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#1-6 シャーロットの秘密

 六年前……エルテが見晴らし界(サーベピース)へ渡り来て二年後のこと。


「シャーロット。そなたを勇者殿の筆頭世話係に任ずる」


 ある日、父に呼びつけられたシャーロットは、直々にそう命じられた。

 寒々しい音を立てて吹く風が落ち葉を運ぶ秋の日で、王城の廊下の大窓から差し込む日差しもどこか寂しげだった。


「私が、でございますか? お父様。

 それはマリエルお姉様のお役目では……」

「マリエルは、もう限界だとのことだ。

 いつ勇者殿にねやに呼ばれるのかと、それを考えただけで……生きた心地がしないのだと。

 もちろん、世話係とはそれも含めたお役目だが」


 父の声音は苦く、溜息交じりだった。

 シャーロットの腹違いの姉、正室の子である第一王女マリエルは、召喚勇者エルテがこちらの世界に来た時以来の『お世話係』だ。

 未婚の第一王女であったことからマリエルは当然にエルテにあてがわれた。そして彼女は『お世話係』の役目を喜んでいたはずだったのに、実際にその仕事が始まってみればすぐに愚痴ばかり言うようになっていた。そして遂に我慢の限界を超えたらしい。


 原因はエルテの呪いだ。

 勇者の力と引き換えに彼に掛けられた呪いは、異性からの性的な接触を拒む。あまねく女性は彼に『異性としての魅力』を感じることができなくなり、一夜を共にするだの結婚するだのということは、考えるだけで吐き気を催すほどの嫌悪感を覚えるのだ。

 マリエルはそれに耐えかねた。実際に寝所に呼ばれたことなどないというのに……つまり、『お世話係』としての役目を未だ果たせていないというのに。


「お役目を終えた勇者様をこの世界に繋ぎ止めること。

 さらに言えば、我が国に。

 そして……子を為し、神の加護を受けた勇者の血を王家のものとすること。

 それが『お世話係』……」

「左様」

「ですがお父様。でしたら尚更どうして、私のような者を……」


 この時シャーロットがまず考えたのは、自分が本当に役目を果たせるのだろうかということ。

 次に考えたのは、自分などが宛がわれるのはエルテに対して失礼なのではないかということだった。


 ジョーゼフは、その疑問はもっともだと言う風に頷いた。


「勇者殿の呪いに関しては聞き及んでおろう。

 如何なる女子おなごの者には近寄らぬ。

 ……なればこそ、己に寄り添う者があれば、細かな欠点など目にも入らぬだろう」


 シャーロットの抱える『欠点』は、細かな、とは言い難いものだった。

 しかしジョーゼフの言葉は確信に満ちており、シャーロットも『そういうものかも知れない』と思わされた。男であるエルテの心境は同じ男であるジョーゼフの方が、まだシャーロットより察せられるだろうから。


「これはそなたにも悪い話ではないと思っているのだがな。

 ……もはやそなたはまともな婚姻など望めぬだろう。しかし、もし勇者殿との間に男子を為せば、そなたは未来の王の母となるやも知れぬのだ。

 本来王位継承は直系の男子が最優先となるが……」

「……勇者の血を受け継ぐ男子は、例外」

「そもそも、勇者召喚の代償に『無縁の呪い』を選んだのも、我らの制御が及ばぬ旅先でどこの馬の骨とも知らぬ相手おなごに勇者殿を奪われぬ為……

 勇者の血を手に入れることができれば、我が国は百年の安康あんこうを得よう。そなたがその鍵となるのだ」


 言ってみればそれは消去法のような話ではある。


 マリエルは、世話係としてエルテの心を射止めずとも、王女として結婚できる。

 シャーロットにはそれができないという、とても簡単な話。いい加減、事情を隠して縁談の打診を断るのも大変なのだろう。勇者のお相手役という立場に収まっていれば、その間は縁談を断るちょうどいい理由になる。

 だからジョーゼフはマリエルの嘆願を聞き届け、ひとまずシャーロットにエルテを任せてみるという決断をしたのだろう。


 戦いが終わればエルテは勇者でなくなるが、それでも一度は神の加護を受けた勇者の血。その血を受け継ぐ子は神に愛され、才覚を授かるとされる。事実、かつての召喚勇者の子孫たちが今も魔族との戦いで活躍している。勇者の血筋をこの世界に残す事は未来への希望であり、さらにそれがガンドラ王家であるなら言うこと無しだ。

 何より世界を救った勇者の血を王家に取り入れることによってガンドラ王家は万民から、そして世界から尊崇を集めることとなる。そうして政治的影響力を高めることが国家の安定にどれほどの恩恵をもたらすだろう。


 そう。

 シャーロットが勇者エルテの歓心を買い、彼に見初められれば。


「それに、そう、役目を果たし終えた勇者は、その働きの代価として神々より奇跡を授かるという。

 その奇跡を愛する者のため使った勇者も居るだろう?」

「それを……私に?」

「さすればそなたも永らえよう」


 シャーロットは心動かされた。そして、すぐにそんな自分を戒めた。

 この世界を救った代価として、勇者ではなく自分が救われるようなことがあってはならないと。

 彼は、ただ彼が求めるものを得るべきなのだ。


「確かに、()()勇者殿はそなたにとって耐え難き存在であるやも知れぬ。

 だが勇者殿が魔王を討ち、勇者の座を返上するまでの辛抱だ。そうは思わぬか」


 なだめるようなジョーゼフの言い草は、欺瞞的かも知れないとシャーロットには感じられた。


 ――もし、勇者様が勇者の座を返上する時があれば、その時は呪いも消えて、私は用済みになるのでは……


 エルテは少々控えめで引っ込み思案なところがあるが、勇者の肩書きに相応しい、真面目で慈愛に満ちた好男子だとシャーロットは思っている。

 呪いが消えれば世の女性たちはエルテを放っておかないだろう。それこそマリエルが戻って来るかも知れないし、妹のエレーナだって年頃になれば分からない。

 その時、シャーロットはエルテにとって用済みになるのかも知れない。


 だとしても。報われることが無かったとしても。

 今、エルテをこの世界に繋ぎ止められるのは自分しか居ない。

 そうシャーロットは思い定め、決意を固めた。


「お受け致します、お父様。

 この世界と万民のため、不詳シャーロッテ、この身を賭して戦いましょう」

「そうか。やってくれるか」


 後ろめたさの裏返しか、ジョーゼフは驚き喜んだ様子だった。


 * * *


 衣服を初めとしたシャーロットの私物一切を積み込んで、馬車は王都へ揺れ進む。

 『お世話係』として六年間暮らした『鏡の離宮』を後にして、シャーロットは王宮へと向かっていた。


 この六年間で知り得たことだが、エルテは最初から元の世界へ帰る気など無かったらしい。

 この世界に彼を繋ぎ止める楔など最初から必要無かったということだ。

 エルテは勇者として引き続きこの世界のため戦うこととなり、呪いも引き続きその身に受けることとなったが、とんでもない手段で呪いを克服した。

 彼は……彼女はこの世界に生き、そして子を為すのだろう。おそらくは、エレーナと。


 その結末は希望であり絶望。

 シャーロットは最初から存在する必要が無かったということ。

 しかして憂う必要も無い。未来は約束されたのだから。


 シャーロットは出家して神殿の預かりとなる。

 そして遠からず死ぬのだろう。

 それで終わりだ。

 寂しく思いながらもシャーロットは心静かに、自身の結末を受け容れていた。


 だから。


「どういうことだ、シャーロット! ……殿下!」


 走り続ける馬車の扉をこじ開け、エルテが客車に顔を突っ込んできた時は驚愕した。

 『おしまい』の文字が記された物語に、次の頁が突然付け足されたかのようで。


 魔法の儀式によって女になったエルテは、男であった時の凛々しさはそのままに、奥ゆかしい美しさを備えていた。その身体は魔王との長き戦いの中で鍛えられて、付くべき所に(特に胸に)肉が付いていながらも、一振りの刃のように研ぎ澄まされている。

 仕立て直された装束も彼女を清廉に麗しく輝かせている。白を基調とした衣装は、神秘的な黒髪黒目とのコントラストが鮮烈だ。


 シャーロットが乗っていたのは、魔法的加工によって抵抗を軽減した高速馬車だ。単に移動時間を短縮するのみならず、魔物などに襲われた際の安全を確保する意味もある。

 それに自分の足で走って追いついたというのだから流石に勇者は只者ではない。

 エルテは何事か、必死の形相だった。


「エレーナ殿下を問い詰めたら全部ゲロったぞ!

 俺の()()()のはずだったって!?

 しかも出家の理由は、俺が呪いを回避して、他の女をくっつけられるようになったから!?

 どうなってんだよこの国!! 揃いも揃って頭おかしいんじゃねえのか!?」


 よもや、と思っていたことだ。

 エルテは『世話係』というのがどういう意味か理解していなかった。若い男性に若い女性を宛がい、身の回りの世話をさせるというのがどういう意味か。エルテが一言命じれば、シャーロットも、その『部下』だった使用人たちも、直ちに身体を許したことだろう。それも含めてお役目なのだから。

 結局の所シャーロットは清い身体のままでエルテの下を離れることになったわけだが、その理由はシャーロットの『欠点』でさえなかった。


 そういう事情に全く気が付いておらず、そして今気が付いたのだとしたら、腹立たしく思うのは分かる。とは言え、こんな時に彼が何に対して怒るのか……奸計によって自分を操ろうとしたことか、はたまた軽薄な好色漢のように思われたことか、それとも別の理由かは分からないが。


 シャーロットがエルテに関わった時間は決して長くないが、その中でもエルテが怒りを露わにしたところなど見た事が無い。給仕をする侍女が過って食器を落としてしまった時も、怒るどころか彼女が怪我をしていないか気遣ったほどだ。

 そんなエルテが、これほどまでに怒っている。それだけでシャーロットは血の気が引いたように感じた。


「隠してたんだな。その右腕」

「!」


 息が止まる。


 シャーロットは、この身体を隠すことがエルテに対する背信なのだと思いながらも隠していた。

 そしてエルテはその事に関して今日まで詮索してこなかった。

 状況に甘えていたと言ってしまえば、そうなのかも知れない。


 エルテは奇怪な装飾が施された片眼鏡を取り出し、それを通してシャーロットを見る。


「右腕。右脇腹。それと、両すねの先と……左手の指三本。前髪で隠してる右の額に……いや、もしかして右目まで()()なのか」

「勇者様、それは……?」

「相手の強さが見える、ってマジックアイテム。魔王城からぶんどってきたやつだ。

 正確には身体を流れる生体魔力を感知するものだから、()()()()()()()()には何も見えない」


 全ては露見していた。

 

 シャーロットが『世話係』になった理由。

 出家する理由。

 そして、遠からずこの世を去るであろう理由。


「……申し訳ありません、勇者様。私は……勇者様に隠し事をしておりました」


 シャーロットは両手に付けていた手袋を外した。

 髪飾りで留めていた右前髪を掻き上げ、ドレスには少々似つかわしくない膝下までのブーツ状の靴も無理やり抜き取って脱ぎ捨てる。


「うおっ……」


 エルテが驚きとも感嘆ともつかない声を漏らした。

 真鍮の如き色に輝く、シャーロットの身体を見て。

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