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#3-8 濡れ衣

「エルテさん、ごめんなさいこんな時間に!」


 王都一上等な宿のスイートルームで眠っていたエルテが、飛び込んできたシャーロットに揺り起こされたのは、まだ薄暗い早朝だった。


「なんです、こんな時間に」


 何故かエルテの足下には、寒い日の猫のようにエリがいつの間にか潜り込んで丸くなって寝ていて、彼女も布団から這い出してくる。


「どうかしたの?」

「朝刊が届いたんです。その中の一つに気になる記事が……」


 白一色の寝間着姿のまま、髪すら梳かした様子の無いシャーロットが『ロウテルファ日報』なる新聞を突き出す。

 こんなファンタジーくさい世界だが、見晴らし界(サーベイピース)には大衆報道の文化も、それを可能にする技術もあるのだった。


 一面の大見出しに躍る文字は……『魔族使節団のサキュバス、ポルト侯を誘惑か』『深夜の"密会" 国益に対するポルト侯の立場に疑義』。


 これがタブロイド紙なら大衆受けを狙った火の無いところに煙のニュース、針小棒大な噂話で済むのだが、この『ロウテルファ日報』は名前や記事の内容からして真面目な内容を扱う高級紙クオリティペーパーだ。


「……なんだ、こりゃあ?」


 エルテは思わず、声が漏れた。


 * * *


 その日の交渉は中止となった。


 エルテたちは日が昇ってすぐ迎賓館を訪れ、勇者的顔パスによってフリーダの部屋まで押し入った。


「≪静音サイレント≫」


 フリーダは静音の結界を張る魔法を使う。

 泡のように結界で包まれた空間は外部との音の伝達が阻害されて、中で何か話していてもそれを聞かれることはない。

 同時に外からの音……迎賓館前に集まった抗議の群衆の声もシャットアウトされた。


「これで私たちの話し合いが盗聴されることはありません」

「堂々と魔法使っちまうか」

「先に仕掛けてきたのは向こうです。今更こちらから気を遣うこともありません」


 迎賓館内部で妙な魔法を使ったとあっては無用の疑いを招くが、もはや気にするだけ無駄という判断らしい。


「まず念のため言っておきますが、これは事実無根です」

「だろうな」


 フリーダは新聞をひっぱたき、きっぱりと言う。

 エルテもそこに疑いは無い。おそらくフリーダは必要なら色仕掛けでも何でもするのだろうけれど、この場合はリスキー過ぎる。


 彼女はポルト侯とやらを誘惑し、枕営業を仕掛けたわけではない。

 では、だとするとこの新聞記事は何か?

 融和ムードで塗りつぶされていた、魔族との遺恨という火種に油を注ぐには充分だ。サキュバスという種への偏見もあるわけで、潔白を訴えてもどれほど信じてもらえるか。


 シャーロットは難しい顔で新聞をめくっていた。


「この新聞社は他の記事を読むと分かりますが、かなり王宮寄りの立場という印象です。

 ……もちろん、どんな新聞も大なり小なり権力に迎合する部分が当然出てきます。ですがそういう意味ではなく……」

「分かってる。

 どっかのお偉いさんの息が掛かってる、事実上の政府広報誌ってことでしょ。つまりこんなスクープを出したのは王宮の意向ってわけで……」

「最初から私たちと交渉する気など無かった。そういう連中が動いたのでしょう」

「でも……何が目的なんだ?

 このでっち上げスキャンダルの効果なんて、交渉が破談になることぐらいなんじゃ……」


 交渉妥結派の貴族が、フリーダの色仕掛けで籠絡されていたという情報を流し、双方に汚名を着せてこの国の敵であるように見せ、『魔族は信用に値せず』として交渉をぶち壊す。

 そこまではエルテにも分かる。


 しかし交渉が破談になったところで、この国に利益は無い。

 無論、槍玉に挙げられた妥結派の貴族たちが失脚するという効果はあるだろうが、『神殿』管理下にある旧魔王国領に手を伸ばす機会を放棄してまでそんなことをするだろうか?

 結局は利益が大きい方へと人は流れていくものだ。


「彼らは最初から、竜の襲来によって滅茶苦茶になった旧魔王国領を手に入れることしか考えていなかったわけです。竜種によって踏み荒らされ、私たち魔族が集団的な行動を起こせないレベルにまで追い詰められてから、全てを頂いていくということでしょう」


 フリーダは奥歯を噛みしめていた。


「……でも、教皇庁で貰ってきたデータでもまだ本格的な侵攻には遠いはず。

 それまでには管理の態勢とか領土の分割が決まっちゃうんじゃ……」

「あるのです。手段が。

 ……先程、遠話の魔法で連絡が入りました。

 魔王国の生き残りが集まっている、旧魔王国領の街の一つに、昨夜……竜の卵が投げ込まれたと」

「はあ……!?」


 思い切った様子でフリーダは言った。


 竜の卵。疫病の特効薬の材料にするとかで、エルテも調達を頼まれたことがある。

 翼竜ワイバーンの巣から卵を奪って逃げたのだが、運搬手段や逃走手段はしっかり手筈を整えておいたのに、それでも親竜に散々追い回されて酷い目に遭ったものだ。

 その記憶と照らし合わせると……何やら非常にまずい予感がする。


「もちろん卵は割れて()()は死にました。

 冒険者どもが竜の巣から卵を盗んできて、わざと砕いたのです。

 竜の卵の中身は独特の芳香を持ち、竜どもは遠く離れていてもこれを嗅ぎつけるといいます。じき、死んだ卵の家族が怒り狂ってやってくるでしょう。魔王軍も竜狩りのために使ったことがある手です。

 しかし今の私たちに、本格的な竜種の襲撃に対応する態勢は無い。

 奴らが冒険者をうろつかせていたのは、資源調査のためだけではなく……この布石だった!」


 血の滲むほどの力で拳を握りしめ、フリーダは無力感と怒りに耐えていた。


「……竜の襲撃で適度に魔族が減れば、政治的に弱体化しますし、管理しやすくもなります。

 旧魔王国領と隣接するこの国にとっては、より動きやすくなるのではないかと」

「えげつねえ。一石何鳥だよ」


 シャーロットは情け容赦の無い解説をする。

 彼女もまた、この陰謀の絵を描いた王宮に対する嫌悪の滲むような顔をしていた。


「でも、なんでわざわざこんな新聞記事なんかを……」

「正当性です、エルテさん。

 戦いが終わった今、遺恨が存在すると言えど、建前としては魔族との融和ムードです。魔王が現れるまでは彼らも隣人だったのですから。

 竜種という新たな世界の脅威の出現に対し、『神殿』も人魔の協調を説いています。

 そんな中で、竜に襲われている魔族をこの国が見捨て……あるいは救援を遅らせて、その事で責任を追及されないためには相応の理由が必要だったのですよ」

「くそっ!」


 握りしめられたエルテの手が力の制御を失い、フカフカの椅子から肘掛けをもぎ取った。


 何もかも辻褄が合ってしまう。

 強硬派の貴族たちが喧嘩腰と言えるほどに高圧的だったのは、最初からこの展開を視野に入れていたからか。

 魔族側が平伏して全てを差し出すならそれで良し。でなければ陰謀によって奪い去るのだから、交渉がぶち壊しになったところで彼らは構わなかったのだ。


「俺は現状を教皇庁に報告する。

 通信局……は無理だな。あれは国の管理下にあるし。

 直通の遠話用マジックアイテムを持たされてるから、それ使うわ。……この展開予測してたのかな」

「神殿騎士団を救援に呼べますか?」

「分からん! 旧魔王国領で治安維持に当たってる分と、この国に居る分は動けば間に合うと思うけど……」


 頭の中に会議室の地図を思い浮かべたエルテは、檻の中のゴリラのようにぐるぐると歩きながら戦力を計算した。

 竜種は魔王由来の魔物とは異なり、量より質の傾向が強い。

 小型の走竜くらいならいくら出て来てもものの数ではないのだが、中型以上の、特に小型の竜を食って力を付ける『竜食竜』は強力な力を持ち、小さな国ぐらい数頭で滅ぼせるという。

 それが、広めの領域に分散して国家という組織も失った魔族に襲いかかる。

 どう考えても惨劇にしかなり得ない話だ。


「会議で踊ってる場合じゃないな。俺も明日朝にはここを出て旧魔王国領へ行く。

 とにかく、命を助けることが最優先だ。それさえできてれば後は取り返しが付くことも多い」

「勇者様……」


 フリーダは痛ましげに目を伏せる。


「すみません。正直に言うのならとても助かります。

 大見得を切って説教までしたのに、結局私は今、その温情に縋るより他にありません」

「気にすんな仕事だ」


 本音を言うなら彼女は、エルテに助けを求める事には気が進まない様子だ。

 しかしそれが最も有効なのだという事を彼女は分かっていて、そして、背負う者たちのことを考えれば、フリーダはエルテの助勢を断れない。

 エルテはなるべく気を遣わせないよう、さらりと言った。

 どんな戦いであろうと、そこに救うべき人が居れば飛び込んでいくのが勇者なのだから。

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