ルネアス:2
「き、今日からこちらに配属されました朝倉竜也です。よろしくお願いします!」
ちょっと上ずった声で挨拶。初めが肝心だと気負い過ぎた。
酔い潰れた鐘巻を捨て置き単身水原氏と面会した日から三日後、僕は水原氏の管理する事務所の一室に来ていた。
「そんなに緊張しなくていいわよ、朝倉君。私は八雲泉美。ここの所長よ。とは言っても、見ての通りの場末の小さな事務所で偉ぶる気はないから気楽に構えて頂戴な」
そう言って気さくに笑いかけてくる八雲所長。人の良さそうな雰囲気が溢れる妙齢のご婦人だ。
僕は握手を求めて手を差し出す彼女に応じて握り返した。
「水原の旦那様からあなたの事は聞いているわ。あ、うちでの仕事内容は聞かされていたかしら?」
「地元活性化推進委員会だと」
僕の回答に「ものは言いようだわね」とコロコロと笑う八雲所長。
「地域内、もしくは地域間の揉め事の仲介に入ったり、困り事を解決したり。町内美化に努めたり。地域住民の皆さんが安心して暮らしやすい環境になるようにする、言わばなんでも屋さんね。時には結構な荒事になることもあるから、あなたみたいな腕の立つ人材は願ったり叶ったりなの」
そう言って所長は僕を手招きしながら所長室を出た。
そのまま彼女の手招きに誘われながら事務室を横切り、作業音で賑わうガレージへと踏み入る。
「はーい、みんな手を止めて集まって頂戴。あ、ミッちゃん。さっきは彼の案内をありがとうね」
一足早くガレージに入った八雲所長の声が響き渡り、室内のそこかしこで作業していた人達が顔を上げた。
その中の一人、八雲さんに礼を言われて嬉しそうに笑う女性『ミッちゃん』だけは見覚えがあった。僕がこの事務所に来た時に所長室へ案内してくれた人だ。
「今日からこの事務所でみんなと一緒に働く朝倉竜也君よ。みんな、よろしく面倒見てあげてね」
八雲所長の紹介に続けて僕は皆に頭を下げた。
「き、今日からこちらに配属されました朝倉竜也です。よろしくお願いします!」
本日二度目ともなれば挨拶も慣れたもので……僕はしっかり上ずった。
皆から多少失笑が聞こえてきたような気もするが、暖かい拍手で迎えてくれているので気にしないでおこう。
「朝倉君、みんなを紹介するわね。このお爺様が四谷さん。この事務所で私以上に長く働いてる一番の古株なの。言ってみれば、この事務所のヌシ様よ」
「ヌシ様なんて呼ばれちゃあ面映ゆいよ、八雲ちゃん。儂は長く勤めさせてもらってるだけだ」
所長と朗らかに笑いあう彼のような者を好好爺と呼ぶのだろう。ただ、ガレージに入った瞬間僕に向けられた彼の射すような鋭い視線は、ヌシ様の評に相応しいと言えた。
「四谷さんはあちこちに顔が利くし、私もなにかと頼りにしているのよ。で、こちらが二岡さんと後藤さんに武藤君」
続けざまに紹介される。
えーと、八雲さんと同年代で恰幅のいい女性が二岡さん。小柄で眼鏡をかけた伏し目がちな女性が後藤さん。僕と大した歳の差はないだろう。
そして、こちらも後藤さんと同じく同世代っぽい男の武藤さん。歳は近くても体躯は程遠い。タンクトップからはみ出た双肩が実に仕上がっていて、とても敵いそうにない。
「それからこっちが市川君。それと……ミッちゃんは案内してくれたから、顔は知っているわね。三井さんね」
市川さんは所長や二岡さん世代か。線が細く大人しく優しそうな男性だ。ミッちゃんこと三井さんは所長世代と僕や武藤さん後藤さん世代の間くらいだろうか。武藤さん程ではないにしろ、筋肉質な女性だ。
「最後に……あれ? ナッちゃんは? おやつの買い出し?」
紹介の最後の一人であろう『ナッちゃん』を探してガレージを見回す八雲所長に対し、三井さんがガレージ隅の扉を指し示した。
「夏目さんなら買い出しから帰ってすぐ、おトイレに突っ走って行きましたよ。帰り道ずっと我慢してたって言って、買い物袋置いた途端に一目散に猛ダッシュ。そりゃもう、尿意ドーン! ってなもんで」
「ブフォアッ!」
三井さんの唐突な一撃に、僕は盛大に吹き出して膝から崩れ落ちた。
「え? ちょっ、朝倉君?」
急に膝を着いた僕の様子に八雲さんが慌てる。慌てた八雲さんだったが、僕が両肩を揺すらせ笑いを堪えていると知ると息を吐いた。
「あぁ、これは……。ミッちゃんと波長が合うらしいわね」
所長の困ったような呆れたような呟き声が聞こえてきた。いやいや、なぜ困る。なぜ呆れる。それは光栄なことですよ。不意打ちとはいえ、心を穿つ程の一言を放つ三井先生と似た者同士と呼んでもらえるなら。
僕はそれほどに感銘を受けていたのだが、周りを見回せばしたり顔の三井先生を抜きにした他の面々は揃って微妙な表情を浮かべていた。
「いいね! いいよ、竜ヤン! あんた見込みある」
ご機嫌で僕の背をバンバン叩く三井先生。
「皆さん、お待たせしました~って、あれ? 四谷さん、どうしたんですかこの状況?」
「おう夏目、買い出しご苦労。いやなに、ミッちゃんが新入りの面倒を見てくれるって話だ。気にすんな」
そう四谷さんに返されて不思議そうにしている夏目さん。三井さんと同世代らしい中年の男性。一見市川さんに負けず劣らずの細身だが、立ち居振舞いの安定感は芯の強さを感じる。
いや、夏目さんに限ったものでもない。武藤さんや三井先生の力強い体躯や一瞬見せた四谷さんの眼光は勿論のこと、他の皆も一目見た時からどこか隙の無さを感じていた。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、八雲所長が皆を見回す僕に言う。
「この事務所の人達はみんな朝倉君と同じ。未だに刀を捨てられない人達ばかりなの」
僕は驚いて所長の顔を見る。
驚きもする。皆只者ではなかろうと思いはしたが、よもや皆が皆揃って侍だったとは。いや、ここは豪族水原氏が保有する事務所だ。職にあぶれた侍の受け皿になるのもある意味道理とも言えるか。
「朝倉君も腕に覚えがあるようだし、そのうち皆と手合わせする機会をもうけるのも面白そうね。あ、念のために言っておくけれど、事務所内での刃傷沙汰は御法度だからね。当たり前だけど」
そりゃあ、基本的に刃傷沙汰は御法度でしょうとも。
それはさておいて、腕試しの提案は僕としても興味深い話。そして、そう思うのは僕だけでもなかった。
「それはいい! 是非とも朝倉君に一手御指南頂きたいなぁ」
そう言いつつ不敵な笑みを浮かべる武藤さんと、嬉しそうに頷く三井先生。老いてなお盛んと見えて、二人の後ろで四谷さんが満更でもなさそうな顔をしているのも見逃せない。
「八雲さん、週末の行事が開けたら竜ヤンの歓迎会ってことで町の道場を使わせてもらいましょうよ」
そんな三井先生の提案を止める者は僕を含めていない。話は早くも日程をいつにするかに進んでいく。それ事態は一向に構わないのだけど……。
「ところで、週末の行事というのは何なんですか?」
察するに、八雲さんと僕がガレージにやって来るまで皆がしていた作業がその行事とやらの準備だったのだろう。
八雲さんも僕達の顔合わせの後にその話をするつもりだったらしく、ちょうど良い切り出しだと頷く。
「裏釘町にある明日芽神社は知っているかしら? 今週末にそこでお祭りがあるのよ。屋台もかなり並んで毎年結構賑わうんだけど、当然なにかとトラブルも起きちゃうのよね」
そこまで言われて、自分達の役割が僕にも思い当たった。
「つまり、僕達はお祭りが円滑に行われるように火消しに廻る、と」
「正解。祭りの間、トラブルが起きないように私達で敷地内の警備やら的屋さん達の仕切りをさせてもらうの」
「んで、ついでに屋台で一儲け」
所長の説明に補足する武藤さん。その後ろで、示し合わせたようにお金のハンドサインをする事務所の皆様方。
「一儲けはさておき、祭りの間はなにかと慌ただしくなるから人手が増えるのはホントに助かるの。ダメ元だったけど、水原様に頼んでみて正解だったわぁ。増員で朝倉君が来てくれて感謝感謝よ」
「そう言ってもらえるのは光栄ですけど、その感想は僕の不出来を見てからにして下さいよ」
八雲所長を初めてにみんな歓迎ムードでいてくれるのはありがたいけれど、どうにも買い被られている気がする。そう感じて釘を刺すつもりで言った僕の肩を、三井先生が景気良く叩く。
「大丈夫大丈夫、竜ヤンなら心配ないって。私達もフォローするし」
三井先生がニカッと笑いつつ親指を立てる。
彼女のそのさまはなんとも頼もしい限り。事務所の人達は揃って温かく迎えてくれて、実にアットホームな職場。この時の僕は好印象な彼等を垣間見て、水原氏から聞かされた事前情報こそ誤りだったのではないのかと疑念さえ抱いた。
曰く、八雲所長の切り盛りする西裏釘事務所に不穏な影あり。明白な事は何一つ上がってはいないのだが、どうも金銭面で不透明な部分があるらしい。だが、経理状況などから裏が取れていないだけに噂の域を達しない。
噂の真意を探るべく内偵として投入されることになったのが、他ならぬ僕。なのだが、生まれてこのかたスパイになった経験なんてあるわけない。全く勝手のわからない初めての身だ。皆が揃って裏の顔を隠して僕を探っていると思うと気が休まらず、皆が揃って裏のない好意でもって接してくれているのなら騙しているようで申し訳なくなってくる。
この落ち着かない状況が当分続くのかと思うと、今更ながら鐘巻絡みの仕事を軽々しく受けるべきではなかったと悔やんだ。
「それじゃあ、早速朝倉君にも準備に加わってもらおうかしら……と言いたいとこだけど、ナッちゃんが買い出しから帰ったのなら、今からおやつ休憩よね」
「だったら、竜ヤンの初仕事は私と一緒にみんなの分のお茶を淹れてくるってコトにしましょ。給湯室はコッチよ竜ヤン、付いといで」
僕の内心の葛藤など知る由もなし。三井先生は廊下へとつながるドアを開けながら僕を手招きした。
この事務所に来てまだ半日と経っていない。この西裏釘事務所のメンバーに隠し事が有るにせよ無いにせよ、内情を知るなら先ずは打ち解けることだろう。
「はい! お供します、三井先生!」
僕は内偵の二文字を脇に追いやると、先生の後を追う。
「……先生?」
ガレージを出ようとする僕の背で、不思議そうに誰かが呟いた。
サイコロの出目は二の潜入調査やってみたでした。
それにしても、二話目は殆ど自己紹介で終わっちゃって話が進んでないですね。今後もかなりの難産が続きそうですが、なんとか書き上げましょう。
では、三話目に向けてサイコロを振ります。
出目が一なら、祭りの最中に屋台用の荷物を運ぶよう頼まれます。二では祭事を行う人が足りず代役を頼まれ、三だと御神輿の担ぎ手が足りません。四なら引ったくり犯を相手に大捕物。五では謎の荷物が落とし物で届けられ、六は謎の女の子が迷子で届けられます。
さてさて無事に話が進められるのか? そもそも話が進むのか?
そして、賽は投げられる。