第9話
オレことアリスタッド・スパーダ。
年齢は20歳。
日本からの転生者だ。
異世界からの転生特典は「チートなし」。
チート能力を持っていないんじゃなく、チートの力をなくす力らしい。
使いどころがほとんどない死にスキルだ。
だからオレには英雄になることも、領地開拓することも、ハーレムを作ってスローライフを満喫することもしない。
普通の一般人としてこの世界を楽しんでいこうと思う。
今オレは領都ウェステンバレスの閑静な住宅街の端っこで魔導具技師をしている。
特許を何個か取得できたのでお金の心配はほとんどないが、素材収集のために副業として冒険者もやっている。
一応、中級ランクまで上がった。と言ってもメインは魔導具技師なので冒険者ランクをこれ以上上げようとは思っていない。
1日の始まりは1杯のコーヒー。
歴代の異世界転生・転移者、通称“来訪者”の方たちが頑張ってくれたのか、この世界にもコーヒーはあった。
だが味は正直いまいちだったので、オレなりに豆を探し、煎り方を模索を続けていた。
苦節5年弱。ついに見つけた。
原料になるのは、意外にも回復薬に使われるポーションチェリーの種だった。
果肉の部分を回復薬の原料にして種は廃棄。粉砕して肥料にするらしい。
その種を肥料にする前に格安で買い取り、種に付着している果肉の残りカスをきれいに洗浄。
ムラのないよう均一に焙煎し、手作りのミルでやや細か挽きに粉砕しドリップ。
これで前世でも味わったことがないような香り高いコクの深い味わいのコーヒーが誕生した。
このオレの特別ブレンド。
原料にポーションチェリーの種を使っているからか、飲んだ後はちょっと元気になる(ような気がする)。
健康にも良さそうだ。
カフェインが入っているかどうかはオレにはわからない。
オレの服装はコーヒー好きが高じたのか、基本的に前世の喫茶店マスター風が気に入っている。
白のワイシャツに黒のスラックス、黒のベストにネクタイ。
わざわざ服飾店でオーダーメイドで作ってもらった。あまりにも細かい注文だったので店員さんには嫌な顔をされたが。
魔導具製作の際は腰にカフェエプロン。またシャツの袖が邪魔にならないようにシャツガーターも自作して着けている。
いい感じでマスター風になっているのだが、頭にかけているゴーグルだけは未だに外せない。
3歳からずっとオレに額に鎮座しているんだ。もう身体の一部と言ってもいい。
さて、今日もいい感じで至高のコーヒーを嗜むことができた。
頭もすっきりしたところでいつもの魔導具製作に取りかかろうか。
カラララン…。
これはドアベルの音。
普通、我が家に用事がある人は玄関に設置している呼び鈴で知らせてくれるようにしているはずなのだが、呼び鈴を無視して直接玄関のドアを開けて入ってくる人間は限られている。
「よっ!アリス。またコーヒー飲ませてくれ!」
「朝っぱらからコーヒーを飲むために領都の中心から魔導車乗ってきたのかよ。そんなに暇してるのか?ラック!」
この男はヒューラック。愛称“ラック”。
身長は178cmのオレよりも若干低め。がっしりした体系で髪を後ろに流してオールバック気味にしているなかなかイケメンだ。
年齢は33歳。オレよりも一回りちょい上だ。
この人、実はこのバイャリーズ領で重要な地位についている偉いさんなんだよね。
ちょっと前に魔導具表彰を受けた際、ラックが直接家に来て知り合いになった。
気安い性格で公の場ではない限りタメ口、愛称呼びをさせてもらっている。
ラックはオレ、アリスタッドのことを略称の“アリス”と呼ぶ。
“アル”と呼んでほしかったのだが、何故か“アリス”だ。
女性みたいな名前なので気に入っていない。
オレ的異世界小説名称使用人気第1位の“アリス”呼びだ。ちなみに2位はセバスチャン。
アリスと聞いて可愛い女の子を想像して会ってみたらオレ!なんてことがあったら要らぬ恨みを買ってしまいそうだ。
なのに両親を含め周りの人たち全員がオレのことを“アリス”と呼ぶ。
だから諦めた。もうアリスでいいや。
「ああ。やっぱりアリスのコーヒーが一番うまいよ!ここ以外のコーヒーなんてもう飲めなくなってしまった!」
この家は玄関を入るとロビーがある。以前の入居者はここをお店として使っていたんだろうな。
だったらそれを有効利用してみようかとリフォームしてみた。
ここでコーヒーが淹れれるようにコーヒーメーカーセット、軽食が作れるようなコンロ、ドリンクを冷やす冷蔵庫などを完備。
簡易キッチンとシンク、カウンター(4席)に4人が座れるテーブルセットが2つ。
壁には風景画を数点展示してある。
今や完全に前世の“感じの良いこじゃれた喫茶店風”だ。
ラックはカウンターの左端のいつもの席に座り、コーヒーが淹れ終わるのをゆっくり待つ。
「今回は煎り方を変えてみた。深入りローストだ。酸味よりも苦みやコクが強めに出るようにしてみた。ぜひ味わってみてくれ」
「うむ…ほう!これはいい!前のコーヒーよりもこっちのほうが俺好みだ!」
ふふふ。最高のコーヒーだろ?
トーストもゆで卵もあるぞ?モーニングだ。
ゆっくり味わってくれ。
ラックはコーヒーのウマさを共有できる少ない友だちだ。どんどんサービスするよ。
カラララン…。
あ、また客が呼び鈴を鳴らさず直接入ってきた。
ラックがここに居るということは、あとはアイツしかいない。
脳みそまで筋肉が詰まっているもう一人のコーヒー友だちだ。
「出勤する前にコーヒー飲ませてくれ!アリス、濃い目で頼むわ! おうラックもいるのか!横、座らせてもらうぜ!」
このマッスルでデカい男はゼル・コーバー。35歳。
5年前いろいろ訓練に付き合ってくれた上級冒険者だったんだが、今では引退して冒険者ギルドのマスターなんかやっている。
一応オレの戦闘における師匠だ。
その恩を返す意味でゼルのために専用の魔導具を作ったのだが、それがゼルにとってよっぽどいいものだったのか、逆にゼルがオレに恩義を感じるようになってしまった。
ではお互い恩義を感じているということなんだから、これからはイーブン。友人として接しようということになった。
今ではすっかり呼び捨て&タメ口が定着。
ゼルとラック、二人合わせてオレのコーヒー友だちだ。
「あいよ。いつものヤツでいいよね」
「おう!」
トースト2枚にベーコン&目玉焼き。これがゼルの“いつもの”だ。
彼らが来ると室内はすっかり喫茶店だな。
だけど彼らは金も払わずにタダ飯を食べに来る。だが悪い気はしない。
一人でゆっくりコーヒーを味わうのも良し、こうやって賑やかにコーヒーを味わうのもいいものだ。
だけどあなたたち、最近遊びに来すぎじゃない?3日に1回はやって来てるよ。
モーニングタイム(?)が終わったので、出かけることにする。
目的地はみんな領都の中央駅。男3人、揃って魔導車に乗っていく。
中央駅で降りた後、ラックは領舎、ゼルは冒険者ギルド、オレは工業ギルドに分かれていった。
工業ギルドの偉いさんに呼ばれたのだ。
「やあ、アリス。よく来てくれた。今回もまた魔導具の仕様書の編集を頼みたいんだ」
「いいですけど、またですか?そろそろちゃんとした仕様書の作り方を覚えてもらいましょうよ」
オレを呼んだのはクラーク・ローエン氏。
8歳の頃から親交があり、特許取得の際も家の購入の際もいろいろ手助けしてくれたお爺さんだ。
もう62歳だというのに現役で魔導具の製作を手掛ける傍ら、工業ギルドのマスターもしている。
以前はローエン氏と呼んでいたが、いまでは「クラークさん」とファーストネームで呼んでいる。
工業ギルドには多数の魔導具技師が登録しており、新しい試作品や新製品が次々と出来上がってくる。それを誰もが理解し使えるようにするため、わかりやすい仕様書をまとめる必要があるのだ。だが多くの技師たちは作るのは得意だが意見を簡潔にまとめ、わかってもらえるように表現をするのが苦手なようだ。ついつい難しい専門用語を使ってしまったり、わざわざ持って回った言い方をしてわかりにくくなってしまうことが多い。
そこで注目されたのがオレである。
以前特許出願しにきたとき、プレゼンの意味を含めてできるだけわかりやすく納得できるようなものと企画・提案書を工夫した。設計図面や挿絵を多用し、文字を読んで理解させるだけでなく、イラストを見て直感的に理解できるように努めたのだ。
そこに目をつけたクラークさんは魔導具の仕様書を工夫することでもっと使いやすく一般に受け入れてもらえるのではないかとオレに声をかけた。ある魔導具の仕様書を編集しなおし、イラストをふんだんに使い、子どもでも理解できるように工夫をしてみたら効果は覿面!その魔導具自体が見直され今までの倍以上の生産数をたたき出すようになった。
「今回は挿絵を描いてくれるだけでいい。文字部分はアリスが教えてくれたように結論から書く、簡潔に書く、箇条書きを多用する、読み手のことを考えた文章を心掛けるといったことを徹底しているから、かなり仕様書として良くなってきた。だが挿絵だけはいかん。みんな絵心がなさすぎる。だが挿絵があるだけでわかりやすさが段違いなんだ。ぜひ挿絵だけでも協力してほしい」
「いえ、全然かまいませんよ。絵を描くのは好きなんで」
そう前世では想像できなかったことだが、転生してから絵を描くのが得意になっている。自宅の喫茶店部分に飾ってある風景画もオレが描いたくらいだし。
クラークさんから仕様書の説明と挿絵の概要をヒアリングして点数を確認、制作期間と報酬の詳細を詰めてからオレは工業ギルドを去る。
せっかく中央の商業区まで来たんだ。買い物を済ましてしまおう。
まずは医療ギルドでポーションチェリーの種の回収、鍛冶ギルドに依頼したエスプレッソマシンの部品製作の進行具合の確認、商店街で食材の確保をしないとね。
いくら広い家に住んでいても所詮は一人暮らし。
食事はどんどん簡素なものになってくる。
今日はこじゃれた喫茶店風ロビー、通称喫茶部屋を使ったからこちらで簡単な軽食で済ます。
メニューはニンニクを聞かせた濃厚カルボナーラ。
これがコーヒーに合うんだ。
食後は仕事。
オレは基本的に在宅ワーク。自宅兼職場だ。
今日依頼を受けた仕様書向け挿絵作成でもやっておくか。
絵心がなかった前世でもイラスト制作の知識は意外にも持っている。
学生時代の友人がそっち系だったんだ。
かぶらペンやGペン・丸ペンの使い方、点描やかけアミの描き方などアナログなイラストを描いていた。
イベントがあるごとに手伝いをさせられていたんだ。
まさかその時の経験が今世で役立つなんて思っていなかったよ。
絵の才能が開花した今!一世を風靡する同人作家になれるかも!
とか思ったけど、ないない。絵本はあってもマンガはないんだ。誰かが流行らせてくれたら俺にも出番はあるかもしれないが、自分では何かを始めるつもりはないよ。
依頼の挿絵の制作は数時間で終わってしまった。
これで一般人の1週間くらいの収入を得ることができるらしい。なかなか美味しい仕事だ。
あとは魔導具製作の続きをして今日の仕事は終わろう。
部屋に戻って一息つく。
実はオレ、ペットを1匹飼っている。
ゼリー型スライムの“ムツミさん”だ。
この世界ではスライムは大きく分けて2種類いる。
まずゲル型の凶悪なヤツ。こいつは毒を持っていたり、腐食させたり、いろいろ溶かしたりする危険な魔物だ。
もうひとつがゼリー型の無害なヤツ。弱くて大人しい。魔物扱いされておらず、今や人間たちのペット扱いだ。来訪者が雑魚の魔物と勘違いして討伐してしまったため生息数は非常に少ない。
両スライム共に森の掃除屋と呼ばれているが内容は180度違う。
ゲル型は動物や魔物を襲い捕食する。ゼリー型は死骸や排せつ物などを吸収し森の養分として還元させる。
オレとムツミさんとの出会いは2年ほど前、冒険者として素材集めの依頼を受けてときだ。
ゴーグルで魔力探知していたら、たまたま目があった(ような気がした)。
そこで俺たちはむかしのハリウッド映画の様な邂逅を果たす。
ぷるぷるしていて手触りがとってもいい。思わず餌付けしてしまった。
謎肉ジャーキーをはむはむしている様子が愛らしい。
オレが敵でないことがわかったのか、まとわりついてきた。可愛いヤツだ。意外に頭もいいかもしれない。
これはウチで飼うしかないよね。
ということで今は立派な家族の一員だ。
ここに住んで5年。
好き勝手に生きてきてコーヒーばかり飲んでいる。
近所づきあいは悪くはないがお互い“いい感じの知り合い”という程度。
友だちと呼べるのはゼルとラックぐらいかもしれない。
家族はスライムのムツミさんだけ。
ちょっと寂しいかもな。
リリリリリリ…。
挿絵制作の依頼を終えて数日たったある日の昼。
ドアベルではなく門扉のところに設置している呼び鈴が押されるのは久しぶりかもしれない。
タダ飯ぐらいナイスミドルたちではなく、本物のお客様だろう。
…と思ったらいつものタダ飯ぐらいの片割れだった。
「珍しいね。普通に呼び鈴鳴らして現れるなんて」
「まあな。今日はまじめな話だ。冒険者ギルドから正式にアリスに指名依頼を出しに来た」
冒険者ギルドのマスター、ゼル・コーバーがまじめな顔をして立っていた。