第二章 兄が駄目ならば…
「………様、ケント様!」
はっと気づく。呼ばれていたことに、どれほど気づかなかったのだろう。
「ああ、お茶か、すまない。今いただくよ。」
ケントは苦笑して、少し冷めたお茶をすすった。
「お疲れが、ひどいですね。」
長年身の回りを世話してくれてるキナから見ても、これほど疲れ切っている主人の姿は初めてだ。
しかし、休む暇はなかった。ユナ・リアの捜索の手は、いっときも緩めることのできない緊急課題だ。
会議の後、ロミナス公は役人と共に旅立った。各地の捜索現場を巡回し、激励して歩く。まことに精力的かつ行動派だ。王の信頼も厚い。
スギルト公は自身のネットワークを用い、外国に移住したリードニス人を調べている。同時に過去のユナ・リアに関する研究、分析も進めている、頭脳派だ。やはり、王から多大な信用をいただいている。
比べると、自分は、ただ闇雲に動いてるだけではないか。病の父に代わって、若くして当主になったとはいえ、三名家の一員としては、あまりに不甲斐ない。なるほど、親戚たちから物足りない当主と言われるはずだ。
「兄が駄目ならば、弟を立てよ。」
あの悪夢のような王と、彼を打倒した弟君の時代以来、人々の間で格言として覚えられていることばだ。
我が家においても、兄である自分が物足りないばかりに、弟を当主にという思いが親戚たちにあった。実際に、根回しも始まっていた。
しかし、弟は。
いつも声を大にして主張した。兄は賢く優しい、使用人にも領民にも慕われる、良い当主である。自分は兄の家臣として、終生仕えるのみである。
確かに、弟には自分にないカリスマ性があった。いかに努力しても、自分は凡人だと思う。しかし、そんなことは弟には関係ないらしく、ただただ兄を尊敬していた。
そして、どうしても自分の思いが伝わらないと悟った時、弟は姿を消した。兄を廃し、当主となれと強要される前に、弟は家を出てしまったのだ。
後一週間で成人となる、その祝いの直前に、弟は姿を消した。しかも病の父を置きさって。親戚たちの怒りをかい、あの者は駄目だと言わせるタイミングを図ってのことだった。
「セナ………。」
弟が消えて1ヶ月、思い出すのは小さな姿が多い。生まれて来た時の感動は、忘れられない。4才の兄貴の腕に母が預けてくれた赤子は、弱々しくもあるが力に満ちてるように感じた。
歩けるようになると、いろいろな所に連れて行った。遊びも勉強も教えた。やんちゃな弟は愛しかったが、じきに頼もしい相棒に成長した。兄が次期当主であると認識する頃から、剣術の鍛錬に最も力を注ぐようになった。兄を守る、剣であり盾でありたいと言っていた。
母の家系は魔法の素質が際立っているが、自分はあまり上達しなかった。弟のほうがその点でも優れていた。剣術の腕と合わせて、何処にいてもたくましく生きてくれていると思う。
しかし、消息も何もわからないのでは、あまりに辛かった。そこで、わずかな魔力を込めて細工したブレスレットを持たせた。弟が断われないよう、小さな子どもを使いにしたのはケントの計算だが、上手くいった。弟の強い魔力と共鳴する、そのことで生きていることはわかるようになった。今は、それで満足しよう。
さあ、もう少し頑張ろう。スギルト公一人では多すぎる、手間のかかる分析の仕事を任されている。昔の資料の解読は骨が折れるが、今はやるしかない。
お茶は、すっかり冷めてしまった。