#3-4 罪と罰と戦争と平和
――この状況で俺に何をしろと……!!
真白い壁に上品な金の装飾が施され、宗教画なども飾られたそこは迎賓館の会議室。
巨大な卓を囲むのは、ロウテルファ王国を代表する貴族たちと魔族の使節団。そしてこの状況では勇者と言えど調度品のようにモブに徹するより他に無いエルテだ。
「ですから、話を混ぜ返すようですがまず前提を確認するべきでしょう。
グルフヌト魔王国は既に解体された状態にあり、国家として認められてはいないというのが皆様の主張であったはず。実際に私どもはかつて魔王国の国民であったというだけの集団で、国体を受け継いではおりません」
黒縁眼鏡を光らせ、フリーダが慇懃に述べるや、即座に貴族の一人が机をぶっ叩く。
「それはそれだ! 貴様ら魔王国の侵略によって我が国の民がどれほど殺されたと思っている!
失われた命は金で買えるものではないが、銅貨の一枚すら賠償として支払わぬと言うのはただの厚顔無恥ではないか!」
会議室にはサウナもかくやという熱気が満ちていた。
おそらくガソリンを持ち込んだら爆発するし、生の鶏肉を持ち込めば美味しく蒸し上がる。
ロウテルファ王国のすぐ東には旧魔王国領があり、戦いを生き延びた魔族が今も暮らしている。
魔王国が崩壊して困窮している彼らは人族世界に支援を求めている。そしてそれは決して一方的な支援要請に留まらず、兆しを見せる竜種の侵攻に対抗するべく手を結ぶことは互いのためとなるのだ。
だがそのための交渉は、暗雲どころか地球滅亡級ハリケーンが漂う中での船出となった。ロウテルファのお偉いさん方は喧嘩腰と言っていいほどに強硬な態度で、対する魔族側も迎合して下手に出たりはしない。
フリーダは怒鳴りつけられてもどこ吹く風で、硬い態度を崩さなかった。
「国を失った我らには収入のあても無く、個々人が幾許かの資産を持ち得ているに過ぎません。
『誠意』が必要とのことでしたら可能な限りの努力は致しますが、存在しないものをお支払いすることは不可能です。
魔王国としての資産は、戦争時に略奪され……」
「魔王国が奪っていったものを取り戻しただけだ!!
しかも全て取り戻せたわけではない……我が国の至宝『朔月の盾』も、何処かの国に奪われて行方が知れぬ」
「それは人族国家間の問題となりましょう。
……いずれにせよ、人族世界の理論に照らすのであれば責を負うべきは個人でなく国家である筈。
その魔王国は既に解体され、主導的立場にあった者らも……ええ、王都の戦いにおいては文官や戦えぬ市井の者すら降伏が認められず殺され、魔王国は国家としての形を跡形も残しませんでした。
皆様の御意志によって消滅させた国に賠償を求めるとおっしゃるのでしたら……」
当てこすりめいたフリーダの言葉を遮り、いかにも武人らしきガタイのいい貴族が席を蹴って立ち上がる。
「女! 自分の立場を分かっているのか。貴様らは我が国に慈悲を乞い、守護を願わねば生き延びられぬのだぞ!
魔族である貴様らと交渉の席に着いてやっただけでも大いなる譲歩。
この上厚かましくも要求を重ねるなら、我らの寛容にも限度があるぞ!」
会議室の窓がビリビリと震えるほどの胴間声だった。
彼の言葉は人族社会の建前すら逸脱していた。
魔族も元を辿れば人族であり、敵として相対することがあったとしてもそれは魔王に仕組まれた悲劇であるとするのが、あるべき態度だ。
無論、実際に戦って殺し殺されれば禍根も残るだろうし、世代を重ねるうちに人族と対立するものとしてアイデンティティーを確かにした魔族もある。それを綺麗事で上塗りはできない。
しかし、そうと理解した上でも綺麗事を貫き、罵声を浴びながらでも建前を守らなければ、世界は変わらない。少なくともエルテはそう思っていた。
「……失礼、発言よろしいでしょうか」
諫める者すら居ないと見て、エルテは軽く挙手する。
この場で勇者の言葉を阻める者は居なかった。
「皆様にも立場がある事は理解します。しかし今考えるべきは、この世界一丸となって竜種の侵攻を防ぐにはどうすれば良いのかということです。
長きにわたる戦いで疲弊しているのは人族も魔族も同じこと。そして魔族は現状散り散りとなり、総体として人族に劣ると言えど、依然として大きな戦力を持ちます。
竜種という共通の脅威に対するため手を組むことには大きな意義があり、その先鞭となることこそ皆様の歴史的使命であると俺は思いますが」
だいたい教皇庁で聞いた話の受け売りだったが、この際問題無いだろう。
エルテたちはちょっくら教皇庁へ出向いて異端狩りを突き出し、エリの件を引き合いに現下の信仰浄化キャンペーンについて詰めてきた。
その時、エリの事件の後始末も諸々丸く収まるよう頼んできたのだが、その代わりと言っていいのかなんなのか、教皇猊下直々に押しつけられ……もとい、頼まれた仕事がこのロウテルファと魔王国の生き残りの交渉に口を挟むことだ。
『神殿』は宗教組織であるが、教義上、この世界と人族を存続させるため動く国際機関としても機能している。その立場からすれば人魔の同盟はなされなければならないのだ。
もちろんエルテとしても心情的に、また勇者業の今後を楽にするためにも、人族と魔族が手を取り合うのは良いことだと思うのだが、それがこれほど面倒な鉄火場へ足を突っ込むことだとは。
「あれほどの惨禍をもたらした魔族の罪を放免し、手を組めとおっしゃるのですか!?」
「皆様もご存知でしょう。魔王を初めとした異界よりの客人……『悪魔』どもは、全ての魔物・魔族に対して生殺与奪を握っているのだと。
魔王軍の統制を絶対のものとする鍵は、そこでした。魔王が倒された今、残された魔族に人族への罪を問うことがどの程度まで適切かは判断が付きかねます」
自分でも100%信じているかは怪しいことをエルテは言う。それは必要な物語だった。
魔王との戦いの最中、エルテはなるべく各国の政治に深入りはしないよう動いてきたが、立場上否応なく関わる必要というのもあるわけで、いつの間にやらこういう小賢しい立ち回りを身につけていた。
「何より戦後の始末は、魔王国の生き残りにどの程度の罪を問うかという点まで含め、今後『神殿』を軸に国際会議の場で決められることです。
敢えてこの場で先んじる必要は無いかと思われますが」
「ぐっ……」
勇者が相手では怒鳴り返すわけにもいかず、武人風の貴族は歯を食いしばった顔で着席する。
正論でやり込めて根本的に解決することは少ない。
だがそれでも、正論を言うのが勇者の役回りだった。
「……少し、休憩しましょう。お互い冷静にならねばなりますまい」
議事進行役を務める老年の貴族が、エルテの仲裁を引き継ぐ。
結局、交渉初日は特段の進捗無くそのまま終わることとなった。




