第八十四話 まだ帰りたくない夏音ちゃん
駅の改札前。
もう夜になろうとしている。
「おにいちゃん、今日はありがとうございました。おなごり惜しいです。まだ帰りたくないと思っていますし、今日はおにいちゃんの家に泊まりたかったんです」
少し涙声になっている夏音ちゃん。
「でもお母さんに、今日は我慢してね、と言われました。帰りたくないですけど帰らなくちゃいけないですね」
おばさんと電話していた時も、我慢してね、という言葉が出ていたけど……。
夏音ちゃんのつらそうな表情。
俺もつらい気持ちになってくる。
「おにいちゃん、お願いがあるんですけど」
「うん? お願い?」
「わたしにメアドとルインを教えてくれませんか。わたし、これで夏休みまではこちらに来れないと思うので。わたし。毎日おにいちゃんとやり取りがしたいです」
気持ちはうれしいのだが……。
弥寿子ちゃんの様に、「好き」と書いて来るのだろうか。それとも世間話をするようなやり取りになるのだろうか。
いや、夏音ちゃんも弥寿子ちゃんと同じくらい、俺のことが好きなのだから、きっと「好き」と書いてくるだろう。
そうなると返信に困ってしまう。
俺だって、やり取り自体はしてもいいと思っている。でも弥寿子ちゃんに対してもそうなのだけれど、「好き」と書いてきても、それに対する返信はできない。
ただ弥寿子ちゃんは、それでもいいと言ってくれているし、今まで、「好き」に対する返事をしなかったことで、悲しい顔はされたことがない。内心は、悲しく思っているところはあると思うけど。
夏音ちゃんはどうなんだろう。
返事がないと、悲しさを表に出すタイプなのだろうか。
「やり取り自体はしてもいいよ」
俺は少し考えた後、そう返事をした。
「本当ですか?」
「うん。大丈夫だよ」
「ありがとうございます。これでおにいちゃんと毎日やり取りができます。うれしいです」
満面の笑みの彼女。
「ただ返事はできないこともある。それでもいい?」
途端に少し悲し気な表情になる。
「できれば返事をもらいたいです」
弥寿子ちゃんよりも表情はストレートに出てくる。
しばらく無言になっていたが、
「それでもいいです。三年も会っていなかったことを思えば、何でもないですよね」
とまた微笑み始めた。
「今日からおにいちゃんへの想いを、どんどん伝えていきますからね」
「まあ、受け止められるところは受け止めていくよ」
「そして、わたしを好きになってもらいますね」
そう言うと、彼女は笑った。
「じゃあ、また夏休みに来ます」
「わかった」
「今日はいろいろありがとうございました。おにいちゃんの友達に会うことができましたし、レストランや喫茶店に行くこともできました。とても楽しかったです」
彼女は頭を下げる。
「楽しんでくれて、よかった。俺も楽しかったよ」
「おにいちゃんも楽しんでくれて、わたし、うれしいです」
「そう言ってくれると俺もうれしいね」
「それでは、帰ります。今度来る時は、おにいちゃんの家に泊まれるように、お父さんとお母さんに頼んでおきます」
と、泊まり……。それって、夏音ちゃんと夜、一つ屋根の下で過ごすということ?
「おにいちゃん、顔が赤くなっていますね」
いたずらぽく笑う夏音ちゃん。
「い、いや、俺達、そういうのはちょっと」
「夏休みまでには、おにいちゃんと恋人どうしになる予定です。そうしたら、家で一緒に過ごすのは、あたり前ですよね」
「恋人どうしじゃなかったら?」
「あまり考えたくはないですけど、わたしたちはもともと仲の良いいとこどうしなですから、そういう面でいっても、一緒に家で過ごしていいと思います」
「それはそうだけど……」
「とにかく泊まりに来たいです。それまでには、料理もある程度できるようになっておきますから。食事の心配はしないでいいですよ」
夏音ちゃんの作る料理は食べたいと思う、って、泊まりに来ることを認めてしまっていいものだろうか。
おじさんもおばさんも、今日は泊まるところまでは認めなかったようだけど、彼女が一生懸命お願いすれば、許してしまうのではないかという気がする。
でも断ったら、泣いちゃうかもしれない。そういう姿を見るのは、耐えられない。
「楽しみにしていてくださいね」
この笑顔には勝てないなあ……。
「ルインもしますので、よろしくお願いします。後、今日のお別れの前に、おにいちゃんに少し寄りかからせてほしいんですけど」
「それってどういう……」
夏音ちゃんは、いきなり俺の手を握り、その体を寄りかからせてきた。
俺は彼女のからだの柔らかさと温かさで、あっと言う間に心が沸騰していく。
「おにいちゃん、好きです」
うっとりした表情の夏音ちゃん。
俺は夏音ちゃんの魅力にどんどん染まっている気がする……。ごめんなさい。小由里ちゃん。
しかし、それはほんのわずかの間だった。
彼女は、なごり惜しそうに俺から体を離す。
少し残念な気持ちになってしまう。
「もう少しおにいちゃんに寄りかかってきたかったですけど……。わたしたちまだ恋人どうしじゃないですもんね。でも夏休みに行く時は、もっともっと長い時間、おにいちゃんの手を握り、寄りかからせてもらうことにします」
残念そうな彼女。
その姿を見るのはつらいものがある。でも仕方がない。
「おにいちゃん、ではまた来ます。さようなら」
俺に向かって、手を振る彼女。
微笑んではいるが、少し涙目になっているような気がする。
夏音ちゃんが、ここまで俺のことを好きだとは思わなかった。
幼い頃から俺のことを好きでいてくれて、どんどんその想いを強くしてくれている。
そこまで俺のことを思ってくれていると思うと、つらい気持ちになる。
彼女の気持ちに応えることはできないからだ。
俺が彼女に恋をして、相思相愛になればいいのだろうが……。
難しい話だ。
弥寿子ちゃん、裕子先輩、そして夏音ちゃん。みんな魅力的な女の子だ。俺はそれぞれの人達への好意がどんどん強くなっている。
小由里ちゃんのことを一番に考えているし、これからもそうしていきたいのだが、これだけ俺に好意を持ってもらうと、その気持ちに応えたくなってしまう。
とにかく、みんなとは仲良くしていくとしても、本命は小由里ちゃんだ。それは強く心に想っていきたい。
俺はそう思いながら、彼女に向かって手を振った。
「面白い」
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