1 あんな婚約者とお買い物とかありえませんわ!
筆頭侯爵令嬢と王太子であるダメな婚約者のお話。
王太子からの贈り物が、ことごとくセンスがない。ヒロインは『身につけられないのに捨てられないアクセサリーが増えると困ってしまいますわ』と、王太子にセンスがいいものを教えるしかないと決意する! という、日常のほのぼの話です。
わたくしくらい華麗で優秀で筆頭侯爵家の令嬢ともなれば、何をするにも取り巻きを引き連れて歩いていると思われがちですわ。
帰宅しようとしている今、廊下をひとりで歩いています。
だって、取り巻きとかひきつれて歩いたらはた迷惑でしょう? そういうことをまともな高位貴族の令嬢はしませんのよ。
中途半端に高位な貴族の御令嬢で、そういう方はいらっしゃいますけど、見苦しいですわ。
わたくしにも、いわゆる取り巻きという方々はいらっしゃいますわ。
この王立学園はこの国の縮図。勢力がないと何かと面倒な世界なのですもの。
彼女らはいわゆる兵隊。数は兵力ですわね。
ですが彼女らは友ではありませんわ。
わたくしの実家と王太子の婚約者という地位に近づいて来ただけの方々ですもの。
そういう方々とは適宜おつきあいして、お互いうまく利用し合って、Win-Winの関係を築いておけば必要十分ですわ。
ですから、わたくしが友と呼べる存在は、余りおりません。
別に寂しいとかではありませんのよ。友達百人作りたいとか、そういうのでもありませんのよ。
それに余りおりませんであって、いないわけじゃありませんのよ!
「へへへぇぇ。またアレつけてるんだ」
「っ!」
振り返れば、わたくしの友と言ってもいいかもしれないかもしれないけど余り認めたくない方が、いつものニヤニヤ笑いを浮かべておりました。
「気配を消して背後から近づいていきなり話しかけて来るのはやめてくださいませんか!
貴族の淑女のふるまいではありませんわよ!」
「へいへい」
わたくしより頭一つ背が高い彼女は、マレーネ・シャリヴァジュア・ピクニッツ。
南方の辺境伯の令嬢ですわ。
ウェービーというより跳ねまくりの金髪に赤毛が一房混じり、お肌はやや褐色ですわ。
かつて南方にあったシャリヴァジュア王国の血が混じっているからですわ。
褐色で背が高い彼女は、整った顔立ちもあって異国の王子様みたい……だそうです。
わたくしと並ぶと絵のようだと言われますのよ。
口さえ開かなければ、ですが。
相変わらずめざといですわね。襟の裏につけておきましたのに。
「つけたくてつけているわけではありませんわ。ただ殿下に貰ったものですから、つけないわけにもいきませんもの」
「相変わらずアレだなぁ。ハヤリの後追いで安モンだな」
わたくしもそう思いますけど。
「審美眼というものがない方ですから」
審美眼だけではありませんけど。
才知も器用さも運動神経もありませんけど。
美貌とか威厳とかもありませんし……あの方には何があるかといえば何もありませんわね。
「それにケチだよなぁ。アレでも王太子なんだから婚約者にはもっと金をかけたっていいだろう。ドケチだ」
普通に考えればそうでしょうし、わたくしだってそう思いますけど、でも。
「そんなことありませんわ。それは、ほら、殿下は、つい先頃までお立場が」
王太子なのに、王太子として扱われていなかった、というお立場。
わたくしはあの気取り屋の弟君を真の王太子などと認めたことはありませんでしたけどね。
別に殿下がいい、とか、殿下でなければダメとか言ってるわけではありませんのよ。
ただ、周囲の評価、自己評価共に高いイケメン弟君が、好ましい殿方とは思えなかっだけですわ。
王子様気取りのあの声で称賛されても、計算が透けて見えて、ゾッとするだけでしたもの。
別に殿下の声が素敵だと言ってるわけではありませんわよ。
何の印象にも残らない、ざわめきの中であれば全く聞き分けることが出来ない、そういう面白くもない声ですもの。
まぁ優秀なわたくしは、どこで聞いても判りますけど!
「……なにを下品に笑ってらっしゃるのかしら。不愉快ですわ」
マレーネは、殿下の話題が出ると、しばしば、令嬢らしくないニヤニヤ笑いを浮かべてわたくしを見るんですのよ。
すごく失礼ですわ。
「いやぁ。すまんすまん。そういやアンタの殿下はそういうお立場だったな、と思ってただけさ」
わたくしの殿下、という言い方には、からかわれているような感じがあって嫌ですわ。
いつもの事ですし、文句を言っても直そうともしてくれないので、もう何も言いませんが。
なんでこんな方が、わたくしの友なのでしょう。
たまに経緯を思い出さないと、友と認めたくなくなりますわ。
わたくし、幼い頃から武芸も見所ありと言われ、それが更に王妃教育で磨かれましたから、この年頃の女子の間で負けたことなどありませんでしたの。
ちなみに殿方に勝つようなことはありませんでしたわ。勝つと面倒なんですもの。
女に勝てて当然だと思っていらっしゃる方々ばかりなので、わたくしに手を抜かれた事も気づいていらっしゃいませんでしたわ。
それが、この方相手に、生涯初めて完璧に敗北しましたわ。
あれは確か、学園に入って初めてあった剣技の実技。
どうせ誰も力をいれてやっている方などいないでしょう。と思っていたら、独りだけ真剣に素振りをしている方がいまして、それがマレーネでしたわ。
これは対戦したら歯ごたえがあるかもしれませんわね。まぁわたくし程ではないでしょうけど! と思ったものでしたわ。
歯ごたえがあるどころではありませんでしたわ。
普通なら筆頭侯爵家の令嬢相手に、ちょっとは遠慮があるもので、それも不満だったのですが。
本当に遠慮がないというのは、どういうことか体でたっぷり味あわされましたわ。
固くない模擬剣で、防具の上から打ち込まれたのに、骨まで響く痛さでしたわ。
力だけでなく技も大したもので、十本中、相打ち覚悟で辛うじて一本取るのが精一杯でしたもの。
もっともこの方は師匠だというお祖父様以外には負けたことがないそうですが。
でも、マレーネにとっても、打たれても打たれても歯を食いしばって立ち向かって来た上に、一本取られた令嬢は初めてだったそうで。
ひどく気に入られてしまいましたの。
礼儀作法はアレで、口調も野蛮なこの方ですが、わたくしと繋がりを作ってどうこうという邪気がないところは認めざるを得ませんわ。
「でも、今はもう、唯一の王太子殿下だろ」
「ええ、そうですわ。あんなことがありましたもの。仕方ないですわ」
あの乳が殿下にちょっかいをして一ヶ月後。
先週、イケメン弟君、その化粧の濃い母牝狐、その御実家、乳に罰が執行されましたわ。
殿下の弟君は、王位継承権を剥奪後、王家から離籍。
断種処置ののち北の果ての名誉男爵に任じられ追放されましたわ。
名誉男爵というのは、地位だけは男爵ですが、部下も領民もいない形だけの男爵ですわ。
そして不幸なことに任地へ着く前にお亡くなりになりましたわ。
途中宿泊した山小屋で、御者と護衛ともども山賊に襲われ、滅多刺しされたとか。
山賊……十名とはいえ訓練された護衛を全滅させた山賊ですか……。
まぁ山賊ということにしておいた方が皆しあわせですものね。
「ひでぇ最後だったな。
なんでも股のあたりは滅多刺しで、丁寧に切り取られて並べられてたんだってな。
しかも生きているうちに切られたらしいって噂だ。くけけ。因果応報ってヤツだ」
「……その露骨な物言いやめてくださいません。気分悪いですわ」
「悪ぃ悪ぃ」
遺体が収容されて検死されて、さらなる問題が発覚しました。
断種処置の形跡がなかったのだそうです。
処置に関わる人間が買収されていたようです。その方々も罰を受けることになりましたわ。
それに護送の御者や護衛もいつのまにか、彼の手の者に変えられていたとか。
母牝狐は、病気療養とかで遙か東の離宮に押し込められたそうです。
息子の最期を知って床に伏せってしまったそうですわ。
数年の内にご病気で亡くなる筈でしたが、それが早まるかもしれません。
その御実家である伯爵家も大逆の罪で男爵家に落とされ、更に牝狐に協力した方々は平民にされましたわ。
今はどうなっている事やら。
乳は無一文で平民落ち。
婚約者がいると知っていて誘惑し。その相手が王太子殿下とあっては。準大逆ですわ。
公式には単なる平民落ちですが、働き口を見つけるのは大変でしょうね。
こういう場合、お話では娼館落ちとかになるらしいですけど、ああいう所にはああいう所なりの高い職業意識が必要だそうで、乳が大きいだけの乳がやっていけるか怪しいものですわ。
処分は終わりましたが、少々すっきりしない部分も残りましたわ。
断種処置に小細工をさせようとした首謀者は自殺。
しかもその資金をどこから手に入れたのかも突き止められませんでしたわ。
有力な御実家を喪った以上、今更、あの廃王子をかつぎだすのも難しいとなれば……誰が助けようとしたのでしょう。
気になりますわ。
わたくしと同じ年頃で、王位継承権をもった方が一人だけいらっしゃいますが。
まさかね。アレを王にするということは売国ですもの。
「あんたのお父上が裏で糸を引いていたって言われてるぜ」
「弟君が勝手に謀って、勝手に転んだだけですわ。沢山の方々から恨みもかっていたようですし」
これでお父様も、殿下を支えるしかなくなったことでしょう。
別に殿下のためじゃありませんわよ? いつまでも王太子の地位が揺らいでいては我が国にとっては良くありませんもの。
「でも、アレ、王太子教育とか完了出来んの?」
「ええ、まぁ……最近は、ほぼ毎日、真っ直ぐ王宮へ帰って無駄な努力をしているようですわ」
昼を一緒にとってる時も、いつもより更に眠そうですわ。
必死ですのね。
といっても殿下が必死に勉強している姿を想像するのは難しいですけど。
殿下は努力はしますけど努力家ではありませんものね。
ですから最近。
おなかがいっぱいになって眠ってしまった殿下を、昼休みが終わる直前まで眺めていることが多いですわ。
平和そうな寝顔を眺めていると、こちらも眠くなってしまいますわ。
この前など、このわたくしとしたことが欠伸などしてしまいましたわ。
誰にも見られていないとは思いますけど……殿下がいけないんですわ!
「そりゃ寂しいだろ。あ、だからか。
だから気に入らないアクセサリーでもつけてんのか」
「ちがいますわ! 毎日、昼は一緒ですし。寂しいとかありませんわ!
それだって婚約者の義務というだけですわ!
そもそも放課後一緒に行動したことなんて元々ありませんし!」
また妙になまあたたかいニヤニヤ笑いでわたくしを見てますわ。
何かむかつきますわ。顔に出てしまいそうですわ。
淑女の中の淑女の名にかけてもそんなことはしませんが。
「そういう貴女こそ、今の婚約者の方とうまくいってますの?
その粗暴な物言いやふるまいをなんとかしないと、愛想をつかされますわよ。
確か、騎士団長の次男の方を婿に――」
「ああ、あれならついこの前、解消されちった」
「……またですの」
「夏休みにうちの郷里であった武術大会で一回戦負け、しかもボコボコ。
余りによわっちいんで、うちの一族一同。『アレはない』ってなった。
ちなみに優勝はオレね。
そしたらあのボンボン、不正があったとか喚きだしてよ。
しょうがないんで両家立ち会いのもとで一騎打ちでボコボコにしてやったら、騎士団長が「女ごときが生意気に!」とか切れやがって。
で、仕方ないんで、親子ともどもボコボコにしてやって、泣き喚いて許しを請うてきやがって、ようやく向こうの有責で婚約解消。がはは」
「はぁぁ……だから大々的に公表されておりませんのね」
マレーネの御実家である南の辺境伯は、強国である海洋国家アチェジャビアと対峙しています。
しばしば入寇してくるので、武がない当主は歓迎されないのです。
「オレが爵位を継げりゃいいんだけど」
「貴女なら務まるでしょうけど……我が国では無理な話ですわ」
こう見えてこの方、成績も悪くないんですのよ。礼儀作法は最低限ですけどね。
でも、この国で女性が爵位を持つことは認められておりませんのよ。
「あんたが王妃になったら、その辺、パパッと変えてくれよ」
「!」
そうなのですわ。
王妃。わたくしが王妃。
実感が湧きませんがそうなのですわよね。
しかもそれは、あの殿下の妻ということで……。
淑女の中の淑女で高貴で有能なわたくしが、あの無能で愚鈍な方の妻に!
婚約者ですから当然ですけど。当然なんですけどっ。
「そんなにあいつと結婚すんのが楽しみなんだ」
「ち、ちがいますわ! ただの政略結婚ですから実感が湧かないだけですわ!
それに! 王妃にはそんな権力はありませんもの!」
大法典の条文変更する発議を王ならば出来ますわ。
でも、王妃になったとしても、わたくしには出来ません。
「連名で嘆願してみればどうです?
貴女の御実家と交流のある家の中に、跡継ぎを娘にしたいという家が何家かあったはずですわ。
確か……十家くらいは。それだけの貴族が連名すれば無視できませんわよ」
以前より教育が盛んになったこともあって、女子でも優秀な方が増えましたからね。
というか多分、殿方が頑なに思い込んでいるほど領主としての能力に差はないと思いますもの。
殿方は家政をひどく軽んじていらして、誰でも出来ると考えている方が多いですけど。
家政というのも、それはそれで大変な仕事なんですのよ。
領地経営が含まれている場合すらありますもの。
奥方を追い出して若すぎる後妻をすえたら、家政が回らなくなった殿方を幾人も存じておりますもの。
「なるほど。そういう動きがありゃ、あんたも認めやすいわけだ」
「ですから、わたくしは王妃になるのであって王になるわけではありませんもの。口添えくらいならできますが」
珍しく彼女は真面目な顔で。
「ふぅん。意外だな」
「なにがでしょうか?」
「殿下は無能で愚鈍ですから、わたくしが全て仕切るから安心なさい。くらい言うかなと」
「わたくしの下手な口まねやめてくださいません!」
断じて似てませんわ。
それにわたくしが日頃言ってるような事とはいえ、他人から言われると、なにかいやですわ。
「いま、お時間はありますか」
不意に廊下に飾られた花瓶からささやき声がしました。
わたくしについている影の方ですわね。
わざわざ時間があるか確認してきたということは。
緊急の要件ではないのでしょう。
「あんたの護衛は相変わらず気配がほとんどねーなー」
花瓶が答えます。
「お褒めにあずかり光栄です」
この方を初めとする影の方々は、元々お父様がわたくしにつけた護衛兼監視だったのですけど。
ここ数年は、わたくしの影として働いてくださってますわ。
この前の、イケメンクズを処理した時も大いにお世話になりました。
特にこの声の方とはつきあいが古くて、個人的なことも話す仲ですのよ。
お姿は見たことがないのですが、おそらく歳はわたくしとそう変わらない女性ですわ。
わたくしは友だと思っているのですけど、向こうはそう思ってくれているかしら?
十年前のことでしたわ。
いつも影の方に守っていただいている感謝を示したくて。
頂き物のお菓子の詰め合わせをお父様から貰って、そこに礼状を添えて置いておいたら。
翌日にわたくしの部屋の机の上に礼状が置いてありましたの。
それから時にはメモ、時には手紙で、メッセージの遣り取りが始まりました。
今では最低でも日に2回は遣り取りしますのよ。
この学園に入ってからは、こうして会話もするようになりましたの。
相変わらずお姿を見せてはくれませんが、その辺はプロ意識が高い方だからでしょう。
「時間ならありますわよ」
と花瓶に向かって答えると
「殿下が、お嬢様への贈り物を買いにいつもの店へ行くそうです」
殿下は無能で愚鈍ですが、王太子教育をサボったりはなさいません。
能力がないだけで、素行は悪くありませんもの。
わたくしへ贈り物をしたいという一心で、一生懸命時間を絞り出して、買い物へ行く時間をお作りになったのでしょう。
あれでセンスさえまともなら……。
ま、まぁどうでもいいですけど! 殿下が勝手にやってるだけですもの!
「またセンスの悪いのに捨てられない贈り物が増えるわけかぁ」
「その笑い方やめていただけません? 捨てられないのは、殿下が婚約者で王太子だからというだけですわ」
「センスが悪くてもつけるくらいなら、センスがあったのを教えてやりゃいいじゃん」
「単なる政略結婚の相手の勝手な買い物に、付き合う義理などありませんわ」
だからその笑い方やめて欲しいのですけど!
「くけけ。あ。そうだ。今日これからうちに遊びにこねえ?」
彼女の御実家のタウンハウスは、学園のすぐ側です。
伯爵家ですが、先程説明したような事情で、我が国の貴族の中では有数の軍事力をもっています。
兵数だけなら我が家に及ばないでしょうが、精鋭さを加味すれば向こうに分があるでしょう。
政治的には中立ですが、親しくしておいて損はない相手です。
そういうわけで、わたくしの交友関係に何かと口を出したがる両親も(わたくしが完璧なので何も言えないみたいですが)、彼女とのつきあいを認めているのです。
別に彼女もわたくしもそういう意図はないのですが、そういうことにしておけば雑音がないので好都合ですわ。
「……今日はそんな気分ではありませんわ」
「なぁに、そういうことにしておけばいいんだよ。口裏は合わせる」
「合わせます。お任せ下さい」
影の方まで一緒になって!
「ですから、しませんわよそんなこと」
「うちに寄ってけばいい。そこで着替えればいいんだ」
「そんなことしませんわ」
「侯爵令嬢だってばれるのがいやなんだろ? だったら変装すればいいさ」
「どこへ行こうと護衛はお任せ下さい。身命を賭してお守りいたします」
ああ。もう! ふたりとも!
どうして、わたくしが、あの愚鈍で無能な方の買い物につきあうよう仕向けようとするんですか!
ありえませんわ!
「しませんわよ。そのようなこと絶対にしませんわ!」
というわけで、『完璧令嬢と無能王太子』シリーズの3作品目です。
だいたいかわいらしい話です……だと思います。
続きます。