#1-4 戦いの証
「よう、グレン」
王城の堀を回るコースでランニング中だったゴリラ系スポーツマンにエルテが声を掛けると、彼は三パターンくらい疑問の表情を浮かべた後でハッと気付く。
「ん……? うおっ、お前エルテか! 全然分からなかったぞ!」
「どーも、久しぶり」
「すごいな、女になっても微妙に悪い目つきとかそのまんまだ」
「割と失礼だなお前オイ」
城の周りをもはや何周走っているのかも分からない汗だく状態の男。
彼の名はグレン。ガンドラ王国の近衛騎士であり、勇者エルテのお供としてジョーゼフ王の命を受けて戦った。つまりは、勇者パーティーのメンバーだった男だ。
30代半ばの彼はエルテとは大分歳が離れていたが、寝食を共にして、背中を預けて多くの死線をくぐった相手だから、もはや親友と言ってもいい間柄だった。
既に彼もエルテが女になったことは知り得ている様子だ。
「お前に会いに来たのは他でもない。
俺の『非モテの呪い』は性転換した今、男相手に効いてるのかどうかっての確認したくてな。
他にこんなこと頼めそうな奴いねーし」
あんまりにもあんまりなことをエルテは頼む。
しかしエルテは真剣であったし、グレンはエルテの本気を察したか、戦いの場で見せる刃のように鋭い表情となってエルテを観察する。
エルテは全身すっぽり覆っていた粗末な旅装の外套を、春先の変態のように脱ぎ捨てた。
その下に着ているのは、あのドレスだ。清楚な黒髪セミロングに、華やかすぎず麗しく落ち着いた雰囲気のドレスはハッキリ言って結構似合っている。問題はそれを着ているのが他ならぬ自分であるという一点なのだが。
「そうさな……確かに今のお前、パーツ単位で見れば美人かも知れねえ。
だが何故か、異性として見れない。思考実験として考える事さえ頭が拒否するっつーか……
お前を抱くぐらいならオークのケツ穴に突っ込んだ方がマシだ」
「なるほど」
非常に失礼な感想ではあったが、この程度で傷つくような信頼関係ではない。
忌憚なく100%ストレートな感想を伝えるため配慮ゼロの言い回しをしたのだとエルテも分かっている。
「ちと同情するぜ。お前、女どもからそういう目で見られてたってことだよな」
「そうだよ!
……俺は思い知ったんだ。勇者に助けられた女の子がパーティーに加わるには性欲が介在しなきゃならんのだと」
「せめて恋心と言え」
「あれとかこれとかそれとか、普通だったら俺についてくる流れだったろ!?
みんな勇者パーティーの一員として充分やっていける強さだったし!
でもそうはならなかった!」
勇者エルテは世界中を飛び回り、多くの人を助け、多くの人と共に戦った。
その中には当然ながら女性も居たのだけれど、彼女らは上流から流れてきた川の水がそのまま流れ去っていくかのように、ほんの一瞬、エルテと擦れ違っただけでどこかへ行ってしまった。
呪いのせいだ。勇者の力の代償である『非モテの呪い』の。
「だから、女になった今こそもう一度合いに行こうと思ってさ。
これで少なくともマイナスは消えた。プラマイゼロのはずだ!」
「そうか。俺はたまにお前が天才なのか馬鹿なのか分からなくなる」
話しながら二人は歩き、城門をくぐる。
当然ながら二人とも顔パスだった。門番は最敬礼で二人を見送る。
「まあ、何にせよ勇者直属のパーティーは再度、メンバーを募らなきゃならない状態だから」
「そうだな……俺も付き合えなくて済まない」
「気にすんなって。あの時は王様に仲間を用意してもらったカンジだけど、今はもう世界中旅して、俺自身に仲間の心当たりが結構あるからな」
グレンは済まなそうだったけれど、エルテはからりと笑い飛ばした。
ゲームだの何だので魔王討伐がクライマックスになるのは盛り上がりを作るための、いわば作劇上の都合であって、実際には人族圧倒的優位の状況を作った時点で魔王は討ち取ったも同然の状況だった。
その頃にはもう各国は魔王討伐後を見据えて動き始めていた。
勇者パーティーのメンバーだったグレンも、魔王討伐が既定路線に入った辺りで、次期近衛隊長の椅子が用意されていた。
勇者の仕事はさらに延長されてしまったが、転がり始めた岩が簡単には止まらないように、動き出したスケジュールは高い自己保存能力を持つ。エルテ直属のパーティーメンバーだった仲間たちは解散し、それぞれの仕事場へと向かって行った。
グレンも、年齢的にもこれから何年かかるか分からない『次の危機との戦い』へ出るより、組織の中で仕事の実績を積んだ方がいい頃だろう。
それはそれで仕方の無いことだ。それぞれの事情を無視するわけにはいかない。
幸い、仲間たちの抜けた穴を埋める心当たりはエルテにある。
「これから世界中巡ってスカウトするんだ。
そんでハーレムパーティー作る」
「……ハーレム要素は必要か?」
「必要だとも。俺のやる気に関わる」
「そうか。俺はたまにお前が天才なのか馬鹿なのか分からなくなる」
春爛漫の庭園を抜け、城の裏手へ回ると、無骨な建物が増え始める。
種々の倉庫や鍛冶工房など、表向きの華やかな世界とは異なる実務的な、王城のバックヤードと言うべき一角だ。
「……ところで、どこへ向かってるんだ?」
「ここだよ」
エルテが向かっていたのは倉庫のうち一つ。
エルテが近づくと見張りの兵士が敬礼して扉を開いた。
埃一つ無いほど清められた倉庫の中には、架台に置かれた武具や、一見するとガラクタのような奇妙な機械、謎の宝飾品などが並べられている。
学者たちが何かメモを取りながら慎重にそれらの物品を調べていた。
「戦利品の仮置き場だ。
魔王城からぶんどってきた物をここに置かせてもらってる」
ダンジョンに入った勇者が宝箱を漁るのは天地開闢よりの習い。
魔王城にて魔王を倒したエルテは、帰り際にちゃっかり宝物庫を荒らしていた。
グレンは手近な魔剣を取り上げ、禍々しく波打つ刃をためつすがめつ眺める。
「どうすんだ、こんなに沢山。陛下に献上するのか?」
「ぶっちゃけそれでもいいと思ってたんだけど、俺、勇者業継続だろ。
今後の戦いで使えそうなのは選り分けて、俺が持ってくことにしたんだよ。
残りは売り払って資金にするんだ。何か金使う必要があった時、経費で落とせるかいちいち考えるの面倒だし、結局ポケットマネーで処理する方が早いからな」
「そりゃまた……一生どころか四生くらい遊んで暮らせそうな金になるな」
「俺が遊んで暮らしたら世界滅ぶぞ」
ともあれエルテはこちらの世界に来て以来、本格的に金に困ったことはなく、それはありがたいことだと思っていた。なにせ世界の命運が掛かっているのだから、大抵の出費は誰かがツケで支払ってくれる。
お金のやりくりというゲーム性を演出するため、王様には端金しか貰えず必要なアイテムは全部自腹で買うRPGの勇者とは違った。
「戦いに使える道具っつっても、実際どんなのだ?」
「これとかどうよ」
エルテは高貴なクッションの上に置かれていたモノクルを摘まみ上げ、それを通してグレンを見た。
サーモグラフィーでも見ているかのように、グレンの全身から黄緑色の光が立ち上っていた。
「見える……見えるぞ。お前は俺より弱いようだ」
「なんだそりゃ」
「相手が自分よりどれくらい強いか弱いか見えるモノクル。生体魔力の巡りを見るんだと。『スカウター』だな、こりゃ」
「『星詠みの目』って彫ってあるぞ。これがアイテム名じゃないのか」
「『スカウター』だってば。多分強すぎる相手を見ると爆発するんだ」
「そのような機能はございません」
居合わせた学者が冷たくツッコミを入れた。
「勇者様、こちらにおられましたか」
そこへいきなりシャーロットが入ってきて、緩かった倉庫内の空気は急に引き締まる。
「っと、シャーロット殿下!」
「皆、構わず楽にしてください」
グレンも学者たちも、鉄の棒でも飲まされたように背筋が伸びて、それから深々と礼をしていた。
彼らはガンドラ王国に属する立場であるからして、王族であるシャーロットに対しては緊張感がものすごい。
勇者であるエルテは逆に、俗世の権力にへりくだりすぎてもいけない立場だ。とは言え一般的なレベルでの礼儀はわきまえるべきなのだけれど。
「どうかしましたか?」
「ええと、勇者様の新しいお召し物に関してデザインを頂けましたので、お早くお目に掛けた方がよろしいかと思いまして」
離宮からエルテと共に王都へ着たシャーロットは、仕立て直し中の装束がどうなっているか確かめてくれていたのだ。
彼女が持ってきたデザインスケッチを見てエルテは顔をしかめる。
「……やっぱりこうなるか」
肩周りを露出して肩紐で吊り下げる形式のキャミソールワンピース。胸から腰に掛けてはコルセット状の革ベルトで補強しつつ着用者のボディラインを見せつけるよう計らっている。
そして服を詰めて余った生地を使ったと思しき、短いマントのようなケープで首から肩の防御を固めている。
白を基調に金と深紅を用いた派手派手しくも重厚なデザインは勇者の威光を示すものだが、それは確かに『女勇者』のための服だった。
「夜を徹して作業が続いており明日には完成するとのことで、既に生地を切り詰めるなどしていると……
お……お気に召しませんでしたら申し訳ありません……」
「いや、殿下が謝る事では……
まずったな、先に確認させてくれるよう言っとくべきだった。
仕事早すぎんだろー……と言いたいけどこればかりは早くないと世界が困るもんな」
ドラゴンの革だの、千年蜘蛛とかいうなんか凄そうなものの糸だの、稀少で強力な材料を山ほど注ぎ込んだ勇者のための一張羅。加工するのだって大変だし、一旦切ってしまったものを元に戻すのはおそらく不可能だ。
エルテはそこまでワガママを言う気にもならず、諦めることにした。
「まああれだ、好き勝手に重ね着とかすれば誤魔化せるでしょう。
作り直す材料揃えるのも何ヶ月かかかりそうだしすごい金かかりそうだし……
ひとまずこれでやらせちゃってください」
「はい、分かりました」
シャーロットはちょっと済まなそうに笑って、職人たちの所へ行くのか、足早に去って行った。
「今の…………」
その背中をエルテは見送る。片目には未だに『スカウター』をくっつけていた。
「なんだ? 殿下がお前より強かったりしたか?」
「いや、全然そんなことはないんだけど……」
これは生体を巡る魔力を見るマジックアイテム。
シャーロットは一般人レベルで、それ自体には何の不思議も無い。
しかし。
「なあ、殿下の右手について何か知らないか?」
「んん? ……いや、何とも」
「そうか……」
そう言えばいつも長手袋と袖で隠されていた彼女の右手。
モノクルを通して見える人型の光は、不自然に欠けていた。