2 一度決めたことを断念するなんてありえませんわ!
婚約者の買い物になんて絶対につきあいません! と宣言したヒロインだったが……
……してしまいましたわ。
殿下が足繁く通っているという宝飾店に来てしまいましたわ!
筆頭侯爵家の令嬢であるわたくしが、単なる政略結婚の相手の買い物にわざわざ押しかけるなんてありえませんわ!
だって、うら若い男女が同じ宝飾店で、同じアクセサリーを眺めたり手に取ったりしたら、あっ逢い引きではありませんか!
逢い引きは、相思相愛の二人、いわゆる恋人同士が行う事であり、わたくし達のような政略同士ではありえませんわ!
もしかしたら、アクセサリーを取ろうとして、指と指が触れあったり、気づけば顔を寄せ合って触れんばかりに……。
ち、ちがいますわ! 断じて否ですわ!
おっ落ち着くのですわたくし、これは断じて違いますわ。
だって、今のわたくしは王太子の婚約者である筆頭侯爵家の令嬢ではありませんもの!
南方辺境伯家に奉公する奉公人の女で、ここに来たのは、たまたま主人である伯爵家令嬢に買い物を頼まれたからですわ。
金髪は黒髪のウィッグの中へたくしこんで、ウィッグは上で結い上げたスタイルですし。
それに載せた白い布製のキャップも、まさに奉公人の証拠ですわ。
肌は化粧で明るいブラウンに、眉も睫毛も化粧で黒くしてますもの。
服装だって、彼女の家の女奉公人の制服を着てますもの。
大きな襟のついた白い上着の上から、黒い前掛け兼スカートをつけてますわ。
靴もサンダルという植物の蔓で編んだ通気性の高いモノですわ。
先程、鏡で見ましたけど、わたくしでないみたいでしたわ。
南方系ですわね。南方の黒髪褐色美少女ですわ。
口調までは直せませんでしたが、黙ってさえいればわたくしだとは判りませんわね。
こういう白と黒だけで構成された簡素な意匠の服を身につけたのは初めてですが、わたくしこういうのも似合うのですわね。
新しい魅力の発見ですわ。
万が一殿下がお気づきになったら、絶賛され称賛されること間違いないですわ。
期待していませんけどっ。
今のわたくしなら、誰一人筆頭侯爵家の令嬢だとは気づきませんわ。
どこから見ても、どこを見られても南方辺境伯のタウンハウスに仕える美しい奉公人!
誰にも異議は唱えさせませんわ!
まさに完璧! 流石わたくし!
完璧ですけど……どうも落ち着きませんわ。
殿下と一緒に買い物するから、いえ、たまたま出会ってしまうからではないですわ。
この完璧な変装のせいですわ。頼りなくて落ち着きませんわ。
前は上着と大きな襟と前掛けで覆われてますし、襟開きも小さいのでいいのですが、脇が大きく開いてますわ。
肩も、白いヒラヒラで覆われているだけで、少し腕をあげれば肩も脇の下も見えてしまいます。
それに脇が大きく開いているので、上の下着もつけられませんの。下着をつけたら見られてしまいますもの。
下は足元まできっちり覆った長い裾で一見問題ないのですけど、足は裸足にサンダルという履き物なので指まで剥き出しなんですわ。
下着の生地も少し粗くて、ごわごわしてますわ。
しかも小さいですわ。動くと、徐々に食い込んできて……変な感じですわ。
わ、わたくしはつけたくてこのような下着をつけたわけではありませんのよ!
元来、南の方は暑いので、そこで生活する女性は下着をつけないそうで。
彼女について王都に出て来た人たちは、流石にそれではまずいと最低限のを身につけるようにはなったそうですが。
布地の面積が小さすぎますわ! 細い幅の赤い布を捻ったり結んだり垂らしたりしているだけなんですもの!
おかげで、いつか肌を許す殿方にしか見せない場所以外は、マレーネと彼女の侍女達に容赦なく褐色に塗りたくられて――
「はっ!?」
もしやわたくしは今、ひどくはしたない姿をしているのではっ!?
横から丸見えの脇。少し動いたら乳房の麓が見えてしまいますわ!
上着の下はたよりない下着一枚。ソックスすら身につけていない素足。
長い裾が万が一何かの拍子でまくれでもしたら、生まれたままの下半身がほぼ丸見えですわ!
「――っっ」
恥ずかしさに思わずしゃがみこんでしまいました。
こ、これではほぼ生まれたままの姿で街を歩いているようなものですわ!
完璧な変装をしなければ! というのに気を取られて、危険な装束を着せられてしまいましたわ!
マレーネの侍女達には着慣れた装束なのでしょうけど、わたくしには破廉恥すぎますわ!
こんなはしたない姿を殿下が御覧になったら、あの色気で膨らんだ乳と同じような反応をお見せになるのでは――
「どうしたんですかお嬢様? ここまで来て引き返すのですか?」
石畳からささやき声。
いつもは心強い影の方の声も、今は冷酷無情に響きますわ!
「慣れない場所に戸惑っておられるのでしょうが、ご安心を。増援も呼んでおきましたので、守りは完璧です。
お嬢様だけでは対処できないと判断したら、身命を賭してお守りします」
そ、そういうのは心配していませんわ!
そうでなくて名誉と羞恥心の問題ですわ!
「もしかして……お嬢様ともあろうおかたが、一度決断なさったことを反故に――」
「するはずありませんわっ!」
反射的に立ち上がってしまいましたわ。
わたくしは筆頭侯爵家の令嬢ですもの。しかも完璧な淑女の中の淑女ですわ。
一度決めたことをこの程度で断念するなんてありえませんわ!
「失礼しました。それから胸を腕で隠しているとかえって目立ちますよ」
「わ、判っていますわ。少し肌寒かっただけですわ!」
そうですわ。変な感じだったのは、もう九月も半ばだというのに、こういう通気性の高い服を着ているからですわ。
断じてそれだけですわ。そういうことなんですわっ!
わたくしはことさら胸を張って、戦場へと一歩を踏み出しました。
日頃、品行方正なので、何か悪いことをしているようで……はしたなくもドキドキしますわ。
それにしても小さい店ですのね。
わたくしが贔屓にしている王室御用達のジュエリー店と……いえ、同じくらいですわね。
それなりに広いのに、棚や仕切りが幾つも並べられて、その谷間は人一人通るのがやっと。
しかもその棚には、床から天井近くまでまで所狭しとアクセサリーが並べられ――というより詰め込められていて狭く見えるのですわ。
しかも平民の女性の方々で一杯ですもの。
女性のつれの殿方もちらほらいますわね。
これでは、ただでさえ目立たない殿下を見つけるのは至難の技ですわ。
「案内しますか」
影の方のありがたい申し出ですが、わたくしは首を振りましたわ。
「失礼しました。お嬢様は殿下を御自分で見つけたいですよね」
語尾に笑みが含まれていたような気がするのは気のせいですわね。
確かに自分で見つけたいとは思っておりますのよ。
だけどそれは婚約者としてですわ。婚約相手を自分で見つけられないなんてありえませんから!
殿下は目立たずパッとせずいかにも眠そうな方ですが、それでもわたくしの婚約者ですもの。
それにしても面白い構造ですのね。
店はほぼ円形。中央の主人らしき方の席から、狭い通路が放射状に延びているのですわね。
これなら、店のどこにでも目を光らせられますものね。
そして出入り口はひとつ。ここにお勘定があって、精算をせずに出ることは出来ませんわね。
さて、殿下はどこにいらっしゃるのでしょう。
わたくしは通路をひとつずつ覗いてきます。
どれも安価なアクセサリーばかりですわ。
中でも比較的高価なものは、高貴な方々の間で流行しているデザインを模倣したものばかりですわ。
殿下が買っていらっしゃるのが、いまひとつ……いえ、いまむっつくらいなのは、こういうのから選んでいるからですわね。
しかも、あの方、どこかセンスも悪くいらっしゃいますから一層。
でも、この中からわたくしが身につけていて恥ずかしくないものが見つかるのでしょうか。
いえ、見つけなければなりませんわ。
これ以上、贈られても身につけられないものばかり増えるのも困りますものね。
学園に入ってからの三年間。隔週で贈ってくださるんですもの。今では特注の箱も七つめですわ。
別に殿下からの贈り物だから捨てないわけではありませんのよ。
婚約者から贈られたものを捨てるようなことは出来ませんもの。
それにしても……本当に、誰もわたくしだと気づきませんわね。
学園でも宮中でも、全ての人がすぐわたくしだと気づいてしまいますから、新鮮な感覚ですわ。
ここに来る貴族の方々がいるとは思えませんから、だからというだけかもしれませんけど。
それとも、ここまで変装を完璧にすれば、誰もわたくしだと判らなるのかしら。
なんだか楽しくなって来ましたわ。
この格好でマレーネの侍女として学園や宮中へ出向いたら、皆さんどんな反応をするのかしら?
きっと、皆さんわたくしだと気づかず。いつもは見られない顔を見せてくださるでしょうね。
彼女に頼んでみようかしら?
い、いけませんわ。そんなことをしたら。
また、あのニヤニヤ笑いで見られてしまいますわ。
でも、ここまで完璧に変装してしまうと、ただでさえ記憶力観察力理解力、全てがいまよっつの殿下はわたくしだと判らないのでは?
わたくしだと判って貰えなければ、一緒にお買い物ができませんわ。
判って貰えないだけならまだしも、この前の乳に対するのと同じように、吐き気でも催されたら……。
でも、判って貰えたとしても心配がありますわ。
この服装、唯一自信のない、もとい将来にしか大いに期待できない胸の大きさがあからさまに判ってしまいますわ。
殿下に失望されたら……『なんだ、大したことないんだね』などと仰られたら――
「くうっっ」
考えただけでも胸が苦しいですわ。
でっ、でも形は悪くないと思うんですのよ! それにっ四捨五入すればぎりぎり平均ですわっ!
『でも肝心なのは大きさだよ。脇から見えてるけど本当に貧弱だね』
「うくぅぅぅぅぅ!」
でっ殿下はそんなこと仰いませんわ!
それに、殿下はあの乳に胸を押しつけられても反応しなかった方ですわ! 大丈夫ですわ!
そして、わたくしのを嫌いではないはずですわ。
この前、膝枕――治療行為をした時にも、わたくしの胸から目をそらしていらっしゃいましたもの!
もっ、もしかしてあれは哀れみっ!?
「ぐはっっ」
思わずよろめいて、壁に手をついてしまいましたわ。
今のは結構、堪えましたわ!
べ、別に判って欲しいわけではありませんけどっ。期待してるわけでもありませんけどっ。
「そういう姿も綺麗なんだね」
「えっっ」
声の方を見ると、すぐ横に殿下がっ!?
あっさりと見破られてしまいましたわ!
というわけで第二話です。
続きます。