として、あなたも国民も守る道を選ばなくちゃいけない」


 そう言う彼の表情は申し訳なさそうではあるが、その視線には有無を言わせない気迫が込もっている。


「あなたを悪意ある者から守る為にも、あなたには我々の保護下に入っていただきますよ」


 それはシャロンが国の監視下に置かれるという宣告でもあった。

今回の出目は1で『友好的にコンタクトを取ろうとしてくる』でした。

この直後に、謎の生命体についてもう一度サイコロを振っています。

1~3では自身の出す瘴気は自在に調整できる。4~6では瘴気は勝手に出ていく為、調整不可。

その上で、1は時空移動可能。ただシャロン達の世界へ友好を深める為に来訪。2では、元の時空での内紛から亡命してきています。3は時空の狭間に落ちて戻り方は当人にも不明。4は1と同じく友好関係を築こうと時空を渡ってきたけど……。5は2と同様で内紛からの逃亡。逆襲の機を窺っています。6は3と同じ強制転移で戻り方不明。

ここで出た出目は6。一番フォローしにくい展開になってしまいました。

謎生命体と一蓮托生になってしまったシャロンの次なる物語は、はたしてどうなってしまうのか。

いざ、サイコロを振りましょう。

1は周辺国を交えて謎の生命体移動プロジェクト開始。2も1と同じ路線ですが隣国に不穏な気配を醸し、3で国とは無関係な組織が暗躍し始めます。4だと、実は生命体が世界を侵食しようとしているという事に気付きます。5ではシャロンと生命体の同調が強まり、シャロンは他者の意識が見え始めます。6は監視生活に嫌気がさしたシャロンが逃亡を図ります。

4とかどうやって反撃するんだろう? 他の出目もそうそう簡単には話が進まなさそうです。

そして、賽は投げられる。

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