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#1-3 女勇者の夜明け

 ガンドラ王国王都・ジルシモルトより西へ、高速馬車で一時間。

 街の外ではあるが『近郊』と言って差し支えないであろう場所に、『鏡の離宮』は存在した。


 何らかの作用によって鏡のように景色を映す美しい湖の畔に、壮麗なる白亜の宮殿が建っている。

 この宮はエルテがこの世界に召喚されて以来、ガンドラ王国から住まいとして貸し与えられていた。少なくともエルテが勇者である間は。

 各地を転戦する勇者にとって、住まいなど有って無いようなものではあるのだが、それはそれとしてガンドラ王国は勇者の召喚者として国威を示すべく、時に過剰なまでの支援を行っていた。離宮一つ貸し与えるくらいは何でもない。


 いくつもある寝室のうち、離宮の主が居するべき最も格調高い寝室にて。


「ふぁあ……」


 差し込む日差しと鳥の声に、サイクロプスでも身体が収まりそうなほど大きな天蓋付きのベッドで眠っていたエルテは目覚める。


「…………ん。なんか身体が、って言うか胸が重い……」


 身を起こした時の感覚に違和感を覚え、エルテは一瞬、体調不良を疑った。

 とは言え勇者になってからというもの風邪など引いた覚えが無い。

 身体が重く感じたのは、単に、未だ存在自体に慣れていない二つの重りを胸にくっつけているためだ。


「ああ、そうか。俺……女になったんだっけ」


 寝ぼけた気怠げな声も、高い。


 王国が所蔵していた貴重な古代触媒を一つ消費することとなったが、実際の所、性転換の儀式魔法それ自体は失敗のリスクも無くあっさり終わった。

 儀式から一夜明け、目覚めも快適だ。

 『勇者、性転換する』という大ニュースが今頃王都で猛威を振るっているのかも知れないが、街からも離れた離宮は静かなものだった。


「おはようございます、勇者様」


 エルテが起きると、朝の挨拶と共に即座に寝室へ入ってくる者がある。

 長く黒いワンピースに白いエプロンという、メイド以外の何物でもない姿をした使用人たち。

 ただし彼女らを率いる先頭の者は、服装からして明らかにメイドではない。


 装飾が少ない活動用のドレスを着た若い女だ。作業用とするには勿体ないようにも思える清楚な長手袋を装備している。

 シルエットはほっそりとした印象だが、何故だかかよわさは感じない。

 エルテの黒髪とも少し異なる……地球には存在しなかった気がする、硬質な輝きの赤金あかがね色の髪。長い髪は結い上げられてティアラのような簪で留めてあるが、右の前髪だけが垂らしてあった。


「おはようございます、シャーロット殿下」


 王との謁見にも同席していた、ガンドラ王国第二王女シャーロット。

 彼女はエルテが挨拶を返すと、琥珀色の目を細めて優しく微笑んだ。


 * * *


「思ったより体格が変わったんで、服とか全部仕立て直しなんですと。

 身長も縮んだしな……多分この無闇にデカイ胸にいろいろ吸い取られたんだと思うけど」

「それは災難でしたね」


 旅の間も使っていた、休日の高校生男子の格好みたいな簡素な寝間着のまま。エルテはメドューサがダース単位で死にそうな巨大三面鏡の前に座っていた。


 ――しかし我ながら結構な美人だな……普通にモデルとか女優やれるレベルじゃないのか。


 鏡に映る凜々しい面差しの女は、確かに見慣れた自分自身エルテの面影を残しつつも明白に女性であり、なんだか妙な気分だった。


 激しい戦いで筋肉が付いていた肉体は、引き続き逞しくはあっても筋肉のボリュームが控えめになり、細く締め固められた女性アスリートの如きものとなっていた。

 短かったはずの髪も何故か急にセミロングになったが、まあこれは適当に切る予定なので特に気にしていない。


 背後に立つシャーロットはブラシでエルテの髪を梳り、謎の液体をエルテの顔に塗りつけていく。

 多分これはお化粧ではなくスキンケアだろう。

 元の世界で16年、こちらに来て8年、ずっと男として生きてきたものだから、女性としての朝の身だしなみは経験値ゼロ。レベル1である。

 エルテは何をされているのかもよく分からないまま、されるがままになっていた。


「……今更ですけど王族も大変なんですね。

 この世界に来るまで、こういうのって召使いの仕事なんだと思ってました」

「もちろん基本的にはそうです。

 ですが、例えば王族などの身分の高い方には、世話係として貴族の子女などが付くこともあります。

 この世の命運を左右する勇者様のお世話係ともなれば」

「王女様が自ら付くくらいじゃないと逆に面目が立たない、ってことですかね」


 シャーロットはこの国の第二王女だが、勇者の『お世話係』とかいう役割を仰せつかってもいた。この離宮にエルテが滞在している間、エルテを快適に生活させる責任者だ。

 細々した実働の大半は彼女でなく一般使用人ズなのだろうけれど、シャーロットは彼ら彼女らを率い代表する『顔』として、エルテに付いて回ることになる。


「こっちに来て8年か……

 こんな豪華な宿を貸してもらったのに、転戦転戦でぜーんぜん帰ってなかったな」

「ええ。折角お世話係になりましたのに、お世話をする機会があまりありませんでしたのが心残りです」

「『心残り』?」


 遺言みたいな言い草だった。


「実は、近く勇者様のお世話係を外れる運びとなりました」

「本当ですか」

「はい。後任はエレーナです」


 ――エレーナ。シャーロットの腹違いの妹で第三王女……だっけか。


 こっちの世界では概ね一夫多妻が認められている。まあ実際には複数の妻と結婚するのは王侯貴族や、ごく一部の大商人くらいのものだけれど。

 お世継ぎの存在は王侯貴族にとって重要だ。複数の妻を娶って()()()()を上げる、というのは合理的判断ではあった。


 エルテのうろ覚えメモリーによると、現国王ジョーゼフは三人の妻が居たはずだ。

 第一・第三王女を生んだ正室。

 二人の王子を産んだ(……そのために宮中での影響力は正室を超えている)側室。

 あと第二王女であるシャーロットの母も側室だが、彼女は既に病没している。


「確か、最初は別の王女様が俺のお世話係でしたよね」


 少し、シャーロットは何かを言い淀んだ。


「……はい。

 マリエルお姉様は婚約されましたので、勇者様の傍近く侍るのは、その……」

「外聞が良くなかったってことか……

 俺に限ってそれはないって分かるだろうになあ。『非モテの呪い』のことは世界中が知ってるんだから」


 勇者のことは世界中の関心事で、顔はもちろん、僅かでも外に漏れた個人情報は瞬く間に巷間知れ渡ってしまう。好物の焼き魚が行く先々で出てくるのは、有り難い反面ストーキングされているような恐怖もあった。

 下手したら便所に行った回数すらカウントされているのではないかと恐ろしくなることがたまにある。こちらの世界に来てから10000回目のトイレでブロンズのトロフィーとかプレゼントされやしないかとエルテは若干恐れていた。

 そんなエルテが何と引き換えに勇者の力を得たかも当然知れ渡っているわけで、エルテにしてみれば何が問題なのか理解しがたい。貴族社会が建前だのしきたりに支配されていることは分かっているつもりだが。


「お世話係を外れるということは、シャーロット殿下も婚約を?

 俺は女になったわけですし、気にすることないんじゃないかと思いますが……」

「……いえ、私は神殿へ入ることになりました」


 思わぬ返答にエルテは息を呑む。


「出家ですか。なんでまたそんなことに」

「何故というほどのことでもありません。これもまた王家に生まれた者の務め。

 王族が自ら神の道を修めずして、どうして国家の安泰を願えましょう」


 建前でしかないことをシャーロットは言う。


 ――確か、俺の一個下だったはずだよな……てことは今、23か。


 本来、出家は後ろ暗いことではない。王族から神殿に仕える者を出すことは国家の安泰を願うために必要な事だとされていた。

 むしろ諸々あって一丁上がった人々より、若い王女が出家する方が『覚悟の程を示す』こととなり、信心の篤さを示すことになる……という理論も成り立つ。


 ではあるが、政治的な利用価値があるうちはそうやすやすと出家させたりしないはず。

 表向きのお題目が先か、実情が先か。

 実際の所、王族女子が出家するというのは、ていの良い厄介払いである事が多いとエルテは心得ていた。

 本当に本人の信心が深い場合や、あるいは神聖魔法の才能が飛び抜けているとかの理由で、出家するしかなかったという場合もあるにはあるが。


「……頑張ってください」

「もったいないお言葉です。ありがとうございます」


 事情を詮索するのも気が引けて、エルテは当たり障りの無い言葉を掛けるに留めた。


「ところで……もしかしてそれ、俺が着る服ですか?」

「ええ、そうですが?」


 鏡の中、エルテとシャーロットの背後では、メイド(侍女?)さん方がお召し替えの準備を進めていた。

 明らかに自分一人で着ることはできない服が。

 白と濃紺を基調にした、落ち着いた雰囲気ながら華やかな、肩周りを大きく露出したドレスらしきものが。


「もっと他に無いんですか? もともとの装束に近い見た目のとか……」

「……男装をなさると? ……その、勇者様。確かに勇者様は元々男性ではございますが、いくらなんでもそれは……」

「あ。やばっ、この国それNGな文化?」


 シャーロットはやんわりとたしなめる口調だった。


 その辺の可能性を考えていなかったということに思い至るエルテ。

 戦闘服は一張羅だったし、他の場面で着る服は礼服も普段着も王宮から支給されていた。勇者を使った広報戦略を担当している役人がいるようで、そこのスタイリスト任せなのだとか。

 エルテは着るものに頓着しなかったので異議を唱えたことも無かったのだが、つまり、(この国の基準で)今のエルテに合わせた服が勝手に用意されて出てくることになる。


 そして、戦いの中で培われたエルテの勇者的危機管理能力は、迫り来る更なる危機を察知していた。


「……あの。作り直しになってる俺の衣装、どういうデザインか問い合わせて頂けます? 今すぐ」

「はっ……? はい!」


 勇者の戦闘服は、稀少な素材を山ほど用いて防御能力を高めた逸品。オーダーメイドの一点物で、換えなど存在しない。

 その服は今、性転換の魔法で大きく体格が変わったエルテに合わせ、仕立て直されている。

 どんな状態で返ってくるか考えれば、それはほぼ確定的だった。

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