#1-7 ズレ
引っ越しの荷物とシャーロットを運ぶ高速馬車の車列は森中の道で止まった。
護衛の騎士や御者、お付きの侍女などは遠巻きに不安げに二人の様子を見守っている。
彼らもシャーロットの身体のことは知らなかった様子で、訝しむ調子の声が聞こえたりもした。
「私が12歳の時……あなたがこの世界に来る二年前のことです。
その頃は既に魔王軍との戦闘が激化しており、世界中に魔物がはびこっておりました」
俯きがちなシャーロットは訥々と語り始める。
「どの国が勇者召喚をするかでクソみたいに揉めてた頃だな。
その後、交渉は結局決裂。いくつかの国が召喚準備レースを始めて、俺の召喚に至ると。
アホだぜ。みんなで協力してれば一年は早く召喚準備が整ったろうに」
世界のシステムの一部である召喚勇者は、同時に一人しかこの世界に存在しない。
ぶっちゃけた話、召喚は早い者勝ちだ。
そして勇者の『預かり役』となった国は、勇者の政治利用に関して独占的と言えるほどのアドバンテージを得る。
しかし勇者の召喚にはとてつもない代価を必要とする。
世界を渡る魔法は、古の術師たちにとってはタクシー程度のものでしかなかったようだが、今の技術ではそうもいかない。
最高の術師を揃え、収集困難な触媒を揃え、膨大な魔力を用意する……
小さな国なら傾いてしまうような国家プロジェクトだ。
どの国が勇者を召喚するか、話し合いはまとまらず、その間にも魔王は侵攻を続けて世界の危機は深刻化。
痺れを切らした複数の国が勇者召喚レースを始め、最も早く準備を整えたのがガンドラ王国だった。
と言うのが、後々からエルテが知った召喚に至るまでの経緯だった。
そんな、国際社会の足並みも揃っていなかった時期の話。
「暑い夏の日でした……
私はノーラ様とエレーナと共に、避暑地へ向かっていたのです。
そこを魔物に襲われて、私は……
供の騎士たちが倒れていく中、エレーナを守ろうと、剣を取り、立ち向かってしまったのです」
「それは……すごい。大人でもそうそうできることじゃないのに」
「いえ、私は逃げるべきだったのです。
私ごときが剣を手にしたところで何ができるはずもなく、魔物に一太刀も浴びせられぬまま……
爆発の魔法で、私は殺されました」
「……殺された? では蘇生の魔法で蘇ったのですか?」
最高位の神聖魔法に≪死者蘇生≫というものがあり、いくらかの制約と代償が存在するものの、これによって死者を蘇らせることが可能だった。
王族が殺害されたとしたら、普通はそれを試みるはずだ。
だが、この魔法によって蘇ったなら肉体の損傷も修復されるはずで、サイボーグ状態になったシャーロットとの整合が取れない。
「蘇生の魔法は……失敗することの方が多いのですよね? 失敗すれば遺体は灰となり、二度と蘇れないと。
それだけは絶対にあってはならなかったのです。当時はどの国が勇者召喚を行うかで紛糾しておりました。よりによって王族が魔物に襲われ殺されたなどと知れたら、我が国は国際交渉で致命的な弱みを抱えることになります」
「それで揉み消されたのか」
「お父様……陛下は、蘇生の魔法より確実な方法で私を蘇らせ、全てを無かったことにするご決断をなさいました。ゴーレム技術の応用で失われた身体機能を補い、私をこのように」
エルテは溜息を飲み込んで顔をしかめる。
結果的に良かったのかどうかは別として、この意志決定には徹頭徹尾、『シャーロットのため』という視点が存在していない。
ともあれ、魔法で肉体を再生できるこの世界でシャーロットがそれをしていない理由は分かった。
世間で『回復』だの『治癒』の魔法とされているものは、身体を完全な状態へ戻すものだ。肉体を機械で補って蘇ったことで、シャーロットはおそらく、これが完全な状態であると規定されてしまったのだろう。
で、あるなら普通の魔法ではこれ以上彼女の身体を治すことはできない。
「この身体は『数年もてばいい』という状態だったのだそうですけれど、幸運にも私はこの歳まで生き延びました。
ですが……私はこのような身体ですから、もはや『手札』ではなくなりました。
王女としての最大の務めを果たせなくなったのです」
「最大の務めって……政略結婚の駒かい」
それは、あながち間違っているとも言えなかった。
縁と血筋によって動くお偉いさん方の世界において、女性の最も重要な役割は、結婚で縁を繋ぐことと世継ぎを産むこと。
物理的に『傷物』であるシャーロットを使っては、結婚で結んだ縁にもケチが付く。無茶な手段で死の淵から蘇った彼女はいつ死ぬとも分からず、子を産む猶予があるかも分からない。
ついでに言うならシャーロットを巡る顛末は王宮にとって、なるべく隠しておきたい汚点だろう。
その点、もしシャーロットがエルテとくっついてしまえば全てが万々歳だ。『勇者の花嫁』という錦の御旗の下では全てが霞む。
あるいはシャーロットの命も繋げるかも知れない。勇者はその働きに応じて神々の奇跡を褒美として賜るという。もし、それをシャーロットのために使ってくれたとしたら……
そんな考えがジョーゼフ王にはあったかも知れない。
――つーか、王様が俺の性転換に反対した理由、この辺も含めてか……
この国は王子が二人居るけど、俺が転移してきてから魔王を倒すまでの間に片方結婚、もう片方も婚約しちまった。もう女勇者を娶らせる枠が無い。
だが俺の意向を聞いて、エレーナ王女をくっつけて魔法で子供を作らせるプランに変更したってわけか。
それは最早、『盤上の駒』と言うよりも『ジグソーパズルのピース』。
エルテの知らぬ場所で絵を描き、形にしようとする動きがあったわけだ。
多くの人を巻き込み、磨り潰して。
「結局は、私の愚かで幼い蛮勇が全ての始まりです。
私はせめて自分にできることをしようと思ったのですが、それは……勇者様。あなたを騙すことでした……」
シャーロットは膝を折る。
そしてそのまま地に伏した。
供の者たちが驚きどよめく。
「ちょっ、ドレスが汚れ……」
「申し訳ありません……」
下々の者が貴人に平伏するように、シャーロットは地べたに額を擦り付けていた。
声が震えていた。
「私は文字通りの傷物であることを隠して近づき、さらには勇者様の弱みに付け込んだのです。
どうぞ私をお恨みください。ですが、どうか、この国を見捨てないでくださいませ……!」
赤金色の丸っこい後頭部を、やや呆然としながらエルテは見下ろす。
彼女の行動原理は一貫している。世界のため、国のため。ひいては民のため。
そのためなら自分自身がどうなっても構わないし、勇者さえも利用する。
シャーロットも状況の被害者と言えるだろう立場だ。
しかし今は国を背負い、エルテに詫びている。
「……ほんと、何から言えば良いか分かんないんですけど。
シャーロット殿下もエレーナ殿下も、まず自分の常識を俺が共有してるって前提で喋るのはどうかと思いますよ」
エルテはやり場の無い怒りを感じていた。
シャーロットに詫びられたからと言って気が済むものでもない。彼女を責める気にはなれない。
すぐ傍でこんな事が起こっているのに気がつけなかった自分にも腹が立つし、勝手なことを決めた王にも腹が立つし、それでも結局、誰か諸悪の根源が居るとも言いがたくて。
何よりもエルテが感じたのは、もどかしい『ズレ』だった。
――俺が異世界人だから、って話じゃねえよな。これ。
エルテとは違う常識で、違う理屈で物事が動いている。
その、煩わしいズレ。
「まず俺は! シャーロット殿下にお世話係としてダメだった点があるとは一個も思ってない!」
「そんな、嘘を!」
「嘘じゃありません!
むしろ、俺との結婚を否応なく意識する立場で呪いに耐え続けた、ヤバイ級の黄金精神に感服しました!」
本来の『世話係』の狙いはともかく、シャーロットはエルテの身の回りの世話をするという点において問題無かった。
しかもエルテの『非モテの呪い』に耐えながらそれを勤め上げたのだから大したものだ。
エルテは自分の呪いがどのような条件で発動するか大体把握している。主に、性的な何かを意識した時だ。顔を見せなければセーフだったことも、筋肉がチラ見えしただけでアウトだったこともある。
人は遺伝子の乗り物たる生物であり、それはこちらの世界でも変わらない。頭脳は無意識のうち相手を性的に点数付けするもので、それがエルテの呪いのトリガーとなる。
その点、勇者を誘惑する役目なんてノーガードで呪いに身を晒すに等しい。マリエルが耐えかねて逃げたのも当然で、嫌悪感で体調を崩さなかったのが不思議なほどだ。
「でも私は……このようなみっともない身体を……」
「みっともないですって!?
俺の世話をする人が義手義足じゃダメだってんですか!?
それこそあり得ない!」
「こんな継ぎ接ぎの身体! 勇者様の目に晒すだけでも罪ですわ!」
「そこまでおっしゃるのでしたら、俺も正直な感想を言ってもいいでしょうか」
シャーロットは身体のことを隠して侍っていた。
それ自体が何か重大な過ちであるかのようなシャーロットの言は、彼女の世界においては常識的なのだろうけれどエルテにとっては違う。
触れないようにしていた本音を、エルテは思い切ってぶちまけた。
「……めっちゃカッコイイです」
「はい?」