#2-10 本音
「離せ、邪教の徒が! 貴様らは地獄に落とされるぞ!
悔い改めよ! このようなことがあってはむがもが」
「やかましい黙っとれ!」
宮司たちは、年齢を鑑みれば驚異的な速度で追いついていた。
辛うじて生き延びた戦闘員には縄が打たれ、猿ぐつわもかまされる。
暴れ狂う大蛇は戦闘員四人中三人を取り殺したところで唐突に消え去った。後に残ったのはエリだ。
エルテが思うに、ガス欠だ。未だ神事は完遂されておらず、あんな暴れ方をしては短時間でエネルギーが尽きてしまったのだろう。
「やってしまったのです。消滅しかけたせいで理性が吹っ飛んでいたです」
元の人型に戻ったエリは(……ひょっとしたら先程の姿こそが本性で、この人間形態は化けているだけなのかも知れないが)、赤点のテスト答案かオネショ布団でも晒されたかのように、バツが悪そうに恥じ入っていた。
「いや、あれは正当防衛って言うか、半分事故でしょ。
俺の居た世界、俺が居た国じゃ、神様は粗末に扱えば祟るって言われるもんでさ」
「そうじゃ、ようやりなさった!」
「ええ薬じゃ!」
宮司たちは流石に腹に据えかねた様子で、エリの残虐行為にも快哉を上げる。
なお、限りなくすっぽんぽんに近い状態だったエルテは生き残った戦闘員の僧服を拝借して人としての尊厳を回復していた。上衣一枚が頼みの春先名物露出狂スタイルで尊厳が回復されたと言えるのかはともかくとして。
何にせよ、現場の暴走で取り返しの付かない事態に至らず良かったとエルテは胸を撫で下ろすところだ。
「とにかく俺はこいつを教皇庁まで持ってく。
……教皇猊下はまあ話の分かる方だと思うし、知らん相手でもないから。こいつらの所業について詰めてきますよ」
「ありがたいこってす……」
芋虫のように転がっている戦闘員を、エルテは肩越しに親指で指した。
彼らの行動は、この国の法律でも『神殿』の内規でも問題にならない可能性が高い。そういう意味で罪を問うことは残念ながら不可能だ。
だが神殿の一方的なやり方は看過しがたく、力に任せた高圧的なやり方は火種を抱えることにも繋がるだろう。勇者を殺そうとしたことも政治的にまずいはずで、その線からどうにか話を捻じ込んでいけば、とエルテは考えていた。
「勇者が取りなしてくれるというなら安心でしょう」
エリも安堵した様子で頷いた。
『理由はどうあれエリは人を殺めた。もう呑気な田舎女神ではいられないのです。
新たに山に住み着いた人々はエリを恐れ、その討滅を願うようになるはず。やがては自ら希って『異端狩り』を招くでしょう。宮司の衆はエリに近すぎてそれが分かっていない……』
その直後、悲壮感あるエリの声がエルテの頭に響く。
――ん?
何か奇妙で状況にそぐわぬように思われ、エルテはそれが聞き間違いか何かではないかと疑う。
「まったく。勇者というのは銅貨一枚にもならない他人事に、よくこれだけ必死になれるのです」
『勇者様がここまでしてくれたのに、エリは結局台無しにしてしまったのです……』
「でも、忘れてはいけないのは、お前の仕事はこんな小さな山一つに留まらないということです」
『これ以上エリのために悪足掻きをさせて、勇者様の立場を悪くするわけにもいかないのです』
「こっちはこっちでどうにかするのです。だからもう、お前はお前の仕事に戻るのです」
『……本当は助けてほしいのです』
相変わらずエリは斜に構えた調子で憎まれ口を叩く。
だが、それとは裏腹な声がエルテには聞こえていた。外見相応の少女であるかのように、気弱で心細げな声が。
『強がりを言うのも疲れたのです。
これで終わりだと思ったから、怖いし寂しいと思ったけれど、それでも我慢したのに。
なのに……頼んでもいないのに助けに来てしまった。
お礼を言うべきかも知れないです。だけどそんなことをしたら勇者様を引き留めてしまう……』
何かが変だった。
エルテに聞こえているこの声は、エリのものに違いないだろう。
だがそれにしては彼女とエルテの間に認識の相違があるようにも思えて。
「どうしたですか。その、くしゃみが出そうだったけどひっこんでしまった的な変な顔は」
「いや、なんでも……」
『エリは……ずっと、この山の主として人々を見守り、皆の拠り所となる立場だったです。
この世界から消える日までそれは変わらない。
だけど勇者様は無関係だからこそエリを対等に見て、ただ困っている相手としてエリを助けようとしてくれたのです。それがどれだけ格好良くて頼もしかったか……
人を相手にこんな気持ちになったのは初めてです。こんな姿になったせいで精神までちびっこになってしまったのです?』
変だ。
エリは気弱な様子など態度には出していない。今もだ。
見た目の様子と裏腹な気持ちを、エルテの頭に響く声は訴える。
――あの、エリちゃん? どうかしたの?
心の中でエルテは呼びかけてみた。こうして心の声による会話を行う魔法もいくつか存在するから、そういうことかと思ったのだ。
だが、エリはそれに応えなかった。訝しげに首をかしげエルテを見上げるだけで。
独り言のような声がエルテのは聞こえ続けるだけだ。
『ぎゅーっとして、頭を撫でて、もう大丈夫だよって言ってほしい……
でもエリがそれを望んではならないのです……』
その時、唐突にエルテは全てを理解した。
「あ、ああっ!? 『神降ろし』ってそういう仕組み!?
魔法の念話みたいなもんだと思ってたけど、これ一方通行なのか!
しかもなんか途中から妙にエリの言う事が素直だと思ってたら、あれってただ単にダダ漏れに……」
何かおかしくなったのは儀式場で倒れてからだ。
おそらくあの時にネジが飛んだか、切るはずだった通信を切り損ねたか。
真相に気が付くなり思わず口走るのは、探偵もの小説だったら死亡フラグだが、エルテは勇者なので無事だった。
代わりに、別の何かが死のうとしていたが。
「なって……」
エルテの言葉が尻切れトンボに途切れる。
エリがぷるぷると震えていた。
顔を真っ赤にして、唇を噛んで、目を潤ませて。
自分とエルテの間に何が起こっていたか。
彼女の中で『理解していない』が『理解したくない』になって、最終的に『理解した』になるまで、ほんの数秒。
「き、きゃああああああああ!?」
夜更けの山に、エリの可愛らしい悲鳴が響き渡った。




