ルネアス:1
思い返せば、あの男に紹介された仕事がなんの問題もなく片付いたことこそが大問題の始まりだったのだろう。
「助けていただき本当にありがとうございました。どうぞお気を付けて」
その日、僕は店長の挨拶を背中に受けながら店を出た。
「いやぁ、朝倉センセぇ。今回も実にお見事なお手並みでしたなぁ。私ゃあ、もうただただ感服しきりですわ」
昼下がりの繁華街を進む僕に取って付けたような笑顔で取って付けたようなお世辞を並べてすり寄ってきたのは、僕に仕事を仲介した男。鐘巻と名乗る痩せた中年男で、どこか信用できない雰囲気は童話に出てくる性悪キツネを思わせた。
「いやいや、それもこれも鐘巻さんが引き合わせてくれたからこそッスよ。僕もあの店長さんも鐘巻さんに感謝感謝です」
「感謝感謝は私のほうですわ。剣士朝倉竜也の神がかった太刀捌きにかかりゃあ、そこいらの烏合の衆なんぞ木っ端を散らす秋風が如し。まさに剣聖ってなもんで」
お返しとばかりに愛想笑いで煽てて返すものの、全く動じていない鐘巻の様子に寧ろ僕の笑顔に苦味が増す。
この男はよくもまあ、心にもない言葉をツラツラと……。影じゃあ剣術のイロハも知らぬ野良剣法と小馬鹿にしているくせに……。
上辺だけの笑顔を交わしあう僕と鐘巻氏の視線が、どちらからともなく僕の腰元のそれに向いた。
腰に携えていたのは一振の刀。剣聖だの野良剣法だのと呼ばれた由縁。無銘だけど僕の手に馴染んだ愛刀だ。
遡ること江戸末期は慶応三年、江戸幕府の大政奉還。これを機に侍の時代は衰退の一途を辿り、政治や経済などが近代化されていく世間の中で隅に追いやられていくことになる。
侍達は帯刀こそ許されているものの、法改定がされる度に斬捨て御免の吟味が厳しくなり、長い詮議と重い処分を恐れて刀に手を掛けなくなるどころか刀を手放す者も続出した。
軍事的な面においても当然のように銃火器のような近代兵器が幅を利かせるようになり、刀は目まぐるしく変わり行く時流に乗り遅れた、或いは脱落した者達の象徴と成り果てた。
そんな時流に入って百年以上が過ぎ、未だに刀を手放さない者と言えば余程名のある武家か、荒事好きの無頼漢、でなければ刀の手放し方すらわからない不器用者。
悲しいかな。僕はどうやらその三つ目だ。定職に就くわけでもなく、時にお武家さんの使い走りになったり、人様に迷惑をかける破落戸を追っ払ったりして食い繋ぐ日々を送っている。先程鐘巻と連れ立って出てきた飲み屋も後者の用向きでの事だ。
「んで、先生。お次の水原様のお目通りは夕方なんですわ。それまでそこいらの飯屋にでも入ってましょうや」
そう言いった鐘巻は僕の返事を聞くより早く、既に何を食べようかと立ち並ぶ飯屋を見回している。対する僕は覚えのない予定を聞かされて立ち止まった。
そうなのだ。この時ばかりではない。前々から鐘巻という男は、こちらの都合を聞く前に勝手に話を進める節があった。その日の食いぶち一つ稼ぐのにも苦労している貧乏侍が相手となれば、稼ぎになる話を断る筈もないと高をくくりもする。
意のままというのも悔しいけど、実際僕が今まで断れたこともないし。
「水原様? とは?」
聞いてないよ、と言いたげに問う僕に、知らねぇのかよと言わんばかりの小馬鹿にしたような鐘巻の視線が返ってきた。
「あれぇ? 御存知ない? そりゃあビックリだ。水原様と言やぁ昔からこの一帯を牛耳る豪族ですよ。今も昔もこの町一番の大地主で……」
「待って。待って待って、鐘巻さん。水原様の事はさすがに僕でも知ってる。知らなかったのは、夕方から水原様に会うって話の方ですよ」
「あぁそっち。あー、そうかそうか。言ってなかったのか。いやぁ、こいつはすんません」
何故だろう。謝られているのに謝られた気がしない。
「なにせ急な話だったもんでねぇ。とはいえここで水原様からの頼みを受けときゃあ、実入りはもちろんのこと朝倉先生に対する水原様の覚えも良くなるってもんだ。今後何かと口添えなりして貰えるようになりゃあ心強いってもんでしょう? これはもう朝倉先生にはもってこいの話だと思いましてね。依頼の話を耳にした瞬間、二つ返事で受けさせてもらったんですわ」
俺って出来るヤツでしょう? とドヤ顔で話してくれるが肝心のところが足りていない。
「それで、どんな依頼内容なんです?」
「嫌だなぁ、それを夕方から御当人様に伺いに行くんじゃないですか」
嫌だなぁ、内容も知らずに僕にもってこいの話認定とかしないで欲しいなぁ。
「鐘巻さん、傍若無人って知ってます?」
「四字熟語ってやつですかい? 生憎と俺ぁ学が無いもんで。焼肉定食なら好物ですがね。ああ、丁度良い。この店にでもしましょうや」
言うが早いか鐘巻は近くの定食屋の暖簾をくぐっている。
勝手に進めないでほしいとは思ったものの、特別胃袋が欲している料理があるでなし。
「生姜焼定食かなぁ……」
僕も店先の食品サンプル群をチラ見しつつ店内へと進んだ。
「あ、嬢ちゃん! レバニラ定食に冷奴、それとビール頼むわ!」
鐘巻が一足早くテーブルに着いたどころか注文までさっさと済ませる。ってか、焼肉定食じゃないのか。
「あ、すみません。こっち生姜焼定食一つお願いします。お酒飲んで大丈夫なんですか、鐘巻さん? 夕方から水原様に会うっていうのに」
「わかってますって。何も深酒しようってんじゃなし。景気付けにちょっとだけ、ちょーっとだけッスよ」
向かいの席に着く僕にヘラヘラと笑って返す様は、いかにも信用ならなかった。ちなみに、この予感は後に的中する。この男は僕の制止を聞かずにあっさりと酔い潰れ、僕は一人で水原氏の元に向かうことになったのだ。
「それにしても水原様の頼み事ってなんなのかなぁ。あの家なら使用人もいるから大抵の用事は言いつけるだろうし、荒事にしても腕の立つ用心棒なりいるだろうし。鐘巻さん、何か心当たりとかあります?」
つい先程、これから当人に依頼内容を聞きに行くのだと返されたばかりでこの問い掛けも無いもんだ。とは思うがやはり気になるのが本音。料理が届くまでの世間話程度の気持ちで、鐘巻に話を振ってみる。
「心当たりも何も、本当に何も知らないんでさ。でもまぁ、そうですなぁ。適当に予想を並べるくらいなら……」
流石の鐘巻。火のない所に煙を立てる噂の放火魔。次から次へと根も葉もない噂を並べ立てていく。
曰く、表立って水原の名を掲げては扱えない後ろ暗い案件。つまり、いざとなればトカゲのシッポよろしくあっさり切り捨てられる立ち位置。
曰く、最近夜な夜な街に出没すると言われる道化の衣装を着た怪人を捕らえる。つまり、家人の手を煩わせるのも馬鹿馬鹿しいような都市伝説級の与太話の相手をさせられる。
曰く、水原とそれに並ぶ豪族が密かに繰り広げている抗争への協力要請。つまり、相手組織への鉄砲玉。
等々。よくもまぁこれだけ話が出てくるものだと、むしろ感心する。
「こっちから聞いておいてなんなんだけど、どれもこれもろくな用事じゃないッスね」
「アハハ! 言うだけならなんとでも言えまさぁね。あ、ひょっとしたら水原様の愛娘の結婚相手選びかもしれませんぜ。そうとなりゃあ将来も安泰だ。いやぁ羨ましいねぇ、この色男」
茶化す鐘巻に、僕は呆れながら笑って返すよりなかった。
最初からぼやいていましたが、何が起きるかわからないのに昔語りってなかなかに苦しいですね。
さて、朝倉竜也ことルネアス君の職業は五の裏稼業となりました。……モグリの浪人侍を裏と呼んでよいのか?
出だしから色々と苦しい事になっております。逃げ出したいところですが、もう少し書き進めていきましょう。
では、水原氏の依頼が何かサイコロで決めていきます。
出目が一なら表立って言えない何かを運ぶことになります。二では、一と似ていますが怪しい動きを見せる家人を監視する側になります。三が出たら道化の不審者を探して捕らえるように言われ、四だと実は当の不審者が朝倉本人でなんとか誤魔化そうとします。出目が五なら水原氏の抗争相手暗殺を依頼されます。六は水原氏の娘さんの婿選びに参加します。
果たして朝倉竜也は何処に行くのか。
そして、賽は投げられる。